第十八話 <紙戦争 その2>
たかが紙、されど紙です。
家具店からの帰り道。
カッポカッポカッポカッポ、
のどかな蹄の音が響く馬車の中で、ディリエルはようやく口を開いた。
「戦場を渡り歩いてきたイーラさんの戦功は、それぞれの軍の記録には一つもありませんが、私の知る限りでは、エデプスとイタリエで敵の指揮官二人、ギリジンで軍団長一人の首を上げてますね。それは売り払ったんですか?。」
「うん、セイジには言ってあるけど、女の私が名誉を得ても軍は雇ってはくれないし、それより名誉の欲しいやつに売り払った方が金になったからね。」
「出された感状(手柄の承認書)もさっさと売り払ってますものね。」
「何で知ってるんだよ?・・・・ディリエル。」
セイジの背中に、いやな汗が流れる。
イーラの戦績もすごいが、各国の軍に無いはずのそれを知っているディリエルの地獄耳の方が怖い。
「戦乙女憑で、それも神威第一階梯、オシリスの戦乙女・・・イーラの指揮官たちの無能ぶりは問答無用の斬首ものだわ。」
よほどショックだったのか、プラチナの髪を振り乱して、わなわなと頭を抱えるディリエル。
「でもね、あれはいつも使えるわけじゃないわよ。」
「そうなのか?」
「あんなものいつもいつも使われてたまるものですか!。」
ディリエルが珍しく切れた。
「だいたい、2万の軍の軍団長の首を奪うって、どういう事かと思ってましたけど、あんなのが憑いていたのでは、無理もありませんわ。ああもう・・・」
「いや、あの時は夜の奇襲だったし。」
「たかだか100人の傭兵に出来るぐらいなら、戦争は苦労しません!!」
聞けば聞くほど、なんだかトンデモナイ結果が表ざたになってくる。
「まー、あのときはマジで捨て駒確定、死んだと思ったものね。かといって、逃げたら味方から切られるし、死んだ気で突っ込んだら意識がぶっ飛んで、気がついたら指揮官の首を抱いて走ってたわ。おかげで解放代金の半分以上稼げたよ。」
戦乙女憑のイーラの後ろについてくることで、結果半数の傭兵も生き残り、イーラの指揮官は、死人に口なしの口封じも出来なかったとか。結局イーラと奇襲部隊には特別ボーナスを詰んで、全員の口をふさいだそうだ。
当時、わずか5千の兵で、2万の兵に夜襲をかけ、指揮官を討ち取ることで敵軍を崩壊させたランデルネス平原の戦いは、『先鋒の傭兵たちによる奇襲部隊が戦端を切り開き、突入した本隊が指揮官を打ち取った』という報告で、近隣諸国にも縦横無尽の奇策と決断で鳴り響いた。指揮官のカクネ・デンドスは名将として名を轟かせたのだが、つまりは完全なでっち上げである。
イーラが言うには、勝ち目が無いので夜間にこっそり退却する計画だったが、臆病者の指揮官が恐怖に耐えきれず、敵軍2万の本陣をわずか100人の捨て駒の傭兵に急襲させて、混乱させればその間は退却の時間が稼げるのではないかという愚策中の愚策だったとのこと。ところがイーラが敵将の首を引っこ抜いてきたので、逃げる予定を反転して迫ったら、勝手に敵陣が崩壊して逃げ散り勝ったことになったのだそうだ。
「まるであべこべじゃねえか。」
まさにでっち上げの報告書と言わねばなるまい。これほどの無能では、大殊勲のイーラたちも口封じの恐れがあったはずだ。
「それでも、指揮官のカクネ・デンドスはほとんど兵卒を損耗せず、名将の誉れを受けて、叙勲と領地の拡大を得たのですから、大黒字ですわよ。我が国にそんな無能がいたら、即座に、絶対、引きずり落としますわ!。」
『怖いよディリエル・・・。』
白い額に、青筋が浮き上がり、白い歯がぎりぎり軋みを上げている。せっかくの美少女ぶりが台無しだ。
「どうどう、落ち着きぃや。ところで、さっきから言うとる『神威第一階梯』とか、『オシリスの戦乙女』とか、どういう意味やねん?。」
話そうかどうしようか、そういう迷いが顔に出ているディリエル。
「私の知っているのは、全部伝承にすぎません。何一つ実証されたものは無いのです。」
この世界の中心にいる『神霊』、その眷族の内、最も戦闘的だったのが戦乙女。『神霊』の直属兵ともいえる彼女たちは、13の階梯に分けられ、永久欠番の13を除けば、12の階梯が存在した。
