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17/25

17: ディスナ野戦築城

「おぉ……! これが野戦築城……!」


 思いのほか感激を覚える私の目の前には、予想していたよりもはるかに巨大なルヴェール王国軍の陣地が広がっている。


 帝国法官だったころに従軍経験はあるものの、前線から離れた後方の軍営での勤務が主だったので、実は今までの人生でこれほどの規模の野戦陣地を見たことがない。何日もかけてやって来たのだから、よけいに感慨深くなるというものだ。


 要塞都市ヴィルノを発ってから十一日目の昼。途上で私が体調を崩してしまう一幕はあったものの、おおむね遅れることなくディスナの野戦陣地にたどり着くことができた。


 ニメン川よりも更に後方に、ドナ川という同じく幅広な河川がある。ディスナの野戦陣地はそのドナ川のほとりにあり、弓状に大きく歪曲した川のかたちを利用して作られた半天然の要塞でもある。

 半円を描く川のうねりの中にすっぽりと収まった陣地はあたかも弓の弦のようだ。クラウス曰く、この陣地の端から端までおよそ一時間行程らしい。陣地の西の端にある高台から全容を一望する私たちの眼下には、既に立派な陣地をさらに堅固なものにすべく奮闘する集団がうごめいていた。


「よし。じゃあ始めるが……ついてくるか?」


 私の隣で地図と陣地とを見比べていたクラウスが尋ねてきた。ヴィルノでシノン司令官から受け取った命令に基づき、これからディスナの野戦築城がどの程度完成しているかを調査するのだ。私は軽くうなずきながら答える。


「はい。せっかくなので、私も色々と見学してみようかと……!」


 そわそわしている私と対照的に、クラウスは「そうか」と一言返しただけでスタスタと歩き出した。私はあわててその後を追いながら、相変わらずたんぱくなヤツだと思った。

 とはいえ、何だかんだ都合一か月ほどふたり旅を続けているので、その振る舞いが特に敵愾心じみたものを含むわけでないことは分かってきた。アラギノにいた頃は何かにつけて「イリオス女」と嫌みを言われたものだから、その変わりっぷりに感動を覚えると同時に、何だかちょっと嬉しい。


 ディスナの野戦築城は、後方をぐるりとドナ川に守られた半島型の形状をしている。

 陣地の端から端まで三つの塹壕線が伸びているが、上からの飛来物を防ぐための屋根板がところどころで蓋をしているので、あたかもたくさんの線状の穴ぼこが並んでいるように見える。


 ドナ川から最も遠い塹壕線――つまり敵と最初にぶつかる塹壕線から、二番目に遠い塹壕線との間はおよそ五百から六百歩だろうか。大規模な戦いに備えた造りをしているので塹壕間の距離もかなり広い。

 三つの塹壕線を横断するかたちで、私たちはずんずんと川から離れて、最も外側の塹壕線までやって来た。


「うぅん……。やはりこれは……」


 クラウスが苦々しく唸る。その声色は、いかにも築城の進捗に不満があるといった様子だ。


「よくない状況ですか?」

「ん……。本来なら、この手の築城を建設する場合はもっと陣地の外側を固めたいところなんだが、現状だと防柵も無ければ狼穽(ろうせい)も無い。……不完全にもほどがある」

「ろ……ろうせい?」

「渡した資料の『防御編』を読んでみろ。たしか……九十ページあたりだ」


 知らない単語に困惑しながら彼の『御進講録』を開くと、たしかに詳しい解説が載っていた。要するに狼穽とは一種の落とし穴だ。底に先の尖った杭を設置するなど、より殺傷能力を高める運用が勧められていて思わず顔をしかめてしまう。自分が嵌ってしまう想像をして、ぞっと肩が震えた。


「最前列の塹壕線工事を担当する参謀将校がどこかにいる筈だから、あとでこの件は伝えっ……」


 クラウスの言葉が不自然に途切れる。

 『御進講録』を鞄にしまっていた私がクラウスに目を向けると、彼はルヴェール王国軍の制服を着た男に後ろから肩を掴まれていた。その男の背後にも、数名のルヴェール王国兵が控えている。

