12: テスタの過去④
どことも知れない暗く小さな牢の隅で、私はいつやって来るかも分からない足音に怯え、目の粗いごわごわとした毛布にくるまって震えていた。
『教育』という名の暴力が、皇帝にさえ楯突いた私の意気を折るのに時間はかからなかった。
あれからどれほど経ったのかさえ分からないが、とにかく形だけでも裁判が行われようとしていたあの日。皇帝が私にかけた一つの魔法を契機として、法廷の秩序は完全に失われた。いや、今にして思えば、あれはむしろ秩序だった一連の乱暴と言えるかもしれない。
出廷していた連中は、さながら思いがけぬ餌に恵まれた猟犬のように息を荒げて私を取り囲んだ。私は、それまでの人生で一度も経験したことの無い異質な恐怖に身をすくめて逃げ出そうとした。しかし、手錠で両手を繋がれていた上、身体のバランス感覚が失われてしまっていたため、男たちの壁を掻き分けようと試みることさえできずに床に転がった。
「タタラスクのテスティリス。貴様は現時点をもって帝国法官の職を解かれ、帝国臣民が持つすべての権利を失う」
顔面に深い皺を刻んだ法官が、何かを待ちきれないといった風な早口で、床に伏す私の首根っこを掴みながら語りかける。無理やり身を起こされる痛みにうめき声を漏らす私を見て、彼の表情に嗜虐的な笑みが宿った。
「では各々方、『教育』を始めましょう」
……それからのことは、正直思い出したくない。
はじめからあの場に味方などいなかったのだが、結論は既に決まっているのだからと却って気が大きくなっていたフシがある。だからこそあんな大立ち回りに及んだのだろう。しかし、皇帝は男たちに「殺すな」と一言命じた。その瞬間に、権威ある司法の場は、あらゆる手段でもって延々と私を汚し辱める場に豹変したのだ。耐えられるわけがない。
法廷での蹂躙が済んでからも、私が解放されることはなかった。
数日か、あるいは十数日か……牢に押し込められた私は、入れ替わり立ち替わりやってくる男たちに『教育』を受けた。
すっかり威勢を失っていた私は、少しでも手加減してもらうために男の足元にひざまずき、惨めに許しを請う始末だった。しかしそこは私が人生で最も軽蔑する男たちである。誰一人として私の願いを聞き入れることは無かった。
一度、ある男が大きな鏡を持参して来たことがある。その時、私は始終鏡で自分の顔を見ながら『教育』を受けるよう強要されたのだが、確かあれが自分の姿を初めて見る機会だった。
すっかり華奢になってしまった少女の身体は、ひどい環境のせいで少しやつれたように見えた。涙の跡がつたう頬を辿ると、既にさんざん泣きはらした瞳から飽きもせずに涙が溢れている。整った顔立ちをぐちゃぐちゃにしながらガチガチと歯を震わせて男の仕打ちに耐えるさまを、私は不思議と客観的に眺めていた。
これまで、男たちは私をいたぶるだけいたぶってから、次にやって来る者への配慮からか、私に浄化魔法をかけてから立ち去るのが慣例となっていた。そのため、その時の私はボロボロだったものの、妙に清潔感があった。そのちぐはぐさに思わず笑ってしまったがために、その日私は気を失うまで追い詰められることになった。
それまでの屈辱的な暴行の数々がもたらした恐怖に加え、澄み切った冬の冷たさのせいで、その日の震えは一段とひどかった。
ぼろ切れ同然の毛布で身体を覆うも、冷え切った空気が体の熱を容赦無く奪う。奥歯が際限無く音を鳴らし、裸足のつま先は添えた手の温みで辛うじて凍傷にならず済んでいるような状態だった。既に夜も更けているものの、これでは眠ることさえできそうにない。
私が身体を一層縮こまらせたその時、牢の目の前に広がる廊下の奥が鳴った。
一定のリズムで床を叩くその音は、誰かがこちらに向かっていることを告げていた。全身が硬直し、心臓が張り裂けんばかりに鼓動する。
足音は私の部屋の前で止まったが、音の主を直視することなどその時の私にはとうに不可能だった。小さな部屋の隅でうずくまるようにひざまずき、頭を地面に擦りつけて声を震わせる。
「ど……どうか……っ! どうか、な、情けを……! おねっ……お願いします……っ」
目の前にいるはずの何者かは、私の言葉に返事もせず、かと言って格子戸を開いて襲い掛かるでもなく、じっとその場に佇んでいるらしい。私の視界の端に見える人影が全く動じていなかった。とはいえ、当時の私にはそんなことを気にする余裕も無く、ただただ震えて慈悲を請う次の句を紡ぐほか無かったのだが、その口上は不意に口を開いた目の前の人物にかき消された。
「テスティリスか?」
聞きなれたその声に、身体の震えがビタッと収まる。頭を上げることは出来ないが、何とか声を絞り出した。
「イ……イーノス?」
