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「オリガ・ノクトゥバ、H957128843∵」
ネックチョップ式拘束器具が冷たい金属音を立てて首にセットされたその瞬間から、私はすでに死を覚悟していた。連合軍の兵器カタログにも載っているこの旧式な代物は、管理システムに登録された正規の行動以外を検知すると、即座に内蔵された超高周波の斬首プログラムが発動し、拘束者の頸椎ごと頭部を未練なく切断して処刑する。苦痛を感じる神経が脳に信号を届けるよりも早く刃が通り抜けるという意味では、宇宙の辺境で行われる拷問の中では、どちらかと言えばかなり人道的な部類に入る処刑装置だった。
「所属は?」
「任務内容は?」
「部隊編成は?」
不快な高熱を放つプラズマガンを眉間にピタリと突きつけられていても、私にはその無機質な問いかけに答える気など毛頭なかった。ただ、乾ききった喉を鳴らし、決まり切った文字列を吐き出すだけだ。
所属部隊の市街地戦でほとんどの隊員が殺され、バディのメラも私を庇って逝ってしまった。爆発の衝撃で意識を失った私を待ち受けていた地獄が、この暗黒の部屋だった。
「オリガ・ノクトゥバ、H957128843∵」
「そんな宇宙保証番号なんて、この薄汚れた星の、拷問室じゃ何の意味も持たないわよ。これまでに感じたことのない、いえ……生きていたら決して感じることのできない、極上の痛みを教えてあげるわぁ。私はエクスポーザーのドボゴラ。名前なんて意味ないと思うでしょうけど、お仕事を始める前にしっかり名乗るのが私の流儀なのヨォ」
スピーカーの不具合なのか、ひどく雑音混じりの歪んだ合成音声が再生される。目の前に立つそれは、戦場で出会う一般のインプラント兵士や民間のサイボーグとは違って、明らかに異質で不気味な存在だった。
かつて退屈な宇宙戦艦の格納庫で、仲間との他愛のない雑談の中にそんな怪談話があった。全身がファナティックメタルと呼ばれる自己増殖型の液体金属で構成された、機械生命体イェポリの古いOSをオーヴァーライドして完全に乗っ取り、自分自身は安全な遙か遠方のセクターから汚れ仕事に手を染める、臆病極まりない猟奇的な拷問官がいると。
「オリガ・ノクトゥバ、H957128843∵」
「アハハ、いいわよぉ、その調子でいつまで持つかしらねぇ。すぐにそれ以外の裏切り文句を、何でも喋りたくなるわよぉ」
表情筋など一枚も存在しないフラットなファナティックメタルの顔面が、磁場の歪みによって一瞬だけ、歪にニヤついたように見えた。
それからすぐに始まったのは、拷問という言葉の枠を遥かに超越した、凄惨極まる人体実験の類だった。
意識は常に覚醒状態を維持され、神経を弄られるたびに新鮮な痛みが脳髄をダイレクトに焼く。だが、いくら出血しようとも、内臓を潰されようとも、【死ねない】のだ。ヤツは強制的に私の生命活動を繋ぎ止めていた。 拷問は、肉体的負荷と精神的負荷の緻密な2パターンのサイクルで、冷酷に繰り広げられた。ドボゴラの背後には相当腕の良い闇医者が控えているのか、あるいは高度な生体維持ポッドが組み込まれているのか、なかなか死ぬ事も、逃げるように気絶する事も、精神が完全に崩壊して発狂する事すら許されない状態のまま、暗黒の部屋の中で恐らく20日間程その地獄が続けられた。もはや頭の中の時計は狂い、日数を数える事も満足に出来ないほど、私の心身はボロボロに破壊し尽くされていた。
口を割らないという精神的な自信はあった。軍の訓練施設で受けた悪夢のようなVRでの拷問訓練や、意図的に大脳皮質の痛覚受容体を遮断する外科的手術の処置も受けていた。しかし、ドボゴラが持ち出してきた特殊な神経ピックがもたらす苦痛は、それらのデジタル防壁のキャパシティを大幅に、容赦なく超える圧倒的な情報量として脳内に押し寄せてくるのだ。
「ウィンピーピーキー……ウィンピーピーキー……」
肉体が裏切られ、痛みの奔流に呑まれそうになるたびに、私は幼少期に過ごした美しい故郷の星の古い歌を思い出し、頭の中で何度も反芻した。それが、連合軍で叩き込まれた、精神を肉体から乖離させる最後の痛覚遮断メソッドだった。
「あらぁ、やっと可愛い小鳥が囀るようになってきたわねぇ。でも、歌を歌う余裕があるなら先はまだまだ長いわよぉ」
途中からわかっていた。こいつが欲しいのは情報じゃなくて、どんなことをしても壊れない程、丈夫で状態のいいオモチャ《お人形》だってことに。私に施された連合軍のメモリーロックと精神改造がそれを許してくれていた。
また、あいつの足音が聞こえる。通路をペタペタと叩く独特の駆動音が近づいてくる。両耳の鼓膜だけはあえて潰されずに残されていることが、逆に次に何が来るのかという恐怖心を極限まで駆り立てる、一種の最悪な増幅器として最高のホイルとなっていた。