「その中で、最強にしてたった一人で階梯を占拠していたのが、第一階梯のオシリスです。」
「だけど、なんでそのオシリスはんが、イーラに憑いてんねん?。」
「分かりません、私には何にもわかりませんよぉー。」
あさっての方を見て『知らん!』と言い切るディリエル。そりゃーわかんねえよなとセイジでも思うのだ。
「そーだよな、そもそもあれが言ったことそのものが本当かどうかわからんし。」
「セイジ様、私も同意したいのは山々ですが、2万の軍勢の中心から、指揮官の首を引っこ抜くような非常識な戦果を上げた人間は、普通あり得ません。」
「それを言うなら、俺はドラゴンスレイヤーだし。」
「あううう、それを言われたら反論しようがないじゃないですかあ!。」
珍しく年相応にヒスを起こしてぐずるディリエルを抱きよせ、よしよしと頭を撫でながら、イーラを見れば、彼女は興味すら無さそうで、大剣の手入れをキアナと相談したり、刃を調べたりしていた。
『あたしはあたしだし』と、その横顔が言っている。
それでいいじゃないかと、セイジは思うのだ。
イーラが宿主である以上、あのオシリスとか言うのもバカな真似はするまい。
イーラのちょっとした秘密(?)が、あらわになった数日後、
あるVIP向け超高級料亭の一角で、密かな会談が行われた。
「ベンダン公爵であーる!」
「ははあっ!」
足をがくがくさせるぐらいふんぞり返った白タイツ、ベンダン公爵は、ブデビットが土下座したことに、非常に気を良くした。
「うむ、偉大なる血筋にして、最も高貴なる我が存在に対し、その姿勢ほめて遣わす。」
「ありがたき幸せにございます。」
揉み手すり足、土下座姿勢のまま、すすと近づき、酒と女を呼び寄せて、
「ささ、ご一献よろしゅうございましょうか。」
「うむ、くるしゅうない。よきにはからえ。」
高級酒をガバガバ注ぎ、女を5,6人もはべらせ、どんちゃん騒ぎと桃色遊戯。
「うむうむ、そなたは我が偉大なる血筋に対する、礼儀を良く知っておる。」
「恐縮でございます。」
「昨今は、高貴なる我に礼を知らぬものが多くなった、嘆かわしい事である。」
「お気持ちお察し申し上げます。私事でございますが、やはり礼を知らぬ者どもに苦しめられております。」
「なんとそなたもか。つらきことであろう。」
「はい、それはもう、くやしゅうてくやしゅうて・・・」
ハンカチを出して、目元をぬぐい、絞り上げるまでの一連の動作がどーにも臭すぎるブデビット。
「そうかそうか、そのような卑しき奴ら、わが威勢と権力で押しつぶしてやろうぞ。」
「おお、さようでございますか。ですがその者、上の者にこびへつらい、下の者には袖の下を使い、大勢の女をはべらせ使い捨て、好き放題をするならず者にございます。」
「なんとなんと、そのような非道な者がおるのか。何としても成敗せねばならんのう。」
「その者、噂だけでございますが、ドラゴンスレイヤーを名乗っておるとか。」
「さてはその者、セイジとかいう下賤の男ではないか?。」
「おお、さすがご明察でございます。」
「セイジ、許すまじ!」
「ああん、公爵様あ激しいですう。」
「ブデビット様あ、もっとおおぉぉぉ」
両者共に自覚が無さすぎるというのが困ったもの。
自分たちが言っている通りの事をして、乱れに乱れた宴席で、平然とイロイロしている二人であった。
「とはいえ、あれも噂だけだがドラゴンスレイヤーと言われておる。」
「ですが、それを貴方様の権勢であればいかようにでも。」
「歯がゆいが、わが甥にすぎぬ小男、レマノフサンダーがかばっておるでの。わしの偉大なる権勢をもってしても、すぐにはつぶせんのじゃ。おのれレマノフサンダーすらおらねば、セイジごときすぐに潰してやるものを。」
自国の公王を、それこそ好き放題に言い放つベンダン。
それを、よいしょしまくり、その通りでございますと煽り立てるブデビット。
バカがバカを煽りまくり、テンションだけは上がっていく。
「おお、そうじゃ。我が忠臣にして知恵袋のカーレイがおる!。たれぞ、カーレイを呼ぶのじゃ。」
と、今の今まで完全に忘れていたカーレイの事を呼びつけた。
これで忠臣と呼ばれる方も、いい面の皮だろう。
「お呼びでございますか、偉大なる公爵様ぁん。」