 男は毛むくじゃらなあごを撫でながら、クラウスの肩を押し出すように揺らす。


「あんた、ルークイ王国の軍人だろう」


 ボタンを一つも留めずに着くずした濃緑の軍服に、むき出しで佩いた剣。さらに初対面の人間に『あんた』と呼びかけているところから判断するに、この男は中々の危険人物だ。私の中の直感があまり関わりたくないと反応し、そろりとクラウスの後ろに隠れる。

 クラウスは背後に回る私をちらりと目で追いながら、肩の手を振り払って男に応じた。


「正確にはルークイ王国の『元軍人』だ。今は貴官と同じルヴェール王国軍の下にいる」

「はっ! 信用ならないねぇ、『帝国軍人』さん」


 濃緑の男たちが侮蔑的な笑い声をあげる。

 ルヴェール王国からしてみれば、ルークイ王国はいまやイリオス帝国……つまり『怪物皇帝』の手先だ。こういう反応をする人間がいるであろうことは私も承知していたが、実際に相対するとあまり気分の良いものではない。知人がその悪意を向けられているとなればなおさらだ。


 クラウスに絡む男のすぐ奥にいた連中が大股に歩み寄り、私たちの周りを囲った。一人ひとりが兵士であることに加え、かなり気性の荒い者の集まりであろうことからかなり威圧感のある佇まいなので、そんな彼らに近寄られただけで私は硬直して生唾を飲み込んだ。クラウスの腕をがしりと掴んで不安を紛らわせるが、やはり怖いものは怖い。

 他方、クラウスは流石と言うべきか、全く動揺する様子もなく目の前のあらくれルヴェール兵を見据えている。私が掴んでいない方の手で億劫そうに軍服の内ポケットから書類を取り出して言った。


「信用するも何も、事実だ。制服こそ違えど、俺は第一軍司令官シノン閣下の命令に基づき、四月二九日付でルヴェール王国軍中佐に任じられた。今はこの野戦築城を視察する任務の最中で、命令書もここにある」


 男はひらひらと目の前に差し出された命令書を引っ掴んで書面を一瞥したが、すぐに投げ捨ててしまった。


「おい、何を……」

「何書いてあるか分からねぇからさ。とにかくあんたは信用ならない、とっとと国に帰んな」


 そう言うと、また私たちの周りが下卑た笑い声に満ちた。

 クラウスに対する男の無礼な振る舞いに、私は自分のことのように腹が立っていた。クラウス、怒って良いぞ! 怒れ! と、彼の腕をぎゅっと掴んだまま心の中でヤジを飛ばすが、クラウスが動く気配は無い。さすがに多勢に無勢だろうか。

 屈強な男たちに囲まれているのだから無理もないが……などとやや呑気に考えていると、突然後ろから髪を乱暴に引っ張られ、私はクラウスから引きはがされた。何が起こったのかよく分からず、ただ頭皮に刺されるような痛みだけが走った。


「なぁ、ルークイ王国のヤツは戦争にオンナを連れてくんのか? 良い風習じゃねえか」

「ちょ、ちょっと! 何を……やめてください!」


 ごろつき共の中でもひときわのっぽの男が私の髪を掴んだまま離さない。男は私の髪をぐっと引っ張り、無理やりあごを上げさせた。髪を手綱にされる痛みに歪む私の顔を覗き込み、男が不快な笑みをこぼす。


「にしても中々の上玉だな」

「ひっ……!」


 口角を吊り上げた男と目が合った時、私にとって久しぶりの感覚が全身を駆け抜けた。

 『怪物』に魔法をかけられるまで知らなかった感覚。目の前の男が、私を征服しようと企んでいる時の空気感。五感が鋭敏になり、男たちのぎらぎらした視線がこの身体に集中していることや、欲情をはらんだ息遣いが鮮明に分かる。

 髪を掴んでいた手が離れ、私の腰に絡みつく。身をよじって逃げようとするが、力の差は歴然だった。


「はっ、離してください! 離して!」

「震えてんぞ、怖いのか? それが軍隊ってやつだ」


 恐怖と焦燥で上ずった声も、震える身体も、すべてが見透かされるような感覚だった。

 涙が勝手に湧き出して視界をにじませる。丸太かと思うほど太い腕が、獲物を締め上げる蛇のように不気味に身体を這いずり回る。無造作な指先が食い込むたびに怯えた声が漏れるのを聞いて、男の指先がさらに嬉しそうに踊る。


 怖い!


