付き合いたて編1『賑やかな庭と指定席』
「ほら、ビール冷えてるよ。はい」
実家の庭に足を踏み入れた瞬間、待ち構えていたかのように渚が冷えた缶ビールを差し出してきた。
そして、さも当然といった様子で俺の隣の椅子にちょこんと腰を下ろす。
洋が帰省するから顔を出しなさい――とお袋から連絡を受けたのは、ほんの一時間前のことだった。
洋は地方の大学に進学して実家を離れ、そのまま現地で就職していた。
今日は久しぶりの帰省だった。
「おー! 久しぶり!」
「洋、元気そうだな」
「お前も相変わらず変わらんなぁ!」
玄関を開けると、そこには昔と何ひとつ変わらない幼なじみの笑顔があった。
親同士が昔から大の仲良しで、子どもたちも実のきょうだい同然に育ってきた俺たち。
だから昔から、二家族合同での行事は日常茶飯事だった。
家族旅行に行ったり。
春には花見をしたり。
正月には揃って初詣に行ったり。
そして――何より回数が多かったのが。
「肉焼けたぞー!」
二家族合同の、賑やかな庭先バーベキューだった。
今日もその例に漏れず、庭には大きなテーブルが引っ張り出され、炭火の上で香ばしく肉や野菜が焼けている。
親たちが「洋、おかえりー!」「まあまあ、遠慮しないで飲んで!」と大盛り上がりで乾杯を交わす中、俺と渚は隅の席に並んで座っていた。
……そういえば、いつからだっただろうか。
合同行事の時、渚が当たり前のように俺の隣に座るようになったのは。
ふと記憶をさかのぼってみる。
洋が大学進学で実家を出て行った頃からだっただろうか。
当時の渚は、まだあどけなさの残る中学生だった。
当時の俺は、(まあ、洋がいなくなった以上、この中で一番年齢が近いのは俺だしな。年の近いお兄ちゃんに寄ってくるのは自然なことか)くらいにしか思っていなかったのだ。
だが、昨夜のバーでの告白を経た今、頭の中のパズルがカチリと音を立てて噛み合った。
(……待てよ。もしかして、あの頃からずっと……?)
俺がハッとして渚の顔を見つめると、彼女は肉を口に運ぼうとしていた手を止め、ふと視線を合わせてきた。
そして、俺の動揺しきった表情からすべてを察したのか、渚は頬をポッと朱に染めると、ぷいっとそっぽを向いた。
「……遅い。やっと気づいたの? バカお兄ちゃん」
横顔の耳たぶまで真っ赤にしながら、蚊の鳴くような小さな声で呟く渚。
昔からずっと、俺の隣は彼女の『指定席』だったのだ。
それに気づいていなかったのは、本当に鈍感な俺だけだったらしい。
「なんだよお前ら、二人でこそこそ話してー! 相変わらず仲いいな!」
焼き網の前でトングを握りしめた洋が、豪快に笑いながらこちらに声をかけてくる。
「なんでもないよ、ちぃ兄ちゃん。それより肉、焦げてるよ」
渚は冷ややかな声で実の兄を軽くあしらうが、少しだけ俺との距離をとった。
「意識したら、恥ずかしくなってきちゃった…」
赤くなりながら俯いた顔を見つめれば、そこにはもう『隣の可愛い妹』の影はなく、俺を夢中にさせる一人の愛おしい彼女の顔があった。
◇◇◇
「――それでは! 若き二人の素晴らしき前途を祝して……カンパーイ!」
豪快な掛け声とともに、うちの親父がビールカップを高く掲げた。
「ぶッ……!!? ぐほっ、ごほっ……!!」
口に含んだばかりのビールが盛大に気管に入り、俺は盛大にむせ返った。
膝を叩いて死にそうになりながら咳き込む俺の背中を、渚が「ちょっと、大丈夫? お兄ちゃん」と言いつつ、なぜかめちゃくちゃ嬉しそうにトントンと叩いてくる。
周りを見渡せば、うちのお袋も隣のおばちゃんも、温かい目というよりは「ニヤニヤ」という効果音が完璧に似合う顔でこちらを凝視していた。
……バレてた。
隠すも何もない。両家族には、すでに完全にバレていたのだ。
理由? 訊くまでもない。
横で誇らしげな顔をしている渚が、嬉しさのあまり昨夜のバーでの告白からその後のことまでを、すでに親たちに報告して回っていたからだ。
「もう、渚ったら報告が早すぎるんだから〜。昨日の夜、LINEで『お兄ちゃんと付き合うことになりました!』ってスタンプ連投してきた時は本当にびっくりしちゃったわよ」
「ねえ? でも昔から『大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる』って言ってたもんねぇ。念願が叶って本当に良かったじゃない、渚ちゃん」
親たちの容赦ない暴露トークが怒涛のように炸裂する。
(おい……! どこまで話したんだ渚……!? 頼むからバーの後のことまで細かく報告してないだろうな!?)
