第21話「死者の鍵」
「久しぶり、“死神”」
待ち合わせの女は、鷹村ではなかった。
九重。
同業者。依頼が競合すれば敵で、競合しなければ他人。
笑う時も、目だけは距離を測っている。
「鷹村は」
「来ない。呼んだのは私」
会員制バーの奥。
九重は向かいの椅子を指した。
「座ったら?」
「用件を言え」
「藤森をやったの、あんたでしょ」
ポケットの鍵が重くなった。
「知らない名前だ」
「青いイルカのキーホルダーも?」
右手が動きかける。
九重は笑った。
「その反応、答えと同じ」
「どこで知った」
「藤森の娘が探してる。紗季って子。父親から途中で切れた音声が届いたそうよ」
未送信だったはずだ。
予約送信が、途中まで飛んだのか。
「鍵は貸倉庫のもの。藤森が裏帳簿と、家族の荷物を隠してたらしい。帳簿を欲しい人。消したい人。娘に渡したい人。今、三組が探してる」
「お前はどれだ」
「一番高く買う人の味方」
分かりやすい。
「持ってない」
「じゃあ、あの子に聞こうか」
九重が視線を入口へ向ける。
店の外、百メートル以内。
シオンを待たせてある。
「関係ない」
「最近いつも一緒にいる黒髪の美人。関係ないなら、なんで声が低くなったの」
「触るな」
「まだ触ってない」
九重は氷の溶けたグラスを回した。
「弱点を持つと、殺し屋は長生きしない」
「忠告か」
「同業者価格で無料」
「弱点じゃない」
「じゃあ何?」
言葉が出ない。
願いで縛った死神。
俺が殺さない限り離れられない女。
それを何と呼ぶのか、俺はまだ決めていない。
「鍵を渡せば、娘のところへ帳簿より先に殺し屋が行く」
九重の声から笑いが消えた。
「渡さなくても行く。あの子はもう、父親が何か隠したと知ってる」
「お前が受けたのか」
「今は調査だけ」
「今は、ね」
九重が立つ。
「三日あげる。鍵を持ってきたら、娘の住所と依頼元を教える」
「信用できると思うか」
「思わないでしょ。でも、選択肢が他にない」
横を通り過ぎる。
「凛」
初めて名前で呼ばれた。
「あんたが殺したのは、帳簿の一行じゃない。娘の父親」
「知ってる」
「知らないから、鍵を証拠品って呼べるのよ」
九重は去った。
外へ出る。
シオンが壁際に立っていた。
「話は」
「終わった」
「脈拍が上昇しています」
「歩けば下がる」
シオンは俺のポケットを見る。
「鍵の話ですか」
否定できない。
「聞こえたのか」
「断片的に」
「忘れろ」
「できません」
「命令だ」
「業務上、対象の命令に従う規則はありません」
赤いカーディガンの袖から、白い手が覗く。
俺はその手を取れない。
命令して、隠して、百メートルの中へ閉じ込める。
それは保護ではなく支配だと、身体はもう知っている。
「帰るぞ」
「はい」
並んで歩き出す。
背後でバーの扉が閉まった。
ポケットの鍵は、死者の声を出さない。
帰宅後、鍵をテーブルへ置いた。
初めて袋から出す。
青いイルカは、片目の塗装が剥げていた。
「これが藤森の最期の願いですか」
「鍵だけ、と言った」
「届けてほしい対象は」
「紗季」
「聞いていました」
「死にかけの声だった。聞き間違いかもしれない」
「未送信音声の宛先と一致します」
逃げ道を塞がれる。
「届ければ、帳簿を狙う奴らが娘へ行く」
「届けなくても行くと、九重は述べました」
「あいつを信用するのか」
「しません」
「なら」
「だから、確認します」
シオンが鍵へ手を伸ばす。
俺は先に掴んだ。
「触るな」
「なぜですか」
「俺が持ち帰った。俺の問題だ」
「対象の生命に影響する問題は、私の業務でもあります」
「娘はお前の対象じゃない」
「凛は」
シオンの目が、俺の手を見た。
「この鍵を持ち続けるたび、同じ死者を想起します」
「俺が死ぬわけじゃない」
「身体機能だけが対象ではありません」
死神に心配される筋合いはない。
「寝る」
鍵を引き出しへ戻す。
だが、閉める前にシオンが言った。
「凛。選ばないことも、選択です」
引き出しを閉める。
鍵を届けない。
九重へ渡さない。
警察へも行かない。
何もしていないつもりで、俺は毎日その選択を更新している。
その夜、未送信の音声を初めて再生した。
『父さん。鍵、どこに置いたの。病院のロッカー開けられない』
女の声。
責めているのではない。ただ困っている。
続けて二件目。
『連絡ください。怒ってないから』
三件目は短かった。
『生きてるなら、それだけでいい』
そこで止めた。
「最後まで再生しないのですか」
「十分だ」
「十分ではありません。未確認情報が残ります」
「聞けば、返さなきゃならなくなる」
「現在も返す必要があります」
シオンは正論を、慰めるためには曲げない。
「俺が届けて、何て言う。父親を殺した男です、忘れ物ですって」
「事実をすべて伝える必要はありません」
「嘘をつけと」
「凛は得意です」
「信用がないな」
「信用度四十一です」
「下がってる」
「鍵を隠しているためです」
引き出しを開ける。
古い真鍮の鍵。小さなプラスチック札に、病院名と番号。
「標的が落としたものじゃない。死んだ後、ポケットから抜いた」
「なぜ」
「音声が来たからだ。誰かが探すと思った」
「返すために」
「証拠を消すためだ」
どちらも本当だった。
鍵を掌へ置く。
金属は冷たい。
「この鍵で何が開く」
「ロッカーです」
「中身は」
「確認していません」
「開けて見るか」
「所有者の許可がありません」
死者の許可は取れない。
残された娘へ聞くしかない。
「九重に調べさせる」
「会うのですか」
「まだ決めてない」
シオンは俺の端末を指した。
「四件目があります」
再生する。
『父さんの病室に、私の結婚式の写真があったはずなの。鍵だけでも見つけたい』
初めて、鍵の向こう側にあるものが見えた。
止めていた選択が、俺の手の中で重くなった。




