再出発編1『たどりつけなかった未来』
慌ただしくも、賑やかに時間は過ぎていった。
節分。
バレンタイン。
花見。
夏祭り。
お互いの誕生日が来て。
またクリスマスを迎えて。
気がつけば一年。
そして、もう一年。
二人で過ごす時間は、当たり前のように積み重なっていった。
渚は大学生活を楽しみながら、相変わらず俺の部屋にも遊びに来た。
俺は俺で、仕事に追われながらも、渚との時間を楽しみにしていた。
家族で集まれば、相変わらず騒がしかった。
夏美姉は相変わらず彼氏ができず、洋には散々いじられ。
そして――。
ついに、その日が来た。
渚の卒業式。
「卒業おめでとう」
そう言って、俺は渚に花束を渡した。
「ありがとう、お兄ちゃん」
大学を卒業した渚は、もうすっかり大人の女性だった。
思えば長かった。
いや、あっという間だった。
昔は小さな女の子だった。
俺の後ろをつついてきて、何かあるたびに「お兄ちゃん」と呼んでいた。
そんな渚が今では、俺の隣に立っている。
恋人として。
「これで、私も学生じゃなくなったね」
「そうだな」
「……約束、覚えてる?」
渚が少しだけ照れたように笑った。
俺はもちろん覚えている。
あのクリスマスの日。
小指に指輪をはめた時に言った。
薬指は、本番までの楽しみにしていてください。
「覚えてるよ」
「そっか」
渚は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺も笑った。
あの頃は、渚の卒業式はこんな感じだと信じていた。
本当に。
そんな未来を疑ってはいなかった。
それなのに。
◇◇◇
「渚の卒業式だけは顔出してやってくれ」
スマホの画面に表示された、洋からのメッセージ。
それを冷たく既読スルーして、俺は暗い部屋で一人、天井を見上げていた。
あんなに賑やかで、あんなに愛おしかった日々。
二人で過ごした甘い夜も、実家での大騒ぎも、季節のイベントをはしゃぎながら一緒に楽しんだ時間も。慌ただしくも幸せに過ぎ去っていった二年。
ついに渚が大学の卒業式の日を迎えたというのに、今の俺は、彼女の晴れ舞台を祝いに行く資格も権利もない。
まさか別れているなんて、楽しかったあの頃には夢にも思わなかった。
胸の奥が、冷たく、激しく痛む。
卒業証書を抱えて、きっと今日も最高に綺麗な袴姿で笑っているであろう渚。
その隣にいるべきだったのは、他の誰でもない、俺だったはずなのに。
静まり返った部屋に、カチタクと時計の針の音だけが空しく響いていた。
◇◇◇
完全に俺が悪いのだ。
渚との将来のために、男としてちゃんとした稼ぎと立場を作らなきゃいけないと、仕事に人一倍熱が入った。その甲斐あって大きな仕事を任され、死に物狂いでやり遂げた。すると評価され、さらに責任の重い仕事を任されるようになった。
だが、そこからすべてが狂い始めた。
重く圧しかかる期待へのプレッシャー。
思い通りにいかない苛立ち。
連日の深夜残業による精神と肉体の疲弊。
家に帰れば、渚が笑顔で待っていてくれた。それなのに、余裕を失った俺は、些細なことで不機嫌になり、渚に冷たい態度や感情をぶつけてしまうことが時々あった。
あんなに自然に笑い合えたのが嘘のように、二人の空気はどんどんギクシャクし始めた。
「……今、それ言う?」
「ごめん」
「今日はもう疲れてるんだ」
「……うん」
「また今度にしてくれないか」
渚は謝った。
俺も、そのたびに後悔した。
謝った。
仲直りした。
それで終わったと思っていた。
でも、違った。
少しずつ。
本当に少しずつ。
俺たちの間に何かが積み重なっていった。
「お兄ちゃん、今度の休みなんだけど……」
「まだ分からない」
「そっか……」
「悪い」
「ううん。大丈夫」
大丈夫。
その言葉を、何度聞いただろう。
大丈夫なわけがなかった。
渚をいっぱい傷つけた。
優しくしたいのに、余裕がないと最低な言葉が出てしまう。
そんな自分がどうしようもなく嫌になる。
そして自己嫌悪からまた冷たく接してしまうという、最悪な負のスパイラルに流されていった。
耐えられなかった。こんな惨めな俺のせいで、渚の笑顔が消えていくのを見るのが。
だから、俺から別れを切り出した。
「もう……終わりにしよう」
そう告げた瞬間、渚は言葉にならない悲鳴を上げて俺の背中にすがりつき、子供のようにわんわん泣いた。俺の服を固く握りしめる渚の手を、俺は泣きながら冷たく振り払うことしかできなかった。
破局を知った夏美姉には、会うなり全力で殴られた。
「あんた最低だよ!
渚ちゃんがどれだけあんたを想ってたか知ってんの!?
もう弟とは思わん!
二度とツラ見せるな!」
怒鳴り散らす夏美姉の拳は痛かったが、それ以上に、彼女の頬をボロボロと伝う大粒の涙が胸に刺さった。
なんであんたまで泣いてんだよ。
俺が殴られて当然の最低な奴だからって、なんでそんなに悔しそうに泣くんだよ……。
夏美姉は答えなかった。
ただ、涙を拭おうともせずに、俺を睨んでいた。
その顔を見て。
俺はようやく、自分が何を壊したのかを思い知らされた。




