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「確認よ、いい? ヘンリーは奴に接近してから、レイグですかさず打撃を叩き込んで。その間、私がディバイブの多重コーティングであなたの肉体を保護する。だけど、本当にどうなるかなんて誰にも予測がつかないわ」
「ああ、時間との折り合いは任せた。ヤツを倒し、オリガを助け出してから、全員でこの地獄を脱出する」
上空から戦端へとダイブする。降下し、オリガの座標へと肉薄していくにつれ、世界を縛り付けていた透明な泥が溶け落ちていく感覚があった。鼓膜を圧迫していたスローモーションの静寂が、急速に通常再生の爆音へと切り替わっていく。
視界の先、オリガが放った降臨の瞬きが、光の輪となってミューニューの虚像へと一直線に駆け抜けた。奔る煌めきが光速の刃となってヤツの空間を切り裂くと、ミューニューの肉体が、無惨にも四散し、ライムグリーンの飛沫を虚空に撒き散らした。
「オリガッ!!」
降下速度を殺し、彼女の傍らへ着地する。凄惨な死闘の果てに、すでに決着がついたのか。そんな一縷の、そして酷く楽観的な期待が胸をよぎる。
「ルーキーじゃないか! やっぱり生きていたんだな!」
振り返った彼女の姿に、思わず息を呑んだ。初めて出会った時の武骨な装甲とはまるで違う、神々しいまでのゴージャスなハードフレーム。血と煤に塗れながらも笑いかけてきた彼女は、相変わらずシルバーバックのような馬鹿力で俺にハグをし、全身の骨が軋みを上げた。
だが、その安堵は一瞬で霧散した。
「ヴァルターはどうした?」
「ボスとカサンドラはどうなった?」
口をついて出た問いは、互いに同じ仲間の事だった。
「ボスは……俺を庇って逝っちまった。カサンドラも、あの戦闘のダメージで肉体が限界を超えた。今は」俺は、冷
たく硬い無機質な左眼を指差す。「この中にいる」
「……そうか。ヴァルターの魂は、この鎧そのものになっちまったよ」
血を吐くような報告だった。互いが持ち合わせた答えは、どちらも凄惨な喪失の事実でしかない。魂が鎧に宿ったという奇跡も、カサンドラがデータとして俺の視神経に焼き付いているという狂気も、今は深く語り合える状況ではなかった。
「ポリーも……ダメだったのか?」
「……いや、彼女も左眼の中で眠ってる。俺が必ず連れて帰る」
「お前も…地獄を見てきたんだな」
オリガの酷薄な戦士の顔に、一瞬だけ、深い哀惜の念が過る。
「そっちこそ、さすがだな」
「お二人さん、感動の再会はそこまでにして。……空間の位相が、狂い始めているわ」
左眼から周囲に直接響くカサンドラの警告。
「冗談じゃないぜ。あいつには死の概念すら欠落しているってのか……」
オリガが額から汗を滴らせ、眉間に深い皺を刻みながらミューニューの残骸を睨み据えた。俺もそちらへ向き直り、全身の産毛が逆立つほどの悪寒に襲われた。
綺麗に四等分に切断されたヤツの肉塊が、重力の法則を完全に無視して宙に静止していて、それぞれが異様な速度で独立した回転を始めていたのだ。
直感というより、生存本能が警鐘を鳴らした。
「オリガ、伏せろ!!」
絶叫と同時、空気を切り裂く風切り音。間一髪で身を沈めた俺たちの頭上を、凄まじい運動エネルギーを持った肉の砲弾が掠め飛ぶ。外れた砲弾は不気味な弧を描き、まるで磁石に引き寄せられるように元の空間座標へと収束していく。
「大丈夫か、オリガ!」
「ああ、あんたこそ──」
「どうやら、クライマックスに間に合ったようだ……」
強がりを吐き捨てたが、代償は安くなかった。今の回避行動の際、左腕のレイグが根本から抉り取られるようにごっそりと持って行かれていた。すぐさまナノマシンの再構築を試みるが、自己増幅機能はとうに限界を迎え、再生した腕はひどく痩せ細り、頼りない金属の骨格を晒している。
「お喋りは終わりだ。あいつをどうにかしないと……」
「ああ、俺たちに明日は来ない」
〈ト アナスティメノ、プロソリノ ソーマ ヴリスケテ エド ケ トーラ〉
突如、ヤツの肉片から、万の怨嗟を煮詰めたような不気味な呪詛が響き渡る。
視界の先で、回転していた肉塊がみるみるうちに不気味な粘液を伴って接合されていく。そして、ヤツが完全に元の姿へと復元された瞬間──遥か遠方の地表で、地殻が弾け飛ぶような巨大な破裂音が轟いた。
「バケモノが……」
「私から全力で仕掛ける!」
オリガの背後に、神々しい光輪が顕現する。彼女は跳躍と共に告げた。
「あんたはそのまま突っ込め! 挟撃だ!」
そのまま上空へ駆け上がり、ヤツの死角へと入り込むオリガ。ミューニューの口からは、未だに悍ましい呪詛が垂れ流されている。
オリガの拳が、空気を圧縮した爆音と共に叩き込まれた。その切っ先には、三日月の形状をした超高圧縮の光刃が展開されている。俺もアシストモードのリミッターを解除し、痩せ細った腕のレイグから左右のナイフを形成。背後から音速で接近し、至近距離でのK.H.C.Q.Cを叩き込んだ。
初めての近接共闘とは到底思えない、完璧にシンクロしたコンビネーション。俺たちの刃と光が、再びミューニューの身体を十字に切り裂く。
──ドォォォォン!!