焦って渚の顔を横目で見ると、彼女は悪びれる様子もなく、むしろ満足そうにふふんと鼻を鳴らしていた。
もしや、これが噂に聞く『針のむしろ』というやつかもしれない。
「まあまあ、男一匹、腹をくくりなさいよ!
万が一にも渚ちゃんを泣かせたりしたら、家族全員でボコボコにするからね!」
隣のおばちゃん――未来の義母(?)からのあまりにも重すぎるプレッシャー。
洋は洋で、「妹が欲しければ俺を倒してからにしろ」と謎のテンションで酒を注ごうとしてくる。
肩を小さくすぼめて冷や汗を流す俺の足元で、そっと足が触れ合った。
渚も驚いたようだが、そのまま俺の足に自分の足を寄せてきている。
上目遣いに俺を見つめる彼女の瞳には、ただ俺を独占できた歓喜と甘い熱が宿っていた。
「……お兄ちゃん、覚悟決めてね?」
親たちの笑い声と肉が焼ける音に紛れ、耳元で囁かれた渚の小さな声。
針のむしろなんて痛烈な視線も、この可愛すぎる彼女の笑顔と密かなスキンシップの前には、ただの贅沢な苦痛でしかなかった。
◇◇◇
「そういえば……こうして二家族で集まる機会、最近むしろ増えてた気がする……」
俺がぼやくように呟くと、隣でお肉を突ついていたお袋が「くすっ」と肩を揺らして笑った。
「ふふ、やっと気づいたの? 遅いのよ、本当に」
お袋は呆れ半分、面白がり半分といった顔でビールを口に運ぶ。
続いて隣のおばちゃん――渚の母親が、扇風機の風に当たりながら、誇らしげに胸を張った。
「まあねぇ。可愛い娘のためなら、親としてもひと肌脱ぐしかないでしょう?
渚から『お兄ちゃんと二人きりになれる機会を作って!』って、何回お願いされたことか」
「本当よ〜。今日のセッティングだって、洋が帰ってくるタイミングに合わせたフリをして、全部渚の作戦だったんだから」
満足げに頷き合う二人の母親。
……マジかよ。
俺が気づいていなかっただけで、実はもっと前から、俺は二家族総出の『渚の恋路応援網』という名の罠の上に座らされていたらしい。
洋は「えっ、俺、完全にダシに使われてただけじゃん……」と肉を焼きながら本気でショックを受けている。
「……鈍感で良かった……」
心からそう思った。
もしこれまでの親たちの策略や、渚の並々ならぬ執念にリアルタイムで気づいていたら、プレッシャーと気気まずさで胃に穴があいて逃げ出していたかもしれない。知らぬが仏、鈍感は身を助けるとはまさにこのことだ。
俺の心の声を察したのか、渚がテーブルの下で俺の太ももをギュッと掴んできた。
「……なに『鈍感で良かった』なんて安堵してんの。バカお兄ちゃん」
小さくジト目を向けてくる渚だが、その頬はやっぱりほんのり朱に染まっている。
「こっちがどれだけアピールしても全ッ然気づかないんだから。
バーベキューのときだって、わざと隣に座って、わざと大きめのお肉取り分けてあげたりしてたのに……全部『ただの妹の気遣い』でスルーされて、私、裏でどれだけ枕を濡らしたと思ってんの?」
「うぐっ……」
「でも……」
渚は掴んでいた太ももから、すっと手を滑らせ、俺の手をぎゅっと握りしめてきた。そのまま指を絡め合わせ、愛おしそうに恋人繋ぎにする。
「……昨日の夜、ちゃんとお兄ちゃんから抱きしめてくれたから。
今までの焦れったい時間も……全部許してあげる」
耳元に寄せて囁かれた声は、甘く、どこか艶っぽく響いた。
両親たちと洋は、楽しそうに酒を酌み交わしながら次の旅行の計画を話し合っている。
賑やかな笑い声が響く庭の片隅で、俺たちはテーブルの下で固く手を繋いだまま、内緒の視線を交わし合った。
(……まあ、これからは鈍感なんて言ってられないな)
こんなにも一途に俺を想い続けてくれた可愛い彼女を、今度は俺の手で、ちゃんと幸せにしてやらなきゃいけない。
握り返した手に少しだけ力を込めると、渚は嬉しそうに、花がほころぶような笑みを浮かべたのだった。