両瞼は絶え間ない打撃で紫色に腫れ上がり、頬骨は粉々に砕け、唇と鼻は度重なる切開によってもはや原形を留めていなかった。
「ごぼ……ず……らぼぜ」──殺すなら、今すぐ殺せ。
近づいてくる金属の足音に向かって、私はありったけの呪詛を込めてそう言ったつもりだったが、口内から溢れる血と潰れた顎のせいで、うまく言葉の形を成すこともできなかった。それもそのはずだった。ほんの2時間前、口の中に錆びた釘や鋭利なガラス片を無理やり押し込まれた状態で、鉄のコインがギッシリと詰まった革製のブラックジャックで、顔面を中心に骨が砕けるまで滅多うちにされたばかりだったからだ。砕けた歯の破片とガラスが肉に突き刺さり、顎を動かすたびに嫌な摩擦音が脳へ響く。
「ハーイ、マトリョーシカ。また来たわヨォ。お楽しみの時間ね」
クソッタレが……。
「うまく喋れないのは無理も無いわねぇ。ご両親が今のあなたを見ても、絶対に我が子だって判別できない顔になっているもの。ふふふ、傑作ねぇ。それよりもこの身体どうかしら?」
真新しい旧式のサイボーグを着てもいないスカートをヒラヒラさせてお披露目をしているようだ。
その歪んだ言葉を聞いた時、私はなぜか子供の頃、故郷の砂利道で車に轢かれて下半身を潰されながらも、必死にピクピクと痙攣していた野良猫の姿を唐突に思い出していた。今の自分は、まさにあの時の猫そのものだ。そう考えると、絶望のあまり逆に脳の奥底から無性に狂ったような笑いが込み上げてきた。私はもう、自らの意志で死ぬ事も、人間として生きることも出来ないのだ。
右腕と左腕は、確か頭の中の日記が正しければ6日目と17日目に、それぞれ24時間かけて爪の先からミリ単位でじっくりと生身のままスライスされ、肉を削がれる鋭い痛みが完全に脳髄へと染み込んでいた。そのほかの部位に関しても、不潔な医療器具や鈍く光る斧、錆びついたチェーンソー、激しい火花を散らす工業用機械や、肉を好む害虫・害獣の群れなどが交互に使われ、ありとあらゆるアプローチで絶え間ない苦痛を与えられたが、やはりシステムによって気絶すらさせて貰えなかった。
ひと月か、あるいはふた月が過ぎた頃だろうか。私はもう、連合の救出部隊がこの場所に到着する可能性が万に一つも無いことを、完全に悟りかけていた。そもそも、私自身どこに連れてこられているのかすらもわからない。
いつでも発狂できるのに出来ない。余計で無意味なことばかり考えて、浮かんでは消えていく。
また、ドボゴラの歪んだ鼻歌が暗闇に聞こえてきた。ここに来たとき、最初に私の前に現れたファナティックメタルのアンドロイドボディだ。
システムに処置を受けた両目で再び確認すると、胸部のはめ込み式超硬質ガラスの向こう側で、怪しく明滅しながら閉じ込められている青色の人工脳と、四肢にマウントされた拷問特化用インプラントの数々。どうにも電子音声の端々に田舎臭い独特のアクセントが混じることから、これは純粋な人工知能プログラムなどではなく、きっとどこかのセクターで捕らえられた実在する誰かの脳ミソが、そのままこの機械の殻にインストールされているのだろう。やはり昔話で聞いたチキンヤローだと確信した。
「オリガ・ノクトゥバ。さっきね、お前のパパの竿をじっくりスライスして、特製のサルティンボッカにして食べたのヨォ。アンダーグラウンドのワインによく合うわぁ」
ニチャついたようなノイズ顔をこちらへ向け、右腕に変形組み込まれた工業用のミートスライサーを高速で回転させながら、ゆっくりと私の肉体へ近づけてくる。
「ぐぞぁああああ!!」
スコン、と拍子抜けするほど気の抜けた軽い音が響くと同時に、私の右足の太腿が骨ごと綺麗に切断されていた。
コンマ数秒の遅れを伴って、地獄のような熱い痛みが脳の神経のドアを乱暴にノックする。
ドボゴラは手を休めることなく、その高速回転するスライサーを今切断されたばかりの生々しい傷口に容赦なく押し当て、プロシュートを次々と生産していく。白い大腿骨が削られる不快な振動と、生肉が細切れにされる強烈な臭気が拷問室に充満する。
「あぁがあぁアンあぁががが!!」──叫び声すら、気管に流れ込む血のせいでまともな音にならない。痛みが、悲鳴を上げる神経細胞を電光石火の速さで走り回り、大脳皮質の内側で何度も爆破をリピートしているようだった。
「あーあ、そろそろこの作業も飽きて来たんだよねぇ。さっさと連合軍の最高機密情報を網膜にプロジェクションしてくんないかなぁ? いくらこっちのシステムであなたのショック死を制御してるとはいえ、私の精神の限界を超えるともっとキツいヨォ」
私は残された最後の視覚インターフェースのシステムに、ありったけの怒りを込めて文字列を打ち込んだ。
『クソクラエ』
虚空のモニターに赤く映し出されるその文字を見て、ドボゴラは冷たく声を弾ませた。
「それじゃ、こっちも要らないねぇ」
次の瞬間、私の左脚も全く同じ状態になり、私は肉体の耐え難い拒絶反応によって白目を剥き、口から大量の血反吐を垂らして激しいショック状態に陥った。