再び、足元の惑星が悲鳴を上げるような破裂音が遠くで響いた。
どれほどズタズタに切り裂こうとも、ヤツの傷口は時間を巻き戻したかのように瞬時に癒着し、深緑の不可侵なアーマーへと復元されていく。
「ウォォォォォ!!」
俺とオリガの咆哮が重なる。
ヌッと、ヤツの千切れた腕が触手のようにしなり、オリガの喉元へ伸びる。彼女は本能的な反応で後方へ跳躍しそれを躱す。同時に、もう一方の腕が俺の心臓を狙って射出され、俺もレイグの推進剤を爆発させて強引にバックステップを踏んだ。
「はぁ……はぁ……どういうロジックだ。斬った感触は、確かに肉を断っているはずだ!」
「ああ、幻影じゃない。肉体は実在している!」
俺たちの焦燥を嘲笑うかのように、今度はさらに巨大な爆発音が大気を震わせた。
〈ペサネ〉
地獄の底から響くような宣告。
オリガの頭上から、圧倒的な密度を持った深緑の光の柱が降り注いだ。
「ぐあああぁぁぁ!!」
彼女の悲鳴。俺はその隙を突いて再びヤツの懐に潜り込み、双刃を乱舞させる。肉を削ぎ、骨を断つ。だが、切ったそばから細胞が異常増殖し、傷跡すら残さず再生していく。それでも、攻撃の手を止めるわけにはいかなかった。
俺の視界の端で、オリガの神々しい鎧がメキメキと嫌な音を立てていた。四方八方からの見えない超重力に押し潰され、少しずつ圧縮されている。彼女の鎧に宿るヴァルターの超常的な力がそれに必死に抗っているが、存在そのものの次元が違いすぎた。
何か、何かこれを打破する糸口はないのか。
思考が焼き切れる寸前、脳髄にカサンドラの冷徹な分析が走る。
『ヘンリー、気づいて! ヤツにダメージを与えた直後、必ず遠方で破裂音や爆発が起きているわ。おそらくヤツの肉体は、この惑星の地殻、あるいはそこに生息する全生命体と『アタッチ』しているのよ。私たちの攻撃はすべて、ヤツがリンクしている対象への破壊へと置換されている!』
「惑星規模のブードゥードールだと……俺たちが相手をしているのは神か悪魔か惑星そのものか」
あまりの絶望的な事実に吐き気がした。だが、足を止める理由にはならない。オリガに向けられた異常重力を逸らすため、俺は細い左腕のレイグに出力最大のリミット解除をかけ、両腕で質量を強制拡張した特大のスレッジハンマーを形成。ミューニューの脳天へと渾身の力で叩き落とした。
衝突の衝撃で地殻が隆起する。その一瞬の隙に重力場から解放されたオリガの腕を掴み、一気に距離を取った。
「はぁ、はぁ……助かったよ、ヘンリー。もう少しで精神ごとオーバーライドされるところだった……」
「礼は後だ。だが、稼いだ時間は一瞬に過ぎない」
「あたしのクロイゾネパワーなら物理的な干渉はできる。だが、あの出鱈目な再生能力の前じゃ、こっちのエネルギーが先に尽きちまう!」
「……ディバイブなら、あるいは因果律そのものを断ち切れるかもしれない」
「カサンドラの力なら、あのチート野郎に対抗できるってのかい?」
「推測の域を出ない。だが、カサンドラのディバイブを俺のレイグで限界まで増幅させ、ゼロ距離でヤツの中枢に叩き込めば、強制的な干渉で勝機が見えるかもしれない」
『ダメよ、ヘンリー!』左眼から悲痛な叫びが上がる。『そんなオーバーロードに、あなたの損傷した肉体が耐えられるはずがないわ!』
「他に方法があるってのかカサンドラ!?」
俺が吠えると同時、オリガの口からごぼりと鮮血が溢れた。ヤツの重力圧は、すでに彼女の内臓まで届いていたのだ。
〈エクサファニス〉
再び、ヤツの無慈悲な呪詛が轟く。
瞬時にオリガが深緑の光に抗う。見えない巨大なエネルギーに抗っている彼女の鎧の端は微かに質量が消えていっているように見える。歯を食いしばりながら耐え忍んでいるが限界は近い。
「ウォォォォォ!!」
オリガが魂の底からの咆哮と共に、不可視の圧力を光の奔流で強引に弾き返した。だが、代償として彼女の口から再び大量の血反吐が撒き散らされる。
「もう再生しやがったのか……!」
舌打ちをしている暇すらない。
〈ティニー!!!!〉
突如、ミューニューの無機質な呪詛とは全く異なる、感情剥き出しの不気味な多重の叫びが戦場に木霊した。
空間が歪み、ベンタブラックの絶対的な暗黒が顕現した。すべての情緒を置き去りにしたような、狂気と哀願の入り混じった絶叫。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