 胸の奥で心臓がガンガンと警鐘を鳴らしまくる。力仕事で汚れた男の汗混じりの体臭が鼻孔にこびりつく。

 水の中にいるかのようにぼやけた視界の先にクラウスが見える。やけに遠く見える背中に、私はヤケクソで叫んだ。


「クラウス、たすけて!」


 ほぼ同時に、鈍い音が目の前で響いた。獣が苦しむさまを彷彿とさせるうめき声、さらにもう一度重たい衝撃音。最後に地面に大きな何かが落ち、ほんの一瞬だけその場を静寂が支配した。

 視界の奥でクラウスの影が俊敏に動く。


「てめえ! ぶっ殺し」


 動揺を隠せない怒号が、固い音で打ち消された。岩と金属を打ち付けたようなその音の直後、どさりと濃緑の男の一人が地に伏せた。それでもクラウスは止まらなかった。

 立て続けに仲間を二人も沈められ、残った荒くれ者たちは多少狼狽した様子だった。そして、クラウスもその隙を見逃すタチではない。剣を鞘ごと腰から引き出し、最も近くに立っていた濃緑色に襲いかかる。

 固い鞘が頭をかち割り、また一人のごろつきが地に消える。何人かが逃げ出し、その場にはクラウスと私、そして私を抱えるルヴェール兵だけが残された。先ほどまで私を捕まえていた腕がぱっと離れたかと思うと、男は二、三歩後ずさりして今にも逃げ出そうとしていた。


「ま、待て! お前、ル、ルヴェール軍に入ったんなら、同胞に、て、手出しは……!」


 しどろもどろになって説得を試みたのも束の間、顔面に鞘の先端が勢いよく突っ込み、男はそのまま砂地にひっくり返る。口と鼻から血をだらりと垂らしたまま、男はぴくりとも動かなくなった。

 そこらに転がる四つのルヴェール兵たちをじろりと見て、クラウスはふぅとひと息つき、剣を革ひもに吊るし直した。


「おい、大丈夫か。……テスタ」


 そのままクラウスは突っ立ったまま動けない私の前まで歩いてきて、指で私の涙を拭った。


「だっ……いじょうぶ、です」

「泣いてるが」

「なっ、泣いてませんっ!」


 咄嗟に苦しいウソをついて、ローブの袖で目元をごしごしと擦る。実際のところ心臓はまだバクバクと早鳴りを続けているし、脚も少し震えている。かつての心の傷を無理やりこじ開けられた上に侵入までされかけたような恐ろしさだった。


「俺に絡んできたヒゲ野郎の隙が思いのほか少なくてな、やつの意識が逸れる契機を探っている間に危険な目に遭わせてしまった。悪かった」


 クラウスが腰を折り、膝に両手をついて頭を下げた。

 私がいたせいで変に揉め事をこじれさせてしまったきらいがあり、悪いのはこちらだと思っていたので、突然の謝罪に私は面食らった。どうすれば良いのか分からず、わたわたと狼狽えた末に私も低く腰を落として応える。


「そ、そんな、謝らないでください、むしろお礼を言いたいくらいですから」

「いや、しかし……」

「いやいや、クラウスさんがいなかったらどうなってたか……。助けてくださってありがとうございます。馬車が襲われた時と足して、二回も救われてます」


 頑なに頭を下げ続ける彼の身体を無理やり起こし、砂地に打ち捨てられた命令書を拾って手渡した。クラウスはまだ何か言い足りないようすだったが、バシバシと肩を叩いて有無も言わせず命令書をしまわせる。


 何か別の話題を持ち出そう。


 そう考えた私は改めて周囲を見渡してみた。背後の塹壕線沿いには、こちらの騒ぎに対して我関せずを決め込んで作業に従事するルヴェール兵がちらほら。前方にはクラウスの指摘通り何ら障害物が無く、まばらに草が茂っている。その先に鬱蒼とした森が広がっており、視界が良いとは決して言えない。むしろ森に身を隠すことが出来る分、攻撃側に利する地形となっているように思える。


 これだ!


