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19: 大軍

「つまり、テスタ殿の心に比べて身体は正直ということですな」

「なッ……! 言い方ってもんがあるでしょう……!」


 思わず声を荒げてしまいそうになるのを抑え、リーヴェン少佐に小声で食ってかかる。リーヴェン少佐は相変わらず人懐こい笑みをたたえたまま、愉快そうなまなざしで私を見つめていた。


「しかしまあ、『困りごとがある』と仰るものですから何事かと思えば……クラウス殿に触れられると心が躍るとは。それは恋慕の情というものでしょう」

「違いますっ! 私は元男の『イリオス女』ですからね、そういう感情はありません」

「心が躍るのは否定せんのですな」

「ぐっ……! 踊るというか、その……」


 ごにょごにょと口ごもった言葉がむなしく消えてゆく。


 クラウスとアラギノを出発して、既に一ヶ月以上が経つ。


 今まで漠然といけすかないヤツだと思っていた彼の別な側面を知ることができた一方で、私は自分自身のまだ知らない面を知ることができた。……いや、知ってしまったと言う方が適切かもしれない。


 言い訳がましく聞こえるかもしれないが、私の心と身体との間には一定の乖離があることを強く主張しておきたい。つまり、タタラスクのテスティリスとしての心と、アラギノのテスタとしての身体が共存している状態だ。


 そして、最近得た気づきであるとともに目下の懸念となっているのは、『この身体、チョロすぎるのでは?』という問題に他ならない。


 初めに違和感を覚えたのはディスナの野戦築城に向かう道中だった。体調を崩して寝込んでしまった折、クラウスとのちょっとした身体の接触でやたらとぽかぽかしたので困惑したものだ。


 その違和感は、実際にディスナに辿り着いた時には危機感に変わった。

 素行の悪いルヴェール兵から彼が私を守ってくれた時、もっと言えば彼が私の頭に手を置いた時、不覚にも胸が高鳴ってしまったのだ。


 それはあたかも危険な吊り橋の上で愛の告白をされた者が、緊張による胸の鼓動を恋心と勘違いするようなものだ……とタタラスクのテスティリスとして強く、なによりも強く主張したいところである。


 しかしながら、私はアラギノのテスタとして丸四年以上やってきた身でもある。女の身体がどの程度心に影響を与えるかなどは知る由もないが、それなりに順応してしまっているのもまた事実だろう。ただし、そのことを差し引いてもここ最近、私の身体の反応が過敏になってきている気がする。


 結局のところ何が言いたいのかというと。

 認めたくないことだが、ここ最近の私はクラウスに近寄られるとすぐにドキドキしてしまうのだ。そういう感情は無いはずなのだが!


 スヴェダチの村にたどり着いた私たちは、質素な木造の住宅に設けられた司令部にて再びシノン司令官らと対面していた。私は、ディスナの陣地について講評するクラウスの方を直視できずにいる。


「……総合して考えますと、ディスナの陣地はなんら戦略上決定的な役割を果たすことがありませんし、率直に言って帝国を迎え撃つには不適切です」


 暖炉の火が焚かれた小さな部屋の中で、クラウスの声が響く。私は横目に彼の影を追いながら、気もそぞろに話を聞いた。

 ルヴェール王国の濃緑の軍服に、参謀用の飾り紐を吊り下げた男が尋ねる。


「しかし、ディスナの陣地には明確な利点が一つあるのではないか。すなわち川を背にして敵と対峙することで、正面から攻める部隊と渡河して回り込む部隊に兵を分割することを強いる点だ」


 何人かの参謀が彼の指摘に頷いた。

 彼の主張は裏を返せば、こちらが挟み撃ちを受ける危険を孕んでいるということでもある。私はそのことが引っかかってあまり腑に落ちなかったのだが、男はさらに続けて言った。


