幕間その7 <夢の一つ>
「はあっ!」
薄いシャツとズボン姿のイーラが、握り手の所だけ細くした黒いこん棒のようなものを振る。長さは175センチを超える彼女の身長近く、相当重量があるらしく、ヴンッと空気が鈍い音を立てる。
同じ黒いこん棒が、その動きを遮るように走り、当たる瞬間に角度を変えて流そうとする。
「ふんっ!」
ガンッ
黄金の鮮やかな髪がフワリと舞い、紫の澄んだ大きな瞳が、流されまいとする動きを読み、逆らう相手のこん棒に、からみつくように動かした。
ガガッ
イーラの逆らうこん棒を、からみつくような動きで弾き上げる。
だが、イーラのこん棒もその動きをさらに加速し、弾き上げられる動きを回転に切り替えて、体ごと低く沈んだかと思うと、大きく斜め下から切り上げる形でセイジに襲いかかる。
異様に太く長いそれを、自在に振りまわす腕力には驚きだが、もろにぶつかりあいになれば、体重の軽い小柄なセイジは不利だ。だが、ここで距離を取れば、イーラ得意の連続切りの体勢に持ち込まれる。これになると、なまなかな技では手がつけられない。こん棒は普段イーラが使う大剣と同じサイズであり、リーチが長い。高速の回転運動で連続技に持ち込まれると、手がつけられない。
『初動を抑えるっ!』
長物と呼ばれる、槍や斧槍、薙刀、そして大剣などは、扱いが非常に難しいが、リーチが長い分回転エネルギーが大きく、大きく動くほどそのエネルギーが止められなくなる。
自分の獲物の力点と作用点、それを明確にして、踏み込みと踏ん張りで大地を支えとし、回転エネルギーを抑え込む!。
ニヤッとイーラが笑った。わずかに下から切り上げる動きに、つま先の動きを足した。それだけで狙ったポイントがずれた。
グワキッ
ふわっ
ぎりぎりで支えられるはずのセイジが、体ごと浮き上がった。つま先の加速の分、そして作用点をずらされたエネルギーがセイジのそれを上回ったのだ。体が浮いてしまえば、勝ち目は無い。
「はい、終了」
突き付けられたこん棒に、あーあという顔をするセイジ。
「残念、負けました。」
「いやー、負けたって言っても、制限バリバリかけてるじゃないの。あんまり喜べないわ。」
といいつつ、イーラは少しだけにやけているが。
「だいたいセイジの体格で、私と同等の武器が扱えるって非常識だわよ。」
なにしろ、いまだ身長150程度の美少年。175をわずかに超えるイーラとは、体重も筋肉量もはるかに違う。
「制限かけなきゃ片手でふりまわせるんだから、私なんか相手にならないと思うけど。」
「いえ、それで屋敷が崩壊なんかしたらたまらないし。」
先日軍の訓練場で、試しとはいえうっかり半分本気でやったら、例のオシリスの戦乙女が瞬時に出てきて(幕間その5参照)、狂喜の笑いを浮かべながら、閃光と旋風が乱舞する恐怖の殺戮空間とあいなった。あの時の光景は思い出すだけでも頭が痛い。
キャハハハハハ、キャハハハハハ、
白銀の鎧に血のような色のマント、甲高い笑い声をあげながら、突如イーラの肩にさらに2本の白い細い腕を生やし、イーラを乗っ取った戦乙女は4本の腕にそれぞれ両手でも持てないほどの巨大な大剣を掴んで、振り回してくる。
神・魔・精・冥の名を持つ4つの大剣は、白光を放って目をくらませてくる神剣(おそらくアンデッドだと消滅する)、傷を負わせた相手の生命力を吸うエナジードレインの魔剣、風をまといつかせ神速の攻撃を仕掛ける精霊剣、黒い刀身に闇の業火をまとい、見た者の意識を失わせようとする冥王剣。
左手に命じて、自動強化レベルを上げて神速で対応したが、よく死者がでなかったものである。
それぞれの剣をはね飛ばし、地面に押さえつけると、頬を染めて『さすが我が主様ですわ』と淫らな声を上げて消えやがった。
幸い死人は出なかったが、抑え込むまでの1分ほどの間に、クレーターが15、巨大な地裂が20、巻きこまれかけた軽傷者や失神者はおびただしく、当分の間訓練場は使用禁止を言い渡されてしまった。
あれ(オシリス)も本気でわけが分からん・・・。
「ん~、あたしに憑いてるあれも、その時は私の意識が薄くなるんだけど、えらく戦うことを喜んでるみたいなんだよね。困ったもんだわ。」
「つーことは、バトルマニア?。はー迷惑な・・・」