「マトリョーシカ、寝ちゃダメだヨォ。これから切った手足を綺麗に再接続してもらうんだからねぇ。そのために、繋ぎやすいようにこんなに芸術的な断面にしたのよぉ」
その言葉と同時に、体内の強制覚醒保持システムが強制作動し、脳内にアドレナリンが大量注入されて、途端に限界を迎えていた意識がハッキリと回復してしまった。むき出しになった足の神経を、錆びたピックで断続的に細かく弾かれるような、鋭利な激痛が全身を走る。軍で受けてきたあの生ぬるい拷問訓練など、ここに来てから受けた生き地獄と比べるとしょせんは安全な教室内での机上の空論に過ぎなかったのだと、身を以て理解するに至るには十分すぎる機会だった。
「ヒュー……ヒュー……」
「あらぁ、息がし辛いのぉ? それじゃ、口をしっかり開けて空気を通してあげましょぅねぇ」
薄汚れたメスが私の唇の端に無造作に押し当てられると、そのまま左頬から耳の下の後頭部にかけてスッパリと裂かれ、肉の隙間から直接、外の冷たい空気が肺へと流れ込む空気孔が開き、一時的な呼吸を取り戻す。
「ほら、これで良くなったねぇ」
私はただ、脳内で狂ったように呪詛の言葉を叩きつけ続けた。
『コロシテヤル』『コロシテヤル』
大量の輸血によって腫れ上がった瞼の隙間から、辛うじて確保した視界。自分では限界まで相手を睨みつけているつもりが、実際には声のする方向へ首を動かす力すら、今の私には残されていなかった。
「まだまだ魂が折れないんだねぇ。うちの施設での最長記録更新かも。おめでとぅ、強い子ねぇ。特殊部隊員はなかなか手に入らない上物なだけあるわぁ」
その時、突然、施設の天井から聞いたことのない耳裂くようなけたたましい非常警報が鳴り響いた。
「襲撃?ここが?連合のレーダーには絶対に感知できない極秘施設のはずなのに、わざわざ攻めてくるなんてやるわねぇ。でも普通に考えてご覧よぉ。このエリアには、最新のオートタレットに分子防御レーザー網のトラップ、さらにはサイバーサーボ社製の狂暴な警備ボットまで配備されているのよぉ。侵入者を捕えたら、その肉をマトリョーシカにたらふく食べさせてあげるわぁ」
『FU*K YOU』
私が脳内で最後の罵倒を返したのと、ほぼ同時だった。鳴り響いていた警報のサイレンが、まるで元から存在しなかったかのように不自然に、ピタリと鳴り止んだ。
「ほら、もう防衛システムが片付けちゃったみたいよぉ。つまんないの、フフフ……」
「──さようなら」
どこからともなく、冷徹で静かな呟きが部屋の闇に響いた。
「ディバイナァアアアア!!!!」
ドボゴラの表情こそ変わらないものの、その声からはとてつもない怒りと焦燥、そして本能的な戦慄が感じ取れた。
その短い呟きが終わると同時に、カサンドラの持つ圧倒的な異能『ディバイブ』の不可視の波動が施設全体を瞬時に駆け抜けていた。その瞬間に施設内にいた96名の武装ガードマンや研究員たちは、骨肉を等しく分子レベルで断裂され、悲鳴を上げる間もなく達磨のように四肢をミンチの如くすり潰されていたのだ。
「どこにいるの!出てきなさ──ぐブゥぅぅぉぉお!!」
突然、目の前のアンドロイドが、自らの肺を不可視の巨大な鉄拳でゆっくりと握り潰されているような、絶望的な悶絶の悲鳴を上げてその場に激しく苦しみ出した。
「グボボボボマダお前だじがっ!?」──ドボゴラの音声に激しいグリッチノイズが混ざり、機械の片腕が目に見えない強大なネジレ圧力によってぐしゃぐしゃに折り畳まれ、火花とオイルを激しく散らして千切れ飛ぶ。
直後、拷問室の分厚い防爆ドアが、凄まじい衝撃波と共に跡形もなく吹き飛ぶ音が鳴り響いた。
施設の唯一の生き残りとなったドボゴラの本体──遠隔地で安全を決め込んでいたはずの生身の脳──も、ディバイブで何光年も離れた安全なセクターから、空間の因果ごと強引に引きずり下ろしたのか、大脳から足の爪先に至るまでのあらゆる複雑な神経系を、綺麗に生身の皮と肉から剥ぎ取られ、死ぬことすら許されずに生かした状態でそこに確保されていた。
「まだ死ぬな、オリガ!」
霞み、薄っすらとしか映らない壊れた視界の向こうから、聞き馴染んだボスの、優しくも力強い地響きのような声が聞こえてくる。
「こいつの殻は、もう要らないわね」
瞬き一つせず、冷酷な瞳で痙攣するアンドロイドを見つめるカサンドラ。
「ああ、そいつの機械の身体にはもう用はない」
ジミーの言葉を合図に、アンドロイドの爪先から分厚い装甲金属が、とてつもない超重圧によって雑巾のように捩じ切れていく。床を伝って私の脊髄にまでビリビリと響く不快な破壊音と一緒に、ドボゴラのボディが文字通り塵へと細切れにされていく。スピーカーからは、考えられ得る限りの罵詈雑言や見苦しい命乞いが喚き散らされていたが、カサンドラの『ディバイブ』による絶対的な空間支配の前では、指関節一つすら動かすこともできずにただ分解されていくしかなかった。
