23: 開明派軍人たち
「クラウス! やはりきみもここに来ていたか」
「当然です。……ニッパー大佐も壮健なようで何よりです!」
「ありがとう。だがね、この前少将に昇進したよ」
「おお! ではニッパー閣下ですね」
「はは……自分で言っといてなんだが、少し照れるな。そもそも私もクビになったんだった」
私とクラウスがアラギノを共に発ってから、はや二ヶ月。ニメン川にドナ川という二つの大河を越えた更に北、ルヴェール王国の奥深く。サモレリスクの街は、王都につながる南北の大街道と、雄大なドンゼル川が交差する地点に横たわっている。
シノン将軍の率いるルヴェール王国第一軍の主力部隊が昨日の夕刻この街に入城し、来るべき『怪物皇帝』との戦いに備えていた。
ヴェッテスクの例に同じく、既にサモレリスクの住民も慌ただしい疎開をほとんど済ませていたが、第一軍の将兵の数は大都市の人口に匹敵するほどなので、街は真っ昼間から喧騒で満ちていた。「われわれはこの街で『怪物』を迎え撃つ」――そんな噂が既に兵の間を駆け巡り、半ば周知の事実となっていた。来るべき戦いを予感する男たちは武者震いに震え、いつにも増して酒をあおって騒いでいる。街の広場はどこも祭りの様相を呈し、土と汗、酒と炊事のにおいが入り混じっていた。
第一軍に同道している私とクラウスも当然サモレリスクに留まっているのだが、この街には濃紺の軍人たちが意外なほどたくさん集まっていた。階級に拘らず数え上げれば、ざっと数百名はいるはずだ。
そして、そのうちの何人かはクラウスと旧知の仲らしい。広場でひとり佇む私の視線の先で、クラウスは今まで見たことのないような人懐っこい笑みをたたえて彼の同胞たちとテーブルを囲んでいた。
自分で言うのも何だが、私はこの旅を経てかなりクラウスと打ち解けた……というか、有体に言って仲良くなった自覚がある。彼の表情は数ヶ月前に比して遥かに柔らかくなったし、実際、私も彼と話しやすくなったと感じている。
が、私はまだ彼のことを何も知らなかったということをまざまざと実感させられた気がする。考えてみれば、私は彼がどういう人生を歩んできたのか詳しく聞いたことが無いし、交友関係もよく把握していない。だから、(元?)同僚たちと談笑をするクラウスの姿が私にとっては新鮮で、もっと言うと少し複雑な気分にもさせられた。何というか、自分でも説明がつかないような漠然としたモヤモヤが心の底に溜まっている。
濃紺の軍服を着た男の一人が私の視線に気づいたらしく、クラウスと言葉を交わした。
しまった、と咄嗟に思った時にはもう遅く、クラウスがこちらに顔を向けていた。彼は少し驚いたような表情を浮かべてから、友人たちに向き直って大げさな手振りを混ぜながら何か説明した。やや遠目なので具体的に何を喋っているのかは定かでないが、珍しく焦っているようで、周囲の軍人たちもそんなクラウスを面白がってニヤニヤしているように見えた。
私は、何だかちょっと気まずい気持ちがせりあがってきて、少し頬が熱くなった。
クラウスのそばにいる男の一人が私に目を合わせ、手招きをした。私は少し面食らったが、屈託なく笑う無精ひげの面持ちからは敵意を全く感じなかったし、クラウスもいることだから……と考えて素直に彼らのもとへ歩み寄った。
彼ら三人のルークイ王国軍人が囲む木製の厚いテーブルには、酒の入ったジョッキと大盛りの料理が並んでいた。どう見ても彼らだけで食べきれるとは思えない量で、この街の熱気をぎゅっと凝縮したような食卓だ。
クラウスの隣の空席に促されたので、「失礼します」と一言添えて腰をおろした。濃紺に身を包んだ男たちの視線が私に集中する。やはりどうもばつが悪くて、すぐ隣にいる彼の顔を見ることはできなかった。
「貴女が……クラウスと共にやって来たという魔法使いかな。お嬢さん」
この小さな宴に私を招き入れた無精ひげの男が、しきりにまばたきしながら私に問うた。もう一人の男も、同じことを訊きたかったとでもいうふうに好奇の瞳を私に寄せる。私をじっと見つめる彼らには妙な迫力があって少し尻込みしてしまったが、何とか返事をした。
「え、ええ。その通りです、いちおう」
「なるほど、貴女が噂の……。ああ、そう言えば自己紹介をしていなかった。ぼくはクラウスと一緒にルークイ王国軍で働いていたクルブーレのナイゼンという。よろしくどうぞ」
「あぁ、ご丁寧にありがとうございます。アラギノのテスタと申します」
改めて名乗った無精ひげの男――ナイゼンの軍服に縫い付けられた肩章の文様は、彼がクラウスと同じく軍の中佐であったことを物語っていた。年はクラウスとそう変わらないようだが、顔を覆うひげのせいで少し老けて見える。とはいえ胸板は厚く、背筋もピンとして若々しい。典型的なルークイ軍人という感じだ。