 会話の足がかりを見つけた私は、こほんと咳払いを一つしてから話を振ってみる。


「……そもそもこの陣地って地形的にどうなんでしょう」


 やや演技がかった口調になってしまった気がするが、とにかく話題を変えるための一石を投じた。クラウスもそこは理解してくれたらしく、先ほどまでのちょっぴり申し訳なさそうな表情が消え、いつもの軍人の顔つきに戻った。

 私とクラウスは、二人して砂地を歩き始めた。


「何か問題があると思ったか?」

「うーん、素人の考えかもしれないですけれど。陣地の前に森が広がってるわけじゃないですか、それって敵にしてみれば身を隠す絶好の場所だと思うんですよ。起伏も少ないので大軍に攻められたらひとたまりもなさそうです。最悪の場合、陣地内に押し込められて潰されてしまうんじゃないかと……」


 その道の専門家に意見するのは小っ恥ずかしいものがあり、少し頬が熱くなるのを感じた。ショートブーツの先で砂を蹴って火照りを誤魔化す。


「悪くない指摘だ。実際この陣地で戦うことになった場合の懸念の一つはそれだな。とは言え、森をすべて伐り開くわけにもいかない。他方で敵の包囲も防ぎたい。ではどうすれば良い?」


 と、クラウスが再び尋ねる。

 お世辞かもしれないが、さらりと褒められたことに嬉しくなって頬が少し緩んだ気がする。はっとした私は唇を意識して結び、少し考えてから川の方向を見た。

 ……三つの塹壕線の奥に横たわるなだらかな坂の上に流れるドナ川。もしかすると、この陣地の守りの要になるかもしれない。


「大軍が来ても川を渡られないようにする。か、渡られても構わないように対岸も固める……ってところでしょうか」


 私が答えると、クラウスはその場ではたと歩みを止めて私を見つめた。

 私も立ち止まって彼を見るが、その瞳からどんな感情か読み解くことはできない。決して敵意を含むものではなく、強いて言えば、珍しい動物を見るかのような――妙な視線だった。私としては全くもって不快ではないものの、ちょっとむず痒いものがある。クラウスが黙っているので、私はちょっと気まずくなってわざとらしい照れ笑いをした。


 その照れ笑いに呼応するように、クラウスはほんの少しだけ口角を持ちあげた。ごわごわした外套の隙間から伸びた手が私の頭の上に置かれ、ポスポスと数回跳ねる。火照りの収まりかけた頬がまた急速に熱を帯びるのを感じるが、クラウスは全く気にするようすがない。


「やはり直感は悪くない。案外、軍人を志しても成功していたかもな。まさに対岸の防御力強化は喫緊の課題だから、あとでドナ川方面も視察するつもりだった。――――行くぞ」


 クラウスはそれだけ言って再び歩き出した。

 私はドコドコと鼓動する心臓のあたりを右手でぎゅっと押さえ、リンゴのように赤くなっているであろう顔のまま彼の後ろをついて行った。


 実のところ、こういう気持ちに陥るのは初めてではない。

 私の自我、つまりテスティリスは同性の同僚に褒められたとて動揺することなどあり得ないだろう。

 彼に頭を撫でられただけでここまでドキドキしてしまうのは、テスタとして生きた時間が長かったからか、あるいは身体に心が引っ張られているのか、私としてはいずれ結論に辿り着きたいところではあるが……、


 急にそういうことするの、ドキドキするからやめてほしい!


 ……などとは、伝えられるはずもなかった。

 

お世話になってます。

お読みいただきありがとうございます。


TS娘は弱みを突かれたらとことん弱くなる生き物。


以上!

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