Absurdity
膝の上に置かれた本。
すぐさま椅子の裏へと隠す。
中身など確認しない。
現実世界に紙媒体の物なんて嫌な予感しかしない。
現実世界で人類は衰退を迎えた。
しかし、それは人類だけだったようで、人類が消えてから地球は再生を始めた。
昔の天才が言っていた、人類は地球の癌細胞というのは本当だった様だ。
お陰で一世紀の時間で現実東京は草木に埋もれて見事なジャングルと化している。
そこを今の電子人類が開拓をしている訳だ。
東京の街を取り戻すのが、俺の仕事だ。
しかし、既に人類は肉体を捨てている。
今現実にある身体は機械人形の身体で元の体なんてものは無いし、俺は生まれた時から電子人類だ。
現実世界に未練や魅力などある訳もない。
それは俺だけでなく、電脳世界の共通認識だ。
お偉いさんの中に現実世界に未練を持っている人がいるとかでこの仕事は生まれている。
しかし、電脳世界の発展には繋がらないと判断されているせいか人気は無く、お偉いさんも給金をケチっているのか少ない。
夢も希望もないのが、現実だ。
そんな現実で簡単かつ確実に処分できる紙媒体。
電脳世界だろうが現実世界だろうが使用するのは電子媒体。
紙媒体など面倒で非効率なのは共通認識で良いだろう。
それが好きな物好きはいるだろうが、電脳世界に紙媒体は持ち込めない。
それこそ電子データ化しないと。
しかし、現実世界での紙媒体は一つだけ有用性がある。
それは燃やすなりなんなりすれば消えるということ。
電子データの物は電脳世界で燃やそうともデータの修復を行えば簡単に戻る。
一応完全削除すれば消えはする。
そもそも一般市民に完全削除の権利など持っていないが。
消えても金を積めばデータ再生するやからはとことんいる。
電子データは手軽な分、証拠も残りやすい。
電脳世界上層の人間が好む。
そして同じくらい好む媒体が紙媒体。
使用法は殆ど人が来ない現実世界で取り引きを行うこと。
非公式な取り引きだからデータに残ると不都合なのだ。
だから、現実世界で紙媒体を見るなどそういうことに使うのだと予想できる。
少し当たりを見渡す。
いつも通り人気は無く、異常は無い。
俺は椅子の裏に本を隠したまま、仕事場に向かう。
下手に移動させたのが見られれば俺が疑われる。
隠さずに置いとけば、中身を見たとイチャモンをつけられる。
生憎よっぽどの事が無ければ面倒事に関わりたくない。
そんな本は最初から無かったことにさせてもらう。
仕事場につくと珍しく先輩が先についていた。
いつも通り所長を含め、挨拶を済ませて仕事に取り掛かる。
仕事終わりに同じように帰ろうとする。
「エージ、たまには飯に行こうぜ」
帰ろうとしたところで先輩に呼び止められる。
たまにはどころかこの仕事場で働き出してから初めてのことだった。
「すいません……妹が待っているので…」
「今日1日くらい大丈夫だって!俺が奢ってやるなんて珍しいぞ。それに今日逃したら二度としねぇーぞ!」
肩をがっしりと掴まれ、無理矢理連れていかれる。
頼みの綱の所長はニコニコと笑顔でこちらを見ている。
止めてくれる気配が無いので俺は諦めることにした。
それに変に断り明日からの仕事に支障をきたすのは面倒だ。
いつもと違う道。
先輩に連れられ来たのは大衆食堂。
中華の店なのか食欲をそそる香草と油物の匂いがする。
活気もあるのか人も多い。
席につき、先輩が注文を行うと一瞬でテーブルに料理が並ぶ。
嫌々連れてこられたものの久しぶりの食事に心が踊ってしまう。
例え栄養が全く無いと分かっていても。
というのも電脳世界での食事は娯楽と化している。
肉体が無い電子人体、エネルギーの補給は必要無い。
電脳世界で暮らしていれば、世界そのものからエネルギーが送られる。
だから食事は味のデータと満腹感を電脳に伝える。
その快楽が欲しくて人は食事を取るのだ。
「先輩、いただきます」
「おう食え食え!いただきます!!!」
目の前に置かれた焼売を食べる。
肉の旨みと食べ物感触、温かさに脳が震える。
他にも並べられた食べ物を食べる。
「いい食いっぷりだな!エージ、全然食べて無いからな。妹がいるから女も買わないし、流石に疲れるぜ。食事はストレス解消になる!」
妹が眠ったままになるまで、金が無くなる前まではよく食事をしていた。
たまにはこんな夜もいいか。
食事を終える。
ある程度食えばデータが満腹感を与える。
こんなに食べると明日はお腹が減ったように感じてしまう事だろう。
先輩はタバコをふかし、酒を飲む。
普通の食事とは値が張る嗜好品の酒とタバコ。
そもそも食事の料金もどこから…
「あ、そうだ。俺仕事辞めるから。次に仕事に行って所長に挨拶してな」
