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20: ヴェッテスクのながい夜①

「戦争は、主体それぞれが外部と内部に大小さまざまな対立を孕んだフラクタルをなす。お互いに問題を抱える中で、より強固な結束を実現した側が最終的に戦争に勝つ」――『御進講録 六一〇年、六一一年および六一二年』より抜粋――






◆◆◆






 統一暦六一二年、六月六日。

 ルヴェール王国軍は想定より遅れながらも目立った被害を出すことなく着実に撤退を重ね、ディスナとサモレリスクのちょうど間にある町ヴェッテスクにたどり着いた。


 ヴェッテスクの住民は早々に避難を済ませたようで、町は閑散としていて人っ子ひとりいなかった。かなり慌てて支度をしたのだろう、道路には持ちきれなかった服や調度品がまばらに転がっていて、さながら祭りの後を彷彿とさせる雑然さだけが残っていた。

 『怪物皇帝』の率いる帝国軍は、はじめ戦いの起こるはずだった要塞都市ヴィルノで停止しているらしい。広大な北の国では軍が動くだけでも大変で、強行軍で知られる『怪物皇帝』の兵であればなおさらなはずだ。

 なんでも、侵攻する帝国軍では落伍する者が続出しているがためにしばらく進軍を中止せざるを得なかったという。ルヴェール王国軍を早期に捕捉しよう、と彼らが躍起になって食らいついてきていることがよく分かる。


 さて。

 私はヴェッテスクの民家の一室から、ぼーっと外の景色を眺めていた。闇に浮かぶ半月のやわらかい明りが、曇りきった窓ガラス越しに輝いている。家々のほのかな灯がそれに呼応するようにところどころで輝いていて、町が日常を取り戻したと錯覚しそうになる。

 誤解の無いように弁明しておくが、何も空き家を勝手に使っているのではない。軍の許可の下であてがわれた部屋を一時的に間借りしているだけだ。

 行軍中は野営――要は野宿――で十分にくつろげない兵士たちも、町に入れば兵営や民家、講堂などさまざまな施設に分散して屋根のある休息を享受できる。それで町はにわかに光を取り戻したというわけだ。


 私が使わせてもらっている部屋は、もともと家族連れが寝室として用いていたのだろう。一人で使うには大きすぎるベッドが鎮座している。私はそのそばに転がっていた椅子の一つを窓の近くに置き直して腰かけ、ほっとした時間を過ごしていた。

 ショートブーツを脱ぐのもわずらわしく、履きっぱなしで目の前の椅子に脚を投げだす。まばたきをするのもめんどうに感じるくらいにへとへとだ。


 自分で言うのも何だが、ルヴェール王国軍に合流してからというもの、だいぶ熱心に働いている。軍に所属する魔法使いと言うものは、恐らく万国共通でいつもそれなりに忙しい。特に後方支援を専門とする魔法使いは数が多くないので――帝国法官時代でさえそうだったが――激務になりがちだ。そのため、やれ行軍を脚を痛めただとか、肩が背嚢で圧迫されて痛いだとか、汚れた軍服を浄化してほしいだとか、様々な要望が引っ切り無しにやって来る。

 この戦役では動かされる部隊の規模がとんでもなく大きいから、私やほかの魔法使いたちは引っ張りだこになって毎日あちこち駆けずり回っている。行軍中は合間の休憩時間を使ってそういった仕事をするわけだから、日中は気が休まる時間が無いのだ。


 少し離れたテーブルの上に雑に置かれたカバンから、クラウスのくれた『御進講録』がはみ出している。表紙に刻まれた彼らしい几帳面な字を眺めていると、何だかちょっとだけ心が休まる気がした。


「最近読めてないし、ちょっとだけ読もうかな……」


 いや、やっぱりすぐに寝てしまおうか。いやいや、読める時に読んでおいた方が良いしな……。などと、既に消耗しきった脳みそでぐるぐると意味の無い思案をした末に、斜め下の結論に辿り着く。


「……取りに行くのめんどくさいな」


 目の前の椅子を足置き代わりにして行儀悪く投げだした両脚が「今日はもう動きたくありません」と泣いているのだ。壁に立てかけた杖も歩かずに取れる距離でないので、魔法で引き寄せることもできない。

 私は詠唱や魔法陣を頭の中で済ませられるのだから、頑張れば杖を使わずにモノを引き寄せるくらいできるのではないか。何となくそう思ってテーブルの方向に手をかざし、むんむん念じてみた。……が、むろん反応はない。


