夏休み編4『新妻(仮)の覚悟』
「絶対に行く!」
スマホ越しに響き渡ったのは、夏美姉上様からの絶対王政的なお達しだった。
「何が何でも会社の許可とれ!」
「いや、俺の一存で決められる話じゃないんだけど……」
「知らん!」
「知らんって……」
「せっかくの盆休みよ? こんな面白そうな場所、行かない理由がないでしょう!」
どうやら本気だった。
両家族で、この山奥の古民家に集まる。
姉上だけではない。俺の両親も、渚の両親も、全員集合。
完全に『両家合同の大家族旅行』である。
「……分かったよ」
「よし!」
「でも、会社の許可が必要だからな」
「何が何でも取って!」
「はいはい……」
電話を切る。俺はしばらく画面が暗くなったスマホを見つめて途方に暮れた。
(いや、でも……一応、社宅だしな……)
社宅を大人数の貸切バンガローみたいに使っていいものなのか。
翌日、意を決して上司の課長に恐る恐る打診してみた。
「あの……お盆休みに、実家の家族と彼女の家の人たちが泊まりに来たいと言っていまして……」
すると課長は、深いため息をつきながら書類から目を上げ、眼鏡の奥から俺をじっと見つめて言った。
「俺は今、何も聞こえなかった。いいか? 『聞かなかったこと』にしてやる」
「えっ……」
「そもそもな? お前、あそこに彼女を連れ込んでる時点で、本来なら完全にアウトだからな?
そこを俺が目を瞑ってやってるってのに、わざわざ大人数の宿泊許可なんて正式申請してくるんじゃない。藪をつついて蛇を出すな」
思いっきり釘を刺された。
(ですよね―――ッ!!)
完全に俺がアホだった。課長の黙認という綱渡りの優しさによって成り立っていたこの古民家同棲生活。下手に申請を出せば、渚との生活どころか俺の住処すら危うくなるところだったのだ。
「……もっとも、せっかくの盆休みに、わざわざ社宅を巡回しに行くほど仕事熱心な上司はいないだろうな」
課長は独り言のように、しかししっかりと俺に聞こえるように言ってくれた。
完全なる『見て見ぬふり宣言』である。
「……! ありがとうございます!!」
◇◇◇
夕方、車を走らせて古民家に帰宅する。
「お兄ちゃん、おかえり〜! 会社の許可取れた〜?」
ガラリと玄関を開けると、エプロン姿の渚がパタパタと出迎えてくれた。
「会社の正式な許可は取れなかった」
「えっ、じゃあお盆の合同合宿は中止……!?」
パァッと顔を輝かせる渚。
家に帰っての甘々ラブラブお盆休み計画が復活すると思って喜ぶ彼女に、俺は無情な現実を突きつけた。
「……『黙認』はしてもらえることになった」
「ええええええっ!?」
また「おうち帰る~!」と畳の上で暴れ出したらどうしようかと思った。
だが――。
「……ふふっ、それはそれで、楽しみかも!」
意外にも、渚から返ってきたのは前向きな笑顔だった。
「ちゃんとみんなを迎える準備、しないとね!」
どうやら渚にとっては、「見知らぬ土地で一人で過ごす」というのが耐え難く辛かったのであって、「みんなを迎えるホスト側になる」のは全く別の話らしい。
◇◇◇
「……よし、お布団のシーツはこれでOK。あとはお肉とお野菜の買い出しリストだね!」
そこからの渚は、驚くほどスムーズに『おもてなしモード』へと頭を切り替えていた。
スマホで両家の親たちと連絡を取り合いながら、テキパキと合同合宿の準備を進めている。
二家族が押し寄せてくるという極めて現実的な課題とタイムリミットを与えられたことで、パニックになるどころか、かえって肚が据わって気持ちが落ち着いたようだ。
(……おばちゃん、こうなることは全部見通してたんだな……)
渚のお母さんは、伊達に20年も母親をやっていたわけではなかったのだ。
『古民家で合宿するなら、座布団と布団の割り振りはこう!』
『買い出しは地元の道の駅で済ませると楽よ』
『男手には重いものの搬入と火起こしを徹底的にやらせなさい』
LINE越しにお母さんから授けられた数々の「主婦の知恵」と「合宿攻略ノウハウ」を完璧に伝授された渚は、まるで長年この家を守ってきたかのような見事な手際で家中を整えていく。
エプロンの紐をキュッと結び直し、メモ帳とペンを手に古民家の中をパタパタと立ち働く渚。
掃除機をかけ、縁側の風通しを良くし、大人数分の麦茶を冷やし、甲斐甲斐しく準備を整えていくその背中を見つめていると、なんだか胸の奥が熱くなるような不思議な感覚にとらわれた。
(……なんか、すごく『若奥様』って感じの風格が出てきた気がする)
ついこの間まで、俺の後ろをトコトコとついてくるだけの幼い妹だと思っていたのに。
いま目の前で、この広い古民家で俺と一緒に家族を迎える準備をしている彼女は、どこからどう見ても立派で、そして飛びきり愛おしい『俺の奥さん』の姿と思えた。
「ねえ、お兄ちゃん? なにボケッと私のこと見つめてるの?」
買い出しリストを胸に抱えた渚が、不思議そうに首をかしげて顔を覗き込んできた。
少し汗ばんだ額と、誇らしげに微笑むピンク色の唇。
「……いや。渚がすごく頼もしくて、カッコいいなと思って」
「えへへ、ほんと? お母さんにいっぱいアドバイスもらったんだ〜」
そう言って満足そうに胸を張る渚の腰を、俺は思わず引き寄せてギュッと強く抱きしめた。
「んっ……ぁ、お兄ちゃん……!?」
「ありがとな、渚。ほんと助かる」
「もー……お兄ちゃんたら、今甘えられたら準備が進まないでしょ……っ」
呆れ声とは裏腹に、渚は嬉しそうに俺の首に柔らかい腕を回して抱きかえしてきた。
大騒ぎの両家がやってくる直前の、束の間の静けさ。
古民家に流れるゆるやかな時間の中で、俺たちはまるで新婚夫婦のように、静かに、そして熱く互いの体温を確かめ合うのだった。




