第六話 命、目覚める時
第六話、投下します!
語られし王との対面。バオルは己の使命を果たすべく杖を向けます。
二人の先に待つものは……。
バオルは叩きつけられる痛みを覚悟していたが、落ちた場所は砂場だった。背中が痛むが、どうにかカンテラは守り切る。
バオルがハープーンとリーサの名前を呼ぶと、すぐ返事が返ってきた。走り寄って来る二人は怪我こそないが、カンテラを破損している。照明はバオルのカンテラだけになってしまった。
「これは珍客だな。シャーマンが来るのは、何年ぶりのことか」
三人のものではない、重々しい男の声だった。辺りを見回すが、カンテラの明かりで照らされるのは、部屋に立ち並ぶ彫像の姿だけだ。
「暗いか。ならば」
壁に取り付けられたたいまつに、一斉に火がつけられた。油の匂いがあたりに立ち込め、天井の高い大広間の姿が目に飛び込んでくる。熱源の多さのためか、先ほどの空気とは一転して、ここは暖か過ぎた。
左右に立ち並ぶ彫像たちは、いずれも十メートルを超える大型。刃が直方体の大剣を地面に突き立て、その柄尻に両手を乗せ、互いに見つめあう形でそそり立っている。彼らの間にある石畳の床には、炎のように赤い絨毯が敷かれていた。
「どうした? 苦しゅうないぞ、近くに寄るがいい」
絨毯の先に立った、冠と鎧を身に着けたひげ面の巨漢が手招きしている。三人は自分たちが落ちてきた天井を見上げたが、蓋を閉められたらしく、光はまったく見えなかった。逃げ場はない。
バオルたちはそれぞれの得物を手にしたまま、ゆっくりと絨毯の上を、冠の男に向かって歩いていく。あの男の正体は、肖像画を見たから予想はついている。バオルたちは男から十歩ほど離れたところで、立ち止まった。
「名乗っておこうか。余はエリオット。シュトラ王国、最後の王だ」
やはり、とバオルは思った。かつての統一国家シュトラ王国の第二十七代国王エリオット。史家たちによって評価の分かれる人物ではあるが、故人のはずだ。
バオルの判断は早い。クロスボウをしまうと、背中の不死の杖を手に取った。「あなたを、導きます」とだけ告げたが、エリオットは首を傾げた。
「お主、何を慌てている?」
「使命を果たすのを急いで、何が悪いのです?」
「ははあ。お主、駆け出しだな」
「確かにそうかもしれませんが、あなたを導くことはできます」
「ならば、試してみるがいい」
エリオットは腕を組んで仁王立ちする。泰然自若としたその態度は、とてもシャーマンを前にした死者のものとは思えない。
「待て、バオル。あの様子は普通じゃないぞ」
「もう少し話を聞いてからでも」
ハープーンとリーサが止めるが、バオルは答えずに杖を構えた。
「死してなお、さまよいし亡霊よ、我が声を聞け」
バオルは杖に両手を添えて、大理石の床に突き立てる。目を閉じて意識を研ぎ澄ませるが、何かがおかしい。いつも感じる命のほとばしりがない。いや違う、逆に溢れ過ぎていて自分の感覚が麻痺しているのだ。
認識するや否や、バオルの身体に激痛が走った。思わず杖を手放して尻餅をつく。杖に添えた手のひらは、ジュージューと音を立てて焼けただれ、両腕は葉脈のようにひび割れて血がにじみ出していた。ハープーンとリーサが彼を後ろから抱き起こす。
「これは、まさか生きている?」
息を整えながら、バオルは困惑の表情を見せる。生命力の残っている生物相手に、直接シャーマンの儀を行うのは、大変危険なことだと教わった。対象の生命力に己の生命力をぶつけることになり、敗れた方は大きく傷つくか、下手をすると命を落としてしまう。
これは死で生を支えるシャーマンにとって、禁じ手とされている行為だ。
「このエリオット。老いたとはいえ、若造には敗れぬよ」
エリオットはあえて気取った台詞を言ったようだが、目が据わっている。その視線に射すくめられ、にわかにバオルの中にふがいなさがあふれ出す。
「申し訳ありません。私は、とんでもない粗相を……」
「よい。だが、お主の儀はどこか迷いがあるな。自信のなさが透けて見えるぞ。修行半ばで師を失ったか?」
「分かるのですか」
「シャーマンの管理は、協会の基本業務だからな。まずはその傷を癒すとしよう。と言っても自分で治してもらうが」
「でも、この部屋に死体など」
「目に見えなくば、命を感じられぬか?」
エリオットは頭をかいた。かつてのシグルドも、バオルが言われたことを上手くできない時、決まって同じ仕草をしていた。「幸い、基礎はできている。今一度、杖を手にするがいい」
バオルは痛みをこらえながら自力で立ち上がり、床に転がった不死の杖を握る。はがれた皮膚が杖と擦れて、思わず奥歯を噛み締めた。涙が出てきそうだ。
「目を閉じよ。視覚に頼るな。思い込みを断ち切り、あるがままを感じるのだ」
神経を支配しようとする痛みをこらえ、バオルは言われたとおり、感じることに心を凝らす。痛みを自覚すれば集中が途絶える。痛覚を封じるため、ただひたすらにバオルは念じ続けた。
