第26話「桜は記録を残す」
「花見をします!」
翠が玄関で宣言した。
「断る」
「栞さんは参加します」
「私に聞いていません」
シオンが靴を履いた。
最近、俺の拒否権は議題にすら上がらない。
近所の公園は、人で埋まっていた。
桜の下にブルーシート。
弁当。酒。子供。犬。
裏社会の人間が身を隠すには、平和すぎる。
「桜は、開花後すぐに散ります」
シオンが見上げる。
「死期が短い」
「そういう見方やめろ」
風が吹いた。
花びらが一斉に落ちる。
シオンの視線が追う。
一枚が髪に乗った。
俺は手を伸ばし、取る。
触れたのは花びらだけ。
髪には触れない。
「取れた」
「ありがとうございます」
翠がこちらを見ている。
嫌な予感がした。
「はい、そこ動かないで!」
撮影音。
「消せ」
「まだ見てもいないのに!」
翠が画面を見せる。
桜を背にしたシオン。
その髪へ手を伸ばす俺。
実際には触れていない。
写真では、頭を撫でているように見える。
「捏造だ」
「無加工です」
シオンが画面を見る。
「削除しますか」
翠が少し驚く。
「え、栞さん嫌でした?」
シオンは写真を拡大した。
自分。
俺。
風に散る花。
「削除しません」
「理由は」
俺が聞く。
「記録だからです」
「業務日誌があるだろ」
「業務では記録されない情報です」
シオンは翠へ端末を差し出した。
「送ってください」
「もちろん! 黒崎さんにも送りますね」
「俺はいらない」
二人とも聞いていない。
弁当を食べる。
俺が作った卵焼きを、翠が褒める。
「黒崎さん、本当にいいお嫁さんになれますよ」
「職業を変えるにしても、その選択肢はない」
「職業変えるんですか?」
箸が止まった。
「言葉の綾だ」
シオンが俺を見る。
昨日、鍵を返したこと。
藤森の娘の言葉。
変えるべきものは、もう分かっている。
まだ口に出していないだけだ。
帰り道。
シオンが写真を見ている。
「桜は散りました」
「また来年咲く」
「同一の花ではありません」
「そうだな」
「では、写真に残った花は」
「今日だけだ」
シオンは画面を閉じた。
「咲いたことは、消えません」
洗濯しても事実は消えない。
死者は戻らない。
同じように。
良かった日も、なかったことにはならない。
端末が震える。
翠から写真が届いた。
俺は削除しなかった。
夜、翠がもう一度来た。
「印刷してきました!」
写真用紙に焼いた一枚。
「端末にある」
「データは消えます。紙は飾れます」
「飾らない」
翠はシオンへ渡した。
「栞さんが決めてください」
シオンは部屋を見回す。
テレビ台。棚。冷蔵庫。
最後に、ミントの横へ写真を置いた。
「日光で退色します」
「じゃあ棚にしろ」
俺は無意識に、直射日光の当たらない場所を指した。
翠が笑う。
「飾る気満々じゃないですか」
「紙の劣化を防ぐだけだ」
シオンが写真を棚へ移す。
「凛」
「何だ」
「来年、同じ場所で比較記録を撮りますか」
監査のことを知らない翠が、すぐ賛成した。
「いいですね! 毎年同じ構図で撮りましょう」
「来年の話は」
言いかけてやめた。
シオンがこちらを見る。
「撮る」
俺が答えた。
「来年も」
方法はこれから探す。
予定だけ、先に決める。
翠は何も知らず喜び、シオンは写真の位置を数ミリ直した。
来年の桜は同じ花じゃない。
俺たちも、同じままではいられない。
それでも同じ場所へ立つことはできる。
花見の写真は、十七枚失敗した。
一枚目。シオンが証明写真の顔。
二枚目。俺が目を閉じる。
三枚目。大福が画面を横切る。
「猫個体の混入率が高いです」
「餌持ってきた翠のせいだ」
「自然な写真でいいじゃないですか」
翠はスマートフォンを構えたまま後退した。
「二人、もっと寄って」
「十分近い」
「間に知らない人が一人入れます」
シオンが半歩近づく。
袖が触れた。
「黒崎さん、顔が怖い」
「普通だ」
「シオンさん、もう少し笑って」
シオンは口角を機械的に上げた。
「それ、接客研修の失敗例です」
「笑顔を要求しておいて批判するな」
シオンは元へ戻った。
「感情の発生を指示されても困難です」
「じゃあ、黒崎さんを殺す方法を考えて」
シオンが俺を見る。
「現在は三十二案です」
「増えてる」
ほんの少し、目元が柔らかくなった。
シャッター音。
十八枚目。
桜ではなく俺を見ているシオンと、案の数に呆れている俺が写っていた。
「これでいい」
「二人ともカメラ見てませんよ」
「その方が自然です」
シオンが自分で保存を選ぶ。
「印刷もするか」
「画像データで十分です」
「端末は壊れる」
「紙も劣化します」
「両方なら残る確率が上がる」
コンビニで二枚印刷した。
一枚は共有カレンダーの横。
もう一枚は、シオンが黒札の内側へ挟んだ。
「業務書類に私物を入れるな」
「紛失防止です」
「何の」
シオンは写真を隠す。
「私的差分の」
監査で消されるかもしれないものを、紙一枚へ退避させるように。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
花見を実施。
桜は散った。
画像記録を一件保存。
業務上の保存義務はない。
咲いた事実を、私が残したい。




