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「ヘンリー。ヘンリーウェイクアップ」
脳に直接電気シグナルが送られ、目を覚ますと煤けた土っぽい空気を吸い込んだ。
「ガハッ!ゴホッ!」
カサンドラが俺を呼んでいた気がした。
「俺は生きて……いるのか?」
墜落の衝撃が穿ったクレーターの中心部。そこに大の字に横たわったまま、俺は痛む首を振って辺りを見回した。意識の覚醒に視覚の同期が追いつかない。酷い霧ともやのせいで視界は劣悪だが、周囲にはまだ激激突時の摩擦熱で抉られた地面が赤く燻り、不快な煙を上げているのが分かった
妙だ。手足の感覚が一切ない。そのくせ、肌を刺すような夜の冷気だけはやけに敏感に感じる。左目のインプラントも映像出力の同期がズタズタに乱れており、砂嵐のようなノイズが網膜をチカチカと刺激していた。
「レイグとポリーのおかげだな……ウッ!」
激しい頭痛とともに、記憶の断片がフラッシュバックする。エリシオンでの激戦、敵を飲み込むディバイブの触手、そしてこの惑星ギレインの重力圏へと引きずり込まれる激しい振動 ━━。生き残ったことに実感は無かったし、そのことを神に祈る気にはなれなかった。
「報告。レイグのエネルギー残量42%。ナノマシン残存率63%。私もまだ死んではいませんよ」
スピーカーが割れたような、バリバリと耳障りなポリーの音声が脳内で弾けた。ノイズ混じりで不安定な声だが聞き取れないほどではない。同時に、周囲に飛散したレイグの破片たちが、磁鉄鉱のように引き合って俺の身体へ集まってくるのが分かった。ナノマシン特有の、皮膚をチクチクと這い回る微かな分子振動が肌に伝わってくる。
「お互いに…悪運が強いみたいだな…現在の状況…はわかるか?」
「はい。ここは惑星開発基地ゴルドの北東約2キロ圏内です。現地時間は夜間に移行しており、大気中のマイアスマ濃度が急上昇していますが、強制適合手術をパスしたソルジャーであるあなたなら、行動に問題はないレベルです」
「通信は復旧しているのか?」
「先ほどから何度もあらゆる周波数で暗号通信を試みていますが、ゴルドの街からは一切の応答がありません。ここまで完全な無反応であることを鑑みると、現地で何らかの『不測事態』が発生していると考えられます。それに……問題が二つ。墜落時の熱量で、システム内のTDEとナノマシン個体数維持機能が深刻な損壊を受けました。どちらも想定内ですが、前者が大破した影響で、突入後の時差がどれほどの歪みを生み出したか、現在の内部クロックでは計測不能です」
「シュレーディンガーズキャット…が外を窺う気分は…まさにこれだな」
ポリーがデロリアンにでもなってくれれば問題ないだろうが。
「それよりも大きな問題があります。落ち着いて聞いてください」
ポリーの声色が、冷酷なまでにトーンを落とした。
現在、あなたの生体部位の破損状況は深刻です。両腕、および両足の大部分が摩擦熱によって完全に燃え尽き、炭化しています。幸いなことに、高温圧縮時の破壊エネルギーはレイグのナノマシン防御膜によって相殺され、断面は適度な焼灼状態──つまり、綺麗に焼き固められて止血されています。こんな状態で脳が生きて生存していること自体が奇跡ですが、このままではあと数十分しか生命を維持できません」
「そうか……試合に勝って勝負で負けたか」スーサイドダイブ後の死の宣告は当然の結果だ。文句を言う筋合いは全くない。
脳の錯覚か、すでに物理的に消失してしまったはずの両腕と両足が、焼けるように熱く痛んだ。だが、視線を上げて空を仰ぐと、そこには息を呑むような満天の星空が広がっていた。それがかつて俺の故郷だった地球の夜空を思い出させ、皮肉にも少しだけ気が紛れた。気がかりがあるとすれば、カサンドラに託されたこの左眼も、どうやらここで無駄になってしまうことだ。
「あなたはまだ負けていません」
その力強い言葉に、狂気にも似た明確な意志が宿っていた。
