第17話「傘の中心」
買い物帰りに雨が降った。
天気予報は晴れ。
傘はない。
コンビニで透明なビニール傘を一本買う。
「二本では」
「百メートル離れないんだ。一つで足りる」
言ってから、選択を間違えた気がした。
シオンは傘の中へ入る。
距離が近い。
「私は濡れても機能に影響しません」
「俺が気になる」
「凛は、その言葉で多くの行動を正当化します」
「便利だからな」
傘をシオン側へ寄せる。
赤いカーディガンが濡れないように。
俺の右肩へ雨が当たった。
「凛」
「何だ」
「傘の中心が偏っています」
「気のせいだ」
シオンが柄へ手を伸ばす。
俺の手の上から握った。
触れる。
傘が中央へ戻る。
同時に、シオン自身もこちらへ寄った。
肩と肩が当たる。
「これで両者の被水量が均等です」
「お前は濡れても平気なんだろ」
「凛だけが濡れる状態が、非合理的です」
「さっき俺が言った」
「私も気になります」
雨音が急に大きくなった。
いや、他の音が消えただけだ。
肩が触れたまま歩く。
殺意がないから触れる。
世話だから触れる。
今は、どちらがどちらを世話している。
「手、離せ」
傘の柄を握るシオンの手へ言う。
「離すと傾きます」
「俺が真ん中に戻す」
「信用度五十四%」
「上がったな」
「以前は四十一%でした」
嬉しくない評価だ。
横断歩道で、強い風が吹いた。
傘が煽られる。
俺は柄を支え、シオンは俺の袖を掴んだ。
どちらもすり抜けない。
「今のは」
「転倒防止です」
「俺は転ばない」
「傘は転びかけました」
「物に転ぶって言うな」
信号が青になる。
袖を掴んだ手は、そのままだった。
帰宅して傘を畳む。
一本の傘から、二人分の水滴が落ちる。
「ありがとう、は」
俺が言うと、シオンは少し考えた。
「こちらの台詞です」
「俺が傘を買った」
「私が中心を修正しました」
「じゃあ相殺だ」
「了解しました」
礼を言い合うより、俺たちらしい。
濡れた上着を脱ぐ。
シオンの髪から、先だけ水が落ちた。
「座れ」
「私は乾燥を必要としません」
「床が濡れる」
タオルを頭へかける。
俺が乱暴に拭くと、シオンの身体が左右へ揺れた。
「処理が粗いです」
「じっとしろ」
「毛髪は自然乾燥します」
「俺が気になる」
「本日二回目です」
数えられている。
タオル越しに頭へ触れる。
指先へ、丸い形と柔らかな髪の抵抗。
「凛」
「何だ」
「子供を乾燥させる時も、この方法ですか」
「子供を乾燥って言うな」
「猫は」
「猫は自分で舐める」
「私も」
「やめろ」
シオンの口元がわずかに動く。
冗談だったらしい。
「今のは笑うところか」
「凛の反応を観測しました」
「人で実験するな」
「凛も私に実施しています」
毒と爆発を引き合いに出されたら負ける。
髪を乾かし終え、タオルを外す。
「終わり」
「ありがとうございます」
「今日は相殺じゃないのか」
シオンは傘立ての一本を見た。
「傘は相互でした。これは凛からのみです」
「なら、次はお前がやれ」
「凛の毛髪は短く、必要性が低いです」
「礼を返す気ないだろ」
「別の行為で返します」
何をする気か。
少しだけ、楽しみにした。
翌朝、洗面所の鏡に付箋が貼られていた。
『本日、降水確率七十パーセント。傘を持参』
「これが礼か」
「濡れる前に防ぐ方が効率的です」
「行為じゃなく注意書きだ」
玄関には傘が二本あった。
それでも夕方、シオンは赤い傘を開かず、俺の黒い傘へ入った。
「自分のを使え」
「使用できます」
「じゃあ、なぜ入る」
シオンは俺の手の上へ、自分の手を重ねた。
風も、水たまりもない。
傘を直す必要もない。
「昨日の接触が、相互行為だったか確認します」
「実験か」
「違います」
初めて、シオンが即座に否定した。
「私が、こちらを選びました」
手はすり抜けない。
必要だからではなく、触れる方を自分で選んだ。
傘は少しだけ俺の側へ傾いた。
シオンが中央へ戻す。
「今度は均等です」
「信用度は」
「五十六%」
「二%しか上がってない」
「傘一本分です」
帰宅まで、二本目の傘は閉じたままだった。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
降雨。
傘一本を二名で使用。
対象の右肩のみが濡れていたため修正。
修正理由は均等化。
それ以外ではない。