鼻に抜けるような声で、しなだれかかる妖艶な美女に、ベンダンは鼻の下を一気に伸ばす。
「これはお美しい、この方が貴方様の忠臣にして知恵袋でございますか。」
「そうよ、あの愚昧な甥も、この者の策であと一歩であったものを、セイジが邪魔しおったのじゃ!。」
アホバカ公爵が、平然と口走った内容に、酒と女で濁っていたブデビットの頭がすうっと冷える。
『え・・・?、あと一歩??。』
「うっふふふふふ・・・なあに?。お姉さんに言ってごらんなさい。」
いつの間にか、しなだれてきたカーレイと、のど元にヒヤリと当たる冷たい刃。
薄いが、恐ろしく鋭い剃刀である。あてただけで血が流れる。
キュウッと膀胱が縮まり、放尿寸前となるブデビット。
肉食獣のようなカーレイの目が笑っていない。
『おい、気が付いたんだろうが、聞いた以上逃げたら、コ・ロ・ス。』
その色合いと目つきだけは、絶対に読み間違えようが無かった。
『後悔先に立たず』とか『覆水盆に返らず』とか、色々ことわざはあるが、しょせんブデビットは、ただの紙商人でしかなかった。
目の前の酒でテンションの上がっている醜いメタボのおっさんが、公王暗殺すら平然と計画しかねない本当のバカであることに、手遅れながらようやく気付いた。
宴席を設けた次の日、目立たない服を着て、こそこそ自分の店の裏口から逃げ出そうとするブデビットがいた。
とにかく店は支配人に任せ、持てるだけの金を持ってほとぼりが冷めるまで、と外に出て三歩目。
ドスッ
足元に太いナイフが刺さった。
「ひげーっ!」
「おーっとわりいわりい、ナイフが飛んじまったぜ。ケガあ無いかい?。」
若い目の細い男が、人の良い声を出して、形だけは謝ってきた。
だが、やはり目は笑っていない。さらに後ろから、しなだれかかる甘い腐臭の漂う声。
「あらあん、おじさまどうしたのん。こんなところでしゃがんでいちゃ、汚れますわよ。」
と、また首筋に冷たい細い感触と、ヒリッとくる痛み。
ブデビットは自分の尿道が、破裂しなかったことが不思議だった。
二人から店の裏口に引きずり込まれ、手近な椅子に座らされる。
「ま・さ・か、逃げようなんてあま~い事考えてんじゃないでしょうねぇ。」
「お前さんの、店も家も知られてっから。ついでに女の2人の家もな。」
『そ、そこまで・・・!』
驚愕に凍りつくブデビット。
「あらあん、ずいぶん貯めこんでるじゃない。」
するといつの間にか、机の帳簿をあさり調べているカーレイ。
「な、何を見て・・・ひっ」
ナイフが、首の前で何気なく抜かれた。立とうとしてへたり込む。
「おっとお、人が手入れしようとする前に出てくるなんざ、危ないぜぇ。」
この男がその気なら、こちらがが動く先にナイフを飛ばして勝手に死なせることぐらい、朝飯前にできるだろうとブデビットは理解したくない事を理解した。
「これなら50万ゴルドぐらい、余裕で出せるわねぇ。」
「何しろ、まず先立つものがねえとな。」
「それは、店の金だっ」
「何を言ってるの、もし私らが捕まったらあんたも共犯だって言うにきまってるじゃない。そうなったら、財産没収あんたは斬首。金なんてあっても仕方ないでしょ。」
本気で口を尖らせて言う美女に、背筋どころか全身が寒くなる。
間違いなくこの女は悪魔だ。そして悪魔に目をつけられたバカは俺だ。すでに完全手遅れであった。
「うっふふふ、ただね~公王さまが変わっちゃえば良いのよ。あんなんでも公爵、ベンダンが公王になればあんたはどんだけでも栄達可能よ~。」
なぜだろう、そのすばらしい未来が、空しい空想とした思えなくなってきた。
「なにはともあれ、先立つものは金だ。さすがに前回の失敗で資金的にもピンチだったからな。」
「あの村長を締め上げて、金貨を奪い返してもいいけど、あれはまだ使い道があるしね。」
「まずは、例の作戦を始めようぜ。」
例の作戦とは、山賊の情報を流し、その討伐を行わせる。
だが、ミレン村の村長と連携し、討伐を失敗させ、ベンダン公爵の影響力を使って、グシャーネン将軍の責任追及と謹慎。
そこで、公王の両腕とも言うべき筆頭王宮魔導師ラドルビンと、謹慎中のグシャーネン両方に刺客を送り、暗殺。
そうすれば公王を暗殺することなどたやすい。
