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第4話 最凶ダンジョン、楽園になる

第4話 最凶ダンジョン、楽園になる


 《奈落の菜園》に朝日が差し込むことはない。


 空は相変わらず灰色で、遠くには毒霧が漂っている。それでも、以前とは決定的に違うものがあった。


 土の匂いだ。


 腐臭ではない。


 湿った畑の匂い。雨上がりの庭みたいな、柔らかい土の香り。


 健は木製のスコップを肩に担ぎ、ぬかるんだ通路を歩いていた。


「……やっぱ排水からだな」


 視界には半透明の地図が浮かんでいる。


 魔力の流れ。地下水脈。危険区域。全部見える。


 健は泥へ棒を突き立てながら呟いた。


「水が滞留してるから瘴気が濃くなるんだ。だったら流せばいい」


『朝から土木工事してる配信初めて見た』


『おっさん何屋なんだよw』


『冒険しろよw』


 ドローンのコメント欄が流れる。


 視聴者数はすでに十万人を超えていた。


 最初は物珍しさだけだった。


 だが今では、毎日決まった時間に視聴する固定ファンが増えている。


 健は苦笑した。


「冒険っていうか……こういうの放置すると事故起きるからな」


『その感覚が社畜すぎるw』


『わかるの怖い』


 健は地面へ手を触れる。


「【家庭菜園】」


 瞬間、地中へ緑色の光が走った。


 どごごごご……っ。


 低い地鳴り。


 すると泥の下から巨大な根が伸び、地面を押し上げながら水路を形成していく。


 濁った黒水が一気に流れ始めた。


『うおおお!?』


『工事早すぎるだろ!?』


『重機いらねぇ!!』


 腐臭が薄れていく。


 代わりに冷たい風が流れ込む。


 健は汗を拭った。


「よし、これで浸水区域は減るな」


 ギルド時代からそうだった。


 問題は、放置すると致命傷になる前に潰す。


 予算不足。


 装備劣化。


 人員不足。


 誰も気づかない小さな綻びを埋め続ける。


 健はずっとそうやって組織を支えてきた。


 だから今も自然に体が動く。


 その日の配信は、延々とインフラ整備だった。


 崩れかけた通路を補修し、毒沼を埋め、動線を整理する。


 視聴者たちは最初こそ笑っていたが、次第に空気が変わっていった。


『なんか見てると落ち着く』


『このおっさん段取り良すぎる』


『職場に欲しい』


『無駄な動きが一切ないな……』


 健は照れ臭そうに頭を掻いた。


「いや、慣れてるだけだよ。人手足りない職場って、効率悪いと死ぬから」


『重みが違う』


『社畜の説得力』


 その時だった。


 茂みの奥から、巨大な唸り声が響く。


 ずしん、と地面が震えた。


 現れたのは牛型魔獣ブラッドバイソンだった。


 全長五メートル近い巨体。赤黒い毛皮。鋭い角。


『でたあああ!!』


『危険個体!!』


『逃げろ!!』


 だが健は逃げなかった。


 視界にはすでに情報が表示されている。


『対象:家畜化可能』


「……家畜?」


 健は首を傾げた。


 魔獣が突進する。


 轟音。


 土煙。


 だが健は慌てず、地面へ手をつく。


「【家庭菜園】」


 緑光が走る。


 次の瞬間。


 地面から巨大な蔦が伸び、バイソンの脚へ絡みついた。


「グオオオオッ!?」


 暴れる魔獣。


 だが蔦は千切れない。


 むしろ優しく包み込むように締まり、荒れていた魔力を鎮めていく。


 数秒後。


 さっきまで暴れていたバイソンが、急に大人しくなった。


『……え?』


『懐いた?』


『犬みたいになってるw』


 バイソンは鼻を鳴らしながら、健へ頭を擦り寄せる。


 健は恐る恐る額を撫でた。


「あー……よろしくな?」


『家畜化成功で草』


『おっさん牧場始まったw』


 さらに数日後。


 健は毒草地帯へ向かっていた。


 紫色の煙が立ち込める危険区域。


 普通の冒険者なら近づかない。


 だが健は淡々と土壌を調べていた。


「毒性が強いってことは、薬効も強い可能性あるんだよな」


『発想が農家』


『その理論で行くの怖い』


 健がスキルを使うと、紫色だった毒草が徐々に色を変えていく。


 深い青。


 透明感のある葉。


 爽やかな香り。


 視界に表示される。


『高級解毒薬草:生成成功』


『!?!?』


『薬師ギルド案件だろこれ!!』


 視聴者数がさらに増える。


 気づけば五十万人を超えていた。


 だが健本人は相変わらずだった。


「んー……この辺、まだ風通し悪いな」


 配信中でも黙々と作業する。


 魔力結晶を並べ、地下水脈を繋ぎ、蔦を這わせる。


 やがてダンジョン内部に、淡い金色の光が灯り始めた。


『なにこれ……綺麗』


『幻想的すぎる』


 魔力結晶が植物の根と繋がり、自動で光を循環させていた。


 発電だった。


 しかも無音。


 風が吹くたび、温かな光がゆらゆら揺れる。


 健はその光景を見上げ、小さく息を吐く。


「……節電、大事だからな」


『規模が節電じゃねぇw』


『このおっさん感覚バグってる』


 日が経つごとに、《奈落の菜園》は変わっていった。


 腐臭は消え、緑が増え、清水が流れる。


 危険だった魔獣たちは管理され、畑の周囲を穏やかに歩いている。


 そしてある朝。


 配信を開いた視聴者たちは、言葉を失った。


 黒いダンジョンの中央。


 巨大なガラスドームがそびえていた。


 内部には無数の植物が揺れている。


 温かな光。


 水路。


 木造住宅。


 漂う焼きたてパンの匂い。


 そこはもう“地獄”ではなかった。


 小さな街だった。


『うわ……』


『すげぇ……』


『本当に楽園になってる』


『泣きそう』


 健はドローンを振り返る。


 額には汗。


 作業着は泥だらけ。


 だがその顔は、以前よりずっと穏やかだった。


「えー……というわけで、第一居住区完成しました」


『完成ってレベルじゃねぇw』


『都市なんよ』


『魔導温室都市だこれ!!』


 視聴者数。


 100万人突破。


 コメント欄が滝みたいに流れる。


『今日もおっさんがインフラ整備してるw』


『安心感がすごい』


『この配信、生活音みたいで落ち着く』


『寝る前に見ると癒やされる』


『なんか涙出る』


 健はそのコメントを見て、少しだけ目を丸くした。


「癒やし……?」


 理解できなかった。


 自分はただ、生きるために働いているだけだ。


 でも。


 ふと周囲を見渡す。


 揺れる麦畑。


 穏やかに草を食む魔獣。


 温室ガラスを叩く雨音。


 柔らかな灯り。


 かつて誰も近づかなかった最凶ダンジョンには、今、確かに“人が暮らせる空気”が生まれていた。


 健は少しだけ笑う。


「……まぁ、住みやすいなら良かったよ」


 その声は小さかった。


 だがコメント欄は、なぜか一瞬静かになった。


 そして次の瞬間。


『好き』


『おっさん結婚してくれ』


『今日も配信ありがとう』


『ここ、帰ってきた感じする』


 文字が溢れる。


 健は困ったように頭を掻いた。


 温かな風が吹く。


 灰色だったダンジョンの空に、小さな光が差し込んでいた。




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