二人の日常編1『新しい家族(前編)』
「お前までこっちの家にいて大丈夫なのか……?」
リビングのソファに深く腰掛け、俺は隣の渚にひそひそ声で尋ねた。
今日は、洋が「彼女」を連れて実家に帰ってくるという一大イベントの日だった。
普通なら「家族水入らずでどうぞ」と遠慮するところだが、幼い頃から二家族合同でご飯を食べてきた我が家と隣家においては、なぜか俺まで当たり前のように招集されていた。まあ、いつものことと言えばいつものことなのだが……。
「あっち、今すっごい空気重いから」
渚はテレビのリモコンをいじりながら、他人事のように言った。
ちなみに、いつもならこういうお祭り騒ぎに真っ先に首を突っ込んでくる暴走機関の夏美姉は、珍しく不参加を表明していた。
『私以外が全員カップルのイベントに行けるかーーーッ(泣)!!』
と吐血せんばかりの悲鳴をLINEに残し、今は一人でヤケ酒でも飲みに出かけているらしい。
ある意味、嵐が去っていて平和ではある。
だが、隣家から漂ってくる気配は、夏美姉の暴走とはまた違ったベクトルで重苦しかった。
「あの洋が両親に彼女紹介するんだろ? どっちも反対なんかしないだろうけど……」
「う~ん、何が心配だかわからないけど、妙にピリピリしてるの」
渚は俺の膝に頭を乗せてゴロゴロしながら、呑気に小さくあくびをした。
「私の時は、お兄ちゃん相手だからこういう怖いことしなくてよかったのが本当にありがたいなぁ。だって、もう家族公認だし?」
「お前なぁ……。俺の時はお前が嬉しすぎて勝手に暴露して回ったから、なし崩し的にバレただろ」
「えへへ、結果オーライでしょ?」
膝の上でニシシと可愛らしく笑う渚。俺たちの時は、バーベキューの場で親父の「前途を祝して!」というフライング乾杯から始まり、そのまま祝福と冷やかしの嵐に包まれた。気まずさはあったものの、お互いの性格も親同士の関係も知り尽くしていたからこそ、あの緩さで済んだのだ。
それに対して、洋が連れてくる彼女さんにとっては、いきなり隣家まで巻き込んだ「大幼なじみファミリー」の輪に放り込まれるわけだ。……うん、想像するだけで胃が痛い。
『ピンポーン』
その時、玄関のインターホンが鳴った。
俺と渚が顔を見合わせると、ドアが開いてうちのお袋の慌ただしい声が聞こえてきた。
「ちょっと二人とも! 隣のおばさんから『準備できたからそろそろ来てー!』って連絡入ったわよ! ほら、渚ちゃんも準備して!」
「えー、もう? もう少しお兄ちゃんとイチャイチャしたかったのに……」
不満そうに唇を尖らせる渚の手を引っ張り、俺は立ち上がった。
「ほら、行くぞ。洋の彼女さん、緊張で倒れてるかもしれないだろ」
「はーい」
覚悟を決めて玄関を出ると、隣の家からは、嵐の前の静けさとでも言うべき、妙にピンと張り詰めた空気が漏れ出していたのだった。
◇◇◇
実の家族とのご対面の席にまでさすがに俺たちがズカズカ上がり込むわけにはいかない。
うちの家族の仕事は、あくまで裏方だ。ご対面が無事に終わったあと、庭で開催される予定の合同バーベキューのセッティング。炭をおこし、肉や野菜を皿に盛り、ビールをクーラーボックスに詰め込む作業に精を出す。
「……ふぅ、とりあえず準備は完了だな」
うちの親父と汗を拭っていると、隣の家の引き戸がガラガラと開き、ゾロゾロとみんなが出てきた。
どうやら緊張のご対面は無事に終わったらしい。
洋の隣には、少し肩の力を抜いた様子の可愛らしい女性が立っていた。
「あ、来た来た! ほら、こっちが隣の幼なじみの……」
洋が俺たちに気づき、彼女さんに俺を紹介し始める。……のだが。
「……妹にまだ小さいうちからツバつけてたロリコンのド変態」
「おい誰がロリコンのド変態だ!!」
酷い言われようである。
洋の彼女さんは予想外のワードに目を丸くしたあと、「ふふッ」と小さく吹き出していた。
……まあ、わかる。
洋なりのやり方なのだ。見知らぬ大人たちに囲まれてガチガチに緊張していた彼女の緊張を、身内の「酷いイジり」でほぐそうとしているのが見え見えだった。
「テメエ、人聞きの悪いこと言ってんじゃねえぞ!」
俺は洋の意図を汲み、冗談っぽく胸倉を掴むフリをして、拳を振り上げるポーズだけしてみせた。
「うわっ、出た暴力的!助けてー!」
オーバーに怯えて見せる洋の道化っぷりに、庭中にどっと笑いが起きる。
彼女さんの肩の力が、すっと抜けていくのが分かった。
「初めまして。変態扱いされましたけど、ただの隣の幼なじみです。
洋のこと、よろしくお願いしますね」
俺が苦笑いしながら挨拶すると、彼女さんは深々と頭を下げ、どこかホッとしたような笑顔を見せてくれた。
こうして、秋風が心地よい庭で、どこよりも賑やかで少しだけややこしい「両家+彼女さん」の合同バーベキューが幕を開けたのだった。
◇◇◇
「初めまして、晴海です。いつも洋くんからお話は聞いてます」
ペコリと丁寧におじぎをした彼女・晴海さんは、洋の大学の同期だという。つまり、俺とは一つ下だ。
二人とも大学の同じサークルで知り合い、意気投合して付き合い始め、今日のご対面に至るらしい。大学で出会って、サークルで距離を縮めて……なんて、まさにキャンパスライフの王道を行く甘酸っぱい青春の1ページだ。
「いいなぁ〜」
肉を頬張りながら、渚がぽつりと呟いた。
「なにがだよ」
「だってさぁ、私とお兄ちゃんも同じ大学で同じキャンパスだったら、そういう甘いキャンパスライフ過ごせたかもしれないじゃん?
