14. 叡智の塔
ミャーくんについて、新たな発見があった。
自然と密接に関わる精霊神の眷属だからなのか、彼は自分の属性を自由に変えることができるらしい。
炎精ミャーくんになると湯たんぽのごとくポカポカになり、逆に水精ミャーくんになると夏でもひやっとして大変に心地よい。
実際、水精状態のミャーくんを抱いて寝たら昨晩はかつてないほどの快眠だった。
体重も見た目よりずっと軽いので、胸の上に乗せておいても全然重くない。
ミャーくん自身が嫌がるかな、とも思ったけれどそうでもないようだった。
「この平たい胸ッ……落ち着くッ……!」
とはミャーくんの言葉である。
その後なにかを思い出したのか「巨乳こわい……もう胸で窒息するのは嫌だ……ひぃっ、母上さま、そんなに押し付けられたら死んでしまいますぅ……!」と顔を青くしてガタガタ震えていたけれど。
この日の朝食はわたしとサクラ、ミャーくんの三人で済ませた。
ミャーくんは手足が短いせいで茶碗や箸を持ったりするのが大変そうだったので、膝の上に乗せてわたしが手ずから食べさせてあげた。
雛に餌付けしているようで、ちょっとだけ親鳥の気分を味わう。
サクラからなにか言われるかと思ったが、彼女は苦笑するだけだった。
そして食事を終え一休みしたところで、昨日と同じくウサギがやって来た。
今日案内されたのは《玉座》の東に広がる、一年中深い霧に包まれた《昏き森》である。
目的地は霧に隠された森の中心に位置する《叡智の塔》。
外見は東京タワーぐらいの大きさの石造りの塔で、ここは簡単に言えば図書館だった。
古今東西、地球のものから異世界のものまで節操なくあらゆる種類の書物が所蔵された大図書塔。
日本のものだけでも漫画、小説、写真集、研究論文集、歴史書、学校教科書など本当になんでも揃っているという。
それら膨大な量の書物を収蔵するため塔の内部は空間が拡張されており、見た目からは想像できないほどの広さがある。
そのためうっかりすると迷って出られなくなってしまう可能性があるとのことで、わたしは決してひとりで出歩かないようにとこの塔の主であり唯一の司書でもあるひとに注意された。
「いいかね、ネコ君。今の君はまだ幼く、力も足りていない。決してこの塔でひとりになってはいけないよ」
そうわたしに言い聞かせる司書さんは、骸骨のひとだった。
漆黒のローブを着た白骨。
最初は驚いたものの、実際に話してみるとすごく穏やかで、紳士的で、見た目以外に怖いところなんかひとつもないひとだった。
年老いた賢者様といった感じで、すぐに外見は気にならなくなる。
「この塔の中心には、私の叡智の結晶である《多元力場観測鏡》と《自動複写機》があってね。常に稼動状態にあるそれらが、外の世界の書物という書物を観測し複製を作り続けているのだよ。およそ一秒に一冊というペースで新たな複製が作られているのだが、私の計算だとこれでも三千世界における書物の発生速度には追いついていなくてね。今現在も改良を重ねているのだが、中々うまくはいかないよ。値千金である読書の時間をこれ以上減らすわけにもいかないから、そちらの研究が遅々として進まぬのも仕方のないことではあるのだが」
そんな説明を受けながらわたしが案内されたのは、地球産の書物が多く収められた書架が立ち並ぶ一画だった。
とあえず午前中はここで読書して過ごすとウサギは告げる。
読書は嫌いではなかったから、わたしに否やはない。
驚いたのは、こういったインドア趣味は好まないと思っていたウサギも熱心に書物へ目を通していたことだった。
意外である。興味をそそられてどんな本を読んでいるのかのぞいてみたところ、『人種族とエルフの関係』とか『神と人の交わり』、『時間と生命――残酷な宿命』など難しそうな本ばかりで、わたしにはよく理解できなかった。
わたしはずっと漫画を読んでいた。
あちらの世界にいたときから気になっていた少女漫画が全巻揃っているのを発見してしまったからだ。仕方ないと思う。