「アラギノのテスタ……、もしや『人文学ジャーナル』に寄稿を?」
もう一人のルークイ軍服の男――さっきニッパーと呼ばれていた、クラウスとナイゼンよりもうひと回り年配の男がぼそりと呟いた。
『人文学ジャーナル』。彼が口にした雑誌名は、私にとって懐かしい響きを帯びていた。その名の通り、哲学・語学・論理学・歴史学・文学など人文学に属する広範な分野を自由に論ずることができ、ここ十年ほどで急速に発行部数を伸ばしている雑誌だ。
毎年の会費を払いさえすれば誰でも購読できることに加え、編集部の査読を通過する必要があるものの誰でも寄稿することができるので、私にように趣味の一環で研究をする在野の層にうってつけなのだ。
私はアラギノで過ごしていた時に『人文学ジャーナル』を購読していたし、確かに、魔法史に関するとある論争について何度か論文を掲載してもらったこともある。彼はそれを読んでいて、なおかつ私の名を覚えていたということだろうか。
文通相手と図らずも出くわしたような不思議なめぐり合わせだと感じると同時に、ルークイ王国の軍人であるにもかかわらず、この手の一見「何の足しにもならない」分野に関心を持つことも意外に感じ、思わず嘆息を漏らしてしまった。
「ええ、アラギノにいた頃に何度か……。よくご存じですね」
「やはり! 魔法史の叙述についての論文を拝読しましたが、偉大な魔法使いの人物史に叙述形態が偏ることへの警鐘という切り口が新鮮で、よく覚えております。どんな方かと思っていましたが、これほど若いとは……驚きました」
「私もびっくりです……その、軍人の方も『人文学ジャーナル』を読まれるんですね」
私の率直な感想に、ニッパーとナイゼンが同時にはにかんだ。隣のクラウスはやや所在なげに頭をぼりぼりと掻いている。ナイゼンは自分の無精ひげの触り心地を確かめてから、ぐびりと酒を飲んだ。
「ぼくたちは皆、シャルトー将軍閣下の薫陶を受けた将校でね。故国では『開明派』なんて呼ばれてた。シャルトー閣下は人格の陶冶こそ軍人教育の要と考えていたから、ぼくたちは自然科学だけでなく哲学・文学・論理学と、何でもやってたんだよ」
私に滔々と説明するナイゼンは得意げだ。よほどそのシャルトー将軍を恩師として慕っているのだろう。思い返してみれば、クラウスにもしばしばそういうフシがあった。そもそも彼がルヴェール王国軍に仕官するにあたって携えていた推薦書はシャルトー将軍がしたためたものだったか。
「そういうことでして、我々は軍人にしては珍しく人文学とも付き合いがあるのですよ。……申し遅れました。『元』ルークイ王国陸軍少将、アウグズヴィルのニッパーです。お近づきの印に、一杯いかがでしょう」
ニッパーが朗らかな笑みをたたえ、酒がなみなみと注がれたジョッキを私に差し出した。温みのある木を組み合わせて出来た容器を満たす金の液体。場の雰囲気もあってふだんより魅力的に感じてしまい、何も考えずに受け取ろうとしたところを別の大きな手に制止された。
「彼女は酒が……その、強くないのです」
手の主――クラウスがそう言って、ジョッキをやんわりとニッパーのもとへ押し返した。ニッパーは「そうだったか、それは失礼」と、さほど気にしていない様子だ。が、当の私は別に酔いやすい自覚など無いのでいまいち腑に落ちない。クラウスに不平のこもった視線を向けてみたが、意に介すそぶりさえ無かった。いったい何なんだ。
「『元』少将ということは、ニッパーさんもルークイ王国軍を?」
仕方が無いので酒のことは諦め、改めてニッパーに問うた。この街に集うルークイ王国軍人があまりに多いと思っていたのだ。私に全く無関係というわけでもないし、大陸の情勢を知っておきたい気持ちがある。
心中穏やかでいられるわけのない問いであったにも拘わらず、ニッパーは優しげな面構えを崩すことなく、明朗に答えた。
「いかにも。クラウスが発ってから割り合いすぐ……だったかな。国王陛下に対して軍組織に関する『怪物』の指導がありましてね。結果、シャルトー将軍をはじめとする『開明派軍人』はみな職を追われてしまったのです。多くの仲間が散り散りになりましたが、私たちを含め、『怪物』を討ち果たさんとルヴェールに出奔した者は多くいます」
「……帝国に敗れたルークイ王国軍の再建に奔走したのは開明派だったのに、陛下は閣下の功績をお認めあそばされなかった」
クラウスが苦々しく吐き捨てる。
ナイゼンも繰り返し頷いて同調するが、ニッパーは少しだけ顔を曇らせた。
「クラウス。気持ちは分かるがね、そんなことを言うものではないよ。国王陛下とて『怪物皇帝』に抗うことはできなかった。それだけのことだよ」
