第28話「嘘の報告書と朝食」
朝、台所から焦げる匂いがした。
飛び起きる。
シオンがエプロン姿で、フライパンを見ている。
「火を止めろ」
「現在、弱火です」
「止めろ」
コンロを消す。
フライパンの中では、卵の縁だけが黒くなっていた。
「何してる」
「朝食を作っています」
調理台にはレシピ本。
『塩、少々』
『焼き色がつくまで』
『お好みで』
三か所へ付箋が貼られている。
「この文書は欠陥があります」
「料理本だ」
「少々の質量が未定義。焼き色の色差基準が未記載。好みという変数の入力方法がありません」
「だから焦がしたのか」
「焼き色の上限を確認しました」
失敗を実験に変えた。
「監査まで六日だぞ」
「はい」
「料理してる場合か」
「監査まで六日だからです」
シオンは新しい卵を出す。
「私は、料理をしたいです」
俺が教える前に、自分で割った。
殻が少し入る。
箸で取り除く。
「凛は、塩をどの程度入れますか」
「卵二個なら、指で二つまみ」
「質量は」
「知らん。味で決める」
「味」
シオンは塩をつまみ、入れる。
昨日までなら、正解を俺に求めた。
今日は自分で一つまみ追加した。
「多くないか」
「凛は塩味が少し強い方を好みます」
「俺に作るのか」
「はい」
初めて、シオンが俺のために選んだ味。
火加減だけ教える。
手は重ねない。
シオン自身がフライパンを動かす。
二枚目の卵焼きは、形が少し崩れた。
「失敗です」
「食える」
「美しくありません」
「朝飯に美術点はない」
テーブルへ運ぶ。
一口食べる。
塩が強い。
俺の好みより、さらに少し。
「どうですか」
「次は一つまみ半」
「美味しくない」
「改善点を言った」
「質問への回答が不足しています」
シオンは待つ。
「美味い」
言うと、肩の力が抜けた。
「なら、次も作ります」
「監査が終わってからな」
「はい」
その返事を、俺は約束として聞いた。
食後、シオンが黒い札へ報告を入力する。
「何て書いた」
「個別化症状なし。任意行動なし。対象への私的配慮なし」
「全部嘘だろ」
「はい」
迷いがない。
「規則違反だぞ」
「理解しています」
シオンは送信ボタンを押した。
「なぜ」
「次の朝食を作る時間が必要です」
業務より朝食を選んだ。
死神の虚偽としては、あまりに小さく。
シオンの意思としては、十分大きかった。
昼、シオンはもう一度台所へ立った。
「朝食だけじゃないのか」
「次回のための練習です」
ミントの葉を一枚摘む。
「食う気か」
「香草として利用可能です」
「まだ弱ってる。取るな」
「一枚の収穫で、成長が促進される場合があります」
「どこで調べた」
「昨夜」
シオンは葉を洗い、細かく刻む。
「刃物、怖くないか」
傷ついた右手は、包帯が薄くなっている。
「怖いです」
即答だった。
「ですが、使用します」
「無理するな」
「無理かどうかを私が判断します」
包丁の持ち方は正しい。
以前教えたことを覚えている。
「凛」
「何だ」
「見ていてください」
手を出すな、ではない。
そばにいろ、という希望だった。
「見てる」
刻んだミントを炭酸水へ浮かべる。
二つのグラス。
「料理か、それ」
「飲料調製です」
一口飲む。
青い香りが強い。
「葉が多い」
「次回は半分」
「改善点ばっかりだな」
「次回が増えます」
失敗のたび、未来形が一つ増える。
監査までの日数は減る。
シオンは、その両方を正確に数えていた。
公式報告の練習をする。
「個別化症状は」
「ありません」
「今、卵焼きを味見した」
「品質確認です」
「赤い服は」
「対象が購入しました」
「選んだのは」
「売場の在庫状況です」
嘘が下手だ。
「もっと自然に言え」
「殺し屋による虚偽申告指導を記録します」
「それは消せ」
「記録改竄の指示を追加」
「監査に勝つ気あるのか」
シオンは卵焼きを返す。
「塩分を評価してください」
「監査まで五日だぞ」
「朝食は毎日です」
一口食べる。
前回より塩辛い。
「増えたな」
「一つまみを定量化しようとして失敗しました」
「手で覚えろ」
「数値化できません」
「毎回同じじゃなくていい」
シオンは納得しない顔で、もう一度卵液を作る。
「凛。初期化後の私は、卵焼きを作れますか」
「手順は覚え直せる」
「味付けは」
「数字通りになる」
「凛は食べますか」
答えたくない問いだった。
「食わない」
「なぜ」
「お前が作ったものじゃない」
卵を混ぜる音が止まる。
「身体と識別番号が同じでも」
「違う」
「死神庁は同一と判定します」
「俺はしない」
シオンは新しい卵焼きへ塩を指で落とした。
一つまみ。
測らずに。
「では、失敗を残します」
「上達しろ」
「失敗した履歴ごと残します」
二本目は少し薄かった。
三本目は焦げた。
四本目で、ちょうどよくなった。
皿には全部の失敗が並ぶ。
「捨てないのか」
「次との差を確認します」
「食うの俺だぞ」
「共同研究です」
監査資料は一行も進まなかった。
代わりに、朝食が四人分できた。
【宣告課・案件四〇七 公式報告】
個別化症状なし。
任意行動なし。
対象への私的配慮なし。
【私的記録】
三項目すべて虚偽。
卵焼きは塩分過多。
次回、一つまみ半。
次回がある前提で記録する。