なお、そうやってわたしたちが読書している間、ミャーくんはわたしの膝の上で大人しくしていた(以前にここでやらかしているようで、その際、相当きついお仕置きをされたらしい。借りてきた猫のように静かだった)。
司書さんに食事までご馳走になり(異世界の焼き菓子のような保存食だった。意外とおいしい)、ようやくわたしが漫画を全巻読破したときには、もう日が暮れる時間帯になっていた。
時間経過が気にならないぐらい夢中になってしまっていたのだ。
あちらにいたときも、ひとりの時間を潰すためによく学校の図書室や図書館に通っていたけれど、そこに収められている物語は大抵が小説だった。
それが嫌いなわけではなかったけれど、やっぱり本屋さんで売られているような流行りの漫画をたくさん読んでみたいという思いもわたしの中にはあったのだ。自由になるお金も貸してくれる友達もいなかったわたしが、そういった漫画作品に触れることは結局一度もなかったのだけれど。
だからそれが自由に読めるとあって、時間も忘れて読みふけってしまったというわけである。
ミャーくんも気に入ったようで、途中からは一緒になって食い入るように読んでいた。
「いやぁ、あっし、ああいった類の本を初めて読みやしたが、なかなかどうして悪くないでやんすなぁ!」
屋敷に戻る途中、いつもよりゆっくりと飛ぶウサギと並んで飛行するミャーくんが、ウサギに抱えられたわたしに興奮した様子で話しかけてきた。
「あっしら眷属には男も女もありやせんが、それでもああいった惚れた腫れたというのには、こう、心動かされるものがありやすぜ!」
「驚いたな。お前にもそういった情緒が存在しておったのか」
「あっしもびっくりでさぁ、ウサギさま!」
ウサギから胡乱な目で見られたミャーくんは、鼻の下を指でこすって「げへへ」とドブ川みたいな目を細めて照れ笑いを浮かべる。
ウサギの目がますます疑わしげなものになるが、ミャーくんがそれに気づいた様子はなかった。
「……じゃあ、また今度、一緒に読みに行こうね?」
「へい! おなしゃっす! あの骨野郎の監視がなければ、かっぱらってこれるんですがねぇ」
「めっ」
ごく自然にそんなことを言い出すミャーくんに手を伸ばして、デコピンする。
「あたっ」と額を押さえて涙目になる彼に、ジト目を向ける。
「……ほかのひとに迷惑をかけるようなことは、しちゃダメだよ?」
「も、もちろんでさぁ! 今度やったら冗談抜きにぶち殺されそうなんで、さすがのあっしも自重しやすよネコさま!」
「たとえ罰がなくても、めっ、だよ。……そういうことばかりしていると、ひとりになっちゃうんだよ」
そのことを、わたしはよく知っていた。
たとえそれがどうしようもないことだったとしても。自分の本意ではなかったとしても。
周囲に迷惑ばかりかけて、誰にも理解されないままでいると、世界の全てから爪弾きにされてしまうのだ。
わたしがじっとミャーくんを見つめ返すと、彼は戸惑ったように瞳を揺らした。
「い、いや、べつにあっしはひとりなんて慣れてるんで……」
「わたしは、嫌だよ」
きょときょと視線をふらつかせるミャーくんへ、わたしははっきりと言った。
「わたしがひとりになるのも嫌だし、ミャーくんがそうなっちゃうのも、嫌だよ」
「…………」
「だからちょっとした悪戯ぐらいならいいけど、本当にほかのひとを怒らせるようなことは、しちゃダメだよ」
「……で、でもでやんすね」
「ミャーくんがそんなことして、サクラにあのお屋敷を追い出されちゃったら、わたしは、悲しいよ」
「う、うぅ……」
わたしの言葉と視線に、ミャーくんの額に脂汗が浮いてこめかみを流れ落ちていく。
「ミャーくんはわたしを悲しくさせるの? ――この世界の、アタラクシアの王様であるわたしを?」
「ひょ!?」
「……わたしはまだよくわからないんだけれど、それってきっと良くないことなんだよね? サクラなんかは、どうもそのあたりのことに神経質になってるみたいだし。妙に過保護っていうか。べつに、それが嫌なわけじゃないんだけど……」
