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届かぬ王妃へ  作者: 霧里 野蒜


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3/5

強き王妃への憧れ

 春の王立魔法学院は、新入生の未熟な魔力が衝突し合う、焦げたような匂いに満ちていた。宮廷魔導師として新任されたばかりの僕、ジョナサン・シモンズは、支給された教師用の真新しい上着をはおり、隣の演習台に立つ「彼女」の横顔を盗み見た。


 マチルダ上級魔導師。この国の王妃でありながら、第一魔導師団の総監を兼任する、名実ともに「炎の統制者」だ。

 彼女に呪文の乱れを指摘されたことのない生徒はいないし、彼女の結界を破れる不届き者もいない。常に最高級の魔糸で織られた漆黒の法衣を纏い、王家の紋章が刻まれた銀の杖を携えて歩くその姿は、この国の威厳そのものだった。


「シモンズ導師せんせい

 低く、凛とした声に心臓が跳ねた。

「はいっ」

「緩いわ。ファイアボールを作った時の魔力の保持が雑になって、魔素が少し漏れている。それじゃ、最後の爆発が不完全になって威力が十分にでない。最初の魔力保持を丁寧にしてみて。

 多分、慣れない勤務の緊張もあると思うのだけれど、生徒に誇示することを意識し過ぎて、素早く魔法を発動して、雑になっている。もう少し、余裕を持って、丁寧に。今、一度、基本を忘れないで。授業の後、練習して大丈夫だと思ったら、私の執務室へきなさい」

 魔法実習の生徒に対する模範演技終了時に、マチルダ先生は、僕の方を見ようともせず、小声で言った。厳格そのものの言葉を紡ぐ彼女の左手には、王家との絆を象徴し、強大な魔力を封じる守護の刻印が刻まれた、重厚なプラチナの指輪が静かに光っている。


 厳しい。本当に、彼女は厳しい。

 でも、彼女が去った後の演習場には、不思議と魔力を正しく制御できた生徒たちの安堵が残る。

 生徒一人一人を慈悲深く見守り、精緻に特徴を記述して、次の授業に生かそうと、細かくメモ取りする彼女の姿を僕は思い出しながら、厳しい指導の中にも生徒を思う彼女の気持ちを知るのだ。

 彼女に注意された放課後、人知れず僕は魔法の基礎練習を繰り返した。


 ある日の放課後。

 使い魔の世話を終え、魔道具の明かりだけが灯る静かな学院回廊を歩いていると、準備室の扉から青白い光が漏れているのが見えた。

 ノックをして中を覗くと、そこには法衣の襟を少しだけ緩め、疲れた様子で目を閉じるマチルダ先生がいた。デスクの上には、山のような領土防衛の書類と、王家の紋章が刻まれたカップが置いてある。


「まだ、いらしたのですか」

 僕が声をかけると、彼女は少しだけ驚いたように顔を上げ、気づくと法衣の襟を正し、いつもの「王妃」としての表情を作った。

「ええ、国境の結界維持が難航していて、資料を読んでいたのだけど、予算と人の問題をどうするか、考えていたのよ。まだ、今日の魔法の授業の結果の整理が残っているので、もう少し、頑張ってみるわ。シモンズ導師こそ、こんな遅くまで何をしていたの?瞑想の時間を作って魔力を回復させないと明日の授業は持たないわよ」

「使い魔の世話で遅くなりました。まだ、若く、体力にも自信がありので、明日も大丈夫です。マチルダ先生のお役にたちたいので、少し、手伝わせてください。生徒の魔力の特徴を書き写すくらいなら僕でも」

「君の領分ではないわ」

「僕がやりたいんです。マチルダ先生の隣で、その叡智を学びたいんです」


 半分は本音で、もう半分は、ただ少しでも長くこの聖域を共有していたかった。

 彼女は少しの間、僕をじっと見つめていたが、やがて小さく溜息をついて、

「なら、生徒の事は私の領分だから、そこにある魔力測定装置の点検と整理をお願い」

 と並ぶ教育用の魔道具機材を指差した。


 窓の外では、王都の魔力で光る灯火が星のように揺れている。

 狭い準備室の中に、古い機材の匂いと、彼女から微かに漂う……王宮の深奥で焚かれる最高級の香木のような、高貴な匂いが混ざり合う。それは僕のような若輩者が一生を捧げても届かない、王だけが許された安らぎの匂いだ。

 隣で彼女がペンを動かす音を聞きながら、僕は魔道具を調整する自分の魔力の乱れが彼女に悟られてしまわないか、そればかりを心配していた。


「シモンズ導師」

 作業が一段落した頃、彼女がふいに口を開いた。

「はい」

「私はあらかた終わったけど、そちらはどう?」

「あー、もうすぐ終わります」

「そう、手伝おうか?」

「いえ、これで最後です」

「そう、思ったより早く終わって助かったわ。ありがとう」

 それは、彼女から初めてもらった小さな感謝の言葉だった。書類整理のために付けている眼鏡をかけ直した彼女の瞳が、魔石の光を反射して柔らかく揺れる。僕の心は鷲掴みされたようにきゅっと音をたてた。