「私がこれより、周囲に散らばったレイグの残骸をすべて再組織化し、あなたの欠損部位への物理補填を行います」
「さすが……ママだな……」
急速に薄れゆく意識の境界線で、俺は呟いた。視界の端で、朧げな過去を思い起こすも走馬灯に火は灯らなかった。
「兵士の生存率を上げるのも私の仕事です。ですが人体部位固定化を行うことによって大部分の機能は形状維持に回されますので、本来のシェイプシフターとしての運用はあまり見込めません。主に射撃形態への変形ですが。ただし──完全結合後の身体機能は約173%上がる見込みです。既に残ったレイグへ招集をかけています。承認されれば、即時ナノマシン結合を行います」
「やってくれ……」
今や、体温の容赦ない低下だけが、自分がまだ生きていることを証明していた。
「欠損部位置換プロセスが承認。ナノマシン結合を開始します」
瞬間、脳を焼き尽くすような激痛が走ったかと思うと、それが一転して、静かな冷気となって引いていくのが分かった。
バラバラに散らばっていたレイグのナノマシンモジュールが、粛々と俺の両腕、両足を象り、細胞単位で肉体へと融着・結合していく。失われた肉の代わりに、冷徹な金属の繊維が神経系へと直接プラグインされる感覚。
「ただ、ヘンリー。一つだけ言い忘れていたことがあります。この四肢固定化の莫大な演算処理により、私の自我データは一定期間、正常に保存されなくなります。簡単に言えば、深刻なAI機能不全に陥るため、安定するまでの間、意思疎通は不可能になります」
「なんだって?」
「……カルキュレーションが、終われば……また、会えます……」
「そうか、無理をさせてしまったな。今は眠ってくれ」
「なん…とか…生き抜いて……くださ……」
そう言い残してポリーはスタンバイモードに完全移行した。
こんな状況じゃ有能なママの不在は致命的だ。だが、泣き言を言っている暇は無い。
「また助けられちまったな……」
ナノマシンが光を帯びてから収束すると、結合が完了した。次の瞬間、視界の隅に膨大なシステムログが走り、俺の脳へ直接「感覚」が逆流してきた。黒々とメタリックに輝くレイグの四肢。その鋭敏な圧感センサーが、周囲の燻った炎の熱量や、踏みしめたクレーターの泥の硬度、粘度までもを精密なデジタルシグナルとして伝えてくる。
ナノマシン制御のおかげか、生身の頃よりもしっくりくる、いや、神経の伝達速度が物理的な限界を超えて最適化されているような奇妙な全能感があった。
テストで少し動かしてみる。思考した瞬間に、いや、思考が形を成すよりわずかに早く、四肢が完璧な精度で駆動する。動作ラグは文字通りゼロだった。
オリガとヴァルターは無事にゴルドに着いているのか。二人の安否も気がかりだったが、まずは当初の着陸予定地であった開拓基地へ向かうのが先決だ。
俺は重厚な金属の脚を踏み締め、立ち上がって辺りを見回した。
「どこも同じ景色に見えるな」
不気味にねじれた原生植物が乱立する森。方向感覚どころか、現在位置すらポリーのサポートなしでは判別できない状況だった。
「着地地点はポリーが調整してくれていたはずだ、ここからそう遠くないと願いたいもんだな」
『あっちよ……』
微かな掠れた声が聞こえた。誰かの気配を感じ、俺は即座にその方向へと身体を向き直す。
「カサンドラ…?」
キィン、と駆動音を立てて、不調だった左眼のインプラントが強引にナイトビジョンモードへと切り替わった。視界が確保されたその一瞬──起動時のバグか、あるいはただの幻覚か、カサンドラが漆黒の闇の中で、静かに指を差して方角を示しているような残像が網膜に映った。
「君も…助けてくれるんだな……」
俺はグッと金属の拳を握りしめた。
彼女の幻影が指し示した方の林を数十メートルほど進むと、木々の隙間から遮光された夜の闇を割るようにして不安定に輝く街の灯りが見えた。やはり、幸運にもゴルドのすぐ近くに墜落していたらしい。
「さすがだよ二人とも」