「はぁ……。疲れてるな」


 自分の行動を客観視して、少し冷静になった気がする。

 やっぱり今日はもうおとなしく寝てしまおう。そう思って立ち上がろうとした矢先、寝室の扉がコツコツと鳴った。予想しない物音に、肩が大きく跳ねた。


「テスタ」


 聞き馴染みのある声が聞こえてきて、すぐに落ち着きを取り戻す。クラウスだ。

 ぱたぱたと扉に走り寄って開きながら、私は声の主に尋ねた。


「クラウスさん。どうしたんですか、こんな夜更けに」

「いや何。ちょっと入っても良いか」

「え。ま、まぁ、大丈夫ですが……」


 あまりに唐突だったので、ちょっぴり口ごもってしまった。荷物やら何やらを適当な場所に放りっぱなしなので少し恥ずかしさがあったが、部屋の外で待たせてしまうのも忍びないのでやむを得ず招き入れる。まぁ、だらしなくふんぞり返っているさまを見られなかっただけ良しとしよう。

 クラウスはいつもの完全武装のまま、しかしながら何かのボトルとペアのグラスを両手に持っていた。いやいや、飲み会でも催すつもりなのか。いそいそとテーブルにそれらを置いて、椅子をテーブルの近くに戻すクラウスを見ながら、私は彼がここに来た理由を問うタイミングをうかがっていた。


「かけてくれ」

「いや、私の部屋なんですが……」

「お前の部屋ではないだろう」

「あ、そうか。確かにそうでした。何か疲れてるみたいで、うっかりしてました」

「行軍疲れのところ悪かったな。酒はいけるか」

「えぇ、まあ……」


 とりとめのない会話をしつつ、私とクラウスは椅子に腰を下ろした。

 クラウスがさっそくボトルに入った液体をとくとくとグラスに注ぎ始める。差し出されたそれを嗅いでみると、芳醇な香りが鼻の奥に突き抜けていった。ワインだ。アルコール類は正直そんなに得意でないのだが、せっかく持ってきてくれたものだから最初の一杯はありがたくいただこう。


「それで……。どうしたんですか? こんな遅くに」

「ああ。今日はここで夜を明かそうと思ってな」


 想定外の返事に、飲みかけたワインが逆流した。ゴホゴホとむせ込み、鼻の奥もツンと沁みる。クラウスが背中をさすろうとしてくれたが、思わず手で制してしまった。歪んだ表情を覆い隠しながら何度もせき込み、胸元をさすってようやくちょっとずつ呼吸を整える。


「大丈夫か」

「はぁ、はぁ……ふぅ……、はぁ……。だ……大丈夫ですっ、すみません」


 クラウスが心配そうな視線を向けてくるので、何だかいたたまれない気持ちになってしまう。熱くなった頬を手で見られまいと手で隠し、思わず目を背けた。視界の端で、クラウスが更にこちらを案ずるようにもぞもぞするのを感じる。これではらちが明かないではないか。仕方が無いので、恥ずかしさをぐっとこらえて話を進めることにした。


「よ、夜を明かすって……ここで寝るってことですか」

「ああ」

「あっ……、そうか。私と寝室を交換したいって話ですよね」

「いや、同じ部屋で過ごす」

「なっ、なるほど!?」


 彼の言葉の真意を捉え違えていた可能性を思いつき尋ねたものの、より具体的な言葉が返ってきたので動揺して上ずった相槌を打つことしかできなかった。

 同じ寝室で過ごす? なんで?

 私の頭の上で疑問符が高速回転しているのを察したのであろうクラウスが、ワインをぐびと一口嚥下してから話し始めた。


「もちろん理由はある。ルヴェール王国軍内の派閥抗争のことは知っているか」


 彼の真剣な声色に、私は頭を冷やされた気がした。

 ルヴェール王国軍内の派閥抗争――。この王国に足を踏み入れて間も無いので、具体的な人間関係のことは正直よく分からない。首を横に振ると、クラウスは「そうか」と呟いて続ける。


「まず色々と端折って言うと、この派閥争いの火の粉が俺たちにも飛んできかねない。だから被害を未然に防ぐために、寝床を同じにするのが良いだろうと思って来たんだ。要は見張り役だよ」


 クラウスに合わせてワインを一口含み、胃に流し込む。

 そう言われると、色々と想起させられるものがある。先日のスヴェダチの軍議で参謀たちがクラウスに向けた視線。リーヴェン少佐が明かしてくれたルヴェール軍人たちの心中。そうしたものが絡んだ派閥の対立が、王国軍内部でも起こっているのだろうか。


「……詳しく、教えてもらえますか」


 『怪物皇帝』率いる軍勢が迫りつつある中で、内憂を顧慮しなければならない。そうした事態に嫌な汗の流れるのを感じつつ、私はクラウスに続きを促した。


 ……ヴェッテスクの町を覆う暗闇が、いっそう深く帳を下ろす。おぼろげな月は雲間に隠れ、星々の頼りない光の粒だけが空に散らばっていた。

お世話になります。

お読みいただきありがとうございます。


身体的に行儀の悪いところを引きずっているTS娘が好きです。

(周囲を気にせず行儀悪いままなのも、恋心ゆえに隠してるのも好き……。)


※なお、本作の世界では二十歳未満の人間の飲酒が違法とされていませんが、現実においては違法です。創作ゆえの描写であること、ご承知おきください。


以上!

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