21: ヴェッテスクのながい夜②
「まず、第一軍司令官とルヴェール防衛の総司令官を兼ねるシノン将軍は、全軍の統制を完全に掌握していると言えない状況だ。自身が指揮する第一軍の動きだけはコントロール下に置いているが、別の司令官が率いる第二軍や予備軍との連携は上手くとれていない」
テーブルに広げられた軍用地図の上に、色分けされた木製の駒がいくつか並んでいる。緑の駒はルヴェール王国軍で、紫の駒はイリオス帝国軍。配置を見るに、ルヴェール王国軍は私が思っていたよりも広い範囲に散り散りになっている。広大な国土を守るには致し方ない措置だったという。
「撤退する第一軍の掩護のために、第二軍にはサモレリスクへ至る街道の防御がシノン将軍から命じられていた。が、第二軍司令官のバグダッドゥ将軍は帝国軍の猛追に自分の部隊だけが晒されるのを嫌がり、将兵が飢えと病に苦しんでいると言ってとっととサモレリスクに引き揚げてしまった。帝国軍が再建のためにヴィルノで停止しているから良かったものの、そうでなければ第一軍が甚大な損害を被っていたとしてもおかしくない」
クラウスは数字の「二」が刻まれた緑の駒――バグダッドゥ将軍麾下の第二軍――を前線から後方の街道沿いに退け、サモレリスクの街までするすると移動させた。私も紫色の駒を集めてニメン河のほとりの街、要塞都市ヴィルノまで置き直す。緑と紫の駒の間の距離は、およそ十五日行程。このまま推移すれば、ルヴェール王国軍はサモレリスクでしっかりと迎撃の準備を整えることが出来るはずだが……。
「内部の対立を抱えたままでは、勝てる戦いも勝てない……」
漏れ出た声に、クラウスがグラスを傾けて首肯する。
「大きな対立軸はこの戦争の方針に関するものだ。戦闘を避けてルヴェール王国領内の奥深くに敵を誘い込むことを目指す『撤退派』と、出来る限り国境に近いどこかで交戦して敵の侵入を食い止めたい『水際派』……とでも呼ぼうか。俺たちみたいなよそ者や、帝国と実際に戦ったことのある連中は撤退派が多いが、身をもって帝国の強さを知らない若手や国境近くで生まれた軍人たちはそれを臆病と評して憚らない」
彼の話を聞いて、色々と事情が呑み込めてきた。
先日のスヴェダチでの軍議の場で参謀たちがクラウスに向けた視線を、私は単に「ルークイ王国の元軍人」というよそ者に対するものだと思っていた。そのこと自体は別に間違いでないが、もっと正確に言えば「よそ者の撤退派」に向けるものだったのだ。それはつまり、シノン将軍が「よそ者の撤退派」の進言を容れながらも、身内に「水際派」の参謀たちを抱えてもいることを意味する。
シノン将軍がヴィルナからの撤退をルヴェール国王に進言し続けてきたという経緯に鑑みて、恐らく彼は「撤退派」に近しい戦略を支持しているはずだ。ところが彼の部下もみな同じというわけではない。これは難しい状況だ。
……そもそも、ルヴェール王国の軍人として「水際派」に近い見解を持つのはむしろ自然なことなのだろう。故郷が蹂躙されることを許せない気持ちは、私にも痛いくらい分かる。
私は、何杯目かのワインを喉の奥に流してため息をついた。
「リーヴェン少佐とも話しましたが、本当に一筋縄でいきませんねぇ」
「……念のために言っておくが、他人事ではないぞ」
「分かってますよ。結局この対立を乗り越えられずに王国が負けたら私もおしまいですからね」
「いや、それもあるが。この対立の火の粉が降りかかるかもしれないという話だ。さっきも言ったろ」
彼の言葉に、私はキョトンとしてしまった。
飲みすぎだろうか。頬や頭がぽかぽかして、ちょっと思考が追いついていない気がする。考えてみれば確かにさっきも火の粉が何だとか言っていたが……。
「えぇと、つまり……」
「この前のスヴェダチでの俺の進言で、俺が『撤退派』だという認識が『水際派』の間に広まった」
「そりゃまぁ、そうでしょうね」
「ただでさえよそ者の部外者が、将軍に進言を通したことも気に入らない」
「ですねぇ」
「だから『水際派』の何人かは、出来れば俺を黙らせたいと考える」
「そですね」
椅子の背もたれにどっぷりと身体を預け、私はクラウスが一つずつ説明するのに逐一相槌を返す。今のところ私にはあまり関係の無い話に思えるが、それでは彼がこの部屋にやって来たことの説明にならない。どういうことなんだろう。
「連中は俺のアキレス腱……つまり、簡単に黙らせるのに使える材料を探した」
「ほほおー。でも、そんなものあるんですか? あるなら私も知りたいですが」
