全てを滅ぼすもの 03
「愚か者めがッ!!」
闇の獣――彼女へ手を伸ばした状態のまま放心していたわたしは、その叫びで我に返った。
ぱちぱちと瞬きをする。
また、夢を見ていたようだった。
いまだふわふわとした心地のまま前を見やれば、触れられそうなほど近くにいたはずの彼女との距離がずいぶんと開いていた。
後ろに飛び退ったのだろう彼女は、低く身を伏せて、こちらをひどく警戒した様子で睨みつけている。
その喉からは威嚇の唸り声が漏れていた。
「先の話を聞いておらんかったのか! お前のようなか弱き人がこの身に触れれば、跡形もなく消し飛ぶぞ!」
怒り、というより焦り。
声を荒らげる彼女からはそういった感情が透けて見えた。
「いや、そもそもがこの場にいまだ無事で存在していることがおかしいのだ! この身は災厄の化身、滅びと破壊と死の概念そのもの。ただ在るだけで尽くを無に帰すものであるぞッ。世界とてたやすく滅びた! であるというのに、なぜお前は平気な顔でそこに立っておる!」
吠え声を上げる彼女は、四足の獣であった。
背に大きな翼を持ち額からは捻くれた二本の角を生やした、まるで闇そのものが形になったような漆黒の獣。
距離が空いてなお見上げる必要があるほどの巨体。
誰に説明されずとも、自然と理解していた。
刹那の間に見た夢。
いつかのどこかの、誰かの物語。
それは彼女のものだった。
創造神より分かたれ、あらゆるものに忌避され、やがては姉たる創造神を呑み込み、邪神となり世界を滅ぼしてしまったもの。
そんな彼女が、まるで未知のものに怯えるただの獣のように、わたしを全身で威嚇していた。
その姿を目にして胸中に浮かんだのは、使命感にも似た強烈な衝動。
――彼女を、こんな場所においてはおけない。
それは根拠不明の思いではない。
わたし自身の魂から生じた衝動。
「心配してくれたの?」
口をついて出た言葉に、彼女は大きく目を見開いた。
咄嗟に言葉を返そうとしたのか鋭い牙がずらりと並んだ口を開くが、結局そこから意味のある言葉は出てこなかった。
そんな彼女の反応に小さく笑んで、わたしは伸ばしっぱなしだった腕――結局なにも摑めず、触れることさえできなかった手を軽く握りしめ、下ろす。
「わたしなら、大丈夫だよ。わたしは傷つかない」
続けた言葉に、戸惑っていた彼女の表情が歪む。
鼻先に皺が寄り、口を大きく開いて牙を剥き出しにする。
「思い上がるなよ人間がッ! 如何なる絡繰りか知らんが、無事にこの場に立っておるだけでこの身の滅びを克服したつもりか! 大した力も持たぬ小さき人が、神なるこの身に触れてまでも無事に済むと思うなッ!」
その鋭い怒声には、けれど、恐ろしさがなかった。
敵意や害意、殺意のようなものが一切含まれていないのだ。
今にも飛びかからんばかりの姿勢をとっているのも、単なるポーズにしか過ぎないということが今のわたしにはわかっていた。
先ほどから彼女は、ほんの少しもわたしへ近づこうとしていなかったから。
――現に。
「そんなに怯えないで」
わたしが一歩彼女へ近づけば、彼女はビクリと大げさに身体を震わせてその分だけ後退るのだ。
「お、怯えるだと……!? 神たるこの身が、人ごときか弱きものに――」
「ちがうよ」
彼女の言葉を遮って、首を横に振ってみせる。
「あなたは、わたしを傷つけてしまうことを、なによりも怖がってる」
彼女の金色の眼を見やって、わたしは告げる。
そんなことはわかりきっていたことだった。彼女の夢を見て、今の挙動不審な彼女の態度を目にすれば、誰だって察せられることだった。
なぜならば。
「あなたは、とてもやさしいひとだから」
わたしの言葉を耳にして。
「――――――――」
彼女の顔からは険しさが消えて、呆然としたものになった。
慮外の言葉を聞いたというように、目を丸くしたあとで。
「ふざ――けるなッ!!」
怒りに満ちた叫びが、響き渡った。
「言うに事欠いて、この身を……邪神と呼ぶに相応しき災厄の神を、ひとだと!? やさしいだと!? この身は全てを滅ぼしたのだぞッ! 人も大地も空も、姉たる神さえも滅ぼして生命に満ち溢れていたこの世界を無に帰してしまった!」
彼女の全身の毛が怒りに呼応して逆立つ。
まるでその身体が二倍にも三倍にも膨れ上がったかと錯覚するほどの威圧感が吹き寄せてくる。
