14: 第一軍司令官シノン
久しぶりに落ち着いた食事を楽しんだ後、私とクラウスはリーヴェン少佐に伴われて司令官と対面していた。
要塞の小さな一室に設けられた司令部で、クラウスが軍人特有の儀式めいた機敏な動きで敬礼し、懐から取り出した書簡を手渡しながら言う。私は数歩後ろでリーヴェン少佐と並んでその姿をじっと見ていた。
「ルークイ王国陸軍より参りました、マクデルクのクラウスです。先日辞表を提出して受理されたため現在は軍籍がありませんが、在職中の階級は中佐でした。つきましては、ルークイ王国陸軍部長シャルトー将軍から預かりました推薦書をご一読ください」
司令官は意識の半分を傍らにある木製の机に広げられた軍用地図に持っていかれながら、もう半分の意識を傾けてクラウスの手紙を受け取った。豊かな光をたたえるランプに照らされる男の姿は、将官用の軍服を着ていなければ哲学者か何かかと勘違いしてしまうような無頓着さと底知れなさが同居していた。
シャルトー将軍からの推薦書を読み終わった男は、よれよれの軍服に書簡を突っ込んで軍用地図を一瞥し、またクラウスの方を見て一瞬固まったかと思うと、今度はぎょっと軍用地図を凝視しながら口を開いた。
「ディスナの野戦築城はどうか?」
意図を汲み切れなかったクラウスが「は……?」と声を絞り出すと、男はクラウスの方をじっと見て続けた。
「シャルトー将軍の議論は正しい。我々と帝国、それぞれの現在の動員状況を比べてみれば明らかだ。我々の軍は20万にも満たぬが、帝国は40万を下らんだろう。つまり、ニメン川だけに頼った従来の水際防御は意味をなさん。私も同じことを陛下に重ねて申し上げてきたが、つい最近になってようやく撤退の許可が下りた。ではどこまで撤退するか? それが次の問題だ。……目下ディスナに野戦築城を建設している」
クラウスが軍用地図に近寄る。司令官の周りには同じく将軍クラスの高官や参謀たちが控えていて、司令官がクラウスに意見を求めたことに対して複雑そうな表情を浮かべる者もいたが、クラウスはそんなことを気にする男ではなかった。
「地図で見る限りですが……ここから十日行程ほど後方にあるディスナは、更に後方に控える王都と大港のちょうど中間にあるため、一見するとどちらに撤退するにも便利と思えます。が、裏を返せばこの陣地は使い方が二つあり、戦略上混乱を招きます」
地図の何点かを指さしながら、クラウスは率直に述べた。
私はディスナという地名を聞いたことがなかったため、はじめ一体何の話をしていたのかが分からなかったが、クラウスの話を聞いてみて漠然とイメージが浮かんできた。
私たちが集まっているこの要塞から北に進んだ先にあるのがディスナの陣地で、さらにそこから枝分かれした向こうにルヴェール王国の都と巨大な軍港がそれぞれ控えているということだ。
なるほど理屈上は整然としてスキの無い撤退プランのように思えるが、クラウスは地図を一目見て異を唱えた。戦略上混乱を招く……いまいちピンとこない。
やはり即座に、控えていた参謀から荒々しい声があがる。
「退却線は流動的な戦闘の中で状況に応じて決定するものだ!」
「甘い! 都か港か、これほど重要な二者選択はその場の即興で決定して良いようなものではない! このような優柔不断を『怪物』が許すとは思えません!」
クラウスがピシャリと論駁するので、参謀はそれ以上とっさに言い返せず固まってしまった。
私も素人ながら、何となく彼の言いたいことが分かってきた。要するに、何万もの軍勢を撤退させるほどの重要事項なのだから、都に行くにせよ港を目指すにせよ行先をあらかじめ決めておくべきというわけだ。その日の夕食を選ぶようなその場の雰囲気でホイホイ変えて良いものではないし、この手の曖昧さは敵につけ入るスキを与えてしまう……と言いたいのだろう。
思わずあごを指で撫でて考え込んでしまう。さすがは戦の専門家といったところだろうか。カバンの中にある彼直筆の講義録の重みが頼もしく感じた。
うんうんと小さく唸った私の横でリーヴェン少佐が少し膝を曲げ、私にこっそりと耳打ちした。
「ディスナの戦略的価値については、わが軍の中でも見解が分かれています」
なるほど。だからいよいよ帝国と干戈を交えるという時になっても『どこで戦うか』で揉めているのか。
背中に言いようもないイヤな汗が流れていった。この戦争、これで本当に勝てるのだろうか? ここが私の最期の地になるようなことがあれば、学会を向こう100年呪ってやる……。
今度は私がつま先立ちになってリーヴェン少佐に寄り、耳元でささやいた。
「今の話を聞く限り、ディスナで戦う理由は無いと思いましたが」
「いかにも。しかし、仮にディスナを放棄するとなれば、再び『どこで戦うか』が白紙に戻ります」