オシリスからすれば、じゃれ合いぐらいのつもりなのだろうが、国軍を粉砕できるような戦力で、本気で殺しに来るじゃれ合いなど勘弁してほしい。
セイジとイーラは、ほぼ毎朝、こうして体をフルに動かしている。
汗を流して朝食後。
紙と鉄について、色々手を尽くしたセイジは、前から気になっていた事をキアナに相談した。
「えっと・・・文字を刷る?。」
「あ~、そういう言葉がこの国にはまだ無いんだな。『印刷』と言うんだが。」
王や貴族が、サインの代わりに、軽い書類には印を押すことは良くある。
だが、印を文字として、それを紙に押して、文章にするというのは、なんだかものすごく無駄ではないのか?と、キアナは首をひねった。
「一つの文章だけならそうだろうな。だけど、本をそれで作るとしたら?。」
「はあ?」
キアナですら、理解するのに2時間ほどかかった。
ただ、これをほかの人間に理解させるには、1日では済まないだろう。
ダレルブレアンの公用語リッシュは、アルファベットによく似た表音文字26文字に、区切りや定型のための記号10ほどの36文字でほぼ全ての文章が出来る。
それの印を作って、並べれば、どんな文章でも作れるという理屈である。
「定型紙を作ったんだ、それに合うように印を組み合わせれば、本でも作れるだろ?。」
「とすると、四角にして、並べて絞めて押し付けられるように、やね。」
『いきなりそこまで行くかい!?』、マッド系技術者の妻は、理解するや構造論にまで踏み込んでしまう。
これまで本を作るには、一冊に筆者がつきっきりの肉筆で、最低数か月はかかっていた。
紙や羊皮紙が以前は高かった事もあり、本と言うのは貴族の書斎の装飾品扱いであった。
だが、『印刷』が出来るなら、原本が出来れば何百冊もの数を、何分の一ものスピードで作れる。
当然値段は、けた違いに安くなっていく。
「教会がもろ手を挙げて喜ぶやろうねえ。」
何しろ、教会の規範である『聖なる書』は、地方では各教会に一冊しか無い。それほど本は高いのだ。
「そうか教会が喜ぶか。その手もあったな。」
「ん?、セイジは違う事考えてたん?。」
「ダレルブレアンは大国じゃないだろ。小国が強くあるには、何がいると思う?。」
「質問に質問で返さんでぇな、イケズ。んー、経済はある、資源もある・・・・人材や!。」
「大正解。」
「正解の賞品ちょうだい。」
可愛く突き出した淡いピンクの唇に、そっと自分の唇を重ねる。
抱き付いてきた腕は細いがしなやかで強く、甘い吐息と唾液が、何度もキスを繰り返す。
そのまま押し倒して、服をはだけると、形良く盛り上がった胸と、愛らしいポッチが自己主張する。
「賞品は、これからだよ。」
「うん、期待してる。」
二人がようやく落ち着いた所で、イーラとディリエルが乱入し、さらに紙作りから帰ってきたハイネもご褒美を請求してきた。
もちろん、こういうご褒美は大歓迎である。
そろそろ子供が出来ないだろうかと、幸せそうに眠る妻たちの美しい顔を見ながら、楽しみにしているセイジである。
翌日、何かを探して自宅の近くを散歩していたセイジは、ゴミをあさっていた小さな姿を見つけた。
『ああ、そうか、これだったな。』
紙を作った時、印刷のことをは考えていた。
そして、ダレルブレアン公国ですら、無くならないもの。
貧困と、不幸な子供たちである。
ダレルブレアンの豊かさは、噂になっていて、よそから王都に流れ込んでくる人間は少なくない。
だが、噂だけで来た人間が即豊かになれるような場所は、二つの世界を知るセイジでも聞いたことも無い。
王都にもスラムは徐々に出来つつあった。
そして、不幸な親の無い子供も増えていた。
「なあなあ、」
「なんだい兄ちゃん」
薄汚れた子供が、あさっていたゴミから顔を上げた。
可愛げもないし、黒っぽい髪もぐしゃぐしゃで青鼻を垂らし、異臭のするぼろ同然の服を着ている。
「メシ喰いてえか?。」
「ああ?、当たり前だろ。もう2日喰ってねえよ。」
「喰わせてやるから、昼になったらここへ来な。ダチや家族がいたら、連れてこい。」
「はあ?、マジかよ。」
「昼だ。」
時間にして1時間ほどして、太陽が一番高くなったころ、怪しげなガキたちがそこにたむろしていた。
20人以上はいるだろう。薄汚れた子供は、ガキ大将(リーダー気質の)だったらしい。
「来たな。飯はこっちだ。」
「ほんとに喰わせてくれんのかよ。」