「ただ在るだけで周囲に災いをもたらす神が、やさしきものであるはずがなかろうッ! 勝手な幻想を抱くな! 望むな! この身はただの災厄! 最悪の邪神! この身さえ存在しなければ、無残な結末を迎えることもなかったのだ! このような終わりをもたらした存在を、悪しきものとせずになにを悪とする!」
その叫びは、きっと心からのものだった。
虚飾など一切ない、ただありのままの声。
悲痛な、彼女の本当の言葉。
「去ねッ! 消え失せろッ! この目の届かぬ場所へ、この手の触れられぬ場所へ、とく立ち去るがいい! 脆弱で矮小で、滅びの神などを望んだ愚かしき人めがッ!」
その声はまちがいなく怒りに満ちていた。
八つ当たりにも近い怒りだったと思う。
けれどわたしは。
必死でこちらを遠ざけようとする彼女の声が、泣いているように聞こえたのだ。
まるで小さな子どもが泣きわめくように。
痛々しささえ感じていた。
だから、やっぱり。
わたしは、このまま消え去るわけにはいかなかった。
「滅びとか、死んじゃうこととかって……そんなに悪いことかな?」
全身でこちらを威嚇する彼女に向かって、足を踏み出す。
彼女の喉から咆哮が上がった。ただの人間であれば怯え竦んでしまうだろう強烈な音の波。
けれど。
「わたしの周囲にいるのは普通には死んだりしないひとたちばかりで、そういう経験をしたことはないけれど……きっとそれは悲しいことなんだろうね」
生憎とこの身からは、ただの叫びに怯むような可愛げなんてとっくになくなっている。
「でもね、それはたぶん、救いでもあるんだ」
気にせず、わたしはさらに一歩彼女へ近づく。
「く、来るなッ――!」
後退る彼女へ向けて、軽く指を鳴らす。
同時。
虚空から何本もの鎖が飛び出して、彼女の身体に絡みついた。
それは幾重にも彼女の手足、胴体に巻き付いて、さらに地面からも伸びて彼女の巨体をその場に縫い付けてしまう。
「ば、莫迦な!? 災厄の神たるこの身を封じるだと!? なぜ朽ちぬ! 滅びぬッ!」
残念だけれど。
その拘束は、彼女程度の力で破れるものではない。
なにせこの身には、彼女の数十倍もの力が満ちているのだ。
「終わりのない苦痛、終わりのない寂しさ、終わりのない孤独――それはとても辛いことだよね。だから、死ねば全てから解放されるというのは、ある種の救いなんだ。あなたなら、理解できるでしょう?」
幼いころ、まだわたしが地上で生きていたころ。
そんなことを一度も思わなかったかと言えば、嘘になる。結局実行に移すことはなかったけれど、やろうと思えばわたしにはいつでもそれができたのだ。
でも、たやすく死んでしまう人であるわたしとちがって、神たる彼女はそうはいかない。
たとえ終わりを望んだとしても、通常の手段では決して叶わないのだ。
人のように自滅することさえできないのが、彼女という存在だった。
「……見透かした、ことを」
突然の拘束に驚愕していた彼女の顔が、わたしの言葉を聞いて苦虫を噛み潰したようなものになる。
その目に浮かぶのは困惑と、未知のものに対する怯え。
「実際に見たんだよ。あなたの物語を。あなたの夢を。――この世界の記憶を」
あの夢は、誰か特定の存在の記憶ではない。
もっと大きなもの。世界そのものに刻まれた物語だった。
どうしてそれがわかるのか、見ることができたのかはわたしにもわからない。生まれ持った力に関するものなのか、アタラクシアにて注がれた力の影響なのか、はたまた他に理由があるのか。
ただできるものはできるのだから、仕方がない。
「だから、わたしにはあなたがどんなふうに過ごしてきたのかも、見えるの」
一歩一歩、ゆっくりと彼女に近づいていく。
彼女は拘束から抜け出そうともがくも、自由になることは叶わない。
「寂しかったんだよね。苦しかったんだよね。辛かったんだよね。それでもあなたはお姉さんの言いつけに素直に従って、誰の迷惑にもならないようひとり閉じこもって。……自分の孤独を押し殺してでも、他者を傷つけまいとした。――なのに、その果てにこの世界で本当のひとりぼっちになってしまった」
わたしの意識の半分が、夢に浸る。
視界に、いつかの光景が重なる。
――滅んでしまった世界でひとり。
この大地の残骸の上にぽつんと座った彼女は、首を伸ばして天を見上げている。
