第32話「死神、規則を盗む」
ヨミは、通知から三分で来た。
「何やったの、あんたたち」
「虚偽報告です」
「九件も?」
「確認されたのは九件です」
「確認されてないのもある言い方やめて」
先輩死神が頭を抱える。
テーブルには異議申立書。
俺の願い放棄書。
シオンの退職申請書。
「普通に出せば、退職審査へ行く」
「成功率は」
「出せないって言ったでしょ」
「〇・六%よりは高いのか」
「多分」
多分で命を決めるな。
シオンが黒札を出す。
「初日の受理記録を、昨夜から読み直しました」
白い文字が三層に分かれて浮かぶ。
願い原文。
受理判定。
対象定義。
「『お前を俺の手で殺す』。お前とは誰だ」
「私です」
「名前は」
「当時、ありません」
「身体の識別は」
「死神庁識別番号四〇七」
裏社会では、名義と人間は別物だ。
戸籍の上で死んだ男が、別の名で仕事を続けることもある。
殺す対象を間違えないため、依頼書では名前ではなく、何を同一人物と判定するかを先に読む。
「受理判定は、何を殺害対象に結びつけた」
シオンが記録を拡大する。
『宣告担当識別番号四〇七』
肉体とも、人格とも書いていない。
「初期化後も四〇七は残ると言ったな」
「はい。私的差分だけが消去されます」
「なら初期化は、死神庁にとって死亡じゃない」
「番号が継続するためです」
「退職は」
シオンが退職規程を開く。
『身分核を破棄し、識別番号を死亡登録する』
二人とも、同じ行で止まった。
「これです」
「ああ。俺の願いが殺す相手は、最初から身体じゃない」
俺が規則の文言を読み、シオンが照合条件を追う。
片方だけでは届かなかった。
「身分核を俺が壊す。四〇七は死亡。個別化したお前は、人間として残る」
「残存保証はありません」
「禁止されてるか」
シオンは全条項を検索する。
「記載がありません」
「なら、禁止されてない」
ヨミが初めて口を挟んだ。
「規則にない手続きを審理へ出せば、存在消去を早めるだけかもしれない」
「方法を教えろとは言ってない」
「じゃあ、なぜ呼んだの」
「制度側の証人が要る」
ヨミの顔から、いつもの軽さが消えた。
「私は賛成しない。前例がない」
「前例を作るかは、俺たちが選ぶ」
シオンが頷いた。
「二人で発見した手続きとして、異議へ記載します」
ヨミは書類に触れなかった。
止めもしなかった。
シオンが退職規程の注記を指した。
「この手続きを申請するには、対象の死命札が必要です。初期化決定時、監査室が回収します」
「死命札とは」
「凛の死期そのものです。宣告日、保留、再始動を管理する原本」
「監査官が持っていったのか」
シオンが答えない。
赤いカーディガンのポケットへ手を入れる。
黒い紙片を出した。
俺の名前。
死亡予定、三十日後。
状態、保留。
「シオンちゃん」
ヨミの声が低くなった。
「監査官の黒札から抜いたの?」
「はい」
「それ、死命簿隠匿。初期化じゃ済まない。存在消去だよ」
「理解しています」
俺は紙片を取ろうとした。
シオンが引く。
「返せ」
「返しません」
「お前が消える」
「返却すれば、凛の死期を監査室が即時再始動できます」
「俺は三十日ある」
「監査室の裁量で保留違反期間を加算された場合、即時になる可能性があります」
「だから盗んだのか」
「はい」
自分を消去の対象にして、俺の死を止めた。
「勝手なことを」
「第二十二話で通知すると約束しました」
「これは通知じゃない。事後報告だ」
「先に言えば、凛は止めました」
「当たり前だ」
「だから、私が選びました」
第二十四話で覚えた答え。
今は笑えない。
「私の選択を、今から話し合います」
シオンは紙片を胸元へ持つ。
「凛を即時に死なせない。私も初期化されない。身分核破棄の手続きへ進む」
「失敗すれば消える」
「はい」
「俺のために」
「私のためでもあります」
シオンの声は揺れない。
「私はシオンとして、凛に生きていてほしい」
ヨミが長く息を吐いた。
「死命札の件は隠せない。異議は自分たちで書き直しなさい。私は発見者にも発案者にもならない」
「先輩」
「審理では、二人が自分で条項へ到達したことだけ証言する。それ以上は助けない」
シオンがわずかに口元を動かした。
「虚偽です」
「誰に似たの、その言い方」
二人の視線が俺へ向く。
「俺じゃない」
嘘だった。
俺は身分核の記述を読み直した。
「核も、お前の一部だ。俺が壊したい、従わせたいと思っている間は触れない」
「接触規則が適用されるなら、そうなります」
「お前が選んだ退職を受け入れ、四〇七という身分だけを終わらせる。その意図なら」
「成立する可能性があります」
ヨミは答えを足さない。
前例がないことだけが、その沈黙で分かった。
シオンは目を逸らさなかった。
「人間になった場合、私は怪我をします。病気にもなります。空腹、疲労、老化が発生します」
「死ぬぞ」
「人間は全員、死にます」
「俺の停止していた残り時間も戻る」
「三十日です」
知っていた。
口にされると、喉の奥が狭くなる。
「それでも選ぶのか」
「はい」
即答だった。
「死なないことだけを優先するなら、私は初期化を受けるべきです。けれど、それは今の私が消えることと同じです」
ヨミがため息をつき、異議申立書の証人欄へ名前を書いた。
「私は賛成しない。でも、二人が強制されずに選んだことは証言する」
「それで十分です」
異議申立ての準備は、死神の死亡届を書く作業に似ていた。
現識別番号。
担当案件。
死神としての稼働年数。
消滅を希望する機能。
残存を希望する人格。
「人格を欄へ分けられるのか」
「制度上は、分けられない前提です」
「じゃあ何で欄がある」
「ありません」
「なら、余白に書け」
「書式外です」
「書式にないことを禁止する条項は」
シオンが検索する。
「ありません」
「なら書ける。規則は、書いてないことまで禁止できない」
ヨミは口を出さず、証人欄へ書いた自分の名を見ていた。
シオンが『残存を希望する人格』へ書き込む。
四條栞。
赤い衣服を選択。
味噌汁を好む。
猫個体・大福の写真を保存。
植物個体・ミドリ二号を養育。
黒崎凛との共同生活を希望。
「二号?」
「一号は枯れました」
「いつ」
「昨日」
窓辺を見る。
新芽が出た鉢は、根が弱り、今朝完全に倒れたらしい。
「言えよ」
「審理準備を優先しました」
「埋めるぞ」
「今からですか」
「今だ」
三人でベランダへ出た。
小さな鉢の土を庭園用の袋へ移す。
マンションなので勝手に地面へ埋められない。
「人間は埋葬にも管理規約があるのね」
「黙って手伝え」
枯れたミントを紙へ包む。
「失敗でしたか」
シオンが聞く。
「新芽は出た。お前が水をやった。失敗だけじゃない」
「死亡しました」
「死んだら全部失敗になるのか」
俺自身へ返ってくる問いだった。
「ならない」
短く答える。
シオンは人間籍の申請書へ一行足した。
『回復しないものを、回復しないまま覚えている』
ヨミがそれを読んだ。
「死神には一番向かない機能ね」
「人間には」
「たぶん必要」
新しい鉢の名が二号になった理由を、監査官は翌日知ることになる。
【私的記録】
対象の死命札を隠匿。
重大な規則違反。
後悔はない。
恐怖はある。
恐怖があっても選択できることを、初めて知った。




