夏休み編6『祝福の大喧騒と約束の未来』
ガララッと玄関が開く音とともに、賑やかな大人たちの声が古民家に響き渡った。
うちの両親と隣の両親が、1台のワゴン車に乗り合わせてやってきたのだ。
洋からは「すまん、ちょっと事情で到着遅れる!」とすでに連絡が入っている。
「いやあ、立派な古民家じゃないか!」
「お邪魔するわね〜!」
親たちが持参した豪勢な手料理や地酒が、居間の大きなローテーブルの上に次々と広げられていく。
その中には、渚が朝から慣れない手つきで一生懸命作った大皿料理――ちょっと形が不格好な出汁巻き玉子や、少し焼きムラのある煮物なんかも誇らしげに並べられた。
親たちや美凪さん、夏美姉から「まあ! 渚ちゃんが作ったの!?」「上手じゃない〜!」と褒めちぎられ、渚は誇らしげに胸を張っている。
「そっちの変なのは、お兄ちゃんが作ったやつだからね」
……余計なことは言わないでほしい。
「それじゃあ改めまして、みんな揃ったところで……カンパーイ!」
親父の音頭で、本日何度目かの乾杯が交わされた。
大人の呑み会が本格的にスタートし、俺はウーロン茶の入ったグラスを片手に、各席を回って親たちや篤さんたちと会話を重ねていく。
笑顔で接客に励む俺だが、実は心の中でずっと激しい苛立ちを募らせていた。
そう。俺はまだ、ビールが飲めないのだ。
なぜなら、最寄り駅から徒歩だと絶望的な距離にあるこの古民家まで、遅れてやってくる洋を車で迎えに行かなきゃいけない役割が俺に課せられているからだ。
目の前ではキンキンに冷えたビールが喉を鳴らして飲み干され、肉や手料理のいい匂いが充満している。隣では酒が入ってすっかりご機嫌になった渚が、頬を赤くしながら俺の服の裾をフリフリと引っ張って甘えてきている。
なのに、俺だけシラフ!!
(早く来い……! この野郎……!!)
携帯の画面で洋からの「今電車乗った!」という呑気なLINEを睨みつけながら、俺は心の中で呪いを送っていたのだった。
◇◇◇
駅のロータリーでようやく拾った洋を車に乗せ、古民家へと戻った時には、居間の出来上がり具合はピークに達していた。
「遅いぞ洋ー!」「ほら飲め飲めー!」と親たちや夏美姉がワイワイと盛り上がる中、道中の車内で洋から先に『遅れた事情』を聞いていた俺は、ビール缶をニヤニヤしながら親友の手に押し付けた。
「ほら洋、言え。さっさとこの場で言え」
「お、おい! ちょっと心の準備が……!」
「いいからけしかけられておけ!」
俺の強い押しに負けた洋は、コホンと大きく咳払いをすると、居間の中心で背筋をピンと伸ばした。
「えー……みなさん、盛り上がっているところ恐縮ですが、この場を借りてご報告があります」
そのあまりに改まった言い方に、さっきまで騒がしかった居間がスッと静まり返った。親たちの酔いも一瞬で冷めたかのように、視線が洋に集まる。
「実は……大学の頃から付き合ってた彼女を、今度実家に連れてこようと思います」
みんながゴクリと息を飲んだ。
大人たちの目が「……で?」と語っている。両親も、美凪さんも、渚までもが、洋が言いたいことの察しはついているくせに、あえて自白させようと「それで?」と言いたげな、重圧のある静寂を作り出していた。
洋は額に汗を浮かべながら、覚悟を決めたように肚から声を張り上げた。
「……結婚しようと思います!!」
――ドカーン!!
時間にすればほんの数秒。まさにそう形容するべき地鳴りのような歓声が、古民家の天井を突き抜けんばかりに響き渡った。
「やったなぁ洋!!」
「おめでとう!!」
「いつの間に!!」
両家のおじさんおばさん達が大はしゃぎで乾杯の嵐を巻き起こし、洋の肩を叩きまくる。
渚も「ちぃ兄ちゃんすごーい!」とパチパチと手を叩いて喜んでいた。
ただ……たった一人を除いて。
「……は?」
部屋の隅で、夏美姉の瞳からスッと光が消えていた。
「え、ちょっと待って……
洋まで? 洋も結婚??……
え? 独り身は……独り身は私だけになるの……!??