「仮初の身体なんだから、痛みは無いでしょ」
カサンドラがパンッと手を叩くと、破壊は頭部付近まで達した。
瞬間、ファナティックメタルの抜け殻が分子レベルで綺麗に分解され、この宇宙から完全に消滅した。彼女は力を使い過ぎたのか、それが終わると床にへたり込んだ。
その光景を潰された目で見届けながら、私は薄れゆく意識の片隅で、震える右腕の中指を天高く立てながら、とっておきの毒を吐いてやった。
『ゴートゥーヘル、フォーメラ』
***
「おい、しっかりしろ! オリガ!」
激しい揺れと、耳元で響く怒声でハッと目を覚ますと、ヴァルターのむさ苦しい髭面がすぐ目の前にあり、汚い唾を飛ばしながら私を必死に叫び呼んでいた。
「……っ!やっと目を覚ましたか。ものすごい悲鳴を上げて魘されていたぞ」
「……ただの、フラッシュバックをしていただけよ……。昔のね」
私は冷や汗を拭いながら、自分の重い身体を起こそうとした。
「自分を責めるのはもうやめろ。メラニはお前に──」
「わかってる!!」
「おっと、急に動くなよ。脱出ポッドの地表衝突時にお前の専用ハードフレームベースがひどく歪曲しちまったから、俺の手持ちの工具でリペアしておいたんだ。内部ギアの噛み合わせが悪くて多少動きが悪くなると思うが、このアウトポストの貧弱な設備ではそれが限界だった。それ以外の生体部分はここの軍医に診てもらったぜ」
「そうか……すまない。感謝するよ。足が動けば何の問題もない」
そう答える自分の声の歯切れの悪さに、脳震盪でも起こしているだけだろと結論付けた。
「ここはゴルド主要都市じゃない。大亀裂近くの、連合のアウトポスト76だ……だが、さっきからどうも基地全体の様子がおかしい。ここの部隊の連中がさっきから慌ただしく走り回ってやがる。一度、外の状況を確認しに行った方がいいかもな」
「それよりも、ボスとカサンドラ、それとヘンリーには合流できたのかい?」
「いや……3人ともまだ合流出来ていない。基地のシグナラーにも確認してもらったが、そもそもゴルドとの通信が
途絶しているようだ。だが、俺たちがこの最悪なギレインの地表に命からがら辿り着いた時、上空から一筋の大きな流れ星が北の渓谷へ落ちていくのが見えた。もしかすると、それがあいつらの乗る第2脱出艇だったのかもしれない」
「この広大な惑星上ではぐれちまったか。厄介だね。どうしたもんか」
二人の間に流れた重苦しい沈黙を遮ったのは、横のベッドから聞こえてきた、狂気を含んだ男の笑い声だった。
「マイケル……奴はもう、あの虫どもに乗っ取られていた。あれはもう俺たちの知るマイケルじゃない。新しい、高次元の生命体として昇華したんだよ!」
極度に掠れた濁声が響く。男が呼吸をするたびに、喉の開いた穴からヒューヒューと不快な空気の抜けるような音も混じっているようだった。
「主要都市ゴルドは、既に奴ら虫の群れに占拠されているだろう。ギレインは、俺たちの文明はもう終わりだ! はははは、傑作だな!」
「ラリってるのか、アンタ。それともただの臆病者かい」
「放っておけ、オリガ。今のこいつには好きなように言わせておくんだ」
ヴァルターは顔を顰め、ベッドを遮る半透明のスクリーンタイプのパーティションを無造作にスライドさせた。
横になっている男の剥き出しの身体の一部は、暗闇のなかでファイアフライの臀部に酷似した不気味な明滅を繰り返し、極度に乾燥してひび割れた皮膚や顔面は、すでに人間の原形を留めていなかった。現代の美術評論家がこれを見ればアヴァンギャルドとでも評しそうな、歪に引き裂かれた見た目だったのが酷く印象的だった。この広い宇宙を探しても、なかなかお目にかかれない悍ましい宇宙病の症状だろう。
「どうやら、ようやく目を覚ましたようですね。オリガ軍曹」
返り血と薄汚れた薬品で汚れた白衣を着た、この基地の軍医が、奥の小部屋からゆらゆらと幽霊のような足取りで出てきた。
「彼はね、ガスジャイアントの深部で極秘裏に採取されるダークマターを不法に生成した、得体の知れない新型薬物が原因の“マンディアラ中毒”によるトランス状態です。脳が完全に変異しており、まともな意思疎通は出来ません。最近、表のキャンディマン界隈では、今までのよりも強力な鎮痛効果や一時的な人体エンハンスも出来ることから、兵士たちの間で定番の強化剤になりつつあります。もちろん副作用が致命的で、多用すると見た通り、遺伝子レベルで人では無くなります。彼はもう頭も身体も奴らにヤられてしまっている。連合の正規軍の内部にまでこれが出回ってきているのだとしたら、事態はかなり深刻ですね」
ベッドの上で痙攣する男の痛ましい姿が、かつてドボゴラの部屋で拷問を受けていた時の自分の無力な姿と、一瞬だけ重なって見えた。
「医療の力で、助けることはできないのか?」