「敵がもし渡河部隊に兵員を過剰に割いた場合、我々は正面方向の優位を活かすべく撃って出れば良い。逆に敵の渡河部隊が過少であれば我々も即座に川を渡って打ち破れる」


 クラウスはこの雄弁なルヴェール軍参謀をじっと見据え、彼の言葉の終わるのを待っていた。

 ぼさぼさの髪をかいて更にくしゃくしゃにし、ふぅとひと息ついてからぽつりと言う。


「あなたの主張では、ディスナの野戦築城の利点は一つに集約される。つまり、『敵は川の手前の部隊と奥の部隊とで連携することが困難だが、わが軍は陣地内の橋梁を利用してたやすく連携できる』。違いますか」


 暖炉の火を背にした司令官の頭が僅かに揺れる。固く閉じた両のまぶたや眉間に刻まれた深いしわを見るに、相当熟考しているのだと分かる。

 クラウスの言葉に、誰も反駁をしなかった。なるほど彼の言うように、目下の集結地点であるディスナの陣地の利点は『川の両岸の行き来のしやすさ』にあると要約して良さそうだ。

 クラウスはさらに続けた。


「とはいえ、その利点は一つの会戦の勝敗に関して何ら決定的なものではありません。しかも、川のどちら側でも我々は問題を抱えています。川の右岸――つまり我々の背後に流れる川を渡った先――の陣地は全く工事が進んでおらず、築城として不十分です。敵が攻めてくる正面方向である左岸側も、森や沼沢で阻まれて敵情を見渡せない点で地形に難があります。……はっきり言ってこの野戦築城は机上の産物であって、実際に戦いが起こればわが軍が堡塁の半円形の中に押し込まれ、降伏に追いやられるのが関の山でしょう」


 クラウスの言葉に誰も正面きって論を返すことがなく、焚火がパチパチと爆ぜる音だけがその場を支配した。


 私は、その静寂が、十分に暖をとれているはずの部屋の空気を一気に冷やしたような気さえした。

 仮にディスナで帝国軍に決戦を挑んだとして敗れたら、『怪物皇帝』はこの戦争自体に勝ったも同然だ。今の議論はたかだか一陣地の策定に関するものに留まらず、戦争全体の趨勢を決しかねない重要性を帯びているのだ。


 私の動揺を察したのか、リーヴェン少佐がそっと私の背に手を添え、耳元で囁いた。


「『怪物皇帝』はこれまでも、短期決戦で大戦果をあげて戦争を終結させる手法を用いてきました」

「……とすると今回も?」

「ええ。敵は我々を捕捉しようと躍起になって食らいついてくるでしょうな。早く我々と一戦交えたいのですから。ディスナの野戦築城にこもって迎え撃つ選択は、この意味で『怪物皇帝』に利するのです。しかし我々にとってすれば、むざむざ自国の領土を踏み荒らされるわけにも参りません」


 それでもルヴェール参謀たちの幾人かがディスナに固執するのには、自国の土がこれ以上侵略者に蹂躙される事実に耐えられないという感情的な事情があるのだろう。だからこそ、ディスナでの決戦を不要とするクラウスの論は彼らにとってどこまでも「余所者の無責任な案」なのだ。


「……戦争って、一筋縄ではいかないものですね。皆、向いている方向は同じはずなのに」


 思いがけず弱気な言葉が漏れ出てしまった。

 リーヴェン少佐は私の背をぽすぽすとさすり、微笑をたたえて言う。


「それでも我々はここにいます。あらゆる困難を乗り越え、祖国と誇りを守るために」


 その時、盛んに燃える薪の傍らで、シノン将軍が両の目を見開き、クラウスを真っ直ぐに見据えたまま、この会議ではじめて口を開いた。


「では、我々はどこに退くのか」


 穏やかで、しかしながら腹の底に響いてくる重低音の問いだった。クラウスはこのルヴェール軍主力を背負う男にひるむことなく歩み寄り、テーブルに広げられた軍用地図を指し示して答える。


「はっ。我々は『怪物皇帝』に捕捉されぬように撤退しながら戦いの場に集結する必要があります。目下の集結地点はここ……」


 クラウスの指す軍用地図上の一点に、数十の瞳が集中した。


「サモレリスク、か」


 シノン将軍が、視線の先に刻まれた街の名をこぼした。

 

 サモレリスク、サモレリスク。聞き馴染みのない街の名を頭の中で繰り返した。いったいここからどれ程離れたところにあるのだろう。いったいどれ程の人が住んでいるのだろう。