クラウスが厄介そうなものを見る目で「この酔っ払いが」とため息混じりにこぼした。何だかそれが無性に面白くてけらけら笑ってしまう。そうすると彼がますます呆れた様子でこちらを見るので、また笑みが溢れだす。
ああ、これは良くないな。無限に笑えてしまう。口角がにまりと持ち上がったままなのを感じながら、額に手を当てて深呼吸する。
「持ってこなければ良かったか……」
「はい?」
「いや……。続きを話しても?」
忌々しげに私のグラスを一瞥した彼の問いにぶんぶん頷く。私とて人の話を遮る趣味は無いので、安心して続けてほしい。
クラウスは脚を組みなおし、ぼさぼさの髪をぼりぼりと掻いた。自分で続きを話すと言ったのに、何だか話しづらそうにしている。眉間にしわを寄せたまま、彼はするりと言い切った。
「それで目下『水際派』の間で注目の的になっているのが、テスタ。お前だ」
「……へ。なんで?」
話の繋がりが全く読み取れず、素っ頓狂な声を出してしまった。
クラウスは相変わらずばつの悪そうな顔をして眉間を指先でつまんでいるし、私も頭がぽかぽかして事情をよく理解できていないしで、ちょっと会話として非生産的すぎる気がした。それがまた私の口角をひくひくと吊り上げようとするのだが、口元を抑えて何とか耐える。クラウスは苦々しい表情を隠そうともせずに言った。
「……ルヴェール王国軍に合流してからも、二人で行動することが多かったからだろう。連中はお前の身柄を押さえてしまえば、これ以上この戦争に首を突っ込まないと俺に確約させられると思っているらしい。つまり……、テスタ。お前が俺にとって、その……大事な人間だ、と……『水際派』は勘違いしてる……」
「なるほど……。それで私の身に何かあると思って来てくれたわけですね」
「ああ」
「んんー……。なんか、あらぬ飛び火な感じは否めませんが、心配してきてくれるのは素直に嬉しいです。ありがとうござ……」
感謝の言葉を伝えようとしたまさにその時、アルコールのもやがかかった頭の中を一つの疑問が突き抜けていった。普段の私ならそのまま飲み込んでしまっていたのだろうが、今の私は酒に酔ったことがアレしてそういうタガが外れていた。
「ちょっと待ってください。『勘違いしてる』とは?」
「は……」
クラウスが困惑した声をあげる。私はグラスの中に残った赤い液体をぐびりと飲み干し、グラスをテーブルの上に置いて再び尋ねた。
「私がクラウスさんにとって大事な人だと『水際派』は勘違いしてる、って仰ったじゃないですか。それって勘違いなんですか」
「テスタ。いったい何を……」
「私はクラウスさんにとって大事な人じゃないのかって聞いてんです!」
視界がぐらぐら不安定に揺れるのを感じながら、私はぶちまけるように言った。クラウスは面食らった様子で私をまじまじ見ている。私は彼の手元にあるグラスを引っ掴み、中を満たす真紅の液体を胃の中に直行させた。クラウスが「あ……」と零したが、知ったことではない。
とんでもないことを訊いたかもしれない、という気持ちが一瞬よぎったものの、すぐに頭のもやの奥に消えていってしまった。これがベロベロになった人間の理性か。と私はしみじみ感じつつ、テーブルに体をずしりと預ける。
「逆に言いますけど、私はクラウスさんのことを大事に思ってますよ?」
「そ、そうか……」
「何たってアレですからねぇ。むかぁしは私を帝国から連れ出してくれましたし、いっつも仏頂面で皮肉っぽいですけど、意外と優しいとこもありますからねぇ」
自分でもろれつが回っていないのが、分かる。熱を持った頬を、テーブルの木目が冷やしてくれるのが心地よい。
クラウスが視界から消えてしまったのは、私が机に突っ伏しているからか。とは言え、頭が鉛の塊のようで、とても起きあがろうという気にはなれなかった。そういうことを考えていると、まぶたもいよいよ重くなってくる。熱い息を吐いて、私は言葉を絞り出す、
「だからぁ、私はっ、あなたのことがぁ……」
彼が今どんな表情をしているのか、私には分からない。
目の前にかろうじてみえているテーブルの木目も、その上に広げられた軍用地図の端っこも、だんだんと薄暗くぼやけていき、仕舞いに真っ暗になった。
「あなたのことが……」
ほとんど脱力した唇が言葉を紡いだきり、私は意識を手放した。
お世話になります。
お読みいただきありがとうございます。
酔っ払ってるTS娘、精神と身体の境界があやふやになって好き。
以上!




