プロローグ 『一生分の幸運を使い切った日』
「乾杯」
カクテルグラスを優しく傾けながら、俺はチラリと目の前の彼女――渚に視線をやった。
薄暗いバーの照明を受け、グラスの中で揺れる琥珀色の液体と、彼女の潤んだ瞳がキラキラと反射している。
こんなにも愛らしく、魅力的な彼女ができてしまったのだから、俺はきっと人生における一生分の幸運を今日という日にすべて使い切ってしまったのかもしれない。
渚との接点は、ただ単に「家が隣同士だった」という偶然に過ぎなかった。
隣には一歳下の幼なじみがいた。ただし男だ。名を洋という。
親同士も非常に仲が良く、そのおかげで俺と洋は毎日のように泥だらけになりながら近所を駆け回って遊んでいた。
そして二歳上の俺の実姉・夏美と、三歳上の洋の姉・美凪。
子どもの頃の俺たち4人は、まるでひとつの大きな家族の兄弟姉妹のように、いつだって一緒だった。
その「連合きょうだい」の、一番下の妹が、渚だった。
俺より5歳も年下。幼い頃の渚は、ちいさな足でみんなの後ろをトコトコと一生懸命についてくるような存在だった。
俺のことは『お兄ちゃん』、実の兄である洋のことは『ちぃ兄ちゃん』と呼んでいた。
幼い頃の渚にとっては、きっと実の兄も隣の兄貴分も、区別なんてついていなかったのだろう。
「お兄ちゃん、大好き!」
「はいはい。俺も好きだぞ」
そんな会話も、昔はごく当たり前に交わしていた。
当時の俺にとって、それは何の裏もない、ただの微笑ましい言葉に過ぎなかったからだ。妹に向ける「好き」という感情と、何一つ変わりはなかった。
だから――。
渚が中学生になり。
高校生になり。
すこしずつ大人びた雰囲気を纏うようになっていっても。
俺の中での渚は、ずっと「可愛い妹分」のままだった。
……そのはずだったのだ。
◇◇◇
ある休日のこと。
制服姿の渚が、うちの玄関先に立っていた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「今日、暇?」
「まあ、特に予定はないけど」
「じゃあ、一緒に買い物行こう」
「いいぞ」
何気なく返事をしてから、俺はふと渚の顔をまじまじと見つめた。
「……どうしたの?」
「いや……」
首を傾げる彼女を見て、胸がどきりと跳ねた。
なんというか――可愛くなった。それも、ものすごく。
昔はただ守ってやりたいだけの「幼い妹分」だった。
けれど今、目の前に立っているのは、どこからどう見ても惹きつけられるような「一人の可愛い女の子」だった。
その事実に気づいてしまった瞬間、俺の頭の中でけたたましく警報が鳴り響いた。
正直、ずっと思っていた。
……これは、マズイと。
俺は決してロリコンなどではない。
自分に何度もそう言い聞かせ、理性を総動員して必死に込み上げる感情を押し殺していた。
ただの『隣のお兄ちゃん』として、妹のように接し続けることが俺の果たすべき誠実さだと思っていたのだ。
就職と同時に実家を出て一人暮らしを始めたのも、彼女とこのまま近くにいては危険だ、距離をとらなければいけないと強く感じたからでもあった。
◇◇◇
そして、渚が二十歳になった。
「私、二十歳になったよ」
久しぶりに会った渚が、少しだけ照れたように微笑みながら言った。
「おう。おめでとう」
「だからさ……お酒、飲みに連れて行って」
「……酒?」
「うん。初めて飲むの」
「じゃあ、変な店には連れていけないな」
「バーがいいな」
「バー?」
「うん。お兄ちゃんと一緒に行きたい」
断る理由なんて、どこにもなかった。
その夜、俺たちは街の喧騒から少し離れた、落ち着いた雰囲気のバーへと向かった。
重厚なカウンターに二人並んで腰を下ろす。
「何飲む?」
「お兄ちゃんと同じのがいい」
「じゃあ、飲みやすい弱めのカクテルにしてもらうな」
「うん」
運ばれてきたグラスを、渚は両手で大切そうに包み込み、ちょっぴり緊張した様子で一口だけ口をつけた。
「……美味しい」
「そりゃよかった」
「なんか、すごく大人になった感じがする」
「もう立派な二十歳だからな」
「うん……」
それからしばらくは、他愛のない思い出話に花を咲かせた。