「先生の帰る時間が遅くなりますね。これから早くできるように、僕、もっと精進します」

「ふふふっ。あまり気負わないで。あなたが魔力枯渇で倒れたりしたら、陛下に良く言う『最近の宮廷魔導師は熱心過ぎて帰る時間が困るわ』って愚痴も私のせいになってしまって、言えなくなるわ」

 彼女はいつもの厳しい表情を崩して、ほんわり微笑む。


 しかし、冗談めかして言った彼女の口から出た「陛下」という言葉が、どんな攻撃魔法よりも鋭く僕の胸を貫く。

 この人は、僕を一人前の魔導師として育てようとしてくれている。それと同時に、決定的に「臣下」としての境界線を引いている。

 その境界線の向こう側、王妃としての彼女の素顔に触れたいと願うのは、国家反逆にも等しい禁忌だろうか。


 やがて魔道具調整が終わり、二人で準備室の扉の鍵を閉め、外に出ると、いつの間にか雨――魔力を帯びた不思議な雨が降り始めていた。

 外套を忘れた僕は、王立魔法学院の玄関の軒先で立ち往生する。隣に立った彼女は、学院の先に続く街道を見つめながら少しだけ口角を上げた。

「シモンズ導師、外套は?」

「あ、忘れました。雨が上がるまでこのままここで待とうかと」

「そう。私はちょうど迎えが来たみたい。一緒に宿舎まで送ってあげたいけれど、これから晩餐に列席するから、ごめんなさいね」


 王立魔法学院の門を通り抜け、玄関の前に装飾が施されたマギモービルが静かに停まった。ハザードランプ代わりに灯された魔導灯の鮮やかな緋色が、濡れた石畳を規則的に照らす。

 マギモービルの扉が開き、この国の王その人が、彼女を包み込むような豪華なショールを持って降りてきた。

「お待たせしました、マチルダさん。遅くなってすいません。会議が長引いてしまいました」

 その親密で力強い声と一緒に渡されたショールに身を包み、彼女の表情がふわりと綻ぶ。魔法学院でも、執務室でも一度も見せたことのない、一人の愛される妻としての顔だった。

「いえ、そんなに待つほどでは。あ、こちら新しく入ったシモンズ導師。私の指導を受けている者です」

 その言葉に王が僕の方に視線を当てる。

「あー、君ですか、マチルダから聞いています。優秀なんですよね。才能ある若者が学院での教育を支えてくれるのは、王として、これほど心強いことはありません。期待していますよ、シモンズ導師。

 あー、雨でお困りかと思いますが、今日は急ぎの用事があって送ることが出来ません。次があればその時に」

 その王の王らしくもない気さくな言葉に、僕は思わず、傅き、頭を垂れる。

「失礼しました。陛下、有り難きお言葉、痛み入ります」


 王は太陽のような笑顔で当然のように彼女の腰を支え、雨を気にせずマギモービルへと導く。僕は傅き、伏目がちにそれを眺めている。

 王から声をかけられた時、僕は精一杯の忠誠を誓って膝をつくことしかできなかった。


 マギモービルが音もなく動き出し、真っ赤な魔導灯の残光が雨の向こうの街道に消えていく。雨音だけが響く静寂の中で、僕はひたすらそこに傅いていた。彼女の纏っていた高貴な匂いが、先ほど彼女と過ごした時間が、冷たい雨で押し流されていく。


「マチルダ先生」


 誰もいない暗がりに、届かない呼びかけが霧散する。

 明日になれば、彼女はまた凛とした「上級魔導師」として、あるいは「王妃」として、僕を厳しく指導するだろう。


 僕はやがてよろよろ立ち上がり、春の雨に濡れて歩く。けれど、あのハザードランプの赤い輝きが、網膜の裏側で消えてくれない。フラフラと宿舎まで歩きながら、認められたくて繰り返した呪文を思い出し、呟く。

「ファイアボール」

 基礎をやり直した成果か?目の前に綺麗な火の玉ができた。冷たい雨にも負けず、その小さな火の玉は明るく輝いている。その火の光を見ていると、自然に僕の眼からは涙が出てくる。そして、僕の感情の乱れに反応するかのように、やがてその火が消える。

 暗くなった目の前に反応して、僕の心は急速に冷え、体は寂しさに覆われる。

 ”失恋?”

  見えなくなった行き先に僕はどうして明日から生きていこうか考えていた。

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