第22話「死神、自分で会いに行く」
翌朝、シオンがいなかった。
ソファは空。
ミントの土だけが濡れている。
黒い札が警告音を出していない。
百メートル以内にはいる。
端末を確認する。
『外出します』
送信時刻、二十分前。
『どこだ』
既読はつかない。
上着を掴み、部屋を出る。
距離を測る。
八十六メートル。
マンション裏の小さな公園へ走った。
ベンチに二人の女がいる。
赤いカーディガンのシオン。
その向かいに、九重。
「何してる」
声が低くなった。
九重は紙カップを掲げる。
「朝のお茶」
「シオンに聞いてる」
「私が呼びました」
シオンが答えた。
「勝手なことをするな」
「凛の許可は不要です」
「こいつが何者か分かってるのか」
「殺し屋です」
「なら」
「凛も同じです」
言葉を切られた。
九重が楽しそうに俺たちを見る。
「痴話喧嘩なら帰るけど」
「違う」
「痴話、の定義が不明です」
「そこで揃わないの、逆に新鮮」
シオンはスマートフォンの画面を俺へ見せた。
藤森紗季の住所。
鍵を探している依頼元。
九重から受け取った情報が、整理されている。
「何を渡した」
「情報対価として、私について回答しました」
背中が冷えた。
「何を」
「凛から百メートル以上離れられないこと。凛への物理攻撃を受けないこと」
「馬鹿か」
思わず手を伸ばす。
シオンの腕を掴み、こちらへ引く。
指が抜けた。
九重の目が笑わなくなる。
「へえ」
「見るな」
「今の、面白いね。触れる時と触れない時がある」
余計な情報を与えた。
シオンは立ち上がる。
「九重は、私へ危害を加えられません」
「お前の規則を知られた。俺を動かす方法まで」
「すでに知られています」
「何が」
「私が凛の弱点であること」
平坦な声。
「違う」
「では、凛はなぜ怒っていますか」
「お前が勝手に危険へ近づいたからだ」
「私は近づくと決めました」
シオンが俺を見上げる。
「凛が鍵について何も選べない状態だったため、選択肢を増やしました」
助けたかった。
そう言わないところがシオンらしい。
「頼んでない」
「はい」
「次は先に言え」
「許可を求めるのではなく、通知します」
「それでいい」
九重が紙カップをゴミ箱へ投げる。
「交渉成立ね。住所は本物。依頼元はまだ伏せたけど」
「約束が違う」
「全部一度に渡すほど善人じゃないの」
去り際、俺へ顔を寄せる。
「その子、思ったより自分で動くよ。首輪の長さ、百メートルじゃ足りないんじゃない?」
「首輪じゃない」
「なら、引っ張らないことね」
九重は笑い、朝の通りへ消えた。
公園に俺とシオンが残る。
「帰るぞ」
「はい」
「先に歩け」
「なぜですか」
「見える場所にいろ」
「それは命令ですか」
「希望だ」
シオンは一拍置き、俺の隣へ並んだ。
「受理します」
「何を答えた」
帰り道でもう一度聞く。
「九重への対価ですか」
「そうだ」
「百メートル制限。攻撃が通らないこと。凛が味噌汁を作ること」
「最後は何の価値がある」
「九重が最も興味を示しました」
確かに想像できる。
「触れる条件は話してないな」
「はい」
「なぜ」
「凛の意図を第三者へ渡す情報だからです」
考えなしではなかった。
「私に関する情報でも、凛の内面に属する部分は対価に含めませんでした」
「九重が嘘をついた可能性は」
「住所は、公開情報三件と照合済み。依頼元については、藤森の所属記録と一致」
「いつ調べた」
「昨夜」
「寝てないからって徹夜で調べるな」
「睡眠は不要です」
シオンは端末へ地図を出す。
「また、九重との会話は録音しています」
「見せろ」
「凛が九重を殺す目的で使用しないと約束してください」
「あいつが紗季を狙えば別だ」
「では見せません」
端末を胸元へしまう。
こちらの殺意まで交渉材料にしている。
「お前、交渉向きだな」
「褒めていますか」
「半分」
「残り半分は」
「勝手に動いたことへの説教」
「聞きません」
きっぱり断られた。
シオンは受け身ではない。
それを喜ぶべきか、頭を抱えるべきか決めかねた。
シオンが一人で九重に会ったと知ったのは、位置共有の履歴からだった。
百メートル円の端を、俺の移動に合わせて渡り歩いている。
俺が台所へ行けば東へ。風呂へ行けば西へ。
俺の居場所を利用して、駅前の喫茶店まで範囲を伸ばした。
「パズルみたいに拘束を使うな」
「規則違反はありません」
「危険がある」
「九重さんに殺意はありませんでした」
「あいつは殺意なしで人を売る」
シオンは録音を再生した。
『娘の住所は教えられない。だが、明日午後三時、この店に呼ぶことはできる』
「何を条件にした」
「凛が今後、裏付けのない依頼を受けないこと」
「勝手に約束するな」
「凛はすでに一件断っています」
「俺の商売だ」
「鍵を返すために必要です」
怒鳴ろうとして、やめた。
「なぜそこまでやる」
「凛が、選ばないことを選び続けるからです」
「それは俺の問題だ」
「私の問題でもあります」
「どこが」
シオンは黒札を閉じた。
「凛が鍵を開けるたび、呼吸が変わります。音声通知のたび、味覚が低下します。帰宅時刻の遅延より負荷が大きい」
「観察対象だからか」
「同居人だからです」
その呼び方を、初めて自分から使った。
「危険を決める時は二人で決めるって言っただろ」
「だから、今後は事前に伝えます」
「今回は」
「事後です」
「分かってる」
謝罪を要求する前に、シオンが続けた。
「申し訳ありません。ただし、行動したことは撤回しません」
謝ることと、自分の選択をなかったことにするのは違う。
「次は言え」
「次も止めますか」
「理由は聞く」
「その上で」
「一緒に決める」
シオンはようやく頷いた。
「では、明日午後三時です」
「俺が行くとは言ってない」
「たい焼き店が近くにあります」
「買収が安い」
「有効でした」
交渉向きなのは、九重に対してだけではなかった。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
業務外の情報交渉を実施。
対象の許可なし。
危険性は認識していた。
それでも必要と判断した主体は、規則ではなく私である。