「ここまで酷い細胞の変異を起こしていると、もはや最新の生体医療ポッドですら何の役にも立ちませんよ」
「そうか……」
私は奥歯が軋むほど歯を食いしばるしかなかった。
「ひとまず、私を治療してくれたことには感謝するよ、先生」
「ええ、ですがのんびりと安静にしている余裕は、今の私たちにはないかも知れません。こちらへ来てください」
「オリガ、お前も見ておいたほうがいい」
「藪から棒になんだってんだい?」
軋むハードフレームを無視して起こし、軍医に案内されたさらに奥の薄暗い小部屋は、臨時の手術室だったようで、中央に置かれた無機質な金属製の手術台の上には、胸部から腹部にかけて肉が綺麗に切り開かれ、内部のドロドロとした内臓が丸見えになった状態の若い男の兵士が、太い鉄の鎖で頑丈に繋がれていた。
「なんで……患者をこんな鎖なんかで縛り付けてるんだ──」
私が問い詰めるより早く、手術台の上の男は、自身のハラワタが傷口からこぼれ出ることも全くお構いなしに、狂ったような力で鎖を引きちぎろうと暴れ出した。
「ちょうど、抑制薬が切れたようですね」
医師が冷徹にコンソールのボタンを押すと、手術台のフレームに据え付けられている太い麻酔針が、男の後頭部の延髄目がけて容赦なく深く差し込まれた。ブシュッという音と共に、粘り気のある黄色の体液があたり一面に激しく飛び散る。
「これまでの戦場でいろんな化け物と戦ってきたが、本物のゾンビを見るのはこれが初めてだぜ」
ヴァルターがライフルのグリップを握り直す。
「彼の頭部を、よく見てください」
医師の指差す先、男の頭皮にはおぞましい黒い斑点が無数に浮かび上がり、皮膚は不気味な黄色に変色し、こめかみのあたりから萎れた昆虫のような触覚がピクピクと伸びている異常に気づき、私たち二人は息を呑んだ。
「今現在、このギレインの各地でこのような恐ろしい症例の報告が後を立ちません。直接支配型の『外部寄生生物』のようで、無差別に周囲の有機生命体を攻撃しては、異常な速度でその個体数を増やしています。この寄生虫のベースとなっているのは、我々連合がこの惑星の開拓を始めた当初に生態データが記録されている、あの温厚な愛玩生物〈エランガウザ〉です。しかし、これまではこのような凶暴な寄生・捕食行為は一切確認されていない、極めて大人しい生物でした。それが今や、人間の頭部に執拗に齧り付き、酸で脳髄を消化・吸収し、その後は自身の接続神経節を宿主の脊椎まで伸ばして、肉体のすべてを完全に支配する。たとえ頭部では無くとも、身体のどこかしらに一度でも齧り付かれたら、生きたまま肉体を乗っ取られると思われます。どちらの末路がマシかなどとは、想像もしたくありませんがね。寄生生物自体はこの宇宙では珍しくもありませんが、ここまで軍隊のように統率の取れた、悪意ある行動をするのは前代未聞であり、我々の宇宙生物学の常識が一切通用しない、未知の進化を遂げています。見た目も、とてもじゃないがペットとして飼えない。これは紛れも無い進化ですよ」
軍医はゴム手袋をはめた手を男の腹部に無造作に突っ込み、変色した内臓のカケラを一つ一つピンセットで取り出していく。
「この生物、単体での知能はそこまで高くはありません。ですが、この寄生されたワルド伍長は、頭部を完全に支配された直後、なんと人間が使うアサルトライフルを構え、自らの意志で残った部隊員に銃撃を仕掛けてきたそうです。そして、開腹して切開した内臓の損傷程度では、彼らは死にません。これまでのデータから私の立てた仮説ではありますが、この生物は宿主の脳にある記憶や戦術データをそのままコピーして、完全に理解している可能性が極めて高い……」
「……おいおい、冗談だろ。そんな化け物が世に出てしまったら、人間の生物としての尊厳どころか、このセクターの宇宙文明そのものが完全に滅ぶぞ」
ヴァルターの顔が、これまで見たことがないほど険しく歪んでいく。
「さらに仮説は続きますが、この生物はリアルタイムで情報を吸収して、自身の群れの進化へと転用していると思われます。ご推察の通り、高度な知的生物圏が、もしこの惑星の一部でも完全に取り込まれてしまったら、あらゆる天文学者や物理学者の定説を根底から覆す、宇宙の完全なる終焉──真の真空崩壊がこの宙域に到来するでしょう。私は彼らのことを便宜上〈ディタッチャー(剥離する者)〉と名付けました」
「ご高説はたくさんだ。そんな虫ども、私の前に立ったらその醜い頭にプラズマの風穴を開けてやるさ。死ぬだろそいつも」
「ああ、だがまずはボスやカサンドラ達となんとかして合流しなきゃならねぇ。医師の話だと、今このセクターで使える大型宇宙船は主要都市ゴルドのドックにしかないそうだ。この基地の短距離テレポーターが生きているから、状況が落ち着いたらすぐに出発するぞ」
「ですが、現在ギレインの全域各地で寄生された生物の群れが目撃されています。直にこの隔離アウトポストも──」