その視線の先にあるのはただの闇。空でさえない、原初の神なるものが在るだけの空間。
いや、ちがう。
彼女が見ているのはさらに先、その向こうにあるもの。
自分以外にはなにもなくなってしまった世界で、それでも己の孤独を埋めるものを長い間探し続けた結果、いつしか彼女は世界の外を視る術を身につけていた。
それによって彼女は無のゆらぎ、うねりの中を揺蕩う他の世界を観測していた。
たくさんの世界。
たくさんの神的存在。
たくさんの存在。
たくさんの生命。
たくさんの人。
そこには彼女が求めてやまないものが溢れていた。
憧れた。
求めた。
欲した。
けれど、できなかった。
繰り返された滅びによって創造神さえも取り込んだ彼女は、三千世界に存在する数多の神的存在の中でも一際強大な力を手にしていた。世界の外に満ちている『運命的なもの』の不快感に耐えさえすれば、他の世界を来訪することもさほど難しくないほどに。
だが、どこまでいっても彼女は災厄の神、邪神でしかなかった。
彼女が近づくだけで世界は歪み、中に入れば災いを振りまき、触れればあらゆるものが死に絶えるだろう。
――己の世界を滅ぼしてしまったように。
それだけは、できなかった。
してはならないことだった。
だから。
彼女はどれだけ求めても、そこに行くことはできないのだ。
それを手にすることはできないのだ。
手を伸ばすことさえ、してはならなかった。
彼女に許されたのは、ただ視ることだけ。
滅んだ世界でひとり、心の底から欲するものであふれた数多の世界を眺めていることだけが、彼女に許された行為だったのだ。
行儀よくお座りして。
首を伸ばして天を見上げて。
ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、遠くのひかりをじっと眺める。
眺め続ける。
永遠に。
ずっとひとりで。
それが彼女だった。
世界を滅ぼした邪神の末路だった。
気づけば、わたしは彼女の眼前にまで近づいていた。
目の前に、彼女の大きな顔がある。
わたしなんて軽くひとのみにしてしまえる口腔。
ソフトボールより大きな金色の瞳。
わたしの身長ほどもある捻くれた二本の角。
「よせッ……! それ以上近づくな!」
その彼女の顔が、これ以上ないというほどに歪んでいた。
すでにそこには怒りなどという感情は微塵もない。
「お願いだから、これ以上誰かを傷つけさせるなッ――!!」
それはもう悲鳴に近い懇願の声だった。
あまりに悲痛な、悲しみに満ちた叫び。
「……大丈夫。わたしなら、大丈夫だよ」
神と呼ばれ、災厄と畏れられた存在。
そんな彼女が見せる小動物のように怯えた姿は、目を背けたくなるほどに痛々しかった。
わたしの中で、彼女をこんな場所に放置してはおけないという気持ちがますます大きく強いものになる。
だから、わたしは目の前の彼女へ向かって手を伸ばした。
地面に縫い付けられ、伏せる姿勢になっている彼女の鼻先。
そこに、わたしの手がゆっくりと近づいていく。
わたしたちの距離が、徐々にゼロに近づいていく。
「やめて、くれッ……」
弱々しい声が漏れ、目の前の光景から逃げるようにその金色の眼がぎゅうっと閉じられて。
そんな彼女の鼻頭に。
わたしの指先が、そっと触れる――。
「…………」
時間が止まってしまったかのような静寂。
その中で動くものはなにひとつなかった。
――いや、よく見れば小さく動くものがあった。
彼女だ。闇の獣である彼女の身体が、瞼を強く閉じたまま細かな震えを発していた。
次の瞬間にも起きるだろう惨事に、怯えているのだろう。
しかしそんなことは起こり得ない。
一秒経っても、二秒経っても、十秒が経過しても。
「…………」
なにも起こらない時間が経過するごとに、段々と彼女の身体の震えが小さくなっていく。悲壮な気配が薄れていく。
代わりに感じられるようになったのは、疑問。
いつまで経ってもそれが起こらないことを訝しげに思ったのか、頑なに閉じられていた瞼が薄っすらと開く。
――そして、わたしと目が合った。
「犬の鼻みたいに濡れてるのかと思ったら、わりとさらっとしてるんだね」
彼女の鼻を撫で回してそう告げるわたしを見て、彼女は絶句していた。
その眼がまん丸なお月さまみたいになっている。
