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15/25

15: 月と流血

 寒冷なルヴェール王国にもほのかな春の気配が漂う四月の終わりに、私とクラウスはディスナの野戦陣地に向けて出発した。


 ニメン川から要塞都市ヴィルノまでの道のりでお世話になったような上等な馬車はさすがに手配されず、軍馬一頭が私たちに与えられた。私には乗馬の心得が無いので騎乗するクラウスの隣を歩こうと思ったのだが、クラウスに反対されたので結局二人乗りに落ち着いた。


 カポカポとゆったり進む馬のたてがみが目の前で揺れる。私の背後からクラウスの力強い腕が伸びて手綱を操る。密着した背中から体温が伝わってくるので、変に緊張してしまう。安定するという理由で私が前に座っているのだが、こちらとしては気持ちがざわついて仕方がない。


 ……そんな具合で、最初の数日はやたらどぎまぎしていたのだが、出発して四日目の行程になって異変が訪れた。






◆◆◆






「はぁ……はぁ……。ク、クラウス……もうちょっと……揺れを何とか、出来ませんか?」


 私は浅い呼吸を繰り返すだけで精一杯になりながら、すぐ背後にいる男に尋ねた。


「これでもずい分穏やかな方だが……どうした? 体調が優れないなら……」

「いえ、だ、大丈夫……」


 クラウスの言葉を短く遮る。背中をいつもより少しだけ深く預けると、彼の温もりが返ってきていくぶん気が紛れる。相変わらず浅い呼吸を続けながら下腹部を手で押さえ、うつむき加減で目を閉じて痛みに耐える。

 容姿を変えられて四年以上経つ。私もバカではないので痛みの原因は分かっているのだが、大事な予定を狂わせてしまうのが忍びないので、ひたすら我慢を決め込んだ。


「しばらく休憩するか」

「いえ……だ、だい……」


 気遣うような口調のクラウスに何とか返事をするが、馬上の揺れに耐えるのが限界に近付いてきたのは自分でも分かる。僅かに目を開いてみると、ぐわんぐわんと視界が揺れて目が回りそうになる。下腹部のじくじくとした痛みが吐き気を伴いながらしきりに存在を主張し、身体の力が抜ける。


「おい。おい、聞こえるか」

「…………」


 彼の声がやけに遠くなった気がした。

 返事をする気力も失って目を閉じると、チカチカした闇の中でだんだんと意識がぼやけていくのが分かった。






◆◆◆






「んぅ……、あ……」

「起きたか」


 いつの間に寝ていたのか、気づいてみれば私は焚火のもとで毛布にくるまっていた。パチパチと爆ぜる音が耳に心地よく、まどろんでしまう。ぼんやりと空を見ると、夕刻にさしかかろうとしていた。


「お……はようございます……。すみません、私……」

「起きなくて良い。急に馬から落ちかけたんだ。安静にしろ」


 すぐ傍で焚火を囲うクラウスにやんわり静止され、起き上がりかけた背中をもう一度地面におろす。クラウスは焚火に吊った小鍋の中身をかき混ぜながら、困ったような視線をこちらに向けた。


「一体何なんだ」

「いやっ、あの……すみません、えーと、月のモノです」

「月の……あぁ」

「こういう事でいちいち止まるのもどうかと思いまして……」


 クラウスが気まずそうに目を背ける。

 一方の私は目が覚めてきて手持ち無沙汰なので、ちょっとだけお喋りをして気を紛らわせたくなった。身をよじって身体をクラウスの方に向けると、彼がまたこちらを見ておっかなびっくりに問うた。


「その痛みは……治癒魔法ではどうにかならないのか」


 もっともな疑問だ。指摘された途端に意識の表面に現れた鈍痛を和らげるため、毛布の中で少し背中を丸めて答える。


「今のところは難しいですね……外傷というわけでもないので。……あ、ただ、出てきた血は浄化で何とでもなりますが」

「そうか……」

「あ、でも明日にはだいぶ楽になってると思います」

「そうか……」


 クラウスは何だか心ここにあらずといった感じだ。私が幼いころからずっと法官としての人生を歩まされてきたのと同じように、彼も物心ついた頃から軍隊生活を送ってきたのだろう。そういう雰囲気が漂っている。それゆえにこの手の話題への耐性が乏しいと考えるとこの態度にも納得がゆく。


 なかなか可愛いところがあるじゃないか。


 私は何だかこの男をからかいたい気持ちが強くなって、毛布にくるまったままモゾモゾと近寄り、手のひらでクラウスの背中をぱんぱんと叩いた。気もそぞろに小鍋の相手をする彼は私の不審な動きを訝しんでいるようで、それが面白くてにんまり笑ってしまう。今までさんざん憎まれ口を叩かれた恨みを少し返した気分だ。

 ニタニタする私にため息を一つ吐いて、クラウスは小鍋の中身をコップによそってくれた。


「とりあえず、食え。昼前からずっと寝てたんだ。栄養をつけろ」

「あ、ありがとうござ……って、昼前から? ごっ、ごめんなさい! 予定に遅れちゃう……」

「良いから、食え」


 私のせいで旅程が大幅に狂ってしまったことを改めて認識し、さっと血の気が引いた。が、クラウスは私の焦り混じりの謝罪を意に介することも無く、ただただ食べることを促してくる、何だかハルミアみたいだ。

