第七話 疑念
楓は本当に無邪気なだけなのだろうか。
そういう生き方をしてるだけなのかもしれない。
僕は何を思い立ったのか、黒いバッグの中身を確認してみた。
お札は束になって無造作に積み上げられている。
束を一つ、一つと数えて出してみると、妙な違和感が湧いた。
何回数えても、五百八万円だったのだ。
僕が楓からお金を預かってから抜いた額は、昨日の夜の分と、今さっき楓に渡した分で二枚。
だから、バッグの中には五百十八万円残っていなければならない。
なのに、十万円減っている。
こうなると、思い当たる人物は一人しかいなかった。
「……楓か」
口に出した瞬間、妙にしっくりきた。
楓がいつの間にか僕の目を盗んで抜き取ったのだろう。
だがいったい、何のために抜き取ったのかが不思議で仕方がなかった。
何か欲しいものがあるならば、僕と再開するあの日が訪れる前にでも買う時間はあったはずだ。
また、バッグの中身を全額盗んでいくのではなく、十万円という一時的な大金であったことにも小さな違和感が生まれた。
とりあえず楓が帰ってきたらこのことを問い詰めようと決め、僕は昨日入りそびれた風呂の準備をした。
――ピチョッ
中から小さな雫が垂れる音が聞こえて、またしてもハッとなった。
風呂の扉を開けると案の定、水道から一滴、また一滴とポタポタ水が出ていたのだ。
これも昨日風呂に入った楓しかできないだろう。
僕は怒りよりも悲しみの方が強かった。
やっぱり、赤の他人を家に入れるべきではなかった。
今からでも遅くない。
追い出すか。
はっきり言って、こちら側にメリットが無さすぎる。
非合理的極まりないことだ。
――夕方六時過ぎ。
楓は帰ってこなかった。
窓の外から聞こえてくる救急車のサイレンが耳の奥で響く。
妙な胸騒ぎが余計に自分を焦らせた。
それにしても、バイトの面接でこんなにかかるとは僕も思っていなかった。
十万円のことや風呂場の水道の件もあって逆に早く帰ってきて欲しかった。
そんな思いもあって、「何時に帰ってくるんだ?」とラインを打つと、インターホンが鳴った。
僕は送信を取り消してから玄関を確認すると、楓が少しやつれているかのような表情で立っていた。
「ただいま」
「随分遅かったな」
「あぁ、まあな」
楓は、バイト先が遠くて歩いて行ったのか、靴は完全に乾いていて、家を出た時よりもスムーズに靴を脱いだ。
「ちょっと、部屋に来い」
「ん?」
楓はきょとんとしている。
そして部屋に入るやいなや、疲れた身体を投げるように椅子に座った。
「僕が今朝、風呂に入ろうとした時、水道からポタポタ水が垂れていた」
「えっ」
「風呂使ったの、お前しかいないよな? さすがに」
「マジか、ごめん。気をつける。ちゃんと閉めなかったのか、俺」
楓は拍子抜けするくらいにあっさりと認めた。
そうなると、次の話をしようと思っても動揺する。
ただ、自分に厳しく行こうと思った。
「まあそれは前座。ここからが本番。財布の中を見せろ」
楓は一瞬迷いがあったけれど、渋々財布の中を見せた。
相変わらずちゃっちい財布の中には、お札が一枚も入っていなく、小銭やレシート、保険証や病院の診察券だけが入っていた。
「今日、黒いバッグの中を確認したら、十万円減っていたんだ。お前、勝手に持ち出してるのか?」
「えっ、知らない知らない」
僕は確信をついたと思っていた。
楓の財布の中には、今朝一万円を渡したはずなのに、お釣りの他のお札が一枚も入っていなく小銭だけが入っていた。
コンビニのレジ袋も昼飯のゴミさえも持っていなかった。
恐らく楓は昼飯代までも十万円と一緒に使ってしまったのだろう。
「何に使ったんだよ」
「……知らないって言ってんだろ」
「じゃあ説明がつかないじゃないか。十万円は消えたのか?」
楓は俯いたまま何も言わない。
「嘘をつくなよ。お前しかいないんだよ」
そして黙ったまま机の上を見つめていた。
「黙るってことはやっぱりお前が――」
「違う!」
「何が違うんだよ。ちゃんと説明しろ」
言えない理由があることくらい、何となく分かっていた。
だからこそ、聞き出す必要があると僕は思った。
「言えないくらい大事なことなのは分かったけど、勝手に持っていくのは違うだろ。今朝も言ったじゃないか」
「……分かってる」
小さく返ってくる。
「なんで勝手に持ち出すんだよ」
「……言えなかったんだよ。お前、昨日の夜すごい警戒してたから、追い出されるんじゃないかって」
「それで夜中に十万円を持って行ったのか?」
「……」
「自分の腹を空かしてまで払う金なのか?」
そういう話だと思った。
衝動的にお金を使って後で困る。
高校生なんてそんなものだ。
金の使い方なんて分かっていない。
珍しい話じゃない。
「答えろよ、何に使ったんだよ」
楓は何かを言いかけて、口を閉じた。
視線が泳ぐ。
喉がわずかに動く。
そして、泣きそうな目になりながら深く息を吐いて、ようやく答えた。
「……妹。入院してる」
それだけだった。
楓はそれ以上何も言わなかった。
僕も何も言えなかった。
正しい言葉が、見つからなかった。