「毛並みはどうかな……うん、こっちもさらさらふわふわ。お手入れとかまったくしてなさそうなのに、ずいぶんと上質だね」
屈んで彼女の喉元あたりの毛を触って、独りごちる。
なかなか良さげな感触である。
「な……なぜ、だ。どうして、お前は」
わたしの動きを目だけで追っていた彼女が、呆然としたままで言った。
一通り毛並みを楽しんだわたしは再び立ち上がり、彼女の眼前に立つ。
彼女には似合わない金色の瞳に視線を合わせ、答える。
「わたしはたしかに、人だよ。あなたたち神的存在からすればちっぽけで、か弱くて、すぐに壊れて死んでしまう生き物」
「そう、だ。そのはずだ。人とはこの身に触れずとも、ただ余波だけでたやすく滅びてしまうもの……! だのに、なぜ……!?」
その問いへの答えは決まりきっている。
五年前のあのときから、その理由はたったひとつしかない。
「――わたしは、王様だから」
その言葉を伝えて。
わたしは、自分の中の枷をひとつ、外す。
その、刹那。
わたしという存在から周囲へ、莫大な力が撒き散らされた。
洪水のごとき、力の奔流。
それこそただの人であればその勢いだけで魂ごと粉々に砕け散ってしまうほどの力の渦。
「な――ぁ」
それでも、さすがにひとつの世界を創り上げた創造神さえ呑み込んだ神的存在である。目の前の彼女は、この程度ではビクともしていないようだった。驚いてはいるようだったけれど。
だからわたしは、さらにひとつ、枷を外す。
噴き出る力の量が、倍加する。
さらにもうひとつ。
ふたつ。
みっつ。
よっつ。
いつつ。
「ぐぅ……がッ……ぁ」
六つ目の枷を外したころには、わたしから漏れでる力の余波で周囲の空間が悲鳴を上げていた。重く低い、地鳴りのような音が世界に響き渡る。
これ以上は、この世界が壊れてしまう。
それに目の前の彼女も苦しげだった。さすがの彼女もここまでの圧を受けると平気ではいられないらしい。
目を瞑り意識を内に向けたわたしは、外した枷を再びひとつずつ戻していく。
その度に力が弱まり、代わりにわたしの全身を喪失感のようなものが包んでいく。
この感覚にはいつまで経っても慣れない。
普段の状態に戻るだけなのだが、一度力を解放したあとだとその落差に力を奪われたような錯覚に陥るのだ。
「……ふぅ」
やがて元通りに全ての枷を戻したわたしは、軽く息を吐いて瞼を開く。
目の前で呆然としている彼女と再び視線が合った。
「お前は、いったい、なんなのだ……?」
彼女の問いに、やはりわたしは先ほどと同じように答える。
「わたしは、王様。原初にして最果ての世界、神々が住まう天上世界アタラクシアを統べるもの。その役割ゆえに神々の力をふるうことが許された――でも、ただの人だよ」
それがわたしの本音だった。
わたしという器に力が注がれて、どれだけの力で満たされようとも、それは結局わたし自身の力ではない。
ただアタラクシアに住まうみんなの力を借りているだけに過ぎないのだ。
注がれ続ける力が人の手にはあまる域に達したときから、わたしはずっと自分にそう言い聞かせてきた。
でなければ内に満ちる力の大きさに、その万能感、全能感に支配されてしまいそうだったからだ。
どれだけの力を手にしようとも、わたし自身は、所詮ただの人に過ぎない。
それを忘れてはならないと常に自分を戒めてきた。
「わからぬ……お前がなにを言っているのか、この身にはわからぬ!」
わたしの言葉を聞いた彼女は、混乱の叫びを上げた。
「天上世界? 王? ただの人? お前の言っていることは意味の分からんことばかりだ! お前はなんだ!? なにをしにこの地へやってきた!? 邪神たるこの身を討ち滅ぼしにでも――」
彼女の叫びは、唐突に途切れた。
わたしが彼女の鼻の頭に触れた途端の出来事だった。
口を叫びの形に開けたまま、目を丸くして硬直している。
そんな彼女のさらさらした鼻を、先ほどのようにゆっくりと撫でていく。
「きっとあなたにとっては、これが初めてのことなんだよね」
「――――」
「誰かに触れられるのは、初めてだったんだよね。だから混乱しちゃっているんだよね」
「――――」
「さっきはそんなことを考える余裕もなかっただろうけど……こうして改めて感じる誰かのぬくもりは、どう? どんなふうに感じる?」
彫像のようになってしまった彼女の首元に移動して、その毛並みの中に顔を埋める。