基地に向けて数歩踏み出した、その時だった。
背後の暗闇から、引き裂かれたような、これまで聞いたこともない痛ましい獣の呻き声が聞こえた。
振り返り、左眼の光学ズームを最大まで引き上げ声の主を探す。
発光植物の根元に、地球の犬に酷似した原生生物が、全身から血を流してうずくまっているのが見えた。
「まさか墜落に巻き込んじまったのか」
──ブブブブブブブブブブ。
突如、鼓膜を激しく揺さぶる、金属的な虫の羽音が周囲の空間に充満し始めた。ボリュームの大きすぎるその重低音の羽音が、生物的な嫌悪感を容赦なく煽ってくる。
「くそっかなり集まってきているな」顔をしかめ、両手で耳を塞いだ。
ナイトビジョンがホバリングしている一匹を捉える。サイズは人間の頭ほどもある巨体だ。円形に開いた醜悪な口内には、返しがついた鋭利な牙が無数にギラついている。さらに異常なのはその色彩だった。半透明の黄色いゼリー質の表面には、大小の不気味な黒い斑点がびっしりと浮き出ており、そこから6本のトゲだらけの脚が伸びている。頭部から生えた2本の触覚のような器官が、左右に狂ったように細かく超振動していた。
一瞬、奇妙な愛らしさを覚えるフォルムではあるが、その“プリティボディ”に騙されるほど俺の目は節穴じゃない。倒れた生物を執拗に弄んでいるサマを見るに、残虐極まりないプレデターだろう。
原生生物の生態データは軍でもほとんど明らかになっていない。不用意に近づくのは戦術的に愚策だったが、目の前で犬もどきが嬲り殺しにされているのを黙って見過ごすほど、俺の血は冷え切っちゃいない。
考えるより先に、下ろしたてのナノマシンの脚が地面を抉っていた。
倒れているドッグライクな生物の元へと一瞬で急接近する。プレデターどもが牙を剥くより早く、そいつを右腕のフレームで手際よく抱え込み、鋭くステップを切ってその場から走り出した。
──とんでもない加速だ。
陸上選手ならプラチナメダルすら余裕で狙えるほどの、想像を絶する超スピード。ポリーが言っていた「身体機能約173%上昇」は伊達じゃないらしい。ニューロリンクのおかげで、なんとかこの異常な出力を制御できている状態だった。
「安心しろ、俺がドッグラヴァーでよかったな。街のホスピタルに行けば医療ポッドがあるはずだ。少しだけ辛抱しろよ」
「キュウゥゥン……」
腕の中の生物が、力なく弱々しく唸った。
事前に頭に叩き込んでおいたゴルド周辺の地形情報と、人間の限界を遥かに超越した走力のおかげで、背後から追尾してきた虫の群れは一瞬で引き離すことができた。これもオリガの感覚的なブリーフィングのおかげか。
ハイウェイを爆走するフライトモーターサイクルよりも早く、俺は開拓街の境界線へと滑り込んだ。だが、街の様子が目に入った瞬間、俺は奇妙な違和感に足を緩めた。
「……マイアスマの濃度がここまで上がっているってのに、なんで電磁フィールドを展開していない?」
いよいよきな臭くなってきた。
あの致死性の瘴気に耐えるためのマイアスマ耐性手術は、肉体に強制適合を促す極めてリスクの高い特殊インプラント手術だ。強力な副反応を伴うため、軍人ならいざ知らず、一般の入植者が行うことはまずない。ゴルドの住民も当然、生身のはずだった。
人智の及ばない何かが、この街の裏で動き出している──そんな確信に近い予感が胸を過る。
街の中に入ると、その不気味さはさらに際立った。
人が生活していた確かな面影だけを残し、周囲は完全な無音に支配されている。家々のドアは乱暴に開け放たれ、内部は家具がひっくり返って荒れ果てていた。何よりおかしいのは、錆びついた街の案内マップや建物の表面が、まるで何年、いや何十年も放置されていた[#「放置されていた」に傍点]かのように、分厚い埃まみれで激しく風化していることだった。事前情報では、ここは現在進行形で惑星開発が進んでいる最前線の基地だったはずだ。TDEの損壊による時間の歪みが、俺をどれほどの未来へ送り飛ばしたというんだ?
