18: スヴェダチの小村へ
統一暦六一二年、五月一三日。
私とクラウスは往路と同じく軍馬に相乗りしつつ、しかし、要塞都市ヴィルノでなくその途上にあるスヴェダチという小さな村へと向かっていた。
というのも、『怪物皇帝』率いる大軍勢がついにルークイ王国の都であるリネープから動き出したという急報が告げられ、迎え撃つルヴェール王国もあわてて全軍を後方へ退かせる決定を下したからだ。ヴィルノに戻る途中ですれ違った伝令将校が色々と教えてくれた。
スヴェダチはディスナの野戦築城に向かう途中に立ち寄った集落で、草原とまばらな木々に囲まれた平地にぽつんと何軒かの家々が寄り添って生活をしている。
十万名近くの兵を擁するシノン司令官の軍勢がこの小村に収まるわけがないのだが、とにかくいったんスヴェダチで停止して、暫く休息してから引き続き後退を続けるつもりらしい。
「スヴェダチまであと大体二日くらいですかね」
「そうだな」
背中に馬を操るクラウスの体温を感じながら、私はこれからのことを考えていた。
帝国軍が動き出したということはつまり、いよいよ現実に戦争が始まるということだ。『怪物皇帝』は空前の大動員で四十万もの戦力を用意してきたし、対峙するルヴェール王国軍も広い国土から二十万近くの兵をかき集めた。それだけの大軍勢同士が激突すれば、戦場は地獄と化すだろう。
このあたりは豊かな緑に恵まれていて、旅路の中でたくさんの森や沼地を横目に見てきた。ニメン川を渡る時にも思ったが、こののどかな土地が戦乱に見舞われることになるとはとても信じられない。混ざりけの無い土の匂いがたちまちあの『死の臭い』に変わる日が来るなど、信じたくもないことだった。
「テスタ」
私が内心でしょんぼりしていると、後ろから声が降ってきた。
クラウスはいつからか私のことを「そこの」だとか「イリオス女」だとかではなく、名前(と言っても厳密には偽名だが)で呼ぶようになった。
同僚が丸くなってゆくのは感慨深いものがある。私は少し嬉しい気持ちになった。
「なんでしょう」
「魔法について聞きたいんだが」
「魔法ですか? 構いませんけど……珍しいですね」
「この前の野盗との戦闘以来ずっと考えてたんだ。……頭の中で詠唱したり魔法陣を描くと言っていたな」
「あぁ、あの一発芸ですね。言いました言いました」
なるほど。と私は納得した。
彼と共にアラギノを出発してから、魔法――つまり私の専門分野――について詳しい話をするのはおそらく初めてだ。当初この分野に彼がそこまで興味を持っていないからだと思っていたが、必ずしもそういうわけではないらしい。
むしろ興味津々だからこそ、じっくり考えていたのだろう。
「つまり、どれだけ長い詠唱も、複雑な魔法陣も可能だということだろう」
「んんー……。まぁ、理屈上はその通りです」
クラウスの指摘は正しかった。
ふつう魔法使いが魔法を発動させる場合、必要なのは詠唱か魔法陣だ。前者であれば決まった口上を読み上げ、後者であれば同じく決まった幾何学模様を描くことで魔法が使える。
ただし、これら魔法の発動には時間という制約があった。
詠唱があまりに長すぎると、始めの方の文句は効果が無くなってしまう。魔法陣を描くのに時間をかけすぎると、同じように描き始めの箇所から順に効果が失われる。それゆえ、魔法使いの技量にも依るが、詠唱は長くても三十から六十語、魔法陣は心臓が二十回拍動するまでに描きあげることが魔法使いの間の常識となっている。
クラウスが指摘するのは、私が頭の中で魔法の発動処理を済ませられるのだから、そういう制約を全て無視した思い切り複雑な魔法も実現可能ではないのかということだった。
クラウスは私が微妙な反応をしたのが気になったのだろう。困惑した声色で尋ねてきた。
「理屈上、とは?」
私はどこから説明するべきか頭の中で案を練るために沈黙した。