「仕事を辞める?……まだ中心街に行くまで足らないんじゃ…」
「食事の奢りや退職なんて金が手に入ったからに決まってるだろ。いつまでもあんな劣悪な環境で働けねぇよ。未来が無ぇ」
劣悪かはさておき人気も未来も確かにない。
本来は自立式のAIに任せられる仕事だが、人件費の方が安上がりだ。
だからこそ俺みたいのに働き口があるのだろうが。
「それにしても宝くじにでも当たりましたか?」
「似たようなもんだな。ほら、見ろよ」
先輩は左手を出し、電子残高を見せてくる。
そこには0が9個。
「これだけの金が一瞬で手に入っちまった」
カラカラと笑う先輩には悪いが、目の前の有り得ない光景に震えてしまう。
これだけの金があれば…
そんなことを考えてしまう。
しかし、人の金を取ることは普通できない。
電子データになった為に本人の許可がない限り、金の引き落としは出来ない。
人の意識に接続して操作する事もできるだろうが、値段も張る。
先輩が持っている金額と同じくらいする。
そんなことするくらいならそのお金で時間を買った方が安くて早い。
「どうやってこんな大金を…」
「教えてやるよ。絶対真似できないし」
好奇心で聞かなければ良かったのだろうか。
聞かなければ欲を出さなかったのだろうか。
「本を売ったんだよ。現実世界で目を覚ました時に膝の上にあった本をな。なんか高そうだから売ったら大当たり。一瞬で大金持ちだぜ」
話に聞き覚え……いや、身に覚えがあった。
膝の上の本。
まさか自分以外にも……というか先輩はそれを売ったのか…
完全に面倒事。
聞かなかったことにしたかった。
しかし、先輩の残高を見てしまったが為に欲が出る。
危険性はある。
だが、それだけの金が手に入るのなら十分だ。
それだけの、金があれば…
嫌、そんな重要な価値あるものなら危険性も跳ね上がる。
金を持っているだけで狙われる可能性も。
売った?
紙媒体を電脳世界には持ち込めない。
なら、データ化したのか。
誰に売ったのだろう。
「先輩……売ったって。誰に、というかどうやって…」
「教えてもいいが、参考にはならんと思うぞ。…あ、あと通知来てるが大丈夫か?」
先輩に指摘され、腕を確認する。
考え事に集中してしまって気づかなかった。
それは病院からの通知だった。
件名は『契約期間の終了間際 余分データの削除通知』
「すいません、先輩!」
「あっ、おい!」
席を立ち、店を出る。
人混みを分け、突き飛ばし、急いで病院へと向かう。
いつも通りの真夜中の病院。
しかし、今日だけは不気味に恐ろしく感じる。
識別コード認証の時間も酷く長く感じる。
エレベーターに乗り、部屋へと向かう。
部屋に入ると部屋の中が赤い光で埋めつくしていた。
妹は変わらず寝ている。
しかし、電子表示に先程の通知の詳細が書かれていた。
この電脳世界では10億人の電子人類が暮らしている。
それは多少の増減が合っても10億人に揃えられる。
理由はそれ以上は重く、少ないと発展出来ないから。
人はネズミ算式に増えていく。
しかも、データの自動修復機能があり、死ぬことなど無い。
それではデータは増え続ける。
そうすれば電脳世界はパンクし、消滅するだろう。
だからこの電脳世界は人を継続的に減らす事にした。
つまり、データの削除を行っている。
死ぬことは無い。
しかし、データを削除して消滅することはこの電脳世界では日常茶飯事だ。
減らす人間の規定は電脳世界を発展させるか否か。
発展とは才能の運用……つまり、金を稼いでいるか。
眠り続け、働かず、金を稼げない妹はこの規定に合致する。
いつか来るとは知っていた。
明日来るかもしれないと毎日思っていた。
だけど、それが今日なんて思いもしなかった。
しかし、まだだ。
まだ、希望はある。
これはあくまで警告だ。
ここは電脳世界。
金があれば大抵の事はなんとかなる。
この削除通知も撤回が可能だ。
金を稼げない者がいるならその分稼げる者が2人分負担すればいい。
この削除通知も1週間の猶予を伝えるもの。
1週間の間に金を払いきれば、妹は助かる。
表示されている額は一千万。
所長に話し、前借りは可能だ。
貯金額と併せてギリギリ一千万行くだろう。
しかし、払えても今度は俺の分が払えない。
そうなれば俺のデータが削除され、そして次の支払いが出来ない妹も消える。
それでは意味が無い。
リスクに飛び込む覚悟は無い。
しかし、妹を…アンジュを守る。それだけはあの日からずっと誓い続けた。
その為のリスクなど俺には無いも同然だ。
席を立つ。
「アンジュ、いってくるよ。必ず…守るからな…」
そう告げ、部屋をあとした。