「確かに……そうですね」
「際限無く撤退することは出来ませんから、どこかで戦う必要があります。そして今のところ、ディスナは消極的ながらその有力候補……」
リーヴェン少佐が言い終わらないうちに、司令官が口を開いた。
「クラウス中佐。第一軍司令官シノンの名において、貴官に辞令を与える」
周囲のルヴェール軍人たちがどよめく。
無理もない。あらゆる事務的な手続きを飛び越えていきなり辞令を与えるなど異例だろうし、そもそもクラウスはルークイ王国軍での職を失っているから厳密には中佐でさえない。そこで敢えて中佐と呼んだということは、この司令官の裁量でルヴェール軍人として迎えるという意思表示に他ならない。彼らルヴェール軍人の間にもそれなりの連帯意識はあるハズだから、よそ者が司令官に目をかけられるのが面白くないのだろう。
クラウスは改めて姿勢を正し、あごを引いて司令官ことシノンを見据える。
「明朝ここを発ってディスナに向かい、現地の築城工事がどの程度進捗しているか視察し、同時にディスナまでの適当な行軍経路ならびに宿営地を調査せよ。命令書は…………今書くから少し待て」
「はっ」
司令官がペン先を無造作にインク壺へ突っ込み、紙に黒い水滴が染みを作るのも気にせずに手早く命令書を書きあげ、クラウスに突き出す。
クラウスは一歩前に出て書簡を受け取り、また一歩下がりながら軍靴のかかとを打ち鳴らし、儀礼めいた礼をした。
司令官はその一連の動きを全く興味無さげに見つめていたが、不意に焦点がブレたように瞳を動かし、クラウスの背後につっ立っていたリーヴェン少佐と、その隣の私に注目した。その眼光は特別鋭くなかったものの、身体の内側を直接見透かされているような感じがして息が詰まった。
「お嬢さん……は、誰かの連れかね」
「あ……はい、遅ればせながら。アラギノのテスタと申します。魔法使いでございますので来たる戦役でも何かのお役に立てるかと思い、クラウス中佐と共に参りました」
「そうか。……菓子でも食べるかね」
「は……えぇ?」
つかつかと寄ってきた司令官から突然焼き菓子を差し出され、返事に窮してしまった。たぶん私は今きょとんとした表情を浮かべているのだろう。私を見る司令官の表情からは先ほどまでの底知れなさが鳴りを潜め、子どもに接する親のような優しさを覚える。
つまり、彼の行為にさしたる意味は無く、私はただ単に餌づけされている……ということか。
「その……では、いただきます」
大勢がいる中で断るのもどうかと思い、素直に受け取って口に放り込む。
一口大のその焼き菓子はクッキーとケーキのちょうど間くらいの触感で、表面が少しサクサクしているが、中はスポンジ状でふわふわしていた。咀嚼するたびに香ばしさが鼻の奥を抜け、甘みが舌いっぱいに広がる。しばらくお菓子と無縁の旅をしていたものだからやけに美味しく感じてしまい、飲み込むと同時に思わず頬が綻んだ。……が、何とか持ち直して礼を言う。
「とても美味しいです。ありがとうございました」
恭しく一礼すると、高官たちが「おぉ……」と低くざわつくのが聞こえた。何かコソコソと囁き合う気配も感じるが、何を言っているのかはよく分からない。変な所作だったかもしれないと不安に思っていると、リーヴェン少佐が私の背に手を添えてゆっくりと言った。
「テスタ殿は一見可憐な少女ですが、帝国と事を構える覚悟が十分にあり、知恵も回ります。何よりアラグノイア学会お墨付きの魔法使い。ルークイ王国を出奔したクラウス中佐への同道を命じたのも学会本部の判断でありますゆえ、なにとぞ……」
学会の名前を出しても良かったのか、とその時初めて気づいた。何だか変にごまかした挨拶をしてしまったので、今さらではあるが少しばつの悪い気分になって目が泳いだ。
司令官は少し前傾し、やや挙動不審な私に顔を近づける。そういうことをされてはますます居心地に困ってしまう、と唇をもごもごさせていると、司令官は二、三度うなずいて顔を離した。助かる。
「それではきみもクラウス中佐に同行すると良い。戦争は専門外かもしれないが、色々と見て回るうちに学びがあるだろう」
司令官の脳内でどのような議論を経たのかは不明だが、とにかくそういう決定が下された。私としては見知らぬ地に一人残されるよりはクラウスと行動を共にする方がありがたいので断る理由も無く、二つ返事で承知した。
かくして、旅の終わりにひと息ついたのもつかの間、次の目的地であるディスナの陣地に向けて慌ただしく発つことになったのである。
お世話になります。
お読みいただきありがとうございます。
TS娘が、自分の心が身体に引っ張られてるのを認めたくないやつはやく書きたい!!
以上!




