第29話「殺し屋を辞める日」
鷹村の事務所へ、仕事道具を持っていった。
刃物。
使い捨て端末。
偽造書類。
床へ並べる。
「棚卸し?」
鷹村は冗談を言い、俺の顔を見てやめた。
「辞める」
「殺し屋を」
「他に何がある」
鷹村は椅子へ深く座った。
「理由を聞いても?」
「命を作業と呼べなくなった」
「彼女の影響?」
「違う」
即答した後、言い直す。
「シオンがいなければ、気づかなかった」
鷹村が小さく息を吐く。
「素直になったね」
「今日だけだ」
「篠塚の件、白だった。依頼人が編集部の内部告発を潰したかっただけ」
受けなくてよかった。
そう思うこと自体、以前の俺にはなかった。
「依頼人は切った」
「そうか」
「藤森の娘も、警察の保護下に入った。貸倉庫から帳簿が出たよ。何人か、しばらく仕事どころじゃなくなる」
「九重は」
「依頼を降りた。あいつなりに採算を取ったんだろ」
鷹村は道具を一つずつ見る。
「辞めれば、今まで殺した人が戻るわけじゃない」
「知ってる」
「足を洗った善人みたいな顔もできない」
「する気はない」
「恨みも消えない」
「それも知ってる」
「じゃあ何が残る」
答えを考える。
「次を殺さない」
それだけだ。
過去は変わらない。
未来で善人になれる保証もない。
ただ、次の一人を作業にしない。
「安い答えだ」
「命一つ分よりは安い」
鷹村が笑った。
「仕事の紹介は止める。連絡先も変えろ。しばらくは、後ろを見て歩け」
「世話を焼くのか」
「元・稼ぎ頭への退職手続き」
鷹村は机の引き出しから鍵を出した。
「表の仕事、いくつか当たっておく。お前、料理できるだろ」
「殺し屋の再就職先が台所か」
「似合うよ」
「殴るぞ」
「その場合は傷害犯」
俺は拳を下ろした。
事務所を出る。
シオンが道路の向こうで待っていた。
赤信号。
距離は三十メートル。
端末が震える。
『終わりましたか』
『終わった』
青になる。
シオンがこちらへ歩いてくる。
「道具は」
「置いてきた」
「今後は」
「殺さない」
声にすると、怖くなった。
殺す技術だけで生きてきた。
それを置いた俺に何が残る。
シオンが俺の空いた右手を見る。
「荷物がありません」
「そうだな」
「では」
シオンの指が、俺の手へ触れた。
握らない。
ただ、一瞬だけ確かめる。
「新しいものを持てます」
青信号が点滅する。
「詩人みたいなこと言うな。走るぞ」
二人で横断歩道を走った。
空いた手は、思ったより軽かった。
マンションへ着く前、鷹村からメッセージが来た。
『退職祝い。表の店、面接一件取れた』
添付は、小さな洋食店の求人票。
「何ですか」
「厨房の仕事」
「殺人は」
「しない」
「対象は」
「客」
「最終結果は」
「飯を食わせる」
シオンは求人票を拡大する。
「凛に適合しています」
「即答するな」
「味噌汁以外の提供能力もあります」
「洋食店で味噌汁は出さない」
「では、私は味見を担当します」
「従業員でもないのに毎日来る気か」
「百メートル制限があります」
今だけは便利な規則だ。
「面接を受けるかは決めてない」
「選択肢を増やすことは有効です」
第二十二話で自分がしたことと同じ。
「受ける」
返信を送る。
殺し屋を辞めたと宣言するだけでは、生活は変わらない。
明日の予定へ、別の仕事を入れる。
端末のカレンダーには、面接。
シオンの命名日。
来年の花見。
俺の人生に、死者ではない予定が増えていく。
九重との最後の面談は、いつもの喫茶店だった。
「辞める、で済む業界じゃない」
「知ってる」
「篠塚は」
「生きてる」
九重の目から、仕事用の笑みが消えた。
「監査の日までと言った」
「答えを持ってきた。殺さない」
「死神を狙われても?」
「シオンを理由に、一般人を殺さない」
仕事用端末をテーブルへ置く。
依頼人、報酬、連絡経路。藤森の組織と九重をつなぐ記録も入っている。
「脅しか」
「保険だ。俺かシオンか篠塚に何かあれば、三か所へ出る」
「警察?」
「警察だけなら、お前は笑う」
藤森の娘を保護した記者。
組織と競合する二つの窓口。
九重自身が切られる材料を欲しがる人間。
「汚いね」
「お前に習った」
百メートル先の公園に、シオンがいる。
姿は見えない。位置共有の点だけが動く。
俺が一人で話すと決め、彼女が待つと選んだ。
「あの子は、これを知ってる?」
「送信先を一緒に決めた」
「百メートル先へ置いて、自分だけ危険へ来たのに?」
「俺が一人で話すと決めた。シオンが待つと決めた。止める権利は互いに残した」
九重は端末へ触れない。
「私を殺せば、一つ片づく」
「片づかない。お前を殺した事実が増える」
「甘くなった」
「そうかもな」
殺せる距離にいる。
九重も分かっている。
以前なら、ここで相手を消して終えた。
今は、殺さずに終わらせる方が難しい。
「組織は止まらないよ」
「止めるとは言ってない。手を出す費用を上げた」
「いつまで」
「毎日だ」
九重が立つ。
「次に会う時は敵かもしれない」
「今日も味方じゃない」
「藤森の時、あんたが電子レンジの前で立ち止まるとは思わなかった」
「見てたのか」
「殺し屋は、弱点を覚える」
九重は伝票を俺の側へ滑らせた。
「今日は払って。退職金代わり」
「ふざけるな」
「殺さないんでしょ?」
最後まで腹が立つ。
九重は協力者にならない。
改心もしない。
ただ、俺たちへ手を出す値段を計算し直して、店を出た。
店を出る。
公園のベンチで、シオンが鳩を正確に数えていた。
「二十七羽です」
「減った」
「一羽が凛の方へ移動しました」
足元を見る。
鳩がパンくずを期待している。
「話は」
「終わった」
「殺し屋を」
「辞めた」
「九重さんは」
「敵のままだ」
「今後も危険ですか」
「ああ」
「では、辞職は未完了では」
「危険が消えたら辞める、じゃ一生辞められない」
言葉にした途端、何かが軽くなると思っていた。
何も変わらない。
「実感がない」
「明日、仕事を受けなければ一日目です」
「明後日は」
「二日目」
「簡単に言うな」
「毎日更新するしかありません」
鍵を返した時と同じだ。
辞める選択も、一度では終わらない。