みんな早すぎるでしょおおおぉぉッ!!!」
暴れ馬と化した夏美姉が「酒だ! 酒を持ってこーい!」と暴れ出そうとするのを、慌てて篤さんと俺で必死に羽交い締めにして押さえつける。
大歓声と、悲鳴が入り乱れ、古民家の夜はますますカオスな熱気に包まれていくのだった。
◇◇◇
かくして、大騒ぎの宴は幕を閉じた。
片付けもようやく一段落した頃。静まり返った縁側で、俺と渚は小さくグラスを合わせた。
「おもてなし役、お疲れさま。お兄ちゃん」
「渚もお疲れ。料理、親たちみんな絶賛してたぞ」
グラスの氷をカラリと鳴らしながら、渚がぽつりと呟いた。
「……今日より前に、お兄ちゃんと付き合えて良かった」
「ん? なんでだ?」
「だって……今日のちぃ兄ちゃんの結婚報告が先だったら、私、寂しさの方が強かったかもしれない」
そう言って、渚は夜風が吹き抜ける庭を見つめながら、少し遠い目をした。
美凪さんを長女に、ひとつ下の夏美姉、その二歳下に俺、そのひとつ下の洋。そして、さらにそこから歳が離れた一番下が渚だ。
我らが『連合きょうだい』。年の離れた末っ子の渚は、まさに両家のアイドルとして、俺たち全員から目の中に入れても痛くないほど可愛がられて育った。
だけど――それは同時に、渚にとっては「年上のきょうだいたちが一人、また一人と大人になり、自分の元を去っていくのを見送る立場」でもあったのだ。
美凪さんも洋も実家を出て。末っ子の彼女は、ずっと置いていかれるような寂しさを抱えていたのかもしれない。
「みんなに、追いつけた気がするんだ」
渚はそう言うと、どこか吹っ切れたような、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
一人の女性として俺の隣に立ち、洋のめでたい報せを対等な立場で喜べたことが、彼女にとってはたまらなく誇らしかったのだろう。
愛おしさが胸の奥からこみ上げてきて、俺はそっと渚の肩を抱き寄せた。渚は心地よさそうに俺の胸に頭を預けてくる。
ふわりと漂う甘い香りに包まれながら、彼女の髪を撫でていると、渚が俺のシャツの胸元をキュッと指先でつまんできた。
「ねえ、お兄ちゃん……」
「ん?」
「私が大学卒業してからの引っ越し先……こうしてみんなで集まれる、広い家にしようね」
とんでもないことを言いやがる。
将来、連合きょうだい達とそれぞれの家庭、そして親たち全員が集まれるような広い家――それって一体、街からどれくらい離れたところにあるのか、あるいはどれほどのローンを組むことになるのか。社会人になりたての俺の給料袋を想像して、一瞬で胃がキリキリと痛み出す。
「……お兄ちゃん?」
返事のない俺を不思議に思ったのか、渚が胸元から顔を上げて、潤んだ瞳でじっと見つめてきた。その笑顔があまりにも可愛くて、そしてあまりにも眩しくて。
――それは流石に無理だ。
現実的な数字が頭をよぎったけれど、そんな野暮な言葉は喉の奥で消えてなくなった。
「……そうだな。仕事、めちゃくちゃ頑張らないとな」
俺が苦笑いしながら頭を撫でると、渚は「うん! 私も頑張る!」と満面の笑みで俺の首に腕を巻きつけてきた。
幼い頃からずっと俺の後ろをついてきていた隣の妹は、いつの間にか俺の未来そのものを優しく、そして力強く引っ張っていく存在になっていた。
重すぎる将来の夢のプレッシャーを感じつつも、俺は腕の中の愛おしい彼女を、解けないように強く抱きしめ返したのだった。




