恋の呪い
「不甲斐ない」
アグビスタ王国の第一王女、アルジェンタ・アグビスタは、冷たいフロアの上で己の無力を呪っていた。視界はどろりと濁り、全身の血管を焼け付くような熱駆け巡る。いつものように食事をして、勉強をし、ダンスの練習中に急に動けなくなった。よく見ると体に黒い線がある。それが縛る様に体を覆い、自身を硬直させた。
「痛い、苦しい」
彼女ははしたなくも悲鳴を上げた。
アグビスタ王国の宮廷魔術師、呪術関係者、薬学師たちが狼狽し、「もう手遅れだ」と匙を投げた声が意識の向こうで遠くに聞こえる。隣国への治療依頼も出し尽くしたとのことだ。意識が薄れていく中、アルジェンタの視界が閉じていく。自分はもうすぐ死ぬのだと悟った。
「可哀そうに。苦しかっただろう」
低く、心地よく響く声。そこにいたのは、彼女の知らない男だった。彼はアルジェンタの横に膝をつくと、一切の躊躇なく、その白い手で彼女の胸元に触れた。
(な、何を……無礼な……!)
怒鳴ろうとしたが声が出ない。しかし、唇が濡れているのが分かり、生きている感覚はある。彼は話しかけている。
「アイスクリームだよ。甘くて冷たいのが分かる?頑張ればもっと食べられるよ。頑張れるかな?」
あー、唇が濡れているのはこのせいか?彼は私の口の中に冷たくて甘い何かを押し入れた。その甘さが痛みと苦しみを少し和らげるが、ぜーぜーと呼吸をしたままだ。
彼の掌は彼女の胸元から下腹部に移動し、やがて止まる。「ヒール」の呪文とともに、温かく光る何かを私の体に注入した。そして、私の体の中から何かを取り除いた。その強烈な痛みに思わず声を上げる。
「うっ」
その私の声を無視するように、彼は叫ぶ。
「やった。上手くいった」
その声に併せる様に体から何かが抜きとられ、痛みも苦しさも無くなり、呼吸も楽になった。彼の治療が成功したことが分かる。
そして、彼は急に暴挙に出た。まだ、口も動かせない私の口元からポーションを無理やり飲ませようとする。彼女は咽て大半をこぼし、口の周りから上半身に水滴が零れ落ちていく。その動きに慌てて彼は、彼女の上半身と口元の水滴を布で拭きながら、彼女のはだけた衣服を整え始める。
それから、次にゆっくりとポーションを飲ませてくれた。その液体は体を時間をかけて潤していく。干からびた体が潤いを持ち始めたようだ。
ゆっくりと目を開けた。やはり見知らぬ男が居た。
「貴方は誰?」
「僕は貴方の治療をした者です。ラインハルトと言います。怪しい者ではないと言ってもこの環境では十分怪しいと感じられると思いますが、」
と、彼女の声に反応して、男は回りくどい言い訳をした。
「私は苦しくて死んでしまったのかと思った」
「貴方は大変な経験をなさいました。でも、大丈夫です。その苦しみの原因である呪いの元を、僕が治療しました」
「呪い?私を苦しめたのは呪いだったの?どうしてかしら」
「僕には分りかねます」
彼は困ったように答える。
「でも、そんな中でも私は夢の中で冷たくて甘い物を食べていた。それをもっと食べたいと思ったの」
「いえ、夢ではありません。それはアイスクリームと言うものです。食べてみますか?」
「えー、食べてみたいわ」
「そうですか?」
彼は何処からかカップに入ったアイスクリームを取り出し、併せて取り出したスプーンで1匙掬うと彼女の口に近づけると、彼女はパクリと食いついた。
「冷たくて甘い。夢の中で味わったモノと同じ」
「だから夢ではなかったのですが。もう少し、食べますか?」
「えー、いただくわ」
「寝たままじゃ食べにくいので、起き上がれますか?」
「多分、大丈夫です」
彼女は起き上がろうとしたが、上手く起きられず、手伝いが必要だった。そして、アイスクリームをスプーンで、当然のように食べ始め、あらかた食べつくすと、今更気づいたように、
「ところで、ここは何処?」
彼女は言った。
呪いの治療を終えたアルジェンタを待っていたのは、豪華な客室と献身的な世話だった。鏡に映る自分の肌は、呪われる前よりも艶やかになった。それに彼女にあつらえられた風の魔法陣が書かれたドレスは軽く動きやすく、リハビリがやりやすかった。
「いかがですか?アルジェンタ様」
扉が開き、ラインハルトが声をかけて来た。と、そこには簡素な服を着た男が立っていた。手には体力を回復するポーションを持っている。少しも偉ぶらないが、彼は、カタリニア王国の王であると言う。王自ら、まだアルジェンタの看病を続けるつもりなのだ。それは、好意なのか、義務なのか?
ドクン、と心臓が跳ねる。
助けてもらったお礼を言わなきゃ。礼儀も知らない世間知らずの可愛くない王女だとおもわれてしまう。
”ありがとうございました”
たった十文字にも満たない言葉が、喉の奥にこびりついて離れない。
呪いは解けた。けれど、アルジェンタの心には「恋」という魔法でも解けない厄介な呪いがかかってしまったようだった。
彼女はこのままの生活が続くことを神に祈った。