ドクターの言葉を遮るように、突如、基地内にけたたましい大音量のアナウンスと非常警報のサイレンが流れ始めた。
『コードレッド!これは訓練ではない!至急戦闘配置につけ!アウトポストの外周防壁が外敵による攻撃を受けている! 全戦闘員は直ちに武装し、指定の防衛ラインにて応戦せよ!』
防壁の向こうから、凄まじい重機関銃の実弾の発射音と、空になった薬莢がコンクリートの床に激しく落ちる金属音が、地鳴りのように徐々に大きくなっていくのがわかった。
「本当に、休んでる暇すら無さそうだね。ヴァルター、あんたは歳のせいで足の駆動ギアの調子が悪いんだから、無理せずあたしの後ろでアサルトライフルの援護を頼むよ。さて、武器はどこだい?」
「ハッ、安心しろ、プラズマアサルトはもうお前の分まで用意してある。ボス達を探しに行く前に、まずはここで一仕事片付けるか。生き残ってこの地獄が終わったら、みんなでで乾杯だ。もちろん安物だがな」
私とヴァルターは、お互いの無事を祈るように強く腕を組みかわした。
「……ディタッチャーには、くれぐれも注意してください。奴らは単なる虫ではない。高度に統率された、恐るべきひとつのアグルゲーションとして襲ってくる可能性があります。そしてきっと人間以外にも……」
背後で見送る医師の瞳には、すでに深い絶望の色が濃厚に垣間見えていた。
私たちが防爆扉を開けて外に出ると、アウトポストの暗い上空では、小型ドローンに搭載されたドーム状の防衛兵器「バグザッパー」がバチバチと激しく青白い電撃音を立てて外敵の侵入を必死に塞いでいたが、あちこちのセクターで過負荷による小型の爆発が相次いでいた。少なからず電撃防衛網を突破され、基地の内部へ侵入を許しているようだった。
「おい、お前達! 遊んでないでこっちの防壁を手伝ってくれ!」
前線のコマンダーが叫んでいる指揮所の防壁はすでに無残に突破されており、実弾とプラズマの銃弾が激しく夜の闇を切り裂いている。
同時にタクティカルヘルメットのナイトヴィジョンモジュールを起動。緑色に染まった視界の先、別の巨大な虫の群れが、防衛線の手薄なポイントへ突撃を仕掛ける為か、おぞましい編隊を組んで上空を旋回していた。私たちはコンクリートの防御壁に身を張り付かせて交戦しつつ、必死に戦っている最前線の部隊の近くへ駆け寄り、戦況を確認する。
「クソッ、バグザッパー全体の出力が30%以下に低下! ディタッチャーの数は一向に減りません! コマンダー、これ以上の防衛はもう……!」
「泣き言は自分の頭が喰われて死んでから言え! 残った実弾とプラズマ兵器の出力を最大にして応戦しろ! エイムを外すな、急所を狙え!」
私とヴァルターもすぐさまその迎撃の列に加わり、プラズマライフルを連射した。
「飛行型のモンスターとまともに戦うなんて、あの戦役以来久しぶりだぜ」
「無駄口叩いてねぇで、しっかりと目の前の羽虫を撃ち落とせオリガ! 空を飛んでる奴らだけが相手じゃないぞ! 地上を見ろ、奴らすでに壁の裏に取り付いてやがる!」
ヴァルターの怒声の通り、矢継ぎ早に上空から高速で飛来する小型のディタッチャーが、次々と周りの兵士たちの顔面に飲み込むように齧り付いていった。頑丈な連合製のタクティカルヘルメットの上から、あり得ない顎の力で丸ごとバリバリと音を立てて齧り付かれた兵士が、この世のものとは思えない悲鳴を上げ、徐々に頭部と身体の神経を文字通り切断・掌握されて、新たな敵の兵隊としてその場で量産されていく。10匹、20匹の虫をいくら正確に撃ち落としたところで、それはまるで天地の境目が溶ける水中で必死に呼吸しようと踠いているかのような、圧倒的な無力感に満ちていた。
運よく最初のバイティングから頭部を守れたとしても、結果はあまり変わらなかった。
医師の言っていた通り、虫たちは兵士の引き裂かれた腕や足、胴体の傷口に執拗に取りつき、そこから肉を突き破って、おぞましい接続神経節を脊椎や脳髄へ向けて急速に伸ばし、肉体の全システムを支配していくのだ。「ご、ごろし……て……誰か……」──すでに5匹以上のディタッチャーに身体を齧り付かれた若い兵士が、涙を流してこちらに殺してくれと懇願してくるが、その言葉が終わるよりも早く、彼の肉体は寄生虫の神経接続によって強制駆動され、手にしたアサルトライフルをこちらに向けて容赦なく発砲してきた。
「ぐわぁああああ!」
防壁のあちこちで、すでに肉体の完全な支配が進んでいる。
私のすぐ隣にいた仲間の兵士がさらに3人倒れ、指揮官自らが悲痛な面持ちでその惨事を終わらせるために彼らの頭部を撃ち抜いた。
「……このアウトポスト76はもう限界だ! これより全軍放棄する! 総員撤退だ!」
多くの仲間が侵蝕され、私たちは屈辱的な退却を余儀なくされてしまった。刻一刻と、かつての軍友たちがディタッチャーの木偶へと作り替えられ、敵は増えるばかりだ。だが、背後のディタッチャーの群れは、私たちの安全な退路を簡単には許さなかった。