俺は思考を振り切り、マップから目的地であるメディカルセンターの位置を特定すると、再び仮初めの脚にトルクをかけた。
「急ごう。もう少しの辛抱だ」
やはり、辿り着くまでに人影は愚か、小動物一匹の気配すら感じられない。
砂埃に汚れた、かすれた赤い十字マークの看板を見つけ、俺は勢いよくセンターの自動ドアをこじ開けて中へと入った。
内部も同様だった。人がいた形跡こそあれど、机や医療器具はいつの頃のものかも分からないほど風化し、白く乾燥しきっている。「どうなってやがる。どこにも人がいないなんて……」
状況は最悪だが、まずは腕の中のコイツの治療が先だ。時間は無い。
廊下の奥、治療室の重いスチールドアを開け放った瞬間、俺の左眼が室内に据え付けられた医療ポッドの熱源を捉えた。。
薄汚れたポッドの透明なガラスハッチの向こう。そこには、一人の女の子が横たわり、静かに眠っていた。
よく見ると、彼女が着ている衣服は、乾燥した血液と、さっきのやつらの色と似た液体で薄汚れていた。
「この子は一体……?」
俺は外部コンソールへと近づき、埃まみれの画面を指で優しく払った。システムログにはエラーコードが明滅している。俺は強引にコマンドを上書きし、コールドスリープモードを解除した。
プシュー、と内圧が抜けるクールの排気音とともにハッチが開く。
白い頬に、ゆっくりと生生しい血の気が戻り、長い睫毛を震わせて眠り姫は意識を取り戻した。
「ん……あなたは……?ここは……?」
寝起きで視界がボヤけているのだろう。彼女は怪訝そうに眉をひそめ、俺の顔を凝視した。
「俺は地球連合軍所属のヘンリー上等兵だ。この街の人間は一体どこへ消えた?何があったのか知っているなら教えてくれ」
だが、女の子は俺の質問には答えず、俺が右腕のフレームで抱えている生物へと、その大きな瞳を吸い寄せられた。
「アイリス…!無事だったのね!」
「アイリス?こいつの名前か?」
「アイって呼んでるの。え?怪我をしてるの…?それに前に会った時より大きくなってる……」
彼女は心配そうにその生物を見つめた。しかしその表情は、再会を喜んでいるのか、訝しんでいるのか、あるいは心の底から恐れているのか──表現し難い、歪な感情の混ざり合った複雑なものだった。
「すまないが君の使っているポッドをコイツに使わせてやりたい」
「…もちろんよ。治してあげて……でも、どうして? あなた、あのときバケモノになって……それに、元の姿に戻ったの……?」
女の子はポッドから這い出て床に立ち上がったが、長い眠りのせいで足元がまだ覚束ない様子だった。俺はアイリスを滑り込ませる。
「君は方はもう大丈夫なのか?」
「手の再建は済んでいるみたい。だけど、私よりあなたの方こそ、その身体は一体どうしたの……? その両腕と両足……」
彼女は改めて俺の姿を正面から視界に捉え、そのメタリックな黒い四肢を見て驚愕の表情を浮かべた。
「俺のことなら気にするな。問題ない」
アイリスの細い呼吸音がさらに弱まっていく。俺は即座にハッチを閉鎖し、コンソールを叩いて治療シークエンスを強制起動させた。
「これでアイは大丈夫なはずだ」
「ねぇヘンリー……あなたはアイに襲われなかったの?」彼女の細い肩が、何かおぞましい記憶を思い出したかのようにガタガタと震え始めた。
「いや。それどころか、外で空を飛ぶ黄色い虫の群れに一方的に襲われているようだった。そこを俺が拾い上げたんだ。……コイツは、危険な生物なのか?」
「わからない。あの時何が起こったのかハッキリ見えなかったの……」
彼女は溢れそうになる涙を必死に堪え、床を見つめて俯いた。
「何があったかは知らないが、この星の原生生物には獰猛な奴らが多いからな。だが、血を流して弱っているコイツを放っておくことは出来なかった。ドッグラヴァーなら当然の行動だ」
黙り込んだ女の子の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。過去の凄惨な光景が、彼女の脳裏を掠めているのは明白だった。
「O2フィーダー─酸素吸入器は持っているか? 街の電磁フィールドが作動していない。今すぐに装着しろ。耐性
がなければマイアスマに内臓を汚染されるぞ」
彼女はコクりと小さく頷くと、汚れた衣服の内ポケットからマウスピース型の酸素吸入器を取り出し、手慣れた動作で口元に装着した。
「それにしても、この街は一体どうなっちまったんだ。人っ子一人見当たらない。電力やライフラインのシステム自体は生きているようだが、まるで何十年も放置されていたみたいに、そこかしこが埃まみれで風化している。事前情報では、かなり開発が進んでいる都市だと聞いていたんだがな」
「私にも、何もわからないわ……。ヨハンが死んで、家に帰ったら、急にママが私に襲いかかってきて……そこからの記憶が、無いの……」完全に礁悴しきっている。無理もない。
「……ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私の名前はサーシャ。サーシャ・ペトロフよ」
「よろしく、サーシャ。最初の君の質問への答えだが、俺のこの両腕と両足は、ナノマシンで再構築された代物だ。
