第8話「死神、洗濯表示を読む」
「捨てる」
俺が仕事用の上着をゴミ袋へ入れると、シオンが袋の口を押さえた。
触れた。
上着を守ることに殺意はないらしい。
「損傷はありません」
「臭いが残ってる」
「石鹸の香りです」
「その下だ」
血の匂いは、洗った程度では落ちない。
実際に残っているかどうかは関係ない。俺が嗅げば、そこにある。
「洗濯を提案します」
「もう洗った」
「人間界の衣類洗浄には、複数の手順が存在します」
シオンは襟の内側にあるタグを広げた。
「容器に水。三角形。四角形内部の円。これらは死神庁の封印記号に類似しています」
「洗濯表示だ」
「この三角形は禁止命令ですか」
「漂白の種類」
「円に斜線は処分指定」
「乾燥機禁止」
死神にとって、衣類のタグは処刑命令書に見えるらしい。
俺はスマホで表示一覧を開き、説明する。
シオンは一度で覚えた。
「凛」
「何だ」
「この上着は、手洗い指定です」
「仕事着のくせに面倒だな」
「着用者と同様です」
言うようになった。
洗面器へぬるま湯を張る。
洗剤を溶かし、上着を沈める。
シオンが袖を押す。
「力を入れすぎるな」
「汚染を除去します」
「繊維が傷む」
俺が手を重ねて止める。
触れる。
石鹸の泡の中で、指が重なった。
昨夜は肩を押せなかった。今は手首を止められる。
行為の違いは小さい。
意図の違いは、ごまかせない。
「凛の心拍が上昇しました」
「前屈みだからだ」
「座っています」
「黙って洗え」
シオンは従った。
命令されたからではなく、上着をきれいにするために。
水が少し濁る。
「捨てても、発生した事実は消えません」
シオンが言った。
「分かってる」
「洗えば、消えますか」
「消えない」
「では、なぜ洗うのでしょう」
答えは簡単だった。
「明日も着るからだ」
口にした瞬間、胃の底が冷えた。
明日も着て、また誰かを殺す。
洗濯とは、仕事を続ける準備だ。
シオンは水面を見た。
「私は、この上着が嫌いです」
「服に好き嫌いがあるのか」
「今、できました」
赤いカーディガンを選んだ時と同じ声だった。
俺は上着を絞り、ベランダへ干す。
シオンが物干し竿を見上げる。
「四角形内部の縦線一本。吊り干し」
「正解」
「褒賞は」
「ない」
「非合理的です」
少しだけ、いつもの調子が戻る。
夜風に揺れる黒い上着は、処刑された罪人みたいに見えた。
日が落ちる前、上着を取り込む。
シオンが袖を確認した。
「石鹸の香りは一種類です」
「成功か」
「血液臭は」
俺を見る。
「私には検知できません」
あるとも、ないとも言わなかった。
俺は上着へ顔を近づける。
昨日よりは薄い。
「着るのですか」
「仕事が入れば」
「嫌いだと言いました」
「お前の服じゃない」
「凛が着用します」
シオンはハンガーの端を握った。
俺は反対側を持つ。
「離せ」
「廃棄を提案します」
「四十八万の損害前に、仕事着まで捨てられるか」
「金銭を得るために着用し、命を奪う」
「そうだ」
「洗濯し、また着用する」
「そうだよ」
「循環しています」
黒い上着と、赤いカーディガン。
二つの袖が風で触れ合う。
「どこかで止める必要はありませんか」
「お前を殺せたら止まる」
以前なら迷わず出た言葉。
今は、自分でも嘘だと分かる。
シオンはハンガーから手を離した。
「では、その日まで嫌いでいます」
上着をクローゼットへ戻す。
赤い服と離れた、一番奥へ。
夜、洗濯機が停止音を鳴らした。
蓋を開けると、仕事用の上着だけが残っている。
他の服は干されていた。
「なぜこれは干さない」
「洗浄後も臭気が残っています」
「洗剤を変えるか」
「洗剤ではありません」
シオンは上着へ顔を近づけ、すぐ離した。
「金属と火薬と、閉鎖空間の臭い」
「嗅覚まで出たのか」
「一時的機能です」
「便利な一時だな」
予洗いするため、たらいへ水を張る。
シオンが袖口を掴んだ。
「触るな」
「衣服です」
「だからだ」
「凛は私の服を洗いました」
「これは違う」
仕事の臭いを、あいつの手へ移したくなかった。
「汚染を避けたい意図ですか」
「そうだ」
「対象は私ではなく、凛自身では」
手が止まる。
「これを洗えば、仕事をしていない状態へ戻れると考えていますか」
「洗濯に心理分析を持ち込むな」
「洗浄で事実は消えません」
分かっている。
だから毎回、帰宅して最初に洗う。
シオンは洗剤を計った。
「二人で洗います」
「嫌いなんだろ」
「嫌いなものを放置する方が不合理です」
袖を押し洗いする。
水が濁る。
何度替えても、俺にだけは臭いが残っている気がした。
「シオン」
「はい」
「お前が嫌う理由は、服が臭いからか」
「仕事へ戻る凛の服だからです」
答えが前より具体的になっている。
嫌悪ではなく、帰ってこない可能性への反応。
「捨てるか」
「衣服をですか」
「仕事を」
口から出て、自分で驚いた。
シオンはすぐには答えない。
「その選択は、洗濯中に決めない方がいいです」
「合理的だな」
「洗剤が目に入っています」
目が痛かった。
それだけだと思うことにした。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
洗濯表示を習得。
対象の仕事着を洗浄した。
汚染は除去。
事実は残存。
後者は洗濯機能の対象外。