馬のゆったりとした歩みに合わせて身体が弾む。一定のリズムに乗る心地がして、考えるのにうってつけの環境だ。ある程度話の組み立てを考えて、私は口を開いた。
「そもそも『強い魔法』とは何ぞやってことです。強い魔法は一般に詠唱や魔法陣の手続きが長くなりますが、なぜ長くなるか分かりますか?」
「複雑な詠唱や魔法陣を必要とするからだ」
「ある意味そうです。でももっと具体的に言うなら、複数の魔法を同時に発動させているからなんです」
背後で「ほう」と唸り声があがる。
「たとえばですけど……『火の魔法』と『風の魔法』を同時に詠唱すると『熱風の魔法』になる、という具合です。私たちは詠唱限界の範疇で既に知られている魔法を組み合わせて『強い魔法』を発動できるというわけです」
「なるほど。ではやはり、頭の中で詠唱する場合はその詠唱限界というやつを無視できるのだろう」
「はい。ただ、詠唱限界を超えた長さの魔法は今のところ存在しません」
考えてみれば当たり前の話だ。
詠唱や魔法陣の複雑さには限界があり、限界を超えた魔法は発動しない。ゆえにそのような魔法は存在しない。
「適当に冗長な魔法の組み合わせで詠唱してみたこともありましたが、発動しませんでした。……これは推測ですが、恐らく魔力量が足りなかったんだと思います」
そもそも世に知られた限界超えの魔法が存在しないことに加え、魔法の重ねがけにより消費する魔力量は指数関数的に増大する。
妙な言い方になってしまうが、詠唱限界ギリギリ程度の魔法でさえ実際に発動させられる魔法使いはそう多くない。それが可能なものは俗に大魔法使いと呼ばれ、それだけで一国の重鎮に列せられるほどだ。私のような若造には到底及ぶべくもない高き壁と言える。
「つまり、無尽蔵な魔力さえあれば限界を超えた魔法の探求も可能ということか」
「そういうことです……」
「魔法使いのことは理不尽な火力とばかり思っていたが、意外と厄介な制約があるものだな」
クラウスが小さな笑いをこぼした。
彼は『怪物皇帝』との戦いに参陣した時、法官によって増強された帝国軍の脅威を思い知ったのだろう。
彼の『御進講録』でも、魔法を活用した戦い方についての研究が多くの紙幅を割いていたのが印象的だった。曰く、「こんにちの戦争が『殲滅』という原理に基づいて行われるとするならば、その極致とも言える兵器が魔法と言える」と言い切るほどなので、その情熱がうかがえる。
「魔法を扱う難しさは理解した。だが俺は、あの魔女がお前を同行させた理由はその一発芸にこそあると考えている」
「えっ……。どうでしょうね……」
思ってもみなかったことを不意に切り出され、私は少し困ってしまった。
あの魔女――ヘセッタ――が私を遥か北のルヴェール王国に送り込んでまでしたかったことがあるにしても、それが私のこの特異体質に由来すると自分ではとても思えなかったからだ。何だか期待に応えられないような気持ちで、ばつが悪くなってしまったので誤魔化すように馬のたてがみを撫でる。馬が気持ちよさげに鼻を鳴らすのが嬉しかった。
「ご期待に沿える自信はありませんが……」
「沿ってもらわなきゃ困る。なんせ学会ご指名だからな、何かあるのはほぼ間違いないだろう。――まぁ、とは言えあくまで一つの仮説だ。頭の隅にでも置いといてくれ」
「うぅ……。分かりました」
急に締め切り間際の宿題を申しつけられたような気分になり、顔をしかめてまっすぐ空を見上げた。
晴天にうっすらと雲が漂い、空気はほのかに暖かい。こんな時代でなければ、あるいはこんな状況でなければ、旅行気分で馬に揺られているところだ。だが今はそんなにのほほんとした気持ちにはなれない。
思ったよりずっと期待されてるんじゃないか……?
そう考えると、急にずっしりと重荷がのしかかってくるような気がした。
お世話になります。
お読みいただきありがとうございます。
TS娘の背負う荷物は大きければ大きいほど良い。
以上!




