第30話「答え」
監査まで、あと四日。
俺は朝食の後、シオンをテーブルへ座らせた。
「話がある」
「はい」
黒い札を出そうとする。
「記録するな」
「業務に関する話では」
「俺たちの話だ」
シオンは札を伏せた。
窓辺のミント。
冷蔵庫に貼った買い物メモ。
椅子の背にかかった赤いカーディガン。
私的差分。
初期化で消されるもの。
「お前を殺さない」
「はい」
「殺害チャレンジをやめるって意味じゃない。願いそのものを放棄する」
シオンの指が動く。
「俺は殺し屋も辞めた」
「はい」
「お前を殺す理由はない」
息を吸う。
「守る」
鷹村に問われた。
殺すか、守るか。
やっと答えた。
「願いを撤回する。俺の死期を動かせ」
シオンはすぐに頷かなかった。
「それで私は、案件から解放されます」
「ああ」
「退職審査に失敗すれば消去されます」
「だから俺が方法を探す」
「三十日で」
「やる」
「凛」
シオンが立ち上がった。
「今の決定に、私の選択が含まれていません」
「お前を消させないためだ」
「それは結果です。選択ではありません」
「何が言いたい」
「私は、初期化を拒否します」
「分かってる」
「人間になるかどうかも、私が決めます」
「失敗すれば消える」
「知っています」
「なら」
「守るとは、凛が私の行動を決めることですか」
第二十三話。
触れなかった手。
同じ間違いを、言葉で繰り返そうとしていた。
「違う」
「では、聞いてください」
シオンは俺の正面に立つ。
「私はシオンでいたいです。四〇七へ戻りたくありません」
「ああ」
「凛の死期を再始動させたいわけではありません」
「でも、このままならお前が消える」
「だから、私も方法を選びます」
「規則違反か」
「必要であれば」
平坦な声。
もう、受け身の死神ではない。
「勝手に消えるな」
「黙って去りません」
第十八話の約束を返された。
「二人で決める、でした」
「そうだったな」
「では、最初から話し合ってください」
俺は椅子へ座り直した。
「分かった」
「はい」
「俺は、お前を失いたくない」
「私もです」
初めて、即答だった。
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
一度。
ドアの向こうから、硬い女の声。
「死神庁個別化監査室です。事前確認に参りました」
監査は、四日早かった。
呼び鈴がもう一度鳴る。
「その前に」
俺はシオンへ手を出した。
「何でしょう」
「手」
シオンが重ねる。
触れる。
「確認ですか」
「そうだ」
俺の答えに殺意はない。
守ると言った言葉にも、今は支配より先に触れたい意思がある。
「凛」
「何だ」
「守る対象に、過去の死者は含まれますか」
「死んだ奴は守れない」
「遺族は」
藤森紗季。
久瀬の息子。
俺が知らないまま残した人間たち。
「全部は無理だ」
「はい」
「でも、逃げない方法は探す」
警察へ行くこと。
証言すること。
自分が何をしたか、誰かに裁かれること。
シオンが人間になり、俺が三十日を越えた先で。
先延ばしではなく、順序として考える。
「俺が守るって言って、善人になった気はない」
「記録しています」
「するな」
「重要です」
玄関の向こうで、監査官が三度目の呼び鈴を鳴らした。
「死神庁個別化監査室です」
「しつこいな」
「凛に似ています」
「開けるぞ」
手を離す。
シオンは先に立ち、俺と並んで玄関へ向かった。
監査が来るまでの朝、俺は殺害計画のノートを開かなかった。
代わりに履歴書を書く。
「特技」
「調理、清掃、時間管理」
「職歴」
「空白」
「十年間も」
「家事手伝い」
「誰の」
「自分の」
シオンが履歴書を取り上げる。
「自己評価が低いです」
「殺し屋を高く評価する求人は避けたい」
「危機察知、対人観察、冷静な判断」
「飲食店で使うか」
「注文間違いを防止できます」
志望動機の欄で止まる。
『人を殺す仕事を辞めたため』
「正直すぎる」
「虚偽は監査報告だけで十分です」
「覚えなくていい開き直りだ」
書き直す。
『料理で人を生かす側へ移りたい』
自分で書いて、気恥ずかしくなる。
「大げさだ」
「削除しますか」
ペンを止める。
「そのままでいい」
シオンは履歴書を封筒へ入れた。
「凛」
「何だ」
「本日、殺害チャレンジがありません」
「忙しかった」
「昨日もありません」
「金がない」
「三日前も」
「壁の修理が」
言い訳が尽きる。
「殺したくない」
初めて、はっきり言った。
「お前を殺さない。願いで縛ったままにもしたくない。俺が守ると決めて閉じ込めるのもやめる」
「では、どうしますか」
「お前がどうしたいか聞く」
シオンは即答しなかった。
正解を検索する代わりに、自分の中を探している。
「私は、今の記憶を失いたくありません」
「ああ」
「死神庁へ戻りたくありません」
「ああ」
「凛と離れたくありません」
最後だけ、声が小さい。
「俺もだ」
好きとは言わない。
だが、命令でも保護でもない答えを選ぶ。
「二人で制度の穴を探す。お前が嫌だと言ったら止める。俺が怖いと言ったら聞け」
「相互条件ですか」
「そうだ」
「受理します」
その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
「予定より一日早い」
「死神庁は時間厳守じゃないのか」
「監査対象を油断させる運用です」
「役所がやることか」
シオンは赤いカーディガンを整えた。
隠さない。
「凛」
「何だ」
「一緒に開けてください」
「ああ」
ドアの向こうに何がいても、先に決めない。
二人で見る。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
対象は願いの放棄を宣言。
私は即時受理せず。
理由:案件終了は、対象一名の意思だけで決定すべきではない。
本記録より「私たち」を判断主体として追加する。