誰かさんが5年分留年してくれたら、ワンチャン可能性あったのに〜」
「うちの親が5年も留年許してくれるわけないだろ!! 何年大学に居座る気だ俺は!」
「あははは! 5年はヤバいって渚ちゃん!」
俺の即座のツッコミに、洋も晴海さんも、両家の親たちも大爆笑。庭の空気が一気に和やかになった。
「でも、渚ちゃんはお兄ちゃんのこと大好きなんだね。
洋くんから『うちの妹は隣の男にベタ惚れだ』ってずっと聞いてたの」
晴海さんにクスクス笑いながら言われ、渚は「あ、洋お兄ちゃん余計なこと言ったな!?」と頬を染めつつ、俺の腕をしっかりと抱きかかえてきた。
「余計なことじゃないもん。事実だもんね。ねー、お兄ちゃん?」
腕に伝わる柔らかい感触と、晴海さんの前で見せつけるような渚のドヤ顔。
キャンパスライフの甘い出会いも羨ましいが、こうして長年積み重ねてきた『お隣さん』としての歴史が花開くのも、悪くないな――と、俺は冷えたビールを飲みながら密かに思い直すのだった。
◇◇◇
バーベキューが中盤に差し掛かると、大人たちは昔話と酒の勢いに任せて大いに盛り上がり始めた。
「晴海ちゃん、洋は昔すっごく泣き虫でね〜! 幼稚園の時なんてさ!」
「お、お袋! 晴海の前でそういう余計な昔話はやめてくれよッ!」
頭を抱える洋を肴に、両家のお母さんたちがゲラゲラと笑っている。
その賑やかな輪から少し離れたウッドデッキの段差に、晴海さんが缶チューハイを手に一人で腰を下ろしていた。俺はクーラーボックスから新しい缶ビールを取り出すついでに、彼女の隣へ少し間を空けて腰掛けた。
「晴海さん、大丈夫? この家の親戚並みの押し出し感、疲れたろ」
「あ、ありがとうございます。ふふっ、全然です! むしろ……ちょっと羨ましいくらいです」
晴海さんは庭で親たちと押し問答をしている洋を見つめながら、柔らかく目を細めた。
「洋くん、私と二人の時はすごくカッコつけてリードしてくれるんです。でも今日、実家に来て……こんな風にお兄さんや渚ちゃんと楽しそうに掛け合いをしてるのを見て、洋くんの“素”の一面が見られた気がして嬉しくて」
「あいつ、外じゃカッコつけてんのか。家じゃただの暴走道化師なのに」
「あはは! でも、素敵なご家族ですね。お隣同士でこんなに仲良しだなんて、本当に温かいです」
晴海さんの言葉には、心からの実感がこもっていた。見知らぬ空間に放り込まれた緊張が溶け、この賑やかさを素直に受け入れてくれているのが分かって、俺もなんだか誇らしい気分になる。
「晴海さん、洋は調子乗りだけど、根はすごく一途で良い奴だから。これからもあいつのことよろしく頼むな」
「はい! こちらこそ……あ、あの」
晴海さんは少し照れくさそうに微笑むと、チラリと俺の視線の先――炭火の前で肉を焼きながら、チラチラとこっちを気にして見張っている渚に目をやった。
「渚ちゃん、お兄さんが取られちゃうんじゃないかって、さっきからすっごい牽制してきてますよ」
「……あー、やっぱり?」
見ると、トングを持った渚が、まるで獲物を狙う猫のような目で俺と晴海さんをじーっと見つめていた。俺と目が合った瞬間、彼女は「むぅ」と分かりやすく唇を尖らせると、トングを持ったままトコトコとこっちへ歩いてきた。
「お兄ちゃん! 肉焼けたよ! ほら、あーん!」
「お前、晴海さんの前で恥ずかしい真似すんなって……」
「いいの! 晴海さんに見せつけるんだから!」
渚は強引にカルビを俺の口に押し込んできた。熱々の肉をハフハフと噛み締めながら、俺は苦笑いするしかない。
晴海さんはその光景を見て、今日一番の楽しそうな笑顔で「ふふっ、お邪魔虫は退散しますね」と立ち上がり、洋のもとへと戻っていった。
「もー、お兄ちゃんってば、晴海さんと何楽しそうにおしゃべりしてたの?」
晴海さんが離れた途端、渚はすかさず俺の隣にすっぽりと収まり、腰にギュッと抱きついてきた。
「洋のカッコ悪い昔話だよ。嫉妬すんなって」
「嫉妬じゃないもん。自慢の彼氏を取られないように警戒しただけだもん」
フンと鼻を鳴らして俺の胸に頭を擦り寄せてくる渚。
その少し嫉妬深くて、どこまでも素直な愛おしさに、俺は溜め息をつきながら彼女の頭を優しく撫でた。
「取られるわけないだろ。俺の彼女はお前だけなんだから」
「……! うんっ!」
俺の言葉に、渚の顔がパぁッと開花するように輝いた。
秋の爽やかな風が、庭の焦げた肉の匂いと、大好きな人たちの笑い声を乗せて吹き抜けていく。
洋の新しい一歩も、俺と渚の重ねていく日々も、この温かい両家の大騒ぎの中で、ゆっくりと、けれど確実に未来へと繋がっていくのだった。