そして左眼も…まぁ最先端の強化インプラントみたいなもんだと思ってくれればいい」
「そんな軍事技術があるのは知っているけれど……でも、生体との結合部があまりにも自然すぎるわ。それに、まる
で作られたばかりのような……」
人工物でありながら、俺の肩や腿の肉に完璧に融着している金属の四肢。彼女はそ
れをグロテスクと言い表すのを、辛うじて理性で踏みとどまったようだった。「その通り。AIとシェイプシフター、そして人間のミクスチャーってところだ」
「……なんでそんな体になったのかは、今は聞かないことにしておくわ」
「賢明な判断だ。とにかく、街の制御装置を動かして電磁フィールドを展開しないと、マイアスマだけでなく外の原生獣どもが無限に侵入してくる。それに、俺の部隊の生き残りがいるかもしれない。探さなきゃならん。状況は最悪に混迷しているが、できることを一つずつ片付けるだけだ」
「一体……この星で何が起こっているの……?」
「俺はこれから都市制御装置のある中枢部へ向かう。電磁フィールド発生装置を探して起動してくるから、サーシャ、君はここに残り──」
「私もいくわ!」サーシャは俺の言葉を強い口調で遮った。その大きな瞳には、拒絶を許さない頑なな決意が宿っていた。
「もう、一人で暗闇に取り残されるのは嫌なの……!」
「……わかったナビを頼む。但し、俺の後ろから離れるなよ」暗がりで孤独に苛まれることの心許なさを俺は知っている。
「ええ、この街のことなら任せて」
「コイツはここに置いて、部屋のドアを外部ロックしてから向かおう。これだけ厳重なドアなら破られることはそうそう無いはずだ。その前に、まずは服を探すぞ。この規模のセンターなら、近くに衣服用のイノーガニック・プリン
タが常備されているはずだ」
お互いに衣服はボロボロで、血と粘液に塗れていた。幸いにも隣の備品室に生きていたプリンタを使い、俺たちは新しいサバイバルフロックをプリントアウトして着替えた。
アイリスの治療モニターは正常に駆動している。俺は部屋の電子パスコードを入力し、強固なハッチロックを掛けた。
「アイ、早く良くなってね……」
サーシャがドア越しに呟く。俺は歩き出しながら、低く問いかけた。
「言いにくいかもしれないが、サーシャ。ママに襲われた、というのはどういうことだ?」
道すがら少しでも状況の理解に至る情報が欲しかった。たとえどんな地雷を踏んだとしても。
その問いに、彼女の身体が目に見えて震え出した。
「ママの形をした、別のバケモノだったの……何かに乗っ取られていて……」
思い出したくは無いだろうが敵を知る唯一の手掛かりでもあった。
「……どんな姿だった?」
「頭の部分がそっくりそのまま……ブヨブヨした黄色い皮膚に、黒い斑点があったわ……でも、顔はママそのものだった……」
俺の脳裏に、あの返しのついた牙を持つプレデターの姿がフラッシュバックした。
「まさかここに来る前に見たあの虫が……」
「あなたもそれを見たの?」
「ああ。俺が外で見かけたのは、おそらくその頭の部分に引っ付いていた奴が単独で飛び回っている群れだったが
な」
「それじゃ……あのバケモノに、ママはパラサイトされていたっていうこと……? じゃあ、やっぱりママは……」
「もしその推測が正しいなら、この街はすでに『サイレント・インヴェイジョン』されているってことになる
な……」
状況的に考えると頭部に寄生して脳と身体を支配しているのか。
「そんな生物……パパの研究所のデータでも、今まで一度も確認されていないわ……」
「ここは宇宙のエンドポイントだ。人類の想像の範疇を超える事態が起きていても、何ら不思議じゃないさ……」
サーシャと自分を無理やり諭すように言い聞かせた。
「とにかく奴らに侵入される前にマイアスマのことをなんとかしよう」
「……またあんな奴らに襲われたらどうしよう……護身用のプラズマテーザーも、家に忘れてきちゃった……」
母を失ったという悲惨な事実を振り払うように絞り出した言葉だったようだ。
「大丈夫だ。俺にはコレがある」ポリーの自我はスリープしているが、俺の脳波で直接インストラクションを送れば、最低限の武装変形は機能するはずだ。
俺が右アームの擬似神経へ意識を集中させると、レイグで出来た表皮が滑らかに波打ち、瞬時に肉厚で獰猛なウォーハンマーへと形状を変化させた。
「それって……どう見ても違法インプラントね」少しは気が紛れたような表情を見せる。
「ママからの最高のヘリテージだよ」マジマジとハンマーを見つめて満足すると手に形状を戻した。
俺たちは気配を殺し、中央中枢区のヘッドクォーターズを目指して廃墟の街を進んだ。途中の民家には、自動点灯システムによる明かりが虚しく灯っていたが、やはり人間の気配は完全に途絶えている。その静寂が不気味で仕方がなかった。
「アイボールの索敵レーダー機能も、リソース不足で今は使えない。五感を研ぎ澄ませて注意してくれ」
「ええ……。でもヘンリー、何かおかしいわ。バケモノに襲撃されたにしても、診療所といい、街全体といい、この風化の違和感は一体……」
サーシャが言いかけた、その時だった。
中央区へと続く巨大なセキュリティゲートに差し掛かった瞬間、背後の上空から、あの不快極まりない無数の羽音が轟いた。
──ブブブブブブブブブブ!
