第19話「名前は命令ではない」
「四〇七」
試しに呼ぶと、シオンが振り返った。
「何でしょう」
「反応するのか」
「識別番号です」
「シオンより正しい呼び方か」
シオンの視線が、わずかに下がる。
「死神庁では、はい」
死神には個人名がない。
配置番号と所属だけ。
それを知ったのは、翠が作った偽の誕生日登録フォームへ名前を入力している時だった。
「では、シオンは」
「人間界へ出た際、会話の便宜上設定しました」
「誰がつけた」
「私です」
初日にすでに選んでいた。
「由来は」
「ありません。最初に出力された音です」
「それでいいのか」
「便宜上の名称です」
声が少し硬い。
俺はフォームを見る。
氏名欄には「四條栞」。
その下に、ニックネームの欄。
「シオン」
口に出す。
「はい」
「四〇七」
「はい」
「どっちで呼ばれたい」
シオンが止まった。
「業務上は識別番号が正確です」
「聞いてない。お前が決めろ」
「選択に合理的根拠がありません」
「赤い服を選んだ」
「はい」
「枯れかけのミントも」
「はい」
「名前くらい選べる」
長い沈黙の後、シオンは黒い札を伏せた。
「シオン、と呼んでください」
「もう呼んでる」
「命令や注意の際に必要だからではなく」
言葉が途切れる。
「私を呼ぶ時に」
説明は不器用だった。
意味は分かった。
「シオン」
今度は、何かを取れとも、どけとも言わない。
ただ名前だけを呼ぶ。
シオンの目が少しだけ見開かれた。
「はい、凛」
短い返事。
部屋には二人しかいない。
呼ばなくても、相手は分かる。
だからこれは連絡手段ではない。
ここにいると確かめるための音だ。
「誕生日フォーム、入力していいか」
「はい」
ニックネーム欄へ、シオンと打つ。
登録ボタンを押す直前、シオンが俺の手首へ触れた。
「待ってください」
「何だ」
「誕生日は、まだ保留します」
「会った日でいいんじゃなかったのか」
「生まれた日を登録する欄です」
シオンは自分の名前を見る。
「私は、まだ何になったのか分かりません」
登録は保留にした。
名前だけ、保存した。
夕方、翠が野菜を持ってきた。
「栞さん、登録できました?」
「名前のみ」
「誕生日は?」
「未定です」
「じゃあ、命名日だけお祝いしましょう!」
翠はスマホのカレンダーへ勝手に入力する。
「行事を増やすな」
「大事ですよ。名前を選んだ日なんですから」
シオンが画面を見る。
「名前は、死神庁の識別番号より優先されますか」
「人間相手なら、もちろん」
翠は簡単に答えた。
「番号で呼ばれるの、病院の待合室くらいですよ」
「死神庁は常時、病院の待合室と同じです」
「嫌ですね、それ」
外部の人間に即座に否定された。
翠が帰った後、シオンはカレンダーを何度も開いた。
「嬉しいのか」
「予定が登録されました」
「毎年通知が来るぞ」
「毎年」
シオンがその言葉を繰り返す。
死期を告げる存在にとって、来年の予定は珍しいのかもしれない。
「来年も祝う気か」
「凛は、いませんか」
俺の死期は保留中。
願いが続く限り、来年もいる。
「いるだろ」
「では、予定を共有します」
俺の端末へ招待が届く。
『シオン命名日 毎年』
拒否ボタンは押さなかった。
名前を決めた翌日、翠が小さなケーキを持ってきた。
「命名祝いです」
「どこで聞いた」
「壁」
「やっぱり盗み聞きしてるだろ」
プレートには『しおりさんへ』と書かれている。
「発音が違います」
「漢字が栞なら、しおりさんじゃないんですか」
「呼称はシオンです」
「ややこしい」
シオンはプレートを外し、チョコの文字を観察した。
「食べられますか」
「名前ごとな」
「自己同一性への攻撃では」
「ケーキだ」
ろうそくを何本立てるかで揉めた。
「稼働年数なら百二十七本です」
「消防署が来る」
「見た目年齢なら二十代前半ですね」
「年齢確認は不要です」
一本だけ立てた。
「今日から一歳でいい」
「幼児扱いですか」
「自分で名前を選んでから一年目だ」
火を消す前に願い事をする、と翠が教える。
「願いの受理権限は誰に」
「自分です」
「自分で叶えるのですか」
「叶わないこともあります」
「非効率な儀式です」
シオンは火を見たまま、長く考えた。
「何を願った」
「言うと無効になるそうです」
「翠の迷信をそこだけ信じるな」
息を吹く。
一度では消えず、二度目で消えた。
「呼吸機能の不足を確認」
「来年までに練習しろ」
「来年も実施しますか」
「予定に入れただろ」
ケーキを三等分する。
シオンは自分の名前が書かれた部分を最後に食べた。
「味は」
「甘いです」
「感想」
「残したくありませんでした」
味の話ではなかった。
夜、共有カレンダーを開く。
翌年の予定に、シオンが一項目追加していた。
『ろうそくを一度で消す』
願い事より具体的で、シオンらしい目標だった。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
識別番号四〇七。人間界名称シオン。
今後の私的呼称は後者を希望する。
本項目は業務命令ではない。
命令でない希望が受理されたことを記録する。




