付き合いたて編6『姉上来襲(後編)』
「んで、次は渚ちゃんのターン!」
今や暴君と化した姉上の容赦ない矛先が、ついにターゲットを渚へと変更した。
グラスをぐいと飲み干した夏美姉が、酔いに任せた鋭い眼光で渚を射抜く。
「渚ちゃんが『あ、私このバカのこと男として好きだわ』ってハッキリ自覚したのはいつなの? どこなの!?」
「……着替え、見られた時かな」
渚がぽつりと、恥ずかしそうに頬を染めて呟いた。
バギャァッ!!
夏美姉の全力の拳が俺の側頭部に直撃した。
身構える時間すら与えられない、完璧な不意打ち。
視界が真横に90度大きく傾き、俺はカーペットの上に盛大に崩れ落ちた。
「お前はっ……! いたいけな女の子を事故物件みたいにさせとるんじゃアァッ!!」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさいッ!! 事故だったんです! ドアが開いてたんです!!」
理由を説明する猶予すら与えられない理不尽極まりない暴力!
俺は頭を抱えて床に丸まり、ひたすら謝罪の言葉を叫ぶしかなかった。
「んで、このドスケベバカはその時どう対応したの!?」
息を荒らげた夏美姉の容赦ない追撃質問。
「あ、ごめん。……って、軽ーく言ってドア閉めて済まそうとした」
ドガツッ!!
容赦のない二撃目の拳が俺の頭頂部に垂直落下した。
視界に美しい黄色い星が何個かチラついた。
「あ、でもね『バカーッ!』って私が怒ったら、お兄ちゃんすごく焦って、真っ赤になっていっぱい謝ってくれたんだよ?」
渚が必死にフォローを入れてくれる。
……が、悲しいかな、それは猛獣と化した姉貴に対しては一切フォローになっていない。火に油どころかガソリンを注いでいる。
「それで?」
夏美姉が再び渚を見る。
「どうして、それで好きだと自覚したの?」
「あの時、すごく胸がドキドキしたの」
渚は少し恥ずかしそうに、自分の胸元に手を当てて笑った。
「なんでこんなに心臓が痛いくらい鳴ってるんだろうって思って」
「うんうん」
「だって、もっと小さい頃には裸だって見られたことあるのに」
渚は自分の膝の上にちょこんと手を置いた。
そこで、床で悶絶している俺を、ちらりと甘い眼差しで見下ろす。
「ああ、私、お兄ちゃんのこと……ただのお隣のお兄ちゃんじゃなくて、男の人として好きなんだって。だからこんなにドキドキしてるんだって、気づいたの」
「へぇぇ……なるほどねぇ……?」
夏美姉の眼光が、かつて見たこともないほど禍々しく、般若のごとく光り輝いた。
(やばい、このままだとマジで死ぬ――!!)
俺は本能的な危機察知能力をフル稼働させ、床の上を這いつくばってダッシュで部屋の隅へと距離をとった。
これ以上ここにいたら、本当に頭の形が変わるレベルで殴られ続ける気がしたからだ。
「逃げるなゴルァ!! 免罪符になるかそんな甘酸っぱい初恋覚醒思い出がぁぁッ!! 羨ましすぎるだろちくしょうッ!!」
距離をとった俺の背後に、今や完全に鬼と化した夏美姉が般若の形相で迫る。
その横で、渚だけが「ふふっ、私の初恋の覚醒イベントだったんだよ」と、幸せそうに頬をゆるゆるに緩めて、お酒をちびちび飲んでいた。
「逃がさへんぞぉ……ッ! 弟の分際で青春しやがってぇぇッ!」
酒が入って完全に阿修羅と化した夏美姉が、部屋の隅に追い詰められた俺へとのしかかってくる。クッションを盾に必死の防戦一方を展開する俺。
しかし、その絶望的な戦いの終わりは、唐突にやってきた。
「はぁー……もう、本当にあんたって弟は……」
大声を張り上げて怒鳴り散らしていた夏美姉が、まるで電池が切れたようにドサリと崩れ落ちて突っ伏した。
あおっていた一升瓶のアルコールが、急速に脳に回ったらしい。
……静まり返るリビング。
規則的な「スー……スー……」という豪快な寝息を立て始める夏美姉を見て、俺は盾にしていたクッションを抱えたまま、深く、深く、肺の中の空気を吐き出した。
「……助かった。マジで命の危険を感じたぞ……」
頭にできた立派なタンコブを撫でながら胸を撫で下ろすと、横から小さな手がすっと伸びてきて、冷たく冷やしたおしぼりを俺の頭に優しく当ててくれた。
「お兄ちゃん、大丈夫? ……夏お姉ちゃん、本当に強烈だったね」
見上げると、渚が心配そうに、でもどこか心の底から満足そうな愛おしい笑みを浮かべて俺を見つめていた。
「誰のせいでこんな目に遭ったと思ってんだ……。お前のフォロー、火にガソリンしか注いでなかったぞ」
「えへへ、ごめんなさい。でも私、すごく楽しかったよ」
渚は倒れている夏美姉に毛布を優しくかけてやると、そっと俺の隣に座り直し、俺の肩に頭をぽんと預けてきた。
「私ね、ずっと少しだけ不安だったの。お隣のお兄ちゃんから恋人になれたけど、急すぎたかなとか、みんなに『反対されたらどうしよう』って……。
でも、夏美お姉ちゃんも、おじさんもおばさんも、みんな笑って、怒って、祝福して認めてくれた」
肩越しに伝わってくる渚の温かな体温と、どこか安堵したような小さな吐息。
そうか。渚は渚で、子供の頃からの夢が叶った嬉しさの反面、「身内からどう思われるか」という不安をずっと抱えていたのだ。だからこそ、家族への報告もあんなに早かったし、今夜も逃げずに昔の秘密を全部話し切ったのかもしれない。
「反対なんてするわけないだろ。うちの家族全員、お前がどれだけ俺を一途に好きだったか知ってたんだから」
「……当のお兄ちゃん以外はね」
「うぐっ……それを言われるとぐうの音も出ん」
渚はくすっと愛らしく笑うと、俺の頬のタンコブのすぐ横に、ちゅっと小さく柔らかいキスをした。
「お疲れ様、私の愛しい鈍感なお兄ちゃん。……今日は痛かった分、今度私がいーっぱい甘やかしてあげるね」
爆睡する夏美姉の豪快なイビキをバックノイズに、俺たちは静かに視線を合わせ、小さく笑い合った。
こうして、長かった『姉上来襲編』は、俺の頭に刻まれた無数のタンコブと、より一層深まった彼女との確かな絆を残して、ようやく平和な幕を閉じたのだった。
付き合いたて編は起パートとして、二人のこれまでを掘り下げました。
次からは承パート、二人が絆を深めていく段階に移ります。