「奴ら、こちらの動きを察知してまた一斉に襲いかかってくるぞ! 生き残った負傷者と、白衣の非戦闘員の避難を最優先させろ!」
辛うじて五体満足で存命している者達が、主要都市ゴルドに向けて短距離テレポーターの部屋へと殺到する。
「そろそろこっちの弾薬がヤバいね。ヴァルター、チャージアモの残りはどれくらいだい?」
「安心しろ、あのクソ虫どもをまとめて蜂の巣にできるくらいは、バックパックにたんまり用意してある!」
その時、サウスポイント付近にあるテレポートルームから、激しい火の手が上がり、大爆発を起こすのが見えた。
「テレポーターの制御基盤が奴らに破壊されたぞ! うわぁああああ!」
退路を断たれ、完全に取り乱して防衛隊列を離れた兵士が、暗闇から飛び出してきた虫に瞬時に呑まれた。
「バカデカいじゃねぇか!!」
「原生生物かこいつは、だが殺し甲斐がありそうだ」
私のヘルメットに内蔵された遠距離測量モジュールが、基地の外縁の闇から現れた、とてつもない質量を持つ巨大な生物の影を捕捉した。
「テレポーターでの移動はもう無理だな。徒歩はきついぜ」
高度な遠距離視認モジュールを持っていないヴァルターや他の一般兵士たちの肉眼にも、その異常な巨躯は夜の闇の中でハッキリと映し出された。
現れたその生物の頭部は、至る所が内側からボコボコと歪に隆起しており、無数のディタッチャーの群れが、この惑星の成体である大型獣『ムバントス』に集団で取り付き、その巨体を無理やり支配しているようだった。
ギレインの地が激しく震え、その凄まじい振動で足元に大量の土埃が舞う程の、鼓膜を狂わせる咆哮が基地全体に響き渡る。
「もう終わりだ!! 俺たちは全員ここで全滅するんだ!」
巨大生物の出現により、現場の混乱は極限に達し、残された兵士達が完全に取り乱して完全に隊列を離れ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑走を始める。
「隊列を崩すな! 戻れ!」
「ギャァあああああ!!」
闇から飛び出してきた獰猛な獣型ディタッチャーに集団でのしかかられ、押し潰される兵士。彼の四肢は生きたまま無残に千切られ、柔らかい内臓から順番に貪り食われていった。虫どもはそれだけでは満足せず、続いて脂肪、筋肉などの固い部分へと貪欲に喰らい尽くし、最後には太い骨すらバリバリと鋭い顎で平らげていった。後に残されるのは、コンクリートに広がった大量の血痕と、わずかな肉片のみであった。
さらに、ディタッチャーに脳を支配された中型の不気味な植生物が、自身の無数の触手を鞭のように伸ばして逃げる兵士を捕獲すると、その皮下組織へと鋭い根を伸ばし、強力な消化液をダイレクトに注入した。拘束され、意識が完全に残ったままの兵士は、とてつもない速度で自らの肉体を内側からドロドロに溶かされ、生きたまま植物に捕食されていく。
「……取り込まれた者はもう人間ではない、救えん! せめて楽にしてやる!」
狂気の中で、司令官が寄生された仲間の脳天を次々と拳銃で撃ち抜いていく。
「完全に後がないね。どうする、ヴァルター」
僅かに生き残っていた防衛部隊の者達も、続々とディタッチャーに取り込まれるか、あるいは胃袋へ消化されていく。捕食者達が血飛沫の中で最低な食事作法でディナーを楽しんでいる最悪の状況の中、ふと見ると、ボロの黒いフードを深く被った謎の人物が、頑丈な防爆構造を持つ兵器保管庫の影から、私たちに向けて手招きしているのが見えた。
「おい、あそこに逃げ込むぞ!」
私たちに残された選択肢は、もうそこしかなかった。
「コンバットレディポジション!」
コマンダーは右手を前後に振り、疑いなく叫んだ。
「俺に続け!」
先導したヴァルターは行く手を阻むように襲いかかってくるディタッチャーの顔面にプラズマライフルを向け、限界まで連射しながら残った数人とコマンダーで前進する。
「ここはあたしに任せな!」
外骨格フレームを軋ませ、兵器庫へと逃げ込む負傷兵たちを背後からフォローした。ライフルを容赦なく連射し、敵が纏まったポイントには、ライフルの下部にマウントされたグレネードランチャーを正確に撃ち込んで肉片に変えていく。
「オリガ! 全員中に入った! ドアを閉めるからお前も早く来い!」
「今行くぜ!」
鉄の扉に飛び込む直前、私の視界の隅にチラッと映ったのは、先ほどまで言葉を交わしていたあの軍医が、無数の虫に全身を覆われ、地面を横たわったまま闇の奥へと引きずられていく絶望的な光景だった。
「すまねぇ、先生……」
私は心の中で短い祈りを捧げると、兵器庫の中へと滑り込んだ。分厚い鉄門は厳重に電磁ロックされ、まだ生きている倉庫外周の迎撃用オートタレットもフル稼働で起動させた。
「ふぅ寝起きでこれはキツかったな」
「俺も歳か…」
アウトポストの兵士たちも一息つく。