「奴らだ! 走るぞ、サーシャ!」
濁った瘴気の霧の向こうから、無数の黄色い斑点模様が高速で迫り来る。森で見た時よりもはるかに大規模な群れだ。その飛行速度は尋常ではなく、またたく間に俺たちの距離を詰めてくる。
「何よ、あれ……! 速すぎるわ!」サーシャは不慣れな靴で躓きそうになりながらも、必死に俺の後に続いた。
先行した一匹がさらに推進力を上げ、弾丸のような速度でサーシャの頭部目掛けて急降下してくる。
「頭を下げろ!突っ込んでくるぞ!」
「きゃあ!」
ターゲットが彼女の肉を喰らう寸前、俺は右腕のソードを電光石火の速さで一閃した。
肉を断つ確かな手応え。プレデターの身体が真っ二つに裂け、鮮烈な黄色い体液が石畳に飛び散った。。
「あっちよ! あの建物の搬入口から建物に入れるわ!」襲撃の恐怖に怯みながらも、サーシャが必死に前方を指差した。彼女の視線の先には、AIによる完全自動管理が施された食糧生産工場の広大な水耕栽培畑と、その奥にある中枢施設への連絡通路が見えた。
奴らはその間も、弾幕を張るように次々と空中から襲いかかってくる。単体ごとなら問題なく処理できるが、これほどの物量で一斉に飽和攻撃を仕掛けられたら、不完全なレイグでは対処しきれない。
「俺の背中に乗れ!」
「え!」
躊躇するサーシャの身体を強引に引き寄せ、俺は彼女を背中に背負い込んだ。同時に、ナノマシンの両脚へ最大出力を命じる。
カチカチカチ、と小気味いい金属音が響き、俺の足首の踵骨と中足骨付近のフレームが異常な長さに伸長、ストルティオ・カメルスを思わせる長いバネ足の逆関節形状へと変形を遂げた。
ドンッ!━━爆発的跳躍。
一歩の踏み込みで数十メートルを滑空するように駆け抜ける。
「すごい……とてつもない速さだわ……本当に人間なの!?」
「だから最高だと言ったんだ」
奴らの狂ったような急降下をすべて紙一重のステップで振り切り、俺たちは畑を突っ切ると、そのまま中枢部のヘ
ッドクォーターズへと強行突入した。背後の遥か遠くでは、まだ奴らの“プリティボディ”が高速で追跡してきている音がしている。
俺は滑り込むようにして、入り口の緊急時凝固型ホログラムドアのスイッチを叩いた。光の粒子が瞬時に分子結合を起こし、実体を持つ強固な防壁となってドアを完全封鎖する。
「これでひとまず、奴らも容易には入ってこれないはずだ」
ふぅ、と息を吐き出すと、入り口脇にあるセキュリティルームのエマージェンシーボックスが目に留まった。俺はフレームの手首を叩きつけてガラスを砕き、中に格納されていた非常用のアームレスト型ショックウェーバーを引き抜いてサーシャに手渡した。
「使い方はわかるな? これで少しは時間稼ぎができる。奴らが防壁を破ってきたら、迷わずぶっ放せ」
「ええ……学生向けのVR防衛訓練で、何度か使ったことがあるわ。やってみる」
「この場所について何か知っていることはあるか?」
「ここには、最低でも100人以上の常駐技術者が働いていたはずよ……。もし、あの人たち全員が一斉に襲ってきたら……」
「確かに、どこに奴らが潜んでいるか分からない。俺が先にクリアリングするから。君は俺の死角についてきてく
れ」
「私……本当はハイスクールを卒業したら、ここでパパと一緒に働くのが夢だったの……」サーシャは、かつて平和
だった頃の思い出を重ね合わせるように、悲しそうな表情を浮かべた。俺は無機質な金属の左手で、彼女の肩を優しく叩くことしかできなかった。
「……さぁ、行こう」
右腕を盾に、左腕をナイフに変形させてからK.H.C.Q.Cに備え、ゆっくりと進んでいく。
建物内部もまた、死の静寂に満ちていた。広々とした中央通路を警戒しながら進む。その突き当たりに、目的の「発生装置制御室」が重厚なスチールドアを構えて鎮座していた。
「妙だな。静かすぎる。住民を襲っていたなら、この中枢施設にも奴らが巣食っていそうなもんだが」
サーシャのナビ通り進むと、制御室のプレート重い半開きの特殊スチールドアがあった。中へと入ると広々とした半円形のルーム中央に巨大な小型リアクター制御システムが設置されており、その周囲に電磁フィールド発生装置のコンソールが未起動のまま冷たく並んでいた。
「少し待っててくれ」
室内のクリアリングを終え、異常がないことを確認してからサーシャを招き入れると、即座に降り積もった埃を退けてからコンソールの破損状況のチェックに移った。
「旧型だな……だが、物理的に壊れているわけじゃない。タイマー起動の予約までセットされているのに、なぜ動いていないんだ?」
奴らが仲間を地表に呼び寄せるために、あえて起動を妨害したのか? 果たしてあの虫どもに、そこまでの高度な知能が……。いや、ここで考えても埒が明かない。
「サーシャ、ここで部屋の入り口を見張っていてくれ」
俺はドアのロック機構を作動させた。内側からしか開けられない構造の、厚さ150ミリの強固なスチールドアだ。アンチマテリアルライフルの直撃があっても、ビクともしないはずだ。
「起動方法は……スイッチか。なかなか原始的で助かる」
ダイヤルアップを回し、コネクションテストを開始する。オールグリーン。シークエンスは正常だ。
「ねぇ、ヘンリー……! 何か音がする……! キャアッ!」
──ガン! ガンガンガン!
