第2話 ハズレスキル、覚醒
第2話 ハズレスキル、覚醒
《奈落の菜園》は、昼でも暗かった。
空を覆う灰色の雲のせいだけではない。ダンジョンそのものが、光を拒絶しているようだった。
地面は黒ずみ、ぬかるんでいる。腐臭混じりの湿った風が吹くたび、鼻の奥に鉄錆みたいな臭いがこびりついた。遠くでは何か巨大な生き物の唸り声が響いている。
「……ひどい場所だな」
健は口元を押さえた。
ギルドを追放されてから二日。最低限の荷物だけを背負い、彼はついに《奈落の菜園》へ辿り着いていた。
まともな宿に泊まる金はない。知人もいない。帰る場所もない。
だから来るしかなかった。
権利書に記された、“自分の土地”へ。
足元には魔獣の死骸が転がっていた。毛皮は腐り、肉は溶け、紫色の液体を垂れ流している。周囲には巨大な虫が群がり、ぶぅん、と耳障りな羽音を立てていた。
「うっ……」
胃がきしむ。
思わず顔をしかめる。
空気が悪い。息を吸うだけで肺が焼けるようだった。
普通の冒険者なら、防毒装備なしで十分も保たない環境だ。
だが健には、装備を整える金などなかった。
泥を踏みしめながら進む。
靴底が沈み込む感触が気持ち悪い。まるで腐った肉の上を歩いているみたいだった。
ふと、腹が鳴る。
「……そういや、昨日から何も食ってないな」
乾いた笑いが漏れた。
追放されてからというもの、食欲すら消えていた。だがここへ来て、限界が一気に押し寄せてきたらしい。
視界がぐらつく。
健は近くの岩へ腰を下ろした。
「はは……情けないな、四十にもなって」
指先が震える。
疲れていた。
体も、心も。
ふと、昔のことを思い出す。
若い頃、自分にも夢があった。
冒険者になって、有名になって、誰かに認められたかった。
でも現実は違った。
才能がない人間は、戦場では必要とされない。
だから健は裏方へ回った。
誰かが嫌がる仕事を引き受け、誰かのミスを処理し、誰かの尻拭いを続けた。
気づけば四十年。
残ったのは、疲れた体と、ハズレスキルだけだった。
「……家庭菜園、ねぇ」
健は苦笑する。
スキル発現の日、周囲は大笑いだった。
『畑でも耕してろよ』
『農民スキルじゃん』
『冒険者向いてねぇな』
悔しかった。
でも反論できなかった。
実際、役に立たなかったからだ。
小さな野菜を少し早く育てられる程度。戦闘では無意味。配信映えもしない。
それでも健は、生きるためにそのスキルを使い続けた。
安いネギを育て、節約し、残業を乗り切った。
「最後まで地味な人生だったな……」
そう呟いた時だった。
腹がまた鳴る。
ぐう、と情けない音だった。
健はため息を吐き、土へ手を置いた。
「せめて、何か食えるもんでも育てるか」
気休めだった。
どうせ何も起きない。
いつものように、小さな家庭菜園ができるだけ。
そう思いながら、健はスキルを発動した。
「【家庭菜園】」
瞬間。
ゴォォォォン――ッ!!
地の底から、巨大な震動が響いた。
「っ!?」
健は目を見開いた。
空気が変わる。
今まで漂っていた黒い瘴気が、一斉に地面へ吸い込まれていく。
まるで巨大な渦だった。
毒霧が土へ沈み、腐った魔獣の死骸がぼろぼろと崩れていく。
紫色だった腐肉が、眩い金色へ変わった。
「な、なんだこれ……」
健は立ち上がる。
足元の土が脈打っていた。
どくん、どくん、と生き物みたいに震えている。
次の瞬間。
地面から芽が吹き出した。
「!?」
緑だった。
鮮烈なほど鮮やかな緑。
黒く死んでいた大地を割って、無数の植物が一気に芽吹いていく。
真紅のトマト。
銀色に輝く麦。
翠玉のようなネギ。
さらに、見たこともない果実が鈴なりになっていた。
甘い香りが広がる。
さっきまでの腐臭が嘘みたいに消えていた。
「は……?」
健は呆然とする。
ありえない。
こんな速度で作物が育つはずがない。
しかも、この魔力。
空気そのものが震えている。
恐る恐る、健はネギを一本抜いた。
みずみずしかった。
切り口から透明な汁が滴り落ちる。
香りだけで腹が鳴った。
「……食える、よな?」
少し迷い、かじる。
しゃくっ、と小気味いい音がした。
次の瞬間だった。
「――っ!?」
全身に熱が走る。
胃の奥から火が灯ったみたいだった。
冷え切っていた指先に血が巡る。鉛みたいだった体が、一気に軽くなる。肩の痛みが消え、霞んでいた視界が鮮明になった。
「なんだ、これ……!」
健は自分の手を見る。
震えが止まっていた。
何日も溜まっていた疲労が、一瞬で吹き飛んでいる。
さらに。
視界に、半透明の文字が浮かび上がった。
『領地管理システム、起動』
「は……?」
文字は消えない。
いや、それどころか次々に情報が流れ込んでくる。
『土壌状態:最悪→改善可能』
『魔力濃度:SSS』
『未発見資源:327』
『侵入魔獣:右前方120メートル』
ぞわり、と背筋が粟立つ。
右前方。
その言葉と同時に、頭の中へ地図が流れ込んできた。
立体的なダンジョン構造。
魔力の流れ。
地下資源。
そして――赤い点。
こちらへ近づいてくる巨大な反応。
「魔獣……!?」
直後だった。
茂みが爆発する。
黒い狼型魔獣が飛び出してきた。
腐臭混じりの息。鋭い牙。黄色い目が健を捉える。
C級魔獣。
普通の人間なら即死だ。
「くっ……!」
健は反射的に身構える。
だが次の瞬間。
視界の端に、青い線が走った。
まるで“最適な回避位置”を示すように。
「右……!?」
体が勝手に動いた。
長年、書類や荷物が飛び交う職場で鍛えられた反射神経が働く。
牙が鼻先をかすめた。
「うおっ!?」
転がる。
その瞬間、また文字が浮かんだ。
『対象:栽培可能』
「……は?」
意味がわからない。
だが次の瞬間、地面から根が伸びた。
巨大な植物の根だった。
グレイブウルフへ絡みつき、一気に締め上げる。
魔獣が悲鳴を上げる。
「ギャアアアアッ!?」
ぼごっ、と音を立てて地面が脈動した。
すると狼の体が崩れ始める。
肉が土へ還り、骨が砕け、金色の粒子へ変わっていく。
そして。
ぽとり、と地面へ落ちた。
赤黒い果実が。
健は言葉を失った。
風が吹く。
甘い果実の匂いが漂う。
黒く死んでいたはずのダンジョンが、今はまるで呼吸しているみたいだった。
健はゆっくりと周囲を見渡す。
芽吹く植物。
循環する魔力。
脈打つ大地。
理解した。
これは“家庭菜園”なんかじゃない。
もっと根源的な力だ。
命を循環させ、土地を支配し、世界を育てる力。
健は震える息を吐く。
胸の奥で、何かが静かに燃えていた。
「……俺のスキル、本当は……」
風が吹き抜ける。
翠のネギ畑が揺れた。
まるで、大地そのものが歓迎しているみたいに。