「これで、この基地で生き残った者は全てか……ここも暫くは持つだろうが、もうあまり時間がない。なんとかここを脱出し、主要都市ゴルドにて別部隊と合流する。そこから連合の艦隊へ救援要請を行う。お前達はここで一旦、武器を補充し、態勢を整え──」
一人だけ立っていたコマンダーがそこまで言い終わるよりも、ほんの一瞬早かった。彼の腹部の上を後ろから天井に掛けて、目に見えない何かが、恐ろしい速度でなぞっていった。
次の瞬間、目から生気が抜け、綺麗に半分に切断された上半身が、不自然にズレ落ちて床へと無造作に転がった。その死体の足元からは、うねうねと表面が気持ち悪く波打つ半透明の球体に、無数の不気味な黒い斑点、そして美しいベールのような胴体を伸ばした、未知のクリーチャーが形作られていく。
「また新手かよ」ライフルのグリップを握り直したしたところを押さえ込まれる。
「何すんだよヴァルター!」
彼の部下だった生き残りたちは狂ったように銃をぶっ放す。
「うぁああああああああああ!!!!」
「全員、伏せろ!!」
ヴァルターは喉が裂けんばかりに叫んだが、あまりにも遅すぎた。
その生物の波打つ半透明の部位が不気味な赤色に発光したかと思うと、その先端から、超高圧に圧縮された鋭いレーザー水圧が何本も狂ったような波形を描いて高速回転したのだ。立ち上がっていた兵士たちは、肉体から血が噴き出すよりも早く、頭から胴体にかけてを一瞬にして精密なロールステーキに変えられた。最前線用のパワーアーマーを装着していた頑丈な兵士ですら、超高分子装甲がただの肉塊へ、遙かに簡単に細切れにスライスされる。ものの数秒の間に、室内にいた防衛部隊は完全に壊滅してしまった。ボロボロと、その場で大量の肉塊が激しい血飛沫をあげて床へ崩れ落ちていく。
私は間一髪のところでヴァルターに助けられた、ヴァルターと強固な超合金製のコンテナの物陰に隠れて難を逃れていた。
「くそったれ! 一瞬で全員死んじまったぜ……こんな、ただの箱の裏に隠れていても、すぐにみんなの後を追って細切れの肉にされる羽目になるよ!」
「奴ら、まさかあのリキッドクリーチャーまで取り込んで寄生していやがるのか。あの異常な水圧ならカリメタの装甲だって一瞬で切れそうだな。だがなオリガ、どんなに冷たいリキッドだろうが、火を浴びせればエヴァポレートするもんだぜ。これでも喰らいな!」
ヴァルターがコンテナの陰から身を乗り出し、グレネードランチャーのトリガーを引いた。放たれた特殊な焼夷弾は、そのリキッド生物の半透明の体内へ、チャポンと妙に間抜けな音を立ててそのまま吸い込まれるように取り込まれた。数秒の静寂の後、生物の内部で信じられない高熱の爆裂・炎上が発生する。クリーチャーは金属を擦り合わせたような甲高い断末魔の悲鳴を上げ、さまざまな歪な形に姿を激しく変えながら、やがて室内の熱気の中で完全に蒸発して消え去った。
「やるじゃん、さすがだねヴァルター!」
「……あんな化け物が惑星中にうじゃうじゃいるんじゃ、俺たちが神の前に出て罪を悔い改める日も、そう遠くはなさそうだな」
「バカなこと言ってるんじゃないよ、ヴァルター。あたしはまだフューアワ・ウテロのところで大人しく隠居するつもりなんてサラサラないさ。奴らがまた来る前に、さっさとここを脱出しよう」
ふと前を見ると、先ほど私たちを手招きしたあのボロフードを被った謎の人物が、さらに兵器庫の奥にある通路の扉の前で、再び静かに手招きをしているのが見えた。
「あいつ、一体どこから現れて、今までどこに隠れていやがったんだ?」
「待て、あの通路…隠し通路のようだぞ」
クリーチャーの爆発時に吹き飛ばされたデスクの一部が書類棚の大部分を破壊して露出しているようだ。
「今はあの怪しい影にとことん付いて行くしか無いってことか」
私は自分自身の喪失感への麻痺をこれ以上感じたくはなかった。
「いや、待て……あのシルエットは、もしかして……」
ヴァルターは髭を摩ると、何か深い心当たりがあるように、深刻な様子で考えあぐねているようだった。
厳重にロックされた隠し扉の外からは、未だに激しい爆発音と、防壁が噛み砕かれる不快な音が響いてくるが、このアウトポスト76において、私たち以外の生き残りがもう一人もいないことは、火を見るよりも明らかに分かっていた。奴らディタッチャーの持つ、圧倒的な凶暴性と残忍性。それに加えて、生き物本来が脳に持っているはずの「死への恐怖」というものを一切感じさせない無機質な挙動は、あらゆる有機生命体を確実に駆逐するパーフェクトソルジャーにとって、必須と言ってもいい最悪のパッシブスキルだったからだ。
「行くよヴァルター」
「ああ、今行く」
薄暗い通路の先、私たちの数十歩前を黙々と歩くその奇妙な人物は、周囲の闇よりも一段と深い、完全な暗黒として浮き彫りになっており、時折、通路の心許ない非常用照明の仄暗い光がその身体に当たると、なぜかその光線自体が物理的に歪んで見えるほどだった。