突如、ドアの向こうから力任せに金属を叩く、凄まじい破壊音が轟いた。サーシャが恐怖に目を見開き、ゆっくりと後退りする。
──ズゥゥゥン!!!
次の瞬間、並の生物の膂力を遥かに凌駕するバカでかい衝撃が走り、まるで戦艦の艦砲射撃を至近距離で受けたかのような激しい空間振動が制御室全体を震わせた。
強固なはずのスチールドアの一部が、内側に向けてみるみる歪に変形していく。一箇所、二箇所、三箇所。破られるのは時間の問題だった。
「おいおい、室内で大砲でもぶっ放してやがるのか……」
その時、コンソールのインジケーターが青く輝いた。
「よし、電磁フィールド展開!起動完了だ、サーシャ、俺の後ろへ下がれ!」
発生装置の強固な基部裏に隠れたサーシャは、ショックウェーバーを構えたまま激しく怯えている。
「かかってきやがれ、バケモノども」
──轟音とともに特殊スチールドアが紙切れのように破砕され、激しい砂埃とともに何かが室内に躍り込んできた。
俺は即座に戦闘モードを起動、両腕のフレームを完全な刀剣状の超振動サムライソードへと切り替える。
『ソードファイトアシストモード起動』
奇声を上げながら、先頭の奴らが突っ込んできた。破られた扉の向こうの通路には、何十体ものグチャグチャに潰れた死体が転がっている。どうやら、頭からドアに突撃して自爆特攻を仕掛け、無理やりこじ開けたようだった。
「ウォオオオオオ!」
俺はナノマシンの出力を全開にすると、それに呼応したかのように左眼の出力も上がった。
「カサンドラ力を貸してくれ」
襲いかかってくる影を縦横無尽に切り裂いた。
凄まじい切れ味だ。ただ刃を乗せて撫でるだけで、全宇宙最高硬度を誇るカリメタ合金すら難なく両断できそうなほどの超振動波が走る。
左側頭部から右鎖骨へ抜ける重い袈裟斬り。瞬時にブレードを返し、流れるような動作で左逆袈裟斬り。返す刀で、第四頚椎目掛けた一文字斬り。
鮮烈な黄色の血飛沫が、まるで退廃的なポップアートのようにアーティスティックに宙を舞い、壁と床を汚染していく。バタバタと、バケモノたちの肉体が文字通りパーツごとに分離して転がった。
俺の脳内で、軍の極秘データベースから引き出された『S.O.W戦術擬態サムライポゼッションVer.2』の近接剣術モーションが完璧にトレースされていた。
さらに、リソースが確保されたのかカサンドラの左眼が誇る『フォースディメンションキャプチャリング』が起動すると、全方位から迫る敵の最適未来軌道を瞬時に演算し、網膜に投影する。脳内の時間感覚が極限まで伸長し、襲いかかる敵の動きが、まるでハチミツの中を泳いでいるかのようなスローモーションへと変わっていく。
バチバチと蒼い火花を散らす超振動ブレード。レイグよる超人的なフットワークが、安定性と瞬発力を両立させ、頭の高さを変えずに滑らかに移動する。間合いも完璧に取られまるで自分がソードマスターになったようだ。
「すごい……」装置の陰でサーシャが息を呑んだ。彼女の生身の肉眼では、ヘンリーの高速の残像を追っても理解ができない。
引き延ばされた時間の中で、俺はブレードの刃先が捉えた敵の姿に息を呑んだ。引き裂いた作業服の胸元に、ちぎれかけた『ゴルド基地技術班』のネームタグが見える……
10体、20体のバケモノを瞬く間に斬り伏せ、俺の脳内でアドレナリンが爆発している。同時に特定の感覚が鈍くなってきたのを感じる。良くない兆候だ。
住民たちの肉体を乗っ取ったバケモノどもの猛攻は、あまりにも酷烈だった。痛覚や恐怖といった臨界点が完全に欠落している奴らは、片腕を切り落とされようが、両足を切断されようが、肉片を撒き散らしながら迷いなく牙を剥いてくる。高度な訓練を受けた連合軍のプロの兵士よりも、遥かにタフで恐ろしい戦闘機械だ。
