↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/24

付き合いたて編3『制服と失われた青春』

「……本当にアホなの? お兄ちゃん」


 脱衣所のドアが開き、姿を現した渚は、心の底から呆れ返ったようなジト目で俺を睨みつけていた。


 着ているのは、ついこの間まで彼女が通っていた高校の制服だった。紺のブレザーに清潔感のある白ブラウス、チェック柄のプリーツスカート。


「どう?」


 渚は実に不満そうな顔で、くるりと一回転してみせる。


「どうって……最高です。本当にありがとうございます」

「そうですか」


 声にまったく感情がこもっていない。

 それも当然だ。俺が拝み倒して、土下座せんばかりの勢いでなんとか着てもらったのだから。


 渚は現在二十歳。立派な成人女性である。

 そして今の彼女は、幼い頃とは違う。ここ数年、俺に「一人の女性」として見てもらおうと、大人っぽく見せる努力を陰で重ねていたらしい。

 服装も。髪型も。立ち振る舞いも。


 だからこそ――。

「なんで今さら、高校生に戻らなきゃいけないのよ……」

 渚は鏡に映る自分を見つめながら、心底解せないといった風に溜息をついた。


「いいじゃないか」

「よくない」

「ものすごく似合ってるぞ」

「知ってる」

「そこは否定しないんだな」

「だって、高校の頃ずっと着てたもの」


 ぷくっと頬を膨らませて唇を尖らせる渚。

 その不機嫌そうな仕草すらも、制服を着ているせいで完全に現役女子高生のそれにしか見えない。


「いいか渚、男って生き物はな……『可愛いJKにイタズラをする』っていう一生のロマンを抱えて生きてるんだよ。それが合法的に、しかも大好きな彼女で叶うなんて、男冥利に尽きるだろ」

「絶対屁理屈……」


 渚は呆れたように溜息をつきながらも、ベッドの端にちょこんと腰掛けた。

 照れくささを隠すように膝をぎゅっと揃え、短めのスカートの裾を必死で下に引っ張っている。

 その無防備で健気な仕草が、俺の理性を激しく揺さぶった。


 俺はベッドに歩み寄ると、床に膝をつき、下から渚と目を合わせた。


「……ありがとな、渚。着てくれて」

「……べつに。お兄ちゃんがそこまで言うから、サービスしてあげただけだし」


 ぷいと横を向いて頭頂部を見せる渚の耳たぶは、真っ赤に染まっていた。

 不満そうな顔をしつつも、俺の我儘な頼みを断り切れずに着てくれた彼女の優しさが、たまらなく愛おしい。


「……もしかして、高校の時からそんな目で私を見てたの?」


 渚が意地悪そうに目を細めて尋ねてきた。


 俺はごくりと唾を呑み込み、腹をくくって素直に白状した。


「……まぶしくて直視できない程でした」


 嘘偽りない本音だった。

 日に日に大人びて綺麗になっていくお隣の妹を見て、どれだけ毒気のない『優しいお兄ちゃん』のフリをして汗を流していたか。


 すると渚は、パッと顔を輝かせてすごく嬉しそうな表情を浮かべた。

 それからふーっと小さく息を吐き、どこか遠い目をして呟く。


「……なぁんだ。そんなことなら、高校の時に告白しとけばよかったなぁ」

「やめてください。理性を保てた自信がありません」


 切実な俺の懇願に、渚は「あははっ」と楽しそうに声を上げて笑った。


「私は全然良かったんだけどな」

「本人同士が良くても周りが許してくれません」


 世間の目も、お互いの両親の顔も。何より連合きょうだい達の怒りの拳が飛んでくる。


「……ふふ、お兄ちゃん、私のこと大事に思ってくれてたんだ」


 俺の言葉をどう受け取ったのか、渚はうっとりとしたように頬を緩め、愛おしそうに微笑んだ。


 どちらかといえば自分の立場と社会的な死を防ぐための『自己保身』だったのだが、その言葉は野暮なので胸の奥に仕舞い込んでおくことにした。


  ◇◇◇


「誰かさんのせいで、暗い青春時代だったんだから」


 渚が、ぽつりと落とすように言った。


「……え?」


 最初は冗談だと思った。

 けれど、渚の顔から笑みが消えていた。


「私の青春」

 そう言って、渚は少しだけ視線を下に落とした。


「友達はみんな、普通に恋バナをしてたんだよ」


 誰々くんが好き。

 誰々くんから告白された。

 付き合ったけど、すぐ別れた。

 そんな甘酸っぱい話を、放課後の教室で友達同士楽しそうにしていたらしい。


「上手くいくことばかりじゃなかったよ」

 渚は自嘲気味に小さく笑った。

「泣いてる子もいたし、振られて落ち込んでる子もいた」

「……うん」

「でもね」


 一度言葉を切り、ブレザーの裾をぎゅっと握りしめる。


「みんな、すごく楽しそうだった」


 胸の奥が、ツンと痛んだ。


「私も、ああいうのしたかったなって、ずっと思ってた」


「でも、私の好きな人、五歳も年上だったから」

 渚が切なそうに苦笑する。


「なんで私の好きな人は、五歳も年上なんだろうって、何度も思った」

 その言葉が、鋭く胸に刺さった。


「せめて二歳差ならよかったのに」

「二歳差?」

「うん」


 渚が静かに俺を見つめる。


「そしたら一年だけでも、同じ学校に通えたでしょ?

 一緒に登下校したり、文化祭回ったりできたでしょ?」


 俺は言葉を失い、俯くことしかできなかった。


 知らなかった。そんなことをずっと一人で考えていたなんて。

 俺はずっと、「自分は正しく誠実な行動をしている」つもりだった。


 渚はまだ子どもだった。

 だから変に意識させてはいけない。

 俺が大人として距離を取り、理性を保つこと。

 それこそが渚のためであり、お兄ちゃんとしての誠意だと思っていた。


 だけど、当時の渚にとっては――大好きな人にただ避けられ、拒絶されているような悲しい時間だったのかもしれない。


「お前が高校生のときに、俺が同じ高校に通えるくらいだったら……」


 俺の悔恨の呟きに、渚は優しく首を横に振った。


「それでも、お兄ちゃんを好きになってたと思うよ」

「……そうか」

「うん」


 そして、どこか吹っ切れたように小さく笑った。


「俺も……こんなに可愛い彼女がいる青春時代を送ってみたかったな」


 どれだけ願っても、過去に戻ってそれをやり直すことはできない。


 その時、渚の手がそっと伸ばされてきた。

 俺の手に指先が触れる。

 俺も吸い寄せられるように、その小さな手を包み込むように握りしめた。


「……ねえ」

「ん?」

「じゃあ、その分、これから一緒にいよう」


 渚が、俺の手をぎゅっと力強く握り返してきた。


「全部……これから二人で作っていこうよ」


 熱いものが、胸の奥からこみ上げてきた。


「……そうだな」


 俺も、握りしめた手にぎゅっと力を込める。


「失った時間なんて吹き飛ばすくらい、これからずっと一緒にいよう」

「うん!」


 渚は心底嬉しそうに、満面の笑みで頷いた。


 やり直せない過去を嘆く必要なんてない。

 これから先の未来なら、俺たちの前にはいくらでもあるのだから。


 だから俺は、今度こそこの手を絶対に離さない。

 昔の俺は、渚を守るために「距離を置く」ことを選んだ。

 でも、これからは違う。一番大切だからこそ、いつだって一番近くの隣にいる。


 深く心にそう誓いながら、俺は制服姿の愛おしい彼女を、強く胸に抱きしめたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。