第24話「選ばれた手」
救急箱を開ける。
消毒液。ガーゼ。包帯。
「手を出せ」
シオンが右手を差し出す。
触れようとした瞬間、指が抜けた。
「くそ」
「接触不成立です」
「見れば分かる」
「現在の最強意図は」
「黙れ」
まただ。
黙らせたい。俺を見ないでほしい。
俺が守れなかった証拠を、その掌から消したい。
介抱より、自分の恐怖の方が強い。
「一人でやる」
消毒液を置く。
「左手で可能か」
「実行します」
シオンがボトルを持つ。
慣れない動きで、液を多くこぼした。
「貸せ」
「触れません」
「分かってる」
シオンは傷へガーゼを当てた。
痛みで眉がわずかに動く。
「痛いか」
「はい」
「悪い」
「なぜ凛が謝るのですか」
「俺が触れなかった」
「九重がガラスを落としました」
「違う」
床へ座る。
シオンの前で、逃げずに言う。
「俺はお前を守ろうとしたんじゃない」
「凛」
「俺の後ろへ置こうとした。勝手に動くな。危険を見るな。俺の言う通りにしろって」
喉が焼ける。
「お前が傷つくのが怖い。それ以上に、俺が止められないことが怖かった」
シオンは黙って聞いた。
「守るふりをして、閉じ込めようとした。だから触れなかった」
「はい」
否定してくれない。
死神は正確だ。
「俺は、お前を失いたくない」
第二十話と同じ言葉。
「でも、お前の意思まで殺したら、九重と変わらない」
シオンが傷ついた手を見た。
「私は、九重に会うことを選びました」
「ああ」
「危険を見誤りました」
「それも、お前の結果だ」
「はい」
シオンは右手を、もう一度差し出した。
「では、次を選びます」
「何を」
「凛に、治療してほしいです」
命令ではない。
規則でもない。
本人の選択。
「今度は触れるか、分からない」
「試してください」
俺は手を伸ばす。
傷を消したいわけではない。
選択をなかったことにもしたくない。
ただ、痛みを減らす。
次に同じ傷を負わせない方法を、二人で考える。
指が、掌へ触れた。
今度は抜けない。
温かい血。
皮膚の震え。
「触れた」
「はい」
消毒する。
シオンの指が少し動く。
「痛い時は言え」
「痛いです」
「正直だな」
「言えと命令されました」
「そこは従うのか」
「私が従うと選びました」
包帯を巻く。
最後に結び目を作ると、シオンが手を返し、俺の指を握った。
「これは治療に必要か」
「不要です」
「じゃあ、なぜ」
「私が選びました」
万能な答えを覚えたらしい。
「傷は残るか」
「人間と同じ機能であれば、痕跡が残る可能性があります」
「見せろ」
「現在見ています」
「治った後もだ」
シオンが首を傾げる。
「経過観察ですか」
「そうだ」
「期間は」
「治るまで」
「その後は」
「必要なら」
「凛が気になる間」
「便利に使うな」
シオンは握った指を離す。
「傷が残れば、凛は見るたび本日の失敗を想起します」
「忘れるよりいい」
「痛みも」
「俺のじゃない」
「私が痛いことを、凛が記憶する」
「そうだ」
「藤森の鍵と同じですか」
同じではない。
藤森は俺が傷つけた。
シオンも、直接ではなくても俺の支配欲が傷つけた。
「逃げないためには、同じだ」
シオンは包帯の上から掌を撫でる。
「では、私も記録します」
「業務日誌に?」
「私の記憶に」
黒札を出さない。
傷も、触れなかった手も、公式業務ではない場所へ残した。
包帯を替える時間を、シオン自身に決めさせた。
「午後八時」
「了解」
「凛は忘れる可能性があります」
「忘れない」
「帰宅時刻の前例があります」
「七分を一生使うな」
八時ちょうど。
救急箱を開き、消毒液と新しいガーゼを並べる。
「触るぞ」
「許可します」
包帯の端へ指をかける。
今度はすり抜けない。
「痛かったら言え」
「痛いです」
「まだ何もしてない」
「予測です」
「脅すな」
固まったガーゼをぬるま湯で湿らせる。
ゆっくり剥がす。
「凛の手が震えています」
「細かい作業だからだ」
「虚偽です」
「患者は黙ってろ」
「命令成分が上昇しました」
指先が一瞬薄くなる。
「悪い。黙らなくていい」
「何を話しますか」
「何でも」
シオンは考える。
「大福の毛は白色ですが、根元は灰色です」
「今する話か」
「何でもいいと言いました」
傷を洗い、新しいガーゼを当てる。
テープを切る時、シオンが手伝おうとする。
「片手で動くな」
「命令ですか」
「依頼だ。じっとしててくれ」
「理由は」
「俺がきれいに巻きたい」
接触は続いた。
巻き終えると、シオンが手を裏返して確認する。
「病院より不均一です」
「家庭の味だ」
「包帯に適用する表現ではありません」
ほどこうとしたので止めた。
普通に触れる。
「次は自分で巻きます」
「治るまで俺がやる」
「私が決めます」
また支配の方へ傾きかける。
「じゃあ、明日はどっちがやる」
「共同作業を提案します」
「包帯で共同作業って何だ」
「凛が巻き、私が品質評価します」
「今日と同じじゃねえか」
必要のない接触を続ける口実だけは、二人とも上達していた。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
治療行為における接触成立。
対象の意図から支配成分が低下。
治療後、私から接触を継続。
必要性なし。
必要でないため、選択した。