 ルヴェール軍が退けば退くほど、イリオス帝国軍はルヴェール国内に踏み込んでくる。それはルヴェール軍人にとって許し難い屈辱であるはずで、場合によっては軋轢を深くしかねない。

 私は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。


「……サモレリスク以北で初めて敵と本格的に対峙することをあえて恐れぬとすれば、その効果は確かに計り知れない」


 シノン司令官は軍用地図の敷かれたテーブルに腰掛け、眉間をつまみながら顔をしかめて考え込んでいる。彼に付き従う参謀たちも、心中では決戦を避けることの重要性を認めているらしく、逡巡した様子でざわざわと議論し始めた。


「サモレリスクで『怪物皇帝』に勝つ保証はありません」


 クラウスが、にわかにざわついた小屋いっぱいに声を張った。参謀たちは議論をやめ、シノン将軍はじろりと訝しげな視線を向けた。

 参謀たちの中から「それではなぜ戦うのか」と困惑した声があがる。そりゃそうだ、と私も思った。戦うなら戦うで、勝利への見通しがなければならないのではないか。


「我々がルヴェール王国の守護者であることを示すのです。勝つにせよ負けるにせよ、戦う意志があると示す。……もちろん、勝つに越したことはありませんし、そのために全力を尽くしますが」


 音を立てて爆ぜる火を横目に、クラウスは淀みなく続ける。


「まずは道徳的に勝つ。民衆の支持を集め、大規模な動員を可能にする。サモレリスクまで退けば敵も疲弊するでしょうし、我々が負けても容易に立て直せるはずです。それゆえに……」


 指先を軍用地図の一点に強く押し当てた。その先には無論、目下注目の的の街の名が刻まれている。


「サモレリスクで我々は戦うのです」


 火の灯りに照らされ、クラウスの瞳は爛々と燃えている。

 周囲の参謀たちの瞳にも、同じ火が宿ったように思えた。そして、この場で最も重責を担う男にも、その火が燃え移ったらしい。


「……サモレリスクでの会戦を、陛下に奏上しよう」


 シノン司令官の声色からは、迷いが失せていた。

 老いてしわしわながらもしっかりと力強さをまとう手を差し出し、クラウスと固く握手を交わす。参謀たちの表情は様々ながら、もはや誰も彼らの結論に意を唱えようとはしなかった。


「テスタ殿の想い人は、上手くやったようですな」


 横に立つリーヴェン少佐の囁きに、私はクラウスとシノン将軍に視線を向けたまま首肯で返す。

 本当によくやったものだ。生え抜きのルヴェール軍人だらけの軍議の場で、ただひとりの(元、ではあるものの)ルークイ王国軍人という、完全なるアウトサイダーながらも自らの意志を通し、その気概を周囲に波及させた。

 いつも生意気だのなんだの言われてきた私には到底できない芸当だ。素直に感心させられる。これが私の想いび……


 ……ん?


「いや、そんなんじゃないですって」


 あまりにさりげなく言うものだからうっかり流しそうになってしまった。私は周囲の軍人たちに聞こえぬよう小声で、それでも抗議の意が伝わるように軽くリーヴェン少佐を小突きながら言い返した。

 少佐は人懐こさの中にかすかな意地の悪さを孕んだ視線を私に向ける。


「上手くやっていないと?」

「いや……そういうことでなく、つまり私の、お、想い……」


 言葉にするのがなんともむず痒く、私の反駁はゴニョゴニョとしぼんでいった。熱いものが背中から頭に昇るのを感じる。

 リーヴェン少佐はいかにも楽しそうな感じで私を見つめていた。自分は今どんな表情をしているのか。なんともいたたまれない気持ちになって思わず目を背けた。


 ……と、とにかく。

 そういうわけで、ルヴェール王国の大軍は、この日を境に一路サモレリスクの街を目指して歩み始めたのである。


お世話になります。

お読みいただきありがとうございます。


すみません、ポケモンを無限にしていたらあっという間に時間が経っていました。

TS娘が心と身体の乖離に困惑するのが好きです。(N回目)


以上!

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