第14話「帰宅時刻を守れ」
「はっくしゅ」
死神がくしゃみをした。
「今の、もう一回やれ」
「任意実行できません」
「風邪か」
「死神に感染症はありません」
「花粉」
「外来微粒子による防御反射も不要です」
「じゃあ何だ」
「不明です」
シオンは黒い札へ記録する。
直後、二回目。
「はっくしゅ」
赤いカーディガンの袖で口元を押さえる姿は、死神というより普通の女だった。
「昨日からか」
「昨日、凛の帰宅予定時刻を二時間超過した頃に初回発生」
原因の候補が一つに絞れた。
「俺が遅れたから?」
「時間超過と身体反応の相関は確認できます。因果は未確定」
「仕事だ。仕方ない」
「はい」
また、くしゃみ。
額へ手を伸ばしかけて、止める。
第十三話で、心配と監視は違うと知ったばかりだ。
体温を測る前に、本人へ聞く。
「触っていいか」
「必要ありません。体温は三十六・四度です」
「人間に近いな」
「数値は上昇しています」
「気分は」
シオンは答えを探した。
「凛の帰宅時刻が分からない状態は、不快です」
接触規則を使わず、言葉で出てきた本音だった。
夕方、鷹村から仕事の連絡が入る。
「今夜九時。下見だけ」
シオンがこちらを見る。
「帰宅予定は」
「十一時」
「予定ではなく、時刻を指定してください」
「同じだろ」
「予定は変更可能です。時刻は守る対象になります」
死神が、言葉の穴を塞いでくる。
「十一時に帰る」
「十一時一分は」
「遅刻だ」
「了解しました」
それからシオンは、少し迷った。
「凛」
「何だ」
「帰宅時刻を、守ってください」
業務命令ではない。
百メートル規則の確認でもない。
ただの希望だった。
「努力する」
「守ってください」
「分かった」
下見を終えたのは十時三十九分。
鷹村が続きを話そうとした。
「悪い。帰る」
「まだ二十分あるよ」
「移動に十九分」
「お前、秒単位で生活する男だっけ」
「黙れ」
自宅のドアを開けたのは、十時五十九分四十秒。
シオンは玄関にいた。
時計ではなく、俺を見ている。
「帰った」
「はい」
「くしゃみは」
シオンは答えようとして、鼻に手を当てた。
一秒。
二秒。
何も出ない。
「停止しました」
「因果、確定だな」
「不本意です」
声は少しだけ、嬉しそうだった。
「報告するのか」
玄関で靴を脱ぎながら聞く。
「身体異常として」
「初期化の対象になる?」
シオンは答えない。
「なら書くな」
「業務記録の隠蔽になります」
「くしゃみ七回で処分される方がおかしい」
「規程は、症状の回数だけで判断しません」
「原因が俺だからか」
「はい」
即答された。
俺の帰宅で止まるくしゃみ。
仕事に不要な感情反応。
「記録します」
「シオン」
「虚偽は記載しません」
黒い札へ入力する。
俺は止められない。
「ただし、因果は不明とします」
「それは嘘だろ」
「推定と確定は異なります」
シオンが札を閉じる。
「七回すべてが凛の遅刻によるものか、再現試験が必要です」
「また遅れろって?」
「許可しません」
「試験できないだろ」
「はい。したがって、因果は不明のままです」
死神が規則を守りながら、規則の穴を使った。
「誰に教わった」
「凛です」
誇ることじゃない。
だが、少し嬉しかった。
帰宅時刻の規則は、シオンの方が厳しかった。
翌日、予定より七分遅れて玄関を開ける。
「七分二十二秒」
「電車が遅れた」
「運行情報に遅延はありません」
「駅で牛乳を買った」
「レシート時刻は」
「尋問か」
シオンは壁へ貼った表を指す。
『遅延一分につき、翌日の食器洗い一点』
「点数制になったのか」
「再発防止です」
「七分で皿七枚か」
「端数を切り上げ、八枚」
洗うために皿を汚すのは本末転倒だ。
「罰なら何でもいいのか」
「凛が帰宅時刻を報告し、守る方が重要です」
「なぜ」
シオンの視線がずれる。
「百メートル制限の運用上」
「俺が外にいても、お前は家にいられる」
「八十九メートルの場合があります」
「境界実験は終わった」
「では、食材の品質管理上」
「牛乳は今買った」
逃げ道を一つずつ塞ぐ。
「心配したと言え」
「不確定情報による待機負荷が発生しました」
「長い」
「帰宅が遅いと、不快です」
かなり短くなった。
「悪かった」
シオンが目を上げる。
「謝罪を確認」
「毎回記録するな」
「初回なので」
結局、皿は八枚洗った。
シオンは横で一枚ずつ水気を拭いた。
「罰なのに手伝うな」
「共同生活の作業です」
「じゃあ罰にならない」
「次回は献立決定権を没収します」
「それは重い」
帰宅報告の精度が、その日から急に上がった。
【宣告課・案件四〇七 経過報告】
身体反応「くしゃみ」を七回確認。
対象帰宅後に停止。
因果関係は不明。
なお対象は、指定時刻を二十秒前に遵守した。
この情報は重要である。