断続的な超運動の負荷により、俺の残された四肢結合部へのダメージが深刻なレベルに達していた。筋組織がブチブチと引き千切れる嫌な音が骨伝導で脳へ響き、リバースしそうな胃液が喉元までせり上がってくる。壁や床にこびりついた血液と黄色い粘液が、熱せられてさらに不快な臭気を放ちやがる。
フルオルタナティブモードに切り替えるべきか? いや、反応がコンマ数秒遅れる。敵の数が多すぎるんだ。レイグの大部分のリソースが手足の形状維持に割かれているせいで、強力な銃火器形態への武装変形も行えない。
絶え間ない猛攻の中、俺は歯を食いしばって残された神経を集中させた。俺がここで倒れれば、確実に共倒れだ。
[オーバーロードジャスビフォア]
左眼のインジケーターに、赤色の大文字で非情なエマージェンシー警告が流れ始める。
「あと少し……」
奴らの突撃の勢いは全く衰えない。だが次の次のウェーブで最後だ──!
「サーシャ! ショックウェーバーを頼む!」ついにレイグも熱暴走を始めて叫び声を上げる。
「ヘンリーどいて!!」
サーシャが叫び、ショックウェーバーの無骨な銃口を俺の背後から真っ直ぐ敵の群れへと向けて飛び出した。
カチッ、と起動レバーが引かれる。
タイミングを見計らった俺は、サムライソードを瞬時に胸元へと引き寄せ、真後ろへと倒れ込み、射線から身を隠した。
──ドォン!!!
目視できるほど高濃度に圧縮された、青白いスパークウェーブの塊がビリビリと大気を激しく震わせながら奴らの群れの中心へと着弾した。
その直後。衝撃波に晒されたバケモノどもの頭部が、内圧に耐えかねてブクブクと急速に膨張し──。
ボンッ!
破裂音が轟いた。
ボンッ、ボンッ、ボンッ、ボンッ、ボボン、ボボン!
まるで、過激なハードロックのドラムソロがリズムを刻むかのように、連続して頭部が爆発していく。それはさながら、ニューイヤーパーティーのクラッカー並みにド派手で、そして決定的にド汚い、おぞましい肉の演出だった。
静寂が戻った室内には、血生臭い卵黄だけをバケツでそこら中にぶちまけたかのような、悲惨極まりない光景と、鼻が曲がるほどの凄まじい悪臭が充満していた。あまりの臭気に吐き気が込み上げてくる。
俺とサーシャは、頭からつま先まで全身そのドロドロの黄色い体液まみれになったまま、呆然とお互いに目を合わせた。
「……エッグノックは、二度と飲みたくないな」
俺がサムライソードをアーム形状に戻しながら、乾いた皮肉を溢す。
「私は……次にスクランブルエッグを見たら、その場で吐くわ……」
サーシャは青い顔で口元を抑えながら、弱々しく応えた。
「……何はともあれ、これで電磁フィールドは起動した。最低限、街の外からの侵入は防げるはずだ。だが、一体どれほどの被害規模なのか、本格的に調べる必要があるな」
「パパはきっと研究所にいるわ……」
全く根拠のない言葉だった。
この基地の人間が俺たち以外全滅している可能性はかなり高い。
「……そうだな、次は研究所へ向かおう。君の父親に会えれば、この星の異変について何かわかるかもしれないしな」
全身の残された生身の骨と筋肉が、過負荷による激痛の悲鳴を上げていたが、接続されたナノマシンが再び強力なペインキラーを分泌したのか、痛みは徐々に麻痺するように消え去っていった。
「疲労はあるがなんとかいけるな……」
歩き出そうとした、その時。
〈……行っ……は………メ…………〉
ノイズに遮られた、誰かの掠れた言葉が、再び俺の脳裏に直接響いた気がした。
カサンドラか、あるいは眠りについたポリーか、それとも亡霊の残響か。
俺は左眼のノイズを一つ瞬きで払い、サーシャを促してから虹の始まりを探しに研究所へと向かった。




