第2話「死神、寝ない」
午前三時。
俺はベッドの上で目を開けた。
リビングに誰かいる。
当然だ。自分で家へ入れた。正確には、規則と通報リスクに負けた。
分かっていても眠れない。
殺し屋は、同じ屋根の下に他人がいる状態で熟睡するようにはできていない。
寝室を出る。
シオンは、三時間前と同じ姿勢でソファにいた。
膝の上に両手。背筋は直角。目は開いたまま。
「怖えよ」
「何がでしょう」
「全部だ」
俺が右へ動くと、目だけが右へ。
左へ動くと、左へ。
「監視してるのか」
「死期保留対象の状態確認です」
「寝ろ」
「睡眠は必要ありません」
「一度くらい目を閉じろ。見られてると眠れない」
「あなたは意識を失う際、視認者がいると失敗するのですか」
「言い方」
シオンは本気で疑問らしい。
「睡眠中、人間は無防備になります。合理的ではありません」
「生きるために必要なんだよ」
「無防備にならなければ生きられない」
「そうだ」
「人間は設計段階で矛盾しています」
死神に製品レビューされた。
水を飲もうと台所へ向かう。
流しの横に、透明な証拠袋を置きっぱなしにしていた。
青いイルカのついた鍵。
シオンが見る。
「それは、本日の死者の所持品ですか」
「違う」
「血液の付着を検知しています」
「目がいいな」
「死神ですので」
俺は袋を掴み、引き出しの奥へ押し込んだ。
その拍子に、仕事用の端末が震えた。
回収前に藤森から抜いたものだ。電源は切ったはずなのに、予約送信の画面が点灯している。
送信先――紗季。
音声メッセージ、未送信。
再生ボタンには触れなかった。
「聞かないのですか」
「仕事に必要ない」
「では、なぜ持ち帰りましたか」
「証拠だ」
「誰に対する」
答えない。
シオンも追及しない。
代わりに、ソファの端へ二十センチ移動した。
「何だ」
「座面を空けました」
「いらん」
「寝室では眠れないのでしょう」
図星を刺す声が平坦なのは、腹が立つ。
俺は反対側の端に座った。
目を閉じるつもりはなかった。少し休むだけだ。
次に目を開けた時、窓の外が白んでいた。
肩には薄い毛布。
シオンはまたソファの中央に戻り、昨夜と同じ姿勢を取っている。
「これ」
「床へ落ちていました」
「床から俺の肩へ跳ねたのか」
「現象の詳細は不明です」
俺は毛布を畳む。
角がきれいに合うまで二度折り直した。
「凛」
初対面で呼び捨てか。
「人間は、毎日眠りますか」
「毎日だ」
「毎日、無防備になる」
「そうだよ」
シオンは俺ではなく、畳まれた毛布を見た。
「非常に効率の悪い生存方法です」
「放っとけ」
「睡眠中、夢を見る場合があります」
「人間の知識はあるんだな」
「資料上は」
「お前は見ないのか」
「睡眠しないため」
シオンは少し間を置いた。
「夢とは、記憶が事実と異なる順序で再生される現象ですか」
「大体そんなもんだ」
「事実と異なるなら、記録価値は低いです」
「目が覚めても残る夢はある」
「藤森の音声も?」
不意打ちだった。
「あれは夢じゃない」
「再生していない内容を、凛は繰り返し想起しています」
「人の頭を読むな」
「脈拍と視線から推測しています」
殺し屋は痕跡を消す。
だが、自分の身体から出る痕跡までは消せないらしい。
「死神は、夢を見たいと思うか」
話題を逸らす。
シオンは初めて、すぐに答えなかった。
「現時点では、判断材料がありません」
「便利な答えだな」
「凛は見たいですか」
「仕事の夢ならいらない」
「それ以外は」
毛布を見た。
誰かがかけたことになっていない毛布。
「寝てから決める」
シオンは黒札へ何かを記録した。
内容は見せなかった。
午前二時十三分に目を覚ました。
物音がしたわけではない。
物音がなさすぎた。
寝室の戸を細く開ける。
シオンはソファへ座ったまま、テレビの消えた画面を見ていた。
「何してる」
「待機です」
「電気くらいつけろ」
「不要です」
「俺が怖い」
「殺し屋が暗所を恐れるのは職務上の欠陥では」
「暗所じゃない。暗い部屋で微動だにしない女が怖いんだ」
照明をつける。
シオンは瞬きもしなかった。
「暇じゃないのか」
「暇は、処理すべき情報がない状態ですか」
「そうだ」
「ならば暇です」
棚から古い将棋盤を出した。
子供の頃、施設の職員にルールだけ教わったものだ。
「これを覚えろ」
「なぜ」
「暇が減る」
三分で全規則を覚え、五局目で俺を詰ませた。
「待て。今のなし」
「投了後の撤回は規則にありません」
「人間には接待という規則がある」
「敗者の感情を保護するため、勝者が能力を偽装する行為ですか」
「説明されると傷が深くなるな」
六局目。シオンは明らかに悪手を指した。
「わざとか」
「接待です」
「下手すぎる」
「要求仕様が不明確でした」
結局、朝まで指した。
勝敗は俺の二勝十二敗。接待分を除けば一勝だった。
盤を片づけた時、仕事用の端末が一度だけ光った。
未送信の音声ファイル。
触れないまま画面を伏せる。
「再生しないのですか」
「しない」
「削除は」
「しない」
シオンは理由を聞かなかった。
聞かれないことが、助かる時もある。
「次は別の遊戯を提案します」
「俺が勝てるやつにしろ」
「じゃんけん」
「運だけじゃねえか」
「能力差を排除できます」
死神なりの配慮は、だいたい失礼だった。
引き出しの奥で、未送信の声が鳴らないまま朝になった。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
対象は三時間四十二分、意識を喪失。
防御機能に欠陥あり。
毛布は床から対象の肩へ移動していた。
移動主体は記録対象外とする。




