第二十九話 <憤怒>
イングリアンの好意もあり、センジル王国の壊滅的な状況と、チーヤイの軍勢の消滅を確認すると、公王は交渉のための外交官を送ることにした。
レスタロン外務大臣の娘婿で、若手官僚のタレン外交官が外務大臣の推薦もあって、チーヤイにむかった。
それが1か月前の事である。
だが、
帰ってきたのは、タレンの首だけだった。
同時に送られてきたチーヤイの書状には、
『我が国はダレルブレアンごときに負けたわけでもなんでもないアル。たまたま、偶然多少の間違いが起こっただけで、交渉の使者を送ろうなどと小国のくせに不遜の極み、無礼でアル。首だけは返してやるので我が国の大いなる慈悲に感謝し、敗戦降伏を公王自らが認め、膝をついて帝王の恩前に土下座するアル。』
無茶苦茶な書状に、公国王宮は激怒した。
「ディリエルの予測通りか・・・」
「国軍100万を豪語する国ですから、半数を失ったとしても、小国相手に負けたなどと周りにも絶対に思わせないようにするでしょう。愚劣な国であるだけに、周りから舐められたら全部が攻め込んできかねませんもの」
ディリエルは、公王に使者を送るのは無駄ではないかと忠告はしていた。
ただ、圧倒的な大勝であるだけに、相手も気弱になって交渉に応じるだろう、という常識的な考え方に押し切られたのだ。常識派の中心にいたレスタロン外務大臣は、結婚したばかりの娘を未亡人にしてしまい、自殺しかねないほど後悔している。
巨大で愚劣であるということは、人間のそれと変わらない。周りに横暴の限りを尽くし、好き放題に楽しみ、それが当然の権利であるとまで行き着く。反省などせず、より悪辣で、より非道なやり方をして、自分を絶対の強者に置こうとする。それをさらに強くするのが、敗北への恐怖。負けて弱れば、自分がしてきたことをし返される。その恐怖は、狂人かと思うほど強くなる。
巨大で愚劣であるということは、同時に、極端な臆病者でもあるということだ。
「陸戦に持ち込めば負けないと思っているから、小国へ侮辱の限りを尽くすわけだ」
ディリエルが憂鬱そうに同意する。
「ちょっと王宮に言ってくる。留守を頼むよ」
「え、ちょっと、セイジ様?!」
ディリエルは留守の意味を悟ってしまった。だけど、止めようがない。
ちらりと見えた、目の光。それにディリエルの舌すら凍り付いた。
普段のセイジは、この世界の男性には考えられないぐらい甘い。
この世界は女性の地位が低い上に、独特の『姓』の重要性は、さらに男性の優遇を強化している。
女性は嫁に行くことで姓を変えねばならない、そのため軽くならざる得ない。
ただ、これは昔の日本も同様で、戦国時代の家系図などをみると、女性は「女」としか書いていないというあんまりな家系図もあるぐらいだ。現代の日本の女性からすれば、赦しがたい暴挙だろうが、文明のレベルが低いとそんなものである。
そんな世界で、セイジは朝にイーラと訓練に汗を流し、朝食は妻たちの席順が毎朝代わる。最初はセイジが席を変えたがったのだが、それはあまりにフリーダムすぎると妻たちが席を変えることになった。
昼間はイーラを連れて紙工房の事業やキアナの工房への協力、昼食は外食が多いかと思いきや、週に2回は家でディリエルと食事をとる。おいしそうな食べ物やお菓子を見つけると、気軽に買ってくるし、良さそうな店を見つければ、みんなで食べに行く事はしょっちゅうである。
夕方、食事前に印刷の子供達には教育や運動を教え、夕食は朝食と同じように取る。
言ってみれば、妻べったり。イーラやディリエルと結婚してから早や2年目であり、キアナやハイネが入っても、イーラは側から離さず、ディリエルとの昼食後に彼女の膝枕で昼寝する時間を楽しみにしている。
毎月、今月はこれだけ事業からお金が入ったから、と妻たちに報告し、『セイジが持っといて』と全員に言われるのも毎度の事。普通の旦那だと、妻にわざわざ有り金の総額など知らせたりしない。分配しようとするなどもってのほか。ましてやそれ以前に、妻たちの副収入を、目の色を変えて取り上げようとするだろう。
ディリエルは嫁に行ったとはいえ、公国からの王の血族としての年金があり、さらに公王から何かといろいろ届いたりする。普通は嫁入りしたら区別されそうなものだが、何しろセイジは公的には無役。その上こっそりとは言え、公王がしょっちゅう遊びに来るというのに、国から何もしないでは財政を預かる財務卿たちがメンツが立たないからだ。