幼い頃のやんちゃな記憶、洋の近況、お互いの母親たちの昔話。
時の流れを感じながら穏やかな時間を過ごしていると、渚が二杯目のグラスを静かにコースターへ置いた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「聞いてほしいことがあるの」
「なんだ?」
渚は体を俺の方へ向け、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
その瞳の奥には、今までに見たことがないほど深い真剣みが宿っていた。
「ずっと、好きでした」
静かなバーの空気が、一瞬で凍りついたように思えた。
脳が言葉の意味を理解するのに時間がかかる。
「お兄ちゃんのこと」
渚は頬を赤く染めながらも、決して目を逸らそうとはしなかった。
「……私、ずっと好きでした。子供扱いじゃなくて、一人の女の子として……私を見てほしいの」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
肋骨を突き破るのではないかと思うほどの激しい鼓動。頭の中が真っ白になる。
だって、渚は俺にとってずっと「守るべき妹」のような存在だったはずだ。
五歳も年下で、俺の後ろを楽しそうについてきて、『お兄ちゃん』と呼んで笑っていたはずなのに。
「……俺で、本当にいいのか?」
掠れた声でようやくそう問いかけると、渚は一瞬驚いたように目を丸くし、それから胸が締め付けられるほど嬉しそうに破顔した。
「お兄ちゃんがいいの。お兄ちゃんじゃなきゃ、嫌なの」
その笑顔を見た瞬間、俺は悟った。
――ああ。
俺の一生分の幸運は、たぶん今日この瞬間に使い切ってしまったんだな、と。
長年必死で耐え続けてきた理性の堤防が、大きな音を立てて崩れ去っていくのを俺ははっきりと感じていた。
◇◇◇
バーを出てからの記憶は、夢の中にいるようにどこかフワフワとしていて途切れ途切れだった。
気づけば俺たちは、俺のアパートの部屋に足を踏み入れていた。
パタンと玄関の鍵を閉めた瞬間、背後から衣類の裾をキュッと小さく引っ張られた。
振り返ると、渚が少し潤んだ瞳で上目遣いに俺を見つめている。
バーの薄暗い照明ではなく、部屋の蛍光灯の下で正面から見つめ合うと、彼女の紅潮した頬や赤くなった耳たぶ、呼吸に合わせて上下する胸元が嫌でも視界に入り、鼓動が破裂しそうなほど高鳴った。
「渚……本当に、いいのか? お酒の勢いとかじゃなくて……後悔しないか?」
俺がかすれた低い声で尋ねると、渚はかぶりを振るように首を横に振った。
ふわりと舞い散る、甘く柔らかい彼女固有の香水と体温の匂いが俺の鼻腔を優しくくすぐる。
「お酒のせいなんかじゃないよ。……二十歳になったら、絶対に伝えようってずっと決めてたの。子供じゃない私で、ずっと……ずっとお兄ちゃんに触れられたかった……」
渚は小さく息を呑むと、意を決したように自分から俺の胸へと飛び込んできた。
華奢で柔らかな身体が、俺の腕の中にすっぽりと収まる。その温もりと愛おしさに、俺の思考は完全に停止した。
「渚……っ」
もう、己の欲望に嘘をつく必要も、我慢する必要もどこにもない。
俺は渚の小さな顎を指先でそっとすくい上げ、少し開いた桜色の唇に自分の唇を重ねた。
「ん……っ……ぁ……」
甘い吐息が洩れ、渚の身体がビクッと愛らしく跳ねる。
幼い頃から妹のように見守ってきたはずの彼女が、いま俺の腕の中で、一人の艶やかな女性として熱く身を委ねてくれている。
「お兄ちゃん……すき……大好き……っ」
首元に回された細い腕を感じながら、俺は彼女を強く、壊してしまわないように抱きしめた。
一生分の幸運なんて、ここで使い果たしてしまっても構わない――そう深く心に誓いながら。
本作は、我が血肉の一部、00年代ギャルゲーのイメージです。
エロゲーを家庭用移植した、通称「牙の抜け落ちたエロゲー」、
直接描写シーン「だけ」をカットした代物です。
ちょっとアダルトチックな描写を漂わせているのはそのためです。
そして当時全盛を極めた、いもうと系ヒロインものです。
白状します。私はいもうとバカ一代です。
長年の研究(?)の成果を、今ここに発揮します!