クラウスはニッパーに諭されて「そうですね」と頷いたものの、やりきれない思いが表情にありありと浮かんでいた。
「そもそも、『怪物』に逆らう胆力が陛下にあるならば、帝国軍の前衛部隊をルークイ王国軍に担わせるような真似はさせなかったはず」
クラウスと同じく険しい表情のナイゼンがぼやく。
ルークイ国王への厳しい批判という意味では、クラウスの論調とそう変わらない。それどころかむしろより厳しいのではないか。とは言え国王の持つ力の不足を指摘する点はニッパーと同様だ。
しかし、それにも増して気になるのは帝国軍の配置のことだ。スヴェダチで行われた軍議や、ヴェッテスクでクラウスから聞いた話を最後に、クラウスはともかくとして私はあまり両軍の動向について詳しい情報を得ていなかった。だから、『怪物皇帝』の軍の先頭にルークイ王国軍が立っていることは初耳だった。
今までの帝国のやり口に鑑みて、意図的な配置だろう。『怪物皇帝』ことウィルゴドウィンはルークイ王国軍内に反帝国の機運が高まっていることを知って開明派軍人を一掃した。そんな彼らがルヴェール王国に行きつくのを見越して、同士討ちをさせるためにルークイ王国軍に前衛を任せたのだ。相も変わらず、趣味の悪さが透けて見える。私は眉間にしわが寄るのを抑えられなかった。
「ぼくたちも同士討ちはごめんだ。あんなザマでも、祖国だからね」
「その通り。しかしそれゆえに、私たちは祖国を取り戻すため戦う。たとえ祖国に弓引くことになろうとも」
「俺も同じ気持ちです」
うんざりした調子でこぼしたナイゼンに、ニッパーが力強く応じる。更にクラウスが乗っかって、何だか場の空気がメラメラと燃え始めたような感じだ。こっちの方がルークイ軍人らしい調子なので、先ほどまでの穏やかさとの対比が面白くて笑ってしまいそうになった。
「テスタ殿は治癒魔法の専門家だとか。これからの戦いで、我らの守護者たることを期待していますよ」
「へ……、あ、はいっ。もちろん」
「クラウスからの手紙でかねてから色々と伺っております。『治癒魔法の……』」
「閣下、その話は」
「『……腕もさることながら、戦争術においても勘所が良く、ずい分頼りになります。聡明で、素敵な人物だと思っています』と」
「ニ、ニッパー閣下!」
「そういえば、さっきぼくにも言っていたな。『共に旅をした相手というものは、思いのほか信頼を寄せたくなるのだな』とか、『この戦争ですべてを失ったと思ったが、かけがえの無いものも得られた』とか。あれはこの子のことか?」
「ナイゼン!」
クラウスが腰を浮かせてニッパーの話を遮ろうとするが、テーブルの向かい側にいるので思いは届かない。それにナイゼンが加わったものだから、もはや収拾がつかなくなった。
私の隣で立ち上がってぜえぜえ言っているクラウスをちらりと覗き見ると、顔を真っ赤にした彼と目があってしまった。すぐ隣に座っているわけだし、その顔を伺ったら向こうも気づいて目が合うのは道理なのだが、話の流れや彼の顔色からして、私も何だか熱いものが背中から首を昇ってくるのを感じた。思わず頭を下げ、ワタワタと混乱している自分の指先をじっと凝視する。
どうしよう。顔をあげられる気がしない。
言葉にできない思いが込み上げてくる。あまりお互いをどう評しているかなどという話はしないものだから、彼が私のことを頼りに思っているとか、信頼しているとか、そう考えてくれていることを知れただけでも嬉しくて、自然と口角が吊り上がってしまう。
ダメだダメだ、こんなところ見せられない。
元に戻れと念じるが、その命令は聞き入れられなかった。
「法官殿。治癒隊の戦闘配置についての説明がありますので、本営までお越しください」
どうしようもなくて困ってしまったところに、背後から声をかけられた。
振り返ってみると、ルヴェール王国軍の濃緑の軍服に身を包み、長い杖を携えた男が一人。
彼は部隊の治癒を担当する魔法使いの一人で、私とルヴェール王国軍治癒隊との間で連絡役としてよく走り回っている。私のことを帝国法官府に勤務する魔法使いの総称たる法官殿と呼ぶのには複雑な心中が見え隠れしているところもあるが、仕事はきっちりそつなくこなす人物なので信頼している。
そして何より、今この状況においては渡りに船としか言いようがない。
「わっ、分かりました。すぐに行きます。――そういうわけですので、すみませんが失礼します。いろいろお話聞けて楽しかったです!」
早口で濃紺の軍人たちに別れを告げ、私はそそくさと席を立った。
私を見送る彼らがどんな表情をしているのかちょっぴり気になったが、わざわざ振り返って確認するような度胸は私にあるハズも無かった。
お世話になります。お読みいただきありがとうございます。
お正月休みでいっぱい書けて嬉しい。
以上!




