第十一話 変化
その翌日。
朝から楓は出かけていった。
早速、午前と午後にバイトが入ったらしい。
僕も同じように家を出て、昨日と同じように働いた。
「おお橋本くんおはよう。今日もよろしくね」
「はい」
店長は何も変わっていない。
いつもの微笑みを見せた。
一方僕の生活は、確かに変わった。
バイトに来る時刻も安定しなくなったし、帰る時刻も日によってさまざまになった。
心が安定していないのか?
自問しては答えに悩む。
楓の存在がストレスだと言うのなら、もっと精神的にも身体的にも乱れるはずなのに。
不思議と、悪い気持ちだけが湧くのではない。
そう思えるのは、大金が手に入ったからだけなのであろうか?
なるほどこれも僕の変化だ。
バイト中は、こんな考え事をするようなことはなかったのにな。
今日はなんだか、普段より時間の進みが早く感じた。
いや、本来ならこれが普通なのだ。
楓と出会う前はこんな生活が当たり前で、「普段」だったはずなのに。
もういつの間にか、慣れてしまっていたみたいだ。
夕方、アパートの前に着いたところで、ぽつりと雨粒が落ちてきた。
なんとか運良く滑り込めたことに安心する一方、なぜか心配も湧いてくる。
楓は傘を持っていなかったはずだ。
このまま帰ってくれば、当然濡れる。
すると、あの日のビルとビルの隙間での彼の姿が脳裏を過ぎった。
玄関先を見て、少しだけ考える。
床が濡れると面倒だ。
掃除の手間が増える。
楓が心配なのではない。家が汚れることが心配だ。
そう考えるようにして僕は部屋に戻り、半年前くらいに大学で配られた新聞を何枚か持ってきて、玄関に広げた。
タオルも、そばに置いておいた。
レポートを書いていたら、午後七時ちょうどくらいにインターホンが鳴った。
扉を開けると、楓が立っている。
だが、予想とは違って、身体はほとんど濡れていなかった。
「……濡れてないな」
「傘あったから」
手に持っているそれを軽く振る。
バサバサしたために、僕の靴にも水滴がかかっていた。
「おい、玄関濡れるって。その傘、僕のじゃないな。どこから持って行ったやつだ?」
「コンビニの前に置いてあったやつ」
「……それ、誰かのだろ」
「どうせ忘れてるやつだろ。困ってるなら使えばいいんだよ」
何でもないことのように言う。シンプルに他人の物を盗っているのに。
昨日、道端の人にパンを渡していたのと、同じ口調だった。
それを思い返すと、楓は、目の前で困っているかどうか、それだけで判断しているようにも見えた。
「(理解できないな)」
僕は心の中で唱えながらもあえて何も言わず、そのまま中に入れた。
「傘は、明日ちゃんとコンビニに返しに行くんだよな?」
「まあそりゃな。明日も雨だったら分からないけど」
「返しに行け」
「はいはい、分かってるよ」
楓は面倒くさそうな返事をした。
だが、実際僕も盗って盗られてを繰り返したであろうビニール傘を今でも使っているから、上手く言い聞かせられなかった。
午後十時を回った頃。
「じゃあ、行ってくるわ」
「どこに?」
「深夜のバイト。今日お試しで入れるらしい」
「……お前、今日ずっと働いてるだろ」
「まあな」
「さすがにやりすぎだ。法に触れるぞ。雨も降ってるし、体調崩したら意味がないだろ」
「別に平気だって」
軽く手を振る。
聞く気はないらしい。
そのまま玄関へ向かう背中を見て、僕はそれ以上何も言えなかった。
扉が閉まる音がして、部屋が静かになる。
この沈黙がいつも、僕の心を揺れ動かしている気がした。
楓は恐らく、妹の治療費のために働いているのだ。
そう考えれば、こんな長時間の労働も辻褄が合う。
困っている人に対しての対応に手段を選ばないこと。
なるほどこういう所で生きてくるのだろう。
非効率だが、努力する人を責める気にはなれなかった。
それと同時に、別の疑問が浮かぶ。
深夜のバイトが終わるのは、朝方のはずだ。
その時間、僕は寝ている。
家の鍵は閉め、その鍵は僕が持っている。
「……どうやって入るつもりだ」
翌朝。
六時頃、案の定スマートフォンが鳴った。
「……」
画面には楓の名前。
数秒だけ無視するか迷ってから、通話ボタンを押す。
『開けてくれ』
短い一言。
「(せめて七時くらいまでは寝かせてくれよ)」
僕はため息をつきながらベッドから起き上がり、玄関へ向かった。




