第3話 おっさん、ダンジョン配信を始める
第3話 おっさん、ダンジョン配信を始める
《奈落の菜園》の朝は静かだった。
いや、正確には“静かすぎた”。
普通のダンジョンなら、朝になれば魔獣の咆哮や羽虫の羽音、地下水の流れる音が響く。だがこの場所には、妙な静寂があった。
黒い土から立ち上る薄い白霧。遠くに見える巨大な枯れ樹。曇天から差し込む鈍い灰色の光。
その中で、健は鍋をかき混ぜていた。
「……よし、できた」
木製の器へ注いだのは、ネギと麦の雑炊だった。
湯気と一緒に甘い香りが立ち上る。
恐る恐る口へ運ぶ。
「……うまっ」
思わず声が漏れた。
ネギは柔らかく、噛むたびに旨味が広がる。麦も異常なほど甘い。空腹だったことを差し引いても、今まで食べたどんな高級料理より美味かった。
健は夢中で食べた。
胃の中へ温かいものが落ちていく感覚に、少しだけ涙が出そうになる。
「ちゃんと飯食ったの、久しぶりだな……」
ギルドにいた頃は、冷えたパンを齧りながら残業する毎日だった。食事なんて、ただ空腹を埋める作業でしかなかった。
だが今は違う。
風の匂いも、湯気の温かさも、全部ちゃんと感じる。
食べ終えた健は、小さく息を吐いた。
「さて……問題は金だな」
現実は厳しい。
ダンジョンの権利書はあっても、生活費はない。衣服も道具も足りない。このままではいずれ詰む。
健は荷物を漁り、小さな金属箱を取り出した。
中古の配信ドローンだった。
表面には細かい傷が無数についている。ギルド時代、廃棄処分になる寸前だったものを、健が修理して保管していたのだ。
「まさか、こんな形で使うとはな……」
配信。
今や冒険者にとって最大の収入源だ。
人気が出ればスポンサーがつき、広告料も入る。逆に言えば、配信できない冒険者は生き残れない時代だった。
健は少し迷った。
自分には華がない。
トークも下手だ。
若い配信者みたいに盛り上げられない。
だが、他に方法がなかった。
「……やるしかないか」
健はドローンを起動する。
ブゥン、と小さな駆動音。
赤い撮影ランプが灯った。
『ライブ配信を開始しますか?』
半透明の画面が浮かぶ。
健は深呼吸した。
そしてタイトルを入力する。
『40歳おっさん、最凶ダンジョンで生き延びる』
「……地味だな」
自分で言って苦笑する。
だが、嘘は入れたくなかった。
配信開始。
画面が開く。
最初の視聴者数は“3”。
そして数秒後、コメントが流れ始めた。
『なにこれ』
『おっさんで草』
『サムネ地味すぎるw』
『奈落の菜園!? あそこ立入禁止区域だろ!?』
『死ぬ気か?』
『見てて痛い』
『中年の末路w』
健は乾いた笑いを漏らした。
「……まぁ、そうなるよな」
別に腹は立たなかった。
慣れていた。
若い頃からずっと、笑われる側だったから。
健はドローンへ向かって軽く頭を下げる。
「えー……大河原健です。四十歳です。今日からここで生活します」
『終わってて草』
『悲壮感すごい』
『声が疲れてるw』
「よく言われます」
コメント欄に草が流れる。
少しだけ空気が和らいだ。
健は背負い袋を担ぎ、ダンジョン奥地へ歩き出す。
湿った土の匂い。
靴裏にまとわりつく泥。
遠くで何かが吠えていた。
「昨日確認した限り、この辺りは魔力濃度が高いんだよな……」
『なんで知ってんの?』
「え? あー……なんか見えるんです」
『雑w』
『説明下手かw』
健は頭を掻いた。
本当に説明できないのだ。
視界には今も半透明の地図が浮かんでいる。魔力の流れも、危険区域も、全部わかる。
まるでダンジョンそのものが、頭の中へ情報を流し込んでくるみたいだった。
その時。
地面が震えた。
ずしん。
ずしん。
重い足音。
健の視界に赤い警告が走る。
『危険個体接近』
「っ!?」
茂みが爆ぜた。
現れたのは巨大な猪型魔獣だった。
全長三メートル超。
黒い甲殻に覆われた肉体。真紅の眼。鼻息だけで土煙が舞う。
『うわああああ!?』
『B級魔獣だろそれ!?』
『死ぬ死ぬ死ぬ!!』
『逃げろおっさん!!』
コメント欄が一気に流れる。
健も息を呑んだ。
「でっか……」
次の瞬間。
魔獣が突進した。
轟音。
地面が抉れる。
普通なら避けられない速度。
だがその瞬間、健の体が勝手に動いていた。
右へ半歩。
紙一重。
巨大な牙が鼻先をかすめる。
『は!?』
『今の避けた!?』
『なんで!?』
健自身も驚いていた。
「いや、なんか……飛んできた書類避ける感覚で……」
『意味わからんw』
『社畜スキル強すぎるだろ』
魔獣が再び吠える。
今度は爪撃。
健は転がるように回避したが、肩を裂かれた。
「っぐ!」
熱い痛み。
血が噴き出す。
『終わった!?』
『やばい!!』
だが健は慌てなかった。
腰袋からネギを一本引き抜く。
『え?』
『なにしてんの?』
健はそのまま齧った。
しゃくっ、と音が響く。
次の瞬間。
裂けた肩の傷が、みるみる塞がっていく。
血が止まり、肉が再生し、痛みが消えた。
コメント欄が止まった。
『……は?』
『なんだ今の』
『回復した!?』
『ネギ!?』
『ネギ食って治った!?!?』
健は自分の肩を見て首を傾げる。
「いや……昔から徹夜には強かったんだが……」
『そういう問題じゃねぇwww』
『おっさん強くね?』
『何者だよこの人』
魔獣が怒り狂って突進してくる。
だが今の健には、はっきり見えていた。
動き。
重心。
魔力の流れ。
そして――“収穫ポイント”。
視界に緑色の線が走る。
健は反射的に地面へ手をついた。
「【家庭菜園】!」
ドゴォッ!!
地面が割れた。
巨大な根が飛び出し、猪型魔獣を絡め取る。
『うおおおおお!?』
『植物!?』
『なんだこれ!!』
魔獣が暴れる。
だが根は外れない。
むしろ締め上げるたび、黒い魔力を吸い上げていく。
そして。
ぼごっ、と音を立てて。
巨大な猪が――土へ還った。
残ったのは、黄金色に輝く果実だけだった。
静寂。
風が吹き抜ける。
コメント欄が、数秒止まる。
そのあと。
『は??????』
『えぐ』
『なんだ今の』
『伝説級スキルだろこれ』
『おっさん最強じゃねぇか!!』
視聴者数が爆発的に増えていく。
100。
300。
1000。
数字が跳ね上がる。
健はその様子を見て、ただ困ったように頭を掻いた。
「……えーと」
風が吹く。
ネギ畑が揺れる。
ドローンの赤いランプが、健の疲れた顔を映していた。
「これ、配信として面白いのか?」