返事はせず、すたすたと先に歩く。
下手に何か言うより、行動だ。
「おいっ、そっちはあのドラゴンスレイヤーの屋敷だぞ!」
「ああ、そうだ。」
はるか右隣は副宰相のラドルビンの邸宅、遠くに見える左隣はグシャーネン将軍の邸宅ときていて、しょっちゅう警備兵が部隊を組んで歩き回り、浮浪児など見つかったらどんな目にあわされるか分からない。思わず足を止めるガキ達だが、とたんにプウンと香ってくるそれに、全員が盛大に腹の虫を鳴らした。
うまそうなスープの匂いが漂ってくる。
戸惑いながらも、空腹には勝てないのか、全員ついてきた。
「おら、食え。」
「ガキども、飯だぞ。」
「おかわりもいくらでもあるからね。」
庭先に、でっかい軍で使うような鍋がぐつぐつ煮たっている。
イーラと中年や老年のメイドたちが、たっぷりと盛り上げた肉、野菜、海の幸のごった煮のようなスープを渡していく。
サジを受けとる暇もあらばこそ、がつがつと餓鬼のように喰らい、必死にお代りをまた食う。
イーラも年上のメイドたちも、笑いながら『食えるのか?』と思うぐらいの量を盛り上げてやる。
「うめえええっ。」
「すげええっ、うめえよっ。」
先日海の大精霊ホエールがくれた山のような海の幸は、収納空間に保存してあった。時間停止状態なので、新鮮な事この上ない。
海の幸で出汁をとり、肉や野菜もたっぷり入れたそれは、うまくないはずがない。
全員が動けなくなるまで腹に詰め込んだ。
「なあ兄ちゃん、何でこんなうまいもの喰わせてくれるんだ?。」
最初に声をかけた子供が、腹をさすりながら、不審そうに聞いた。
「また喰いたいだろ?、ここで働け。そしたらまた喰わせてやる。」
「俺らガキだぜ?。働かせてくれんのかよ。」
働けるぐらいなら、飢えてゴミをあさるような事などするはずがない。
文字も読めず、名前すら描けない役立たずのガキに、何の仕事もできるわけがない。
「しごいてやる、字も読めるようにしてやる、働けるようにしてやる。飯も食わせてやる。その代わり、必死に働け。ここですること全部が仕事だ。」
ガキどもは顔を見合わせ、そして奇妙な物を見るような目で、セイジを見た。
「わけわかんねえよ。そんなことして何になんだよ。」
あり得ない話に、何度も何度も苦汁をなめ続けてきたガキどもは、むしろ怯えに近い目を向けた。
「お前らが始めないと始まらない仕事があるんだ。俺についてこい、俺はセイジ・リグマだ。」
その名を聞いたとたん、ガキどもは腰を抜かした。
ダレルブレアン公国で、その名を知らない者は無いドラゴンスレイヤーが、目の前の小柄で愛らしくすらある少年だとは、今の今まで思いもしなかった。
ちなみに聞いてみると、セイジ・リグマの噂では、金髪紫眼で身長3メートル、体重350ギン(kg)、角が3本生えて、腕が4本あり、全身刺青だらけで、性欲豚真っ青の性欲絶倫でナニの長さが80センチにかぼちゃサイズの玉4個、女を30人ほど囲っている筋骨隆々の牙の生えたバーバリアンだという。
『最初しか合ってねぇ!、本気で聞かなきゃよかった・・・・・』
庭に巨大な浴槽を用意して、たっぷりと湯を満たした。
イーラや年上のメイドたちは、口汚く怒鳴りながら、楽しそうに汚れたガキどもを洗い流す。
彼女たちは、そういう階層の出の人間なのだ。
ガキどもは全員風呂に入れられ、質素だがさっぱりした服と靴を着せられた。
「よしよし、さっぱりなりやがったな。」
「馬子にも衣装だねぇ。」
老メイドのハンナは笑いながら、サラサラになった髪を手荒く撫でてやると、少年っぽくなった最初のガキは照れ臭そうな顔をした。
病気を持っていた子供も、治療を受けさせ、さっさと治させた。
何より、セイジは薬に詳しく、この世界に無い抗生物質なども作り出せる。下痢や腹痛ぐらいならすぐ治せる。
「いいか、今日から文字を教える。4人ひと組で教えあいをしながら覚えろ。」
用意された紙とペンで、文字と記号を徹底的に書かせ、読ませ、また書かせる。
もちろん、一枚の紙が真っ黒になるまで何回も使う。
紙はふんだんに用意しているが、まず倹約と練習を覚えさせるのだ。
「お、おで頭わりぃからわかんねえよおお。」
「がんばってビル、あんた体力はあるんだから、粘るの!。」
「何度でもかけ、がんばぁ。」
「そうそう、その字だぞ。」