ただ、この時点で大きな祖語をきたしていることを、この連中は知らない。
よりにもよって、セイジの紙作りの仕事から、山賊は全滅し、村長は逮捕の後公王への反逆罪その他もろもろで絞首。
そしてグシャーネンの命を受けたブテンが、すでに手ぐすね引いて網を張っている状態だったのである。
莫大な資産をもつ紙商人ブデビットを取り込み、資金面の問題が解決したことで、カーレイたちは調子に乗ってしまい足元がおろそかになっていることに気づかなかった。
「あらん、なかなか可愛い男の子が居るじゃない。」
ブデビットを取り込んだことで、紙に興味を抱いたカーレイは、紙を作っている工房の出店に寄ってみた。
そこで、凛としてかつ深い紫の瞳の男の子に出会った。
「う~ん、いいわねえ。あんな子を奴隷にしたいわぁ。」
ゾゾゾ、
『な、何だ、何かひどく寒気がするぞ。』
店の様子を見に来たセイジは、おぞましい寒気を感じて、身を震わせた。
オカマでガチホモのカーレイは、可愛い男の子が好きで、芯を持つ子が特に好みだ。
そして、カーレイのお眼鏡にかなったのは、運が良いとはとても言えない。
セイジは、きれいでグラマーなお姉さんが、手を振っているのに気付いた。
だが、なぜか少しも気が晴れない。
その美貌や体つきは、好みに近いはずなのだが、ひどい違和感を感じ、次第に気分まで悪くなる。
『ありゃあなんだ?、まるで・・・整形した感じがする。』
セイジは前世では人の体についてかなり詳しく調べたことがあり、人相や骨相なども結構詳しい。
そして彼の一番苦手なのが整形した顔で、近隣の某国のタレントどもの顔など見た日には、吐き気までしてくる。
顔の骨型とまるで合っていない、整形だらけのなのが丸わかりの顔は、とてもじゃないが見られたものじゃない。
あんなのがスターなどと呼ぶ気持ちが、まるで理解できなかった。
その時の記憶に匹敵するほど、その美女の顔も作り物めいていて、急いで逃げ出した。
「あらん?、変ねえ。」
そそくさと逃げ出すセイジに、思わず後を追ってしまうカーレイ。
『ご主人様、あの人物の生理活性から、肉体的には男性です。』
『ぶっ、お、オカマかよ!、しかも追っかけてくるぞ、まさかホモぉ?!』
セイジは生理的にホモは嫌いである。しかも整形となるともう我慢できる限界を超えている。
この世界に整形があるかどうかはとにかく、見ただけでおぞましく近づきたくないのだ。
「ねえん、坊やどうしたの?。」
逃げるセイジに逆に刺激され、可愛い男の子を追いかける快感に足を速めるカーレイ。
かなりのスピードで接近され、甘ったるい声は腐臭に近い。
正直捕まったら貞操の危機だ。
『戦えば勝てますよ』と左手が言うが、それ以前に近づきたくないっ!。
『そうだ、確か今日は・・・』
角などに追い込まれないよう、必死にスピードを上げて、軍の訓練所の方へ曲がった。
今日はイーラが、腕がなまらないよう、訓練所に行った日のはず。
『角を曲がれば、うああ、凄い形相で追いかけてくるううっ。』
美女のはずが、鼻の穴を広げ、目をぎらつかせ、口元すら濡れている。いよいよ肉食獣じみてきた。
セイジが角を曲がると、丁度イーラが出てきた。
「イーラああっ!」
セイジの必死の顔に気付いて、剣を抜いて駆け寄るイーラ。
「どうしたの!」
「う、うしろおっ」
慌ててイーラの後ろに逃げ込む。自分でも情けないとは思うが、嫌いなものはどうしようもない。
見つけた獲物、それもネズミを追い詰めて嬲る快感を邪魔されたネコのように、歯をむき出すカーレイ。
「なによあんた。」
「あんたこそなによ。何でうちの人を追いかけてるのよ。」
シャーッ、威嚇するカーレイは蛇であろうか。
チャッ、剣を構えてセイジをかばうイーラはマングース?。
「うちの人ですってえ?。」
「そーよ、私の旦那様よ、何か文句ある?。」
「へええ、幸せそうなその顔、優越感のつもり!。」
「とーぜんよ!」
それでなくとも、相性が悪そうな二人。イーラは見事な爆乳で、スタイルも良い。
スタイルはとにかく、乳で負けているカーレイは、かっとなってとびかかる。
素手では、剣を持つ相手にはまず勝てないが、イーラは油断しなかった。
カーレイがカッとなり、うっかり本気になったため『かまえ』が良すぎたからだ。