「あ、あの、ネコさま」
「でも、わたしの意思なんかおかまいなしだし。きっとミャーくんも、言葉にするのも恐ろしい大変な目にあっちゃうんだろうな。……サクラ、時々すっごく怖くなるからなぁ」
「う、ぅぅうおぉぉ」
苦悶の表情を浮かべるミャーくんの顔を大量の脂汗が滴り落ちていく。
そんな彼の襟首を摑んで胸元に引き寄せる。
すっぽりと胸の中におさまった小さな身体を抱きしめて、言う。
「だから、ちょっとだけでもいいからいけないことを控えてくれると、わたしはうれしいな」
「ぐ、ぐぅぅぅ……ひ、卑怯でございやせんか、ネコさま?」
「……ごめんね。でも、ひとりは嫌なんでしょ?」
「…………」
初めてこの子を見たとき。
間近でその目をじっと見つめたとき。
その光を失った瞳の中に、わたしは自分によく似たものを見つけた。
この子がどうして問題行動ばかりとるのか、その本当の理由はわからない。
けれど、それが寂しさに根ざしているということだけは、自分でも驚くほどはっきりと理解できていた。
今思い出しても不思議な感覚だった。
手に取るように、それが当たり前であるかのごとく、わたしはそれを理解していた。
他人事には思えなかった。まるで自分のことのように感じて、だから放っておくことなどできなかったのだ。
自分らしくないという自覚はある。
わたしは、たとえ共感する部分があったからといってそんなふうに積極的に他者に関わろうとするような人間ではなかった。
でもこの時、わたしはその衝動に身を任せた。
今も、その思いのままに動いていた。
それでいいのだ、という確信がある。
この世界にやってきてから、徐々にわたしの中に流れ込みつつある『なにか』が、そう告げていた。
自分が自分でもよくわからないモノへ変化していくことへの不安は依然としてあったけれど、もう抗おうという気持ちはなくなっていた。
その変化は受け入れるべきものだと、わたしの心の奥深くにあるものが囁いていたからだ。
わたしは、変わる。変わっていく。
きっとそれが、正しく生きるということなのだ。
「……ネコさまは、ずるいでやんす」
やがて、胸の中のミャーくんが、ぽつりと呟くようにそう言った。
その声に、否定の色はない。ただ、拗ねたような響きだけがあった。
ぎゅっと抱きしめれば、彼の背中の羽が応えるかのようにぴょこぴょこと二度動いた。
「その『ネコさま』っていうのも、他人行儀な感じがして、嫌だな。もうちょっと、砕けてもいいよ……?」
「……と言われましても、まさか呼び捨てにするわけにもいかんでやんすよ。ネコ殿? ネコさん?」
「んー……なんか、ちがう」
「じゃあ……ネーさま?」
「!!」
その呼び方は、するりとわたしの中に入り込んできた。
わたしの感性にクリーンヒットする。
まるで弟が出来たみたいだった。むず痒い気持ちになる。
その感情に任せて、ミャーくんを抱きしめる腕にさらに力を込めた。「おふっ」という声が聞こえた気がしたけれど、たぶん気の所為だろう。
「……なるほど。道理で、そやつを手元に置くことにサクラが反対せんはずだ」
わたしたちのやり取りを黙って見守っていたウサギが、感心の声をあげた。
「こうまで劇的な変化をもたらすとはな。考えてみれば、さもありなんといったところか」
今度の声には、深い納得の色があった。
「お前の本質は、『与えられる者』ではなく『与える者』。庇護すべきものができて初めて成長するのも道理であるな」
そう告げるウサギはわたしを背中から抱えていて、その顔を見ることはできなかったけれど。
ひどくうれしそうにしていることだけは、伝わってきた。
「あまり調子に乗るようであればひと思いに喰らってやろうかと思っておったが、やめておこう」
次いで告げられた言葉とともに背筋がぞっとするおぞましい気配が頭上から放たれて、ミャーくんが「ひぎぃっ!」と悲鳴を上げた。
……わたしも、ちょっとだけ、驚いてしまった。
本当に、ちょっとだけだけれど。
だから大丈夫。
きっと、すぐに乾くはずである。