びくりと、彼女の身体が震えるのが伝わってきた。
「あたたかいよね。誰かのぬくもりは、とてもあたたかくて、やわらかくて、やさしい気持ちになるよね」
「…………」
「ひとりじゃ、絶対に手にできない。ひとりのままじゃ、永遠に寒くて冷たいままなんだよ」
「…………」
「そんなのはひどいことだから。そんなの、ダメだから。……だからわたしは、それをあなたに与えるためにきたの。きっと、そうなんだと思う」
彼女の首筋から離れる。「ぁ……」という彼女から漏れた寂しげな声に苦笑して、またその眼前に移動する。
彼女の揺れる金色の瞳をしっかりと見て、告げる。
「わたしは、あなたを迎えにきたの。あなたを、あなたの居るべき場所へ連れていくために」
彼女を拘束する鎖を解く。
自由になった彼女に向かって、わたしは手を差し出す。
触れるためではない。
彼女の手を取るために、彼女に手を伸ばしてもらうために、その目の前に手を差し伸べる。
「あなたに、ひかりをあげる。新しい空を、新しい太陽を、新しい大地を、新しい世界を」
口元を震わせて、これ以上ないほどに目を見開く彼女へ、わたしは微笑みかける。
「あなたがいても滅びない、あなたが触れても壊れない、あなたが当たり前のように生きていける、そんな世界をあげる」
そして最後に、首を傾げていたずらっぽく付け加える。
「今ならわたしがお友達としてついてくるよ? お得だね」
その言葉を聞いた瞬間。
彼女の喉から、遠吠えが放たれた。
か細く、長く、高い、吠え声。
わたしと彼女以外には誰もいない世界に、その切なさに満ちた声が響き渡っていく。
それはきっと、彼女の泣き声だった。
「……寂しかったのだ」
「うん」
「ひとりはいやで、けれどひとりでいるしかなくて」
「うん」
「ここ以外にいける場所なんて、どこにもなくて」
「うん」
「それでも、本当は誰かと仲良くなりたかった」
「うん」
「……本当に、ここではない何処かへ、連れていってくれるのか」
「うん。もちろんだよ」
「そこはこの身が在っても滅びぬのか?」
「あなた程度じゃね、無理にもほどがあるよ。弱体化もするし」
「弱くなれるのか……それは、よいことだな」
「あなたにとっては、そうだよね」
「…………」
わたしが伸ばした手の先で、彼女はしばらく瞼を下ろしてじっとなにかを考え込んでいた。
十秒、二十秒、三十秒。
一分が経過して、五分が経過して。
それでもわたしは腕を差し出したまま待ち続けた。
そうして、十分が経過したころ。
彼女は再びその瞼を開いた。
金色の瞳がわたしを見つめる。
「お前を……信じても、よいのか?」
わたしは、しっかりと頷く。
「置いていかないか? ひとりにしないか? 勝手に死んだりしないか?」
その一言一言に、わたしは頷いて見せた。
そして、言う。
「わたしを信じて。絶対に、ひとりにしないから。離さないから」
わたしの言葉と眼差しを受けて、彼女は身体を震わせた。
その目がそっと伏せられる。
「……うん。わかった」
消え入るように小さな声でそう言って、彼女はおずおずとその頭をわたしに近づける。
彼女の鼻頭が、わたしの差し出した手の平に――そっと、触れた。
ぐいぐいと軽く押し付けてくるような仕草に、その意図を察して、彼女の鼻を撫でてあげた。
伏せの姿勢で、目を細めて表情を緩める彼女を見て、自然と笑みが漏れた。
「これから、よろしくね」
「……うん」
「わたしは、ネコ。ただの、ネコだよ」
「……この身には、名前などない」
「だったら、わたしがあなたに名前をあげる」
「……うん」
彼女から了承の返事を聞いて、わたしはその言葉を紡ぐ。
破壊神でも、災厄でも、滅びの神でもなく。
「あのね、あなたの名前はね――」
ずっと呼びたかった彼女に相応しい名を、告げる。
「――――」
それを聞いて。
彼女は一瞬不思議そうにしたあとで、破顔した。
鼻先をこちらにぐりぐりと押し付けてきながら、呟く。
「そうか。それがこの身の――吾れの名か」
噛みしめるように。
とろけるように甘い飴玉を舌の上で転がすように。
彼女は、その名を口にする。
「――ウサギ」
全てを滅ぼすものではなく。
それが今このときよりの彼女の名前だった。
これが、わたしと彼女の本当の出会い。
わたしと彼女の戯れは、このときより始まったのだ。




