第27話「死神庁の七日間」
帰宅すると、知らない女がビールを飲んでいた。
「おかえりー」
俺のソファ。
俺の冷蔵庫の酒。
俺のミントへ勝手に水をやった形跡。
「誰だ」
「ヨミ。シオンちゃんの先輩」
銀色の髪。赤いジャケット。
シオンと同じ黒い札を、コースター代わりに使っている。
「死神庁の備品を濡らすな」
シオンが札を取り上げた。
「相変わらず真面目。報告書では『異常なし』を連発してるくせに」
シオンの動きが止まる。
ヨミは俺を見た。
「味覚。睡眠前兆。痛覚。任意行動。私的名称。虚偽報告。立派な個別化です」
「人間化じゃないのか」
「人間は結果。先に起きるのが個別化」
ヨミは三本目のビールへ手を伸ばす。
俺が冷蔵庫を閉めた。
「説明しろ」
「死神は本来、個人じゃない。死を処理する機能。番号があれば十分」
シオンを見る。
「でも人間のそばに長くいて、自分で選び、自分のために記録し始めると、『私』が生まれる。味や痛みは、その副作用」
「戻せるのか」
「初期化すれば」
あまりに軽く言った。
「記憶を消すのか」
「正確には、個人として蓄積した差分を削除。四〇七は残る。シオンちゃんはいなくなる」
シオンは否定しない。
「いつ」
「七日後に監査」
ヨミがポケットから薄い書類を出す。
『宣告担当個別化監査 事前通知』
「結果が基準超過なら、初期化か退職」
「退職すれば」
「人間になれる可能性がある」
可能性。
その言葉が気に入らない。
「条件は」
「担当案件が終了していること。未完了の願いを抱えたまま、死神だけ辞められない」
俺の願い。
シオンを俺の手で殺す。
「願いを撤回する」
「できるよ」
ヨミは即答した。
「対象が放棄を宣言すれば、保留されていた死期が再始動。あなたの場合、宣告時点の残り三十日からカウント再開」
「すぐ死ぬわけじゃない」
「三十日後にはね」
「シオンは」
「案件終了後、退職審査へ進める。成功すれば人間。失敗すれば個体消去」
シオンが口を開く。
「成功率は」
「前例が少なすぎて出せない」
「初期化なら」
「安全。シオンという差分を消すだけ」
「だけ、って言うな」
声が低くなった。
ヨミは笑わなかった。
「だから来た。七日で決めな」
「俺が願いを続ければ」
「監査でシオンちゃんだけ初期化。案件は四〇七へ戻り、何も知らない担当として継続」
姿は同じ。
味噌汁も、赤い服も、ミントも知らない。
それをシオンとは呼べない。
「他に方法は」
「規則上はない」
規則上。
殺し屋は、その言葉の穴を探す仕事だ。
シオンが先に言った。
「ヨミ先輩。通知を受領します」
「シオン」
「七日あります」
「お前は平気なのか」
シオンは自分の赤い袖を見る。
「分かりません」
初めて、分からないことを逃げに使わなかった。
「ただ、初期化を望んでいないことは分かります」
ヨミが立ち上がる。
「じゃ、四本目もらって帰るね」
「三本飲んだだろ」
「死神に代謝はありません」
「便利に使うな」
一本奪い返した。
七日後に消えるかもしれない女の前で、ビール一本を守る。
日常は、こういう時でも馬鹿みたいに続く。
「待て」
消えようとするヨミを止める。
「シオンが虚偽報告したら」
「程度による。軽ければ始末書、重ければ監査前倒し」
「味覚を隠した」
「それだけ?」
シオンが視線をそらす。
「帰宅時刻への反応も」
「他は」
「任意行動」
「他は?」
「私的名称」
「まだある顔してる」
「顔面筋は変化していません」
「後輩歴百年超を舐めないで」
ヨミはシオンの黒札へ手を出す。
シオンが背中へ隠した。
「見せなさい」
「業務上必要ありません」
「上司命令」
「現在は勤務時間外です」
俺を見る。
「誰にこんな規則の穴を探す子にされたの」
「元からだ」
シオンが小さく頷く。
「凛は、規則の不備を利用して願いを受理させました」
「そこ誇らしげに言うところじゃないから」
ヨミは額を押さえた。
「いい? 監査までは大人しく。新しい症状を増やさない。報告を捏造しない。規則を盗まない」
「最後の事例は」
「比喩」
その時は、三人とも本当に比喩だと思っていた。
ヨミが消えた後、シオンの黒札が一度震える。
『定期照合要求』
シオンは画面を閉じた。
「大人しくする気あるか」
「定義によります」
「ないな」
「凛も」
否定できなかった。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
個別化監査の事前通知を受領。
初期化は安全。
私的差分のみ削除。
赤い服、味噌汁、ミント、凛の名は私的差分に該当。
安全という評価に同意しない。