キアナは邸宅内に建てられた工房で研究を続け、そこから出た様々な技術や製品にキーロッカー氏が厳しく判定して、適度な値段を払っている。特に重機械式ゴーレムの研究による技術は、かなりの儲けを上げていて、これもセイジが預かってと言われるほどだ。
ハイネに至っては、セイジに預けっぱなしとはいえ、ハイネ紙の収入が凄まじい。
直接収入が無いのは、イーラぐらいだろうが、彼女は常にセイジの側にいて、これまた金の必要性が全くない。毎朝一定額(と言っても、並の人間なら3か月ぐらい食える)の入った財布を渡され、見た目にはイーラが金を出してやってるとしか見えない。自分でもっておけば良さそうなものだが、ついうっかり収納空間に入れてしまい、人前で出せずに困ることがしばしばあったのだそうだ。
むしろ、ついで買いで彼女に何かと買おうとするのを、苦笑しながら止める事の方が多い。第一忙しいので何ら退屈しないし、金の心配をしないでいい毎日に本気で感謝している。
ちなみに、日常必要な下着や衣類は、ディリエルお付きの商人が毎月来ては、必要な分を注文を取って作ってくれる。もちろん全員分のオーダーメイド。
他にも、家の防護のための重機械式ゴーレムの購入と言い、邸宅内のキアナの工房の建設費と言い、使う所には容赦なく使って平然としているセイジである。
おそらく、この世界の女性たちが聞いたら、『どんだけ鷹揚なんだよ?!』と暴動ぐらい起こしかねないだろう。
ただ、その鷹揚極まりない旦那様が怒った時、何が起こるかをイーラとディリエルだけは目の前で見ている。あの空竜の放つ、正気を吹き飛ばされるような威圧感は、1分と耐えられるものではなかった。それすら消し飛ばしたセイジが、本気で怒りだしたら何が起こるのか。それを想像するだけで、彼女は震えを止められなかった。
その頃、王宮では、ある交渉が公王に持ちかけられていた。
「ハイネ殿をだと・・・・・・?」
「そうじゃ、女性一人でイングリアンが動いてやろうというのだ、悪い話では無かろう?」
女王は、ダレルブレアンの交渉が失敗することは予測していた。
あの野蛮人どもがどのような態度に出るか、イングリアンは身をもって知っている。それゆえに、叩きのめした事も1度や2度ではない。まさに獣にしつけをさせるようなもので、何度か痛い目にあわせて、ようやく逆らわなくはなってきたが、あれと交渉するぐらいなら、馬とでも交渉した方がはるかに見込みがある。
ただ、そのイングリアンからしても、あの黒髪の女性の異常さは脅威だった。
大術師と呼ばれる者が、恐らく大精霊とつながりを持つ者だろうと推測していた。それの価値はチーヤイ程度のものでは済まない。その貴重な研究材料をよこすなら、チーヤイを叩きのめすのを、イングリアンが代行してやろうというのだ。
「何を悩むことがある。考えるほどの事もあるまい」
しばらく眉をしかめていた公王が、ふっと息をついた。
女王は、もちろん同意したと思ったのも無理は無い。
「ロエルライザ女王よ、そなたはあまりにこちらの事情を知らな過ぎる」
気の毒そうに、女王が全く想像できなかった言い方で、言葉を紡ぐ。
「私たちも、悩むほどの事ではないのだ、チーヤイなどな」
女王は完全に理解不能に陥った。そこへ、セイジが訪問した事を知らせてきた。
公王はどうするか考えた。そしてセイジを執務室に呼び、魔導水晶の前で、今の会話を再現した。
「・・・・・・・・・・・・」
恐ろしく冷たい目だった。とてもイングリアン女王に向けるような目では無かった。付き添ってきていたイーラとキアナが、ガタガタと震えだす。
『や、やばいっ!、セイジ激怒してるっ!』
『こ、こわいよおおおおっ!』
セイジの怒ったところなど、二人は見たことも無いのだが、その絶対零度の無数の火花が立つような気配は、震えが止まらない。
部屋の温度が10度近く下がり、嫌な汗を感じていた公王ですらぎょっとする。ずい、とセイジが一歩前に出る。奇妙な圧力が倍化する。それが魔道水晶の向こう側であることに、女王陛下は気づかないまま気押される。
「俺の妻を、差し出せと?」
「そなたの妻であったのか、それはすまなんだな。だがの、一国を救うためじゃぞ。」