「アバラチアのイーノスの名において命ずる。開け」
格子戸の歪んだ金属音に続き、目の前の人物が私に駆け寄る音が部屋に響く。
相も変わらず身じろぎ一つ出来ない私の身を起こしたその人物は、たしかに私の友人イーノスその人だった。イーノスは自分の外套をスルスルと脱ぎ、呆然とする私に羽織らせた。こういう人の温もりに触れることは久しぶりだったし、これから一切無いかもしれないと諦めていたから、涙が堰を切って零れ落ちた。
「イーノス……なんで」
「法官府の若手の間で噂になってたんだ。好みの政治犯とよろしくやるために監獄に通ってる変態どもが指導部にいるって。お前の判決が非公開だったから、きっと何かあると思ってな」
指導部という言葉にビクッと身体を引きつらせてしまう。恐らく表情も強張っているのだろう。イーノスは私の顔を見つめ、瞳に心配げな色を浮かべながら問うた。
「テスティリス……で合ってる、よな? 面影が無いことは無いし、髪と瞳の色も同じだ……。魔法か? 誰にやられた?」
「…………皇帝、陛下、に」
イーノスが目を見開いた。私の背をさすってくれていた手に力がこもるのが分かる。
「なるほど……。聞いたこともない芸当だけど、陛下の『星の魔法』なら説明がつく……。な、立てるか? お前を助けに来たんだよ、今すぐ脱出するぞ」
少し考えてから納得した様子のイーノスは、周囲を警戒する身振りをして私に手を差し伸べた。この男は、タタラスクを巡る一連の騒動と、不明瞭な私の判決、そして上層部の不穏な噂からこの場所を探り当て、のみならず私を救い出そうとしてくれている。涙は全く止まる気配が無かったが、これは今までと違ってうれし涙だ。うれし涙ではあるのだが……。
「そんな、そんなことしたら! イーノスまで危なくなる……!」
自分の今の境遇もあり、今更な懸念が私の頭をもたげていた。イーノスは目を丸くし、今度は目を細めて笑った。
「そりゃそうだろ、危険を冒して助けに来たんだから。立てないんなら、ちょっと失礼するぞ」
あっけらかんとしたその態度が変に懐かしくて思わず笑ってしまった刹那、身体がふわりと浮き上がった。もとい、持ち上げられた。外套ごしの背中と膝裏にイーノスの体温を感じる。お姫様だっこというやつだ。まさか自分がされる側になるとは思わなかったので、呼吸がきゅっと詰まるのを感じた。緊張した面もちの私を一瞥して、イーノスはニヤッと笑った。
「わが身を隠せ」
イーノスが杖をひゅるりと振って詠唱する。途端に私たちの周りをぼんやりとした白いモヤが覆い、イーノスの歩みに合わせてまとわりつく。
一見して、物理的に姿を隠してくれるモヤという勘違いをしてしまうかもしれないが、実際のところこの魔法は人の認識を阻害するものだ。つまり、周囲の人間には私たちの姿が見えているのだが、このモヤはその視線に込められた興味を払い落とす。したがって私を抱えて歩くイーノスを誰かが見たとしても騒ぎにならないし、後日思い出そうとしても、文字通り記憶にモヤがかかるわけだ。言わずもがな強力な魔法なのだが、それをここまで短い詠唱で使いこなすイーノスは相当この魔法を使いこんでいる。とんだイタズラ野郎である。
イーノスはあっさりと監獄を抜け出し、闇夜に隠れて街道をそそくさと歩いてゆく。
「イーノス、身隠し魔法に慣れすぎでしょ。相変わらずワルいやつだね」
「そのワルさに救われたな、テスティリス。……もうしばらく歩くから、これからの話でもするか」
「わ、分かった」
「これからルークイ王国軍の捕虜が抑留されてる館に向かう。この前の戦で王太子さまとその副官を捕えたんだが、捕虜交換で帰国されるそうだから、交渉してお前も連れて行ってもらうつもりだ」
「こ、交渉……可能なの?」
「お前しだい」
イーノスの言葉に気が遠くなるような思いがした。よっぽど困った顔をしていたのだろう、イーノスが私をちらっと見、慌てて言い直した。
「だ、大丈夫だって。お前は仮にも若手じゃ一番の魔法使いだったんだから、実力に自信持て」
「んぐぐ……そんなこと言われても」
「とにかく! 心配することは無い。いざとなれば俺もいる。大丈夫だ、帝国はもうお前に手を出せない」
きっぱりと言い切るイーノスを見て、何だかまた涙が溢れてしまう。もう、体中の水分を出し切ってカラカラになるんじゃないか、と不安になるほどだ。しかし、それと同時に口角もくっと持ち上がり、イーノスと顔を見合わせて笑った。
久しぶりの空を見上げると、しんと澄んだ夜の闇に星々がまたたいていた。涙ごしの潤んだ光が、無性に暖かかった。
お世話になってます。
お読みいただきありがとうございます。
過去編終わり! 次いってみよう!
以上!