 すっかりしゅんとしてしまった私は、すみませんと一言呟いてコップを受け取り、湯気を立てるスープに口をつけた。


「あ、美味しい」

「そうか。良かったな」


 クラウスも小鍋の残りをコップに注ぎ入れてすすり始める。

 出発前に用意した十日分の携行食の中から、干した野菜などスープに適したものを選んで調理してくれたらしい。ふつうの野菜スープよりも旨みや風味が豊かな気がする。コップを持つ両手もぽかぽかして、身体の芯から暖まるのを感じる。本当に美味しい。


「何か特別な材料とか使ったんですか?」

「その辺の香草を適当に摘んで入れた。軍隊生活が長いからな、道端のものが食えるか食えないかは多少分かる」

「なるほど……。本当に美味しいです、私も覚えたいな……」

「また見かけたら教えてやる」

「ホントですか? ありがとうございます!」


 今まで知らなかったが、旅のさ中に美味しいものを食べることで得られる幸福感は馬鹿にならない。肩がゆらゆらと動いて小躍りしてしまいそうだ。口角がにっと吊り上がっているのが自分でも分かる。

 スープを最後の一口まで平らげほっとひと息つく私を見て、クラウスはほんのちょっとだけ微笑んだ。






◆◆◆






「んぬぬぬぬぬ…………」


 自分の身体が憎い。

 夕食の後しばらくゆったりとした時間を過ごし、すっかり暗くなってきたので横になって休もうと思ったとたんにこれである。

 私としてはあまりクラウスのお荷物になりたくないのだが、ずしずしとしつこく響く痛みのせいでしかめっ面をせざるを得ず、それを見た彼に「何かしてほしいことはあるか」言わせてしまう。申し訳なさで頭がいっぱいになったのですぐ「何もない」と答えたのだが……。


「あの、クラウスさん」

「なんだ」

「やっぱり、お腹を触ってもらってても良いですか」

「は?」


 クラウスがぎょっとする。焚火のほのかな光でおぼろげではあるが困った様子の顔が見えた。

 岩塊がごろごろと暴れるような痛みを和らげたいだけだったのだが、よく考えたらとんでもない頼みごとをしているのではという懸念が生じたので、補足をする。


「あ……別にやらしい意図で言ったわけではありませんよ。私は()()()()『イリオス女』ですから、異性としてどうとか言う含みはありません」

「それは……分かってるが」

「単にお腹が痛むので、さすったりしてくださったら嬉しいということです。私よりクラウスさんの方が手が大きくて安し……あ……」

「……あんし?」


 するすると出ていきかけた言葉が途中で滞る。

 先ほどまで特に意識していなかったのに、急に何だかとても恥ずかしいことを言っていることに気づいたからだ。顔がかっと熱くなり、思わず視線があらぬ方向へ飛ぶ。腑に落ちないクラウスが見つめてくるのもむず痒い。


「だから、その……! あ、安心、するの……で……」


 声が裏返ったかと思えば、尻すぼみになって消えてゆく。やっぱり言わなきゃ良かったと後悔するもあとの祭り。いたたまれなくなって両手で顔を覆うと、手のひらが頬を冷やした。

 早鳴りする鼓動を落ち着けるためにあうあう唸り、目をぎゅっと閉じて無理やり寝ようとしているところに、クラウスがゆっくり近寄る気配を感じる。彼は何も言わずに私の腹部に手を添えた。


「あ……」

「これで良いんだな?」


 クラウスもさすがにソワソワしている。一方の私は、驚くほど急速に落ち着きを取り戻した。

 縫いつけられたように動かない彼の手は、毛布や衣服ごしの感触ながら数日前に触れた時と変わらず大きくて、温かかった。身体の中で暴れる岩塊が、ごつごつした手で削られて小さくなっていく気がする。何だか寝てしまいそうだ。


「ちょっと、さすってもらえますか?」

「……今日だけだぞ」


 クラウスはぼさぼさの黒髪を雑に掻いて諦めのうめき声を一つ吐きだしたが、思いのほか素直に従ってくれそうだ。

 クラウスの手が円を描いて腹部を撫で……、


「んぅ……あっ……! あぅ……っ」


 身体中を今まで経験したことのない衝撃が駆け抜けた。四肢がピリピリと痺れ、腹部から広がってゆく心地よい何かを逃がしきれずカクカク震える。私の反応にクラウスも驚いて動きを止めた。


「すっ……! すみません、やっぱ、さするのはっ、無しで……っ」

「あ、ああ……」


 全身がじんわりと熱く、ひたいに汗が滲んだ。ほのかな幸福感をはらんだ余韻のせいで上手くろれつが回らず、肩で呼吸をしながら前言を撤回した。

 今までの数年間、この手のひどい腹痛に苛まれたことが無いわけでは無い。しかし、そのたびに自分で腹部をさすったりして何とかしてきたものだから、考えてみれば他人に身を任せたのは初めてだった。まさか自分がこんなにも刺激に敏感だとは思ってもいなかった。失敗した……。


 こんな醜態をさらしておきながら、なおも私に手を添えてくれるクラウスに感謝の念を抱きつつ、私は同じ失敗を繰り返さないことを心に誓った。

お世話になります。

お読みいただきありがとうございます。


TS娘が色んな要因で元気ないのが、好き……


以上!!

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