「ざけんな、コラ」
そこにいた全員、魔道水晶の向こう側にいる女王まで、耳が割れたかと思った。
トラやライオン、いやドラゴンが吼えたほどの、痛みと衝撃が耳に走った。
聞こえているのは、明らかに少年の甲高い声のはず、だが彼からほとばしったエネルギーが違いすぎた。
ズドンッ
「ガハッ!」
そして、女王の心臓が殴られたかのように縮みあがった。
『剛毛の心臓と呼ばれたわらわがっ?!』
女王の密かな悪口の一つに、『剛毛の心臓』というのがある。若いころは美貌で知られていたこともあって、各国との結婚詐欺まがいの交渉は、両手の指ではきかない。その悪辣ぶりに言われた『剛毛の心臓』を、誇らしく口にする彼女の心臓は、確かに鉄の剛毛が生えていそうだ。だがそれも今日ばかりは通じない。息がつまり、激しく咳き込む。
ゴンッ
そばに控えていた鉄面皮のガッセンディーニ子爵が、頬笑みを浮かべたまま前向きにぶっ倒れ、嫌な音がした。さぞかしひどいコブになっているだろう。セイジの無意識にあふれ出した怒気にあてられて失神したのだ。ちなみに公王はそそくさと後ろに逃げている。
女王は王族にしては珍しく、精霊魔法の使い手としても知られている。それだけに、今の激しい衝撃が怒りの精霊の強烈な反応であることに気づかされた。そして、ようやくもう一つのあり得ない事実に気付いた。
「ま、まさか、魔導水晶を突き抜けたじゃと・・・・??」
あり得ない、あり得ないことだが、それしか無かった。どうやったらそんな事が可能なのか、豊富な魔道知識を持つはずの女王でも想像がつかない。だが、この相手は、間違いなく魔道水晶の向こう側の息の根すら止められる!と、危機の本能が最大限の警戒を発していた。
目の前の、絵にかいたような金髪紫眼の美貌の少年が、とてつもない怪物のイメージで膨れ上がっていく。公王が恐る恐る画面に戻ってきた。
「このものセイジ・リグマというのじゃ、我の前で、空竜を一撃で倒して見せた勇者よ。怒らせぬ方が良いぞ」
完全に血の気のない女王に、公王は心底気の毒そうに忠告した。
セイジはもう相手を女王だとか、国の代表だとか、思う事を一切やめている。
唯一、ディリエルの父親であるレマノフサンダーへの遠慮だけが、か細い糸となって、どうにか理性をつなぎとめていた。
やっと自分の血を分けた子供が出来るというのに、それを目いっぱい邪魔する戦争。
そしてそれを理由に、自分を愛してくれている優しい妻のハイネを研究材料としてよこせと言う他国。
『ざけんな、コラ』
他国の勝手極まりないエゴに掻き回され、デタラメ極まりない悪口雑言を浴びせられ、礼儀と文化にのっとったしきたりすら侮辱と自分たちの勝手なへ理屈でめちゃくちゃにする態度を見せられ、
『またかよ!』
異世界に来てまで、またかよ!。
黒くふつふつと滾っていた怒りは、ここへきてもう限界まで来ている。
どこへ行っても、愚劣な人間の、愚劣な国家の、やりきれないそれは理性で対処するには限度がある。
人の世界に戦争が無くならないわけが、嫌でも分かる。
小国で弱かった日本が、何度も戦争をせざる得なかったのを、怒りで感じざる得ない。
そして、どれほど無道で鬼畜の所業ををしようと、
『勝てば全部チャラ!』と、
『すべて負けた方の罪に擦り付ける!』と、
『戦争は弱いやつを貪る一番良い方法だ!』と、
歓喜する図体だけはデカい相手が嫌でも見える。
結局戦争とは、ただの略奪だ。
バカが遣り損なった失敗を、全部弱そうな他人に押し付けるための、苦し紛れの狂乱暴動。
いかに平和のために何十年努力しようと、バカに理屈も理由も分からないし通用しない。
自分の遣り損ないを、全部他人のせいにする。
『謝るやつが悪い、礼儀を守るやつがバカ、弱そうに見えるやつが全部アホ!』
『抑える必要あんのかこれ・・・?』
理性があきらめた。
俺には無理だと、諦めた。
自分は聖人君子でもなければ、神仏でも無い。
こちらが我慢をしていたら、バカどもはどこまでもバカのまましたい放題、吐いた迷惑を投げつけまくる。
『戦争なんぞさせるか、潰す!!』
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
文章の不出来をご指摘いただきましたので、少しずつ修正してまいります。




