第6話「隣人は保護観察を疑う」
玄関の呼び鈴が三回鳴った。
同じ間隔。迷いがない。
警察か、宅配か、面倒な隣人。
覗き穴の向こうにいたのは、紙袋を抱えた若い女だった。
「はーい、隣の安藤です。荷物、うちに誤配されてましたー」
最後の選択肢だった。
ドアを半分だけ開ける。
「悪い」
「いえいえ。黒崎さんって、本当にいたんですね」
「どういう意味だ」
「生活音が料理と掃除しか聞こえないから、家事代行業者の倉庫かと思ってました」
人間として認識されていなかった。
安藤翠と名乗った女は、大学のトートバッグを肩にかけ、こちらへ荷物を差し出した。
受け取る寸前、背後で足音がした。
「凛。訪問者ですか」
赤いカーディガンのシオンが顔を出す。
翠の目が大きくなった。
「え。女性」
「見れば分かる」
「黒崎さんの部屋に、女性」
「二回言うな」
翠は俺とシオンを交互に見た。
それから、ひどく納得したように手を打った。
「あっ、保護観察!」
「違う」
「生活指導の人ですよね? 黒崎さん、目つき悪いけど家事は完璧だから、社会復帰プログラム中なのかなって」
何から復帰させる気だ。
あながち遠くないのが腹立たしい。
「彼女は」
名前を言いかけ、止まった。
シオンは死神の業務名だ。一般人へそのまま名乗らせていいか分からない。
「私は」
シオンが一歩前へ出た。
「四條栞です」
初めて聞く名前だった。
翠は明るく笑う。
「栞さん! 私は安藤翠です。二十一歳、隣の大学に通ってます。困ったことがあったら何でも聞いてください」
「何でも」
「人間界のことなら、だいたい!」
「安藤」
「翠でいいですよ」
「帰れ」
「黒崎さんには聞いてません」
シオンと同じ返しをされた。
翠は靴を脱ぐ勢いだったが、俺が体で入口を塞ぐ。
「今日は荷物だけだ」
「じゃあ今度お茶しましょう。栞さん、連絡先は?」
「通信端末を所持していません」
「黒崎さん、買ってあげてくださいよ」
「何で俺が」
「保護責任者でしょ」
「違う」
翠は最後まで俺を何らかの更生対象だと思ったまま帰った。
ドアを閉める。
「四條栞」
俺が言うと、シオンは頷いた。
「人間界での個体識別名です」
「今決めただろ」
「はい」
「何でそれにした」
「シオンという音に近く、栞は本に位置を残す道具です。宣告対象の最終地点を記録する職務に適合します」
やはり考えて選んでいる。
「嫌なら変えろ」
「嫌ではありません。私が選びました」
赤い服に続き、今度は名前。
死神には不要なものばかり増えていく。
「四條はどこから出た」
「廊下の郵便受けに、四條という姓がありました」
「隣の棟の住人だぞ」
「借用しました」
「勝手に人の姓を盗むな」
「では、変更しますか」
シオンが初めて、自分でつけた名前を心配そうに聞いた。
「もう翠に名乗った。変える方が不自然だ」
「維持」
「ただし、本人へ会ったら説明しろ」
「死神庁の潜伏名として姓を借用した、と」
「説明するな。謝れ」
人間界は、死神庁より手続きが複雑だ。
誤配された箱を開ける。
中身は新しいコーヒーミル。
「購入したのですか」
「前のが壊れた」
「殺害チャレンジで」
「黙れ」
シオンは古いミルを見た。
「物も死期を迎えますか」
「使えなくなればな」
「新しい個体へ置換する」
「人間と一緒にするな」
「違いは」
箱から新しいミルを出す。
古い方には、長年使った傷がついている。
「物は、残った奴が困らない」
「壊れた物も、そう主張するかもしれません」
「口がない」
「死者も、死後は話しません」
また正確なところを刺す。
俺は古いミルを捨てず、棚の奥へ置いた。
「保管するのですか」
「予備だ」
「故障しています」
「部品取りに使う」
言い訳を二つ重ねる。
シオンはそれ以上聞かなかった。
「凛」
「何だ」
「安藤翠は、あなたを犯罪者だと推測しています」
「合ってる」
シオンは一拍置いた。
「人間の観察力は、侮れません」
俺もそう思う。
翌日、翠が回覧板を持ってきた。
「同居開始の届出、管理会社に出しました?」
「そんなものがあるのか」
「ないです。反応を見ました」
こいつを裏社会へ勧誘した人間がいないのは幸運だ。
「事情は聞きませんけど、四條さん、困ってたらうちへ逃げてきてくださいね」
「逃走可能範囲は凛から半径百メートル以内です」
「やっぱり監視されてる?」
「説明を増やすな」
翠は俺を廊下へ引っ張り、声を落とした。
「黒崎さん。あの子、身分証ないんでしょう」
「今、手続き中だ」
「どこの手続き」
「遠い役所」
「外国?」
「もっと遠い」
死後の役所とは言えない。
「仕事は」
「人の最期に立ち会う」
「看護師さん?」
「分類上は公務員に近いです」
シオンが正確さを優先するたび、嘘の規模が大きくなる。
「黒崎さんは?」
「在宅業」
「夜中に黒い服で出勤する在宅業」
「外回りもある」
「帰ると服をすぐ洗う在宅業」
観察力を侮ったのは俺だった。
翠は回覧板を渡し、最後にシオンへ非常用の合鍵を見せた。
「本当に困った時は、壁を三回叩いて。すぐ来るから」
「壁への打撃は騒音規約に抵触します」
「そこは気にしなくていいです」
扉が閉まる。
「お前、あいつを信用してるのか」
「現時点で危害意図はありません」
「接触判定で人間まで測るな」
「凛より安全です」
否定できない比較をするな。
「壁、叩くつもりか」
「必要なら」
「俺に言え」
「凛が原因の場合は」
回答に詰まった。
「その時は三回まで許す」
「四回目は」
「管理会社に怒られる」
保護の条件が、殺意ではなく騒音規約で決まった。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
人間界用の氏名を設定。
四條栞。
上長の承認は未取得。
ただし、訂正要求があっても応じない予定。