子供ばかりであり、覚えるのも意外に早かった。
覚えた組からメシになるようにしていたので、なおさら必死だったのだろう。
ミルクと野菜をたっぷり使った甘い麦かゆと、山もりのチーズに、食らいつくように食べていた。
「お前たちは、親がいない。だれも守ってくれる者はいない。だから、強くならなきゃならん。」
イーラに指導をさせて、剣や格闘を教える。
勉強だけではなく、体も鍛えさせる。
運動の後は腹が減るので、パンとドライフルーツとミルクを取らせると、腹が膨れた途端に全員ひっくり返るように寝てしまった。
大部屋で毛布にくるまって寝るだけだったが、そもそも屋根があって、毛布があって寝られるなど、これまであり得なかった子供たちだ。
全員死んだようにぐっすりと安らかに眠った。
翌日、鍋を叩く音に目を覚まし、パンとチーズとミルクと言う朝飯を見て、『ああ、まだこれは夢なんだ、口にしたら目が覚めて消えちゃうんだ』と思った子供が何人もいた。
『飯が食える』
たったそれだけのことが、子供たちを死に物狂いに駆り立てる。
文字を覚えた後、今度は『聖なる書』を1ページずつ、書かせ、読ませ、また書かせる。
いきなりハードなやり方だが、何しろこの世界にはまだ教科書も絵本もろくに無い。
だが、そんな苦労も『飯が食える』事に比べれば、子供達には何ほども無かったらしい。
目の前で飢え死にしていく子供、大人に殴られ血だらけになって死ぬ子供、拾い食いして吐き下しを繰り返しながら死んだ子供、
地獄を見て、味わってきた子供たちにとって、あそこに戻るぐらいなら、ここで死んだ方がはるかにましだった。
そして、各組で『聖なる書』を1冊ずつ筆写させた。
これには2週間以上かかったが、子供たちは、それすら寝る間も惜しみ、狂気のように乗り越えてしまった。
「よし、これでお前たちは、本当の仕事が出来る。印刷と言う仕事は、おまえたちたちが初めて行う仕事だ。」
セイジの説明に、いい加減驚きに慣れてきたはずの子供たちも、また驚かされた。
今度は飯を食わせてくれるだけではなく、給料まで出すと言うのだ。
「もちろん、容赦なくこき使う。覚悟して働け。」
『聖なる書』1ページを、活字という、細かな金属のハンコを組み合わせ、専用の締め具で固定する。
活字そのものは、金属加工が得意なドワーフの工房に依頼し、大量に作らせてある。
それでページを一つ作れば銀貨一枚。
インクをつけて100枚刷れば、さらに一枚。
全員で分けるし少ないように見えるが、うまい飯が食えて、寝床があって、服や靴までくれるのである。
これ以上の条件など、絶対にありえなかった。
子供たちは色めき立って必死に働きだした。
ちなみにこれはセイジの想定外だったが、活字の数を数えるうちに『何行何列でいくつ』という計算を覚え、全員が2桁の四則計算ぐらいは普通にできるようになった。
「おで、どんどん運ぶからよぉ、力ならまかせてなぁ。」
「うん、まかせた!」
「ビル、こっちもたのむぜ。」
「よしっ、10冊完成っ!」
ガキどもは、それぞれでうまく分担をしながら、目を輝かせて働いた。
紙を糸で縫い、本の外側のカバーをつけても、一冊当たり銀貨20枚程度と言う値段に、教会も大喜びであった。
それまでは『聖なる書』一冊を作るのに、最低金貨2枚以上(それも勤労奉仕込みで)かかっていたので価格だけでも10分の1、実質はさらに大きく下がる。
『聖なる書』が安く大量に手に入るようになれば、教えを深く広く社会に浸透させていくのに、これほど助かることは無い。
何より毎日めくっていれば、どんなに大事にしてもいずれ手垢で黒くなり、ボロボロになって壊れるのだ。
教会本部の事務が総がかりで文章に間違いが無い事を確かめると、全部即座に買い上げられ、以後も継続して注文を続ける事を約束してくれた。
グシャーネン将軍の弟、サンカーネン枢機卿も強力に後押しし、以後長く注文が続くことになる。
後日談だが、これに困ったのが他流派の教会で、自分たちの教えも印刷してくれと、セイジの始めた印刷事業を必死に後押しした。
セイジの元でしごかれた、24名の子供たちが、やがて印刷工房を立ち上げ、その弟子たちが印刷業を広く行うようになっていく。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