『かまえが良い相手が、素手で来るときは、油断するな。』
イーラの師匠、老傭兵の言葉である。
案の定、手の中に金属の光があった。
キン
左手の隠し武器の短剣に近い金属針が、イーラの剣を受け流し、右手の同じ武器が彼女の腹を狙った。
ガキッ
しかし、イーラは流された剣をそのまま引き戻し、長めの柄の部分でさばいた。
「くっ、このっ!」
だが、柄の部分を大きな手が掴み、奪おうとする。格闘術になればある理由でカーレイの方が分がある。
ムキッ、ムキッ、音を立てて筋肉が盛り上がり、乳房は胸筋に代わり、細マッチョの男の顔と姿になって剣を奪いとった。
肉体変化を解くと、筋力まで上昇するらしい。
「うげげ」
剣を奪われた事より、明らかに男が女ものの裾の長い服を着ている奇怪さに、イーラは思わず引いた。
「死ね!」
ドッバアアアアンッ
セイジの怒りの声と共に、高圧空気の砲撃が左手から放たれ、カーレイは20メートルほど吹っ飛ばされた。
もちろん、再起不能。
「俺はホモはゆるっさああああんっ!」
セイジは、整形顔への嫌悪感が酷いだけで、単なる男が女の衣装を着ているだけなら、遠慮なくぶん殴れる。
「な、何だったの、あの変態。」
「知らんよ、紙の店からいきなり追っかけてきた。」
「うあー、怖かったでしょ。」
「いや、気持ち悪かった・・・」
人気の少ない通りとはいえ、これだけ大騒ぎすれば、人がこないはずがない。
鮮やかな女物を着た、浅黒い肌の気色の悪い変態男は、失神したまま嫌そうな王都の治安兵に引きずられていった。
そのころ、
とにかくこのままでは、食い物にされるだけになりかねないと、紙商人のブデビットは必死に方策を考えた。
『公王暗殺』など前に出しては、集まるものも集まらない。
紙の利権を守るための、コネや伝手をどうにか強化して、紙作りをしている工房を潰さなければ、デイブ商会の明日は無い。
そこは腐っても公爵、声をかけるとそれなりに集まってくる。
『よくまあ、これだけの胡散臭い連中が集まるもんだな。』
汚い商人や、わいろで有名な官僚、評判の悪い貴族など、王都でも鼻つまみ者として有名な連中がほとんどそろっている。
自分もそういう一人に仲間入りなのだから、それを言っても始まらない。
こういう連中にとっては、アホバカな公爵でも寄らば大樹の陰なのだ。
ゲルネン子爵という、階級の割には広い領地を得ている貴族が、知恵を出した。
「紙の製造には、多くの木がいるそうだが、それを邪魔すれば作れまい。」
子爵の伝手で、雑木とはいえ勝手に刈り集めないよう、領地の所有者や共有地の近隣の人間たちをあおり、まず材料を手に入れさせない。
「あと、売れなければ話にならないのです。ブデビットどのも、一時で良いのですから大きく値下げして、連中の紙を売れなくしてしまいなさい。」
この案を出したのは、穏やかな風貌なのに目が残酷そうな商人のデスダ商会の店主だった。近所の商会を無理やり潰し、公爵の伝手で訴えを握りつぶさせたので、大きくなった商会である。
「なるほど、材料が入らず、売れないとなれば、小さな工房などすぐ潰れますな。」
「紙の商売や製造など、しない方が良いと思わせさえすれば良いのですよ。」
大きな商人が小さな商人をまとめて潰す方法である。後は自分の思うままとなる。
「工房も儲かっているなら、税を搾り取らねば。」
「庶民が我々の許しも得ずに、好き勝手するのが一番いかんのですよ。」
「清貧、清貧、貧しく正しく我々の言葉さえ聞いて、いらぬ競争など考えず、ある金を我々に捧げるのが庶民の務めよ。」
「いっそ工房組合など解散させて、奴隷制をもっと物を作る連中にもあてがえませんかなあ。」
貴族支配は競争や進化をひどく嫌う。絶対の安定こそが、貴族支配の源泉だからだ。
その膿のたまり場ともいえるのが、この連中だ。
ただそれは、支配のための構造であって、国政のための構造ではない。
実際に国政に立っている公王やその腹心、まともな領地経営をしている貴族、一生懸命真面目に働いている官僚たちは、
『貴族支配は必要だが、競争や改革を行わないと、国政が停滞し国が衰退する』
と、はっきりわかっている。何より民がたまらない。
どちらが大事かは言うまでもない。