重力圧が解けたのか、オリガが地面に膝をつき、肩で息をしている。
「オリガ、大丈夫か!?」
「シェフィー……」
彼女は血塗れの口元で、なぜかひどく優しく、慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
「おいおい……こんな地獄の底で、今度はロマンスでも始まるってのか……?」
「シェフィー! ああ、シェフィー!!」
「ティニー! 会いたかったわ!!」
非干渉の救済者オパカス・ラパカスと、結合の偽神ミューニュー。三万年という悠久の時を超え、二つの特異点が遂に邂逅を果たした。
影と深緑が、互いを求めるように距離を詰めていく。だが、その強大すぎる二つの存在が接近するにつれ、周囲の時空そのものが悲鳴を上げ始めた。空間にガラスのような亀裂が走り、物理法則が根底から瓦解していく。
「あああああああああシェフィー!」
「ディにぃぃぃぃぃぃぃ!!」
事象の地平線が交錯する。その瞬間、激しい頭痛と共に、俺とオリガの脳髄に『直接』、三万年前のシェラサファとティピニッドの途方もない記憶の奔流が叩き込まれた。
「うううううううっ……! これが、古代人の成れの果てだってのか……!」
「許せないよ……こんな真似をした、テラヴァラスの奴らが……!」
記憶に呑まれ、自我が融解していく感覚。
『オリガ、ヘンリー、しっかりして! 意識を持っていかれるわ!!』
カサンドラの鋭い警告で、辛うじて自我の境界線を保ち直す。だが、目の前の惨状は悪化の一途を辿っていた。二つのシンギュラリティが完全に接触したことで、次元そのものが崩壊の臨界点に達しようとしている。
ひび割れた空間の裂け目から、毒々しくも美しい光の胞子のようなものが無数に漂い始めた。
直感──いや、細胞の一つ一つが『あれをこの宇宙に存在させてはならない』と激しく警鐘を鳴らしている。
「アレはヤバいなんてもんじゃないぞ、ヘンリー!!」
オリガが立ち上がり、交わり合う二つの影に向かって最後の一撃を放つ。天へ伸ばした腕から巨大な光輪を生成し、全霊をもって振り下ろす。だが、その眩い光刃は二つの存在に届く直前、まるで幻のように優しく掻き消されてしまった。
「もう、手は……ないのか……」
あの爛漫で決して諦めることのなかったオリガの声から、明確な『絶望』が滲み出した。その事実が、恐ろしいほどの現実味を帯びて俺の胸を締め付ける。
世界が崩壊しようとしているというのに、当のティピニッドとシェラサファは、そんなことなど全く意に介していない。ただ純粋に、狂気的なまでに互いの存在を喜び合い、手と手を繋いで子どものようにくるくると回り続けている。
三万年の孤独の果て、ようやく個としての身体を手に入れ、共に辿り着いた狂気のアルカディア。
──ララララ~♪ ラララ~♪ ラララ~ララ~♪
どこからともなく、ひどく懐かしいメロディが響いてきた。それは古代の歌であり、望郷の歌。帰るべき場所であり、行き着く場所への郷愁歌。
俺は立ち上がろうとレイグに指令を飛ばすが、神経伝達に致命的なラグが発生し、泥沼に沈んだように指先一つ動かせない。
『レイグへの直接干渉を受けているわ』
カサンドラの冷静な声だけが、暗闇の中で唯一の標だった。
『この歌は……君たちも歌っていたね』
「……子供の頃、ね」
「そうか……。俺は、これを聞くと、どうしようもなく懐かしくて……胸が締め付けられるんだ」
家族と過ごすはずだった、ありふれた日常。
こぼれ落ちた温もり。心にポッカリと空いた、決して埋まることのない巨大な穴。
張り詰めていた俺の心の凪が、しゅくしゅくと明けていった。
視界が滲む。頬を伝う熱いものを、俺はもう止めることができなかった。
「カサンドラ……」俺は、絞り出すように言った。「左眼のイニシアチブは、俺にある」
『やめて! ハル!!』
彼女の悲鳴にも似た制止。だが、俺の決意は揺るがなかった。
「ありがとう。……姉さん。でも、俺は行かなきゃならないんだ」
もう躊躇いはない。
残された最後のカードは、俺の命を触媒にしてレイグを暴走させ、ゼロ距離で放つ増幅ディバイブの特攻のみ。
これは決して、絶望に身を委ねた自殺でも、破滅を望む自爆でもない。
オリガを、サーシャを、そしてこの歪んだ宇宙の因果すらも救い出し、明日を『生きる』ための、絶対的な希望の光だ。
俺はレイグの安全装置を完全にオーバードライブし、細胞が焼き切れる苦痛と共に、フルスロットルの加速へとその身を投げ出した。