やがて、儀を行う時のような高揚感が襲ってくる。ハープーン、リーサ、エリオット。三人の溢れる生命力を肌で感じ取れた。生きている者は、これほどまでに温かいのか。
「まだまだ。我をなくし、流れに身を委ねよ」
エリオットの声が、はるか彼方から聞こえた。言われるまでもなく、バオルは感じ続ける。分かった。この部屋にいるのは自分たちだけではなかった。
肉体を失っても、なお生き続けようとする、かつての王族たちと彼らに殉じた兵士たちの魂。その量は、ボルドーの墓所で行った儀の時に、勝るとも劣らない。
これなら、いける。
「死してなお生きる魂たちよ。我が声に応えよ」
バオルの声に、部屋中の松明の火が一層激しさを増した。砂の山は、上から糸で吊り上げられたかのごとく盛り上がり、彫像たちがあたかも寒さに震える人のように、小刻みに動き出す。
「我は与えん、汝に意味を。我は刻まん、汝の銘を」
不思議だ、とバオルは思う。高揚しているのは自分だけでなく、魂たちもなのだと、今さらながら気づいた。
彼らは自分を信じ、すべてを託そうとしている。ボルドーまでの自分が行っていた儀と対話は、形だけの見せかけだ。使命を果たすには必要だが、十分ではなかった。
感じる。自分の命と、この部屋の命が今、一つになる。
「我を認めよ。さすれば、我は汝の新たな主たらん」
怒涛の奔流が、バオルに流れ込んできた。自分の心臓が高鳴るが、あの時のような緊張と重圧からではない。
愉悦、至福、情熱。心を熱く沸き立たせるものが、後から後から注ぎ込まれてくる。その歓喜に心臓が悲鳴をあげているのだ。彼らの想い、未来まで連れて行く。
そして見える。部屋の命たちと共に流れ込む、エリオットがたどった人生。
王族の末弟。周囲の圧力。協会管理者の苦悩。ささいなすれ違いにより殺めてしまった兄。重なる誤解から肉親全てを敵に回した王国内乱。それをことごとく屠り、手にした王位。降り注ぐ炎の雨。滅び行く王国。そして、そして……。
腕と手のひらの痛みなど、とうに消えた。留まることを知らない衝動。誇張ではなく、自分の中から新しい何かが生まれ出ようとしている。
「そこまでだ」
いつの間にか、目の前に来ていたエリオットがバオルの肩に手を置いた。バオルが我に返ると、あれほどに燃え盛っていた松明が残らず消えており、辺りは真っ暗になっている。
エリオットが手をかざすと、再び松明が灯り、それの照らす中に、心配そうな面持ちで、こちらを見つめるハープーンとリーサの姿が写し出された。
「身体の中で、命が暴れている」
バオルにはそうとしか形容できなかった。今まで生きてきた中で、ここまで晴れ晴れとした気分になったことはない。
「それこそが、シャーマンの真髄。『死を生かす力』だ。厳しい修行を乗り越え、死と向き合い続けた者にのみ与えられる力よ」
「大丈夫なのか」とハープーンが声をかけたので、バオルはうなずく。その目を見ていたハープーンは、口の端をわずかに持ち上げて笑った。「顔つきが変わったな。気力が満ち満ちている。一皮むけたか」
「私も、上手く言えませんけど」リーサはもじもじしながら、顔を伏せて続ける。「すごく、いい男って感じです」
「だが、心するのだ」エリオットの重々しい声に、三人は再び緊張した顔に戻った。「『死を生かす力』とはまた、『死を生み出す力』でもある。一度、道を踏み外せば、お主は希代の死神となって、世界に大いなる災いを呼ぶことになろう」
希代の死神。その不吉な言葉に、バオルは火照った身体であるにも関わらず、背中に怖気が走った。
「お主の力と、人々の命が一つになる時、まことのシャーマンの使命が見えてくるだろう。すなわち、『世界の死すべき時』に立ち向かうこと」
エリオットはシャーマンの至上の目的を口にする。バオルは最終目的を、二人のうち、リーサには話していなかった。彼女がいつか部族に帰る時がくれば、シャーマンと縁のない生活に戻る。別れる際に、余計なしがらみを生みたくなかったのだ。
当然リーサは驚き、この抽象的な大目的に対する質問の雨を、三人に浴びせた。
「エリオット王。あなたはバオルさんに何をさせようと言うのですか」
言葉は丁寧だが、リーサの語気は荒く、今にも噛み付きそうだった。
「余ではない。シャーマンに受け継がれる、最大の使命だ。余はあまりに死を生み出し続けてしまった。その報いに肉親も、国も、そこに住まう多くの民たちも、全てを失ってしまったのだ。『世界の死すべき時』によってな」
エリオットの目が細まる。戻れない過去に想いをはせているのだろう。その過去をかいま見ただけに、バオルは何も言えなかった。
「だがシャーマン、いやバオルと言ったか。お主は死を生かし、『世界の死すべき時』に立ち会うのだ。命に潰されず、魅入られず、世界を見つめよ」
「お言葉、確かに心に留めました。この命、世界のために」
エリオットはバオルの力強い言葉にうなずき、右手で大きく十字を切った。バオルたちの足元が、にわかに輝き出す。
「闘うがいい、シャーマンよ。死を生かす道は、お主と共にある」
エリオットの声と共に、三人の身体は光の粒となって消え去った。




