第3話「殺意のない手」
三日観察した。
シオンは瞬きをほとんどしない。
食べない。眠らない。呼吸らしい動きもない。
ただ、俺が百メートルの境界へ近づくと、黒い札が警告音を出す。
存在はしている。
なら、壊し方もある。
「今日は何でしょう」
台所で刃を研ぐ俺に、シオンが尋ねた。
「お前を殺す」
「昨日はワイヤーでした」
「今日は刃だ」
「初日も刃でした」
「刃にも種類がある」
「人間は失敗を道具のせいにする傾向があります」
うるさい死神だ。
首、脇、心臓。
三度。角度を変え、速度を変えた。
すべて抜ける。
シオンの背後に置いていたクッションだけが裂け、中身が雪のように舞った。
「殺害チャレンジ、失敗」
「実況するな」
「なお、家財の損耗が増加しています」
「誰のせいだ」
「刃を振った方の責任かと」
正論で刺してくる。
俺は刃を置き、舞っている綿を払おうと手を伸ばした。
シオンの肩にも一片ついている。
「動くな」
指で摘まむ。
その瞬間、指先が肩に触れた。
布の感触。
その下の、わずかな弾力。
俺もシオンも止まった。
「触れたな」
「はい」
もう一度、同じ場所へ手を伸ばす。
今度は「肩を砕く」と意図した。
指が抜ける。
「接触時の最強意図で判定されます」
シオンは自分の肩を見下ろした。
「殺傷、支配、破壊が主目的なら、接触は成立しません。介抱、保護、習慣的な世話であれば成立します」
「今のは世話じゃない。ゴミを取っただけだ」
「私からゴミを除去する行為です」
「屁理屈だ」
「規則です」
俺は綿を床へ捨てた。
殺そうとすれば触れない。
殺す気がなければ触れる。
身体は本人の言い訳より正直に判定されるらしい。
「検証する」
俺は右手を出した。
「握れ」
シオンが手を重ねようとする。
その瞬間、手首を捻って関節を外すと意図した。
指は白い手を抜け、空を掴んだ。
「次」
今度は、脈があるか確かめる。
触れた。
細い手首。皮膚の下に、かすかな拍動。
「死神にも脈がある」
「人間へ認識される外殻の擬似反応です」
「さっきより速い」
シオンが自分の手を引いた。
「測定誤差です」
「お前から引くのはありなんだな」
「接触を継続する義務はありません」
俺は今度、空のコップを放る。
シオンが受け取った。
「物なら触れる」
「物体へ意図はありません。投げた側の主目的で判定されます」
「今の主目的は」
「割らないよう受け取らせる」
「殺意を込めたら」
同じコップを奪い、喉を潰すつもりで投げる。
コップはシオンを抜け、壁へ当たって割れた。
静寂。
「家財損害を一件追加」
「検証費だ」
「対象の支出です」
床の破片を拾おうとする。
二人の手が同じ欠片へ伸びた。
「触るな。切れる」
シオンの手首を止める。
触れた。
殺す実験の直後でも、傷つけたくない意図は成立する。
規則は、直前の言葉すら考慮しない。
「クソ正直だな」
「身体は、という説明を先ほど行いました」
俺は破片を一人で片づけた。
「最低の規則だな」
「なぜですか」
「考えてることが筒抜けになる」
「便利では」
「お前にはな」
シオンは裂けたクッションを持ち上げた。
「これは廃棄しますか」
「縫う」
「凛が?」
「俺以外に誰がいる」
裁縫箱を出し、針へ糸を通す。
殺し屋が自分で裂いたクッションを縫い、殺せなかった死神が隣で見学している。
冷静に考えると、かなり終わっている。
「手際が良いですね」
「傷を閉じるのは慣れてる」
言ってから、針が止まった。
シオンは意味を聞かなかった。
ただ、縫い目が曲がらないようクッションの端を押さえた。
俺の指と、シオンの指が布の上で近づく。
触れる直前、俺は手を引いた。
「次は何を使用しますか」
「教えるか」
「では、家具損害の予算だけ申告してください」
殺害計画より家計を心配される日が来るとは思わなかった。
接触判定の検証は、その後も続いた。
包丁を隠して背後から肩を叩く。
すり抜ける。
包丁を置き、服についた糸くずを取る。
指先が肩へ触れる。
「同じ手なのに」
「道具ではなく意図で判定されます」
「じゃあ、俺が糸くずを取った後で首を絞めるつもりなら」
「接触時点で最も強い意図が殺傷なら、すり抜けます」
「先に触れてから殺意へ変えたら」
「変化した時点で接触が解除されます」
俺はシオンの手首を取った。
今度は触れた。
「現在の意図は」
「脈があるか確認」
「私は脈拍を必要としません」
指の下は冷たい。
本当に何も打っていない。
「死人みたいだ」
「死神です」
「訂正が細かい」
殺意を作ろうとする。
骨を折る。動きを止める。願いを終わらせる。
そう思った瞬間、手首が指の中から抜けた。
握る力を強くしたわけでもないのに、最初から空気だったように消える。
「便利だな」
「不便です」
「どこが」
「あなたが何を考えているか、私にも分かります」
シオンは手首を見た。
「嘘をついても無意味です」
「殺し屋には致命的だ」
「共同生活にも致命的です」
冷蔵庫を開け、麦茶を出す。
コップへ注いで渡そうとしたら、普通に受け取られた。
「今は触れた」
「飲み物を渡す意図です」
「毒入りかもしれない」
「入れましたか」
「入れてない」
「ならば判定は正確です」
試しに、空のコップを投げた。
シオンは避けない。額を抜け、壁に当たって割れた。
「投擲物もか」
「あなたの意図を帯びています」
「掃除は」
「投げた人間が担当するのが合理的です」
ほうきとちりとりを出す。
「手伝え」
「破片を拾うと怪我をします」
「お前、怪我するのか」
「しません。断るための人間的表現を試しました」
習得してほしくない技術だけ、覚えるのが早い。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
殺傷意図下の接触は不成立。
異物除去時のみ成立。
対象は成功した接触より、失敗した殺害を喜ぶべき立場にある。
実際の反応は逆であった。